作品タイトル不明
第109話 聖女の誕生
森が燃えている。
倒木が折り重なり、視界を塞いでいた。
その向こう側で、喚声と悲鳴が、いくつもいくつもあがっている。
もっとも、さきほどまでと違い、歓喜の声をあげているのは光の民の方だった。
悲鳴のおおくは、モンスターである蜘蛛人間どもである。
この方面における戦いは終わった。
アラクネたちは、背を向けて逃げていく。
掃討戦は、生き残った光の民の兵士に任せていいだろう。
ぼくたちは、あくまで援軍にすぎない。
それに、この世界のことについても詳しくない。
まだまだ知らなきゃいけないことが、たくさんある。
ルシアから聞くべきことはおおむね聞いたつもりだけど、彼女が知らないことだって山ほどある。
特に、この世界が明日、滅ぶということ。
そのあたりの事情について、リーンさんに訊ねる必要がある。
そもそも、そのあたりを説明してもらう途中で、敵襲の報が入ってしまったのだから。
ひとまず、転移門でリーンさんのところに戻って……。
ときびすを返そうとしたところで、ぼくは動きを止める。
アリスが、数名の兵士たちに囲まれていた。
険悪な雰囲気ではない。
むしろ、逆だ。
兵士たちは、アリスの前で膝をつき、神妙な態度で頭を垂れていた。
「聖女さま、どうか、お願いです。われわれの同胞をお助けください」
「え、え、あの」
アリスが困ったようにぼくを見る。
いや、ぼくも困惑しているんだけど……。
「死んだ人間を復活させたのです。驚かれるのも無理はないでしょう」
ルシアがぼくの横に立つ。
あ、そりゃそうか。
普通に奇跡を起こしてるよな。
正確には、アリスが助けたあの兵士は、瀕死だっただけだ。
完全な死を迎えた肉体を蘇らせることはできない。
それは、初めてオークを倒して白い部屋にいったとき、Q&Aで教えられていた。
それでも、さきほどの光景は、スキルシステムで生きていないこの世界のひとたちにとって、それはまさに神の御業なのだろう。
兵士たちは、なんかアリスのことを「神の使徒」とか「聖女さま」とかいっている。
本当に神さまがいるこの世界で、奇跡を起こした少女。
そりゃ……崇められても仕方がないか。
「この戦いで深手を負った者は多いでしょう。光の民にも治療魔法の使い手はいますが、アリスの魔法は図抜けて優れています」
ルシアが補足してくれた。
「まだランク5なのに?」
「いま見ている光景が、その答えです」
聞けば、光の民における魔法使いたちの実力は、ランク3がせいぜい程度であるようだ。
ならまあ、仕方がないか。
考え方を切り替えよう。
ここで献身をアピールすることも悪くない。
「アリス、怪我をしたひとたちの治療、任せてもいいか」
「は、はいっ! ありがとうございます、カズさん!」
なんできみがお礼をいうんだろう?
ああ、そうか。
怪我人たちの治療をしてやりたかったのか。
でも、MPはぼくたちの共有財産だから、いいだせなかった。
戦いは終わったんだから、別にいいのに。
とはいえ……アリスが治療している間、ぼくたちは暇になるなあ。
「ん。カズっち、わたしたちだけでも、リーンっちのところに戻ろう」
「あー、そうだな。そうするか」
ちなみに、火魔法のランク5にフレイム・ヒールという治療魔法がある。
ルシアも回復魔法を使えるというわけだ。
ただしこれは、治療魔法のヒールに比べて著しく効率が悪い。
そのうえ現在、ルシアのMPは切れかかっている。
加えて、リーンさんの話を聞きにいく場合、ルシアは是非ともその場にいて欲しい。
この世界の住人である彼女は、ツッコミ役としても解説役としても役に立ってくれるだろう。
「じゃあ、たまき。悪いが、アリスの護衛を頼めるか」
「え、いいの? でもカズさん、それだとそっちが後衛だけになっちゃうよ」
あ、そうか。
いや、でもなあ。
どうせ、戦いは終わったわけだし。
「いまさら、ぼくたちの方に危険はない……と思う」
「うーん、そうだよね。この場に残るわたしたちの方が危険かー」
「ってわけだ。たまき、アリスをしっかり守ってくれ」
たまきは、目を輝かせて、「任せておいて! わたしはやればできる子なんだから!」と胸を張った。
なんか、こう。
彼女が自信満々だと、とてつもなく不安になるんだけど……。
いや、さすがに今回はだいじょうぶだろう。
実際のところ護衛というのは名目で、アリスひとりだと際限なく治療魔法を使いまくりそうだってだけだし。
敵軍のなかでボス格だったモンスターは、すべて殺した。
この地のモンスターは、もうぼくたちの敵じゃない……はず。
なんて考えているとフラグ立てみたいだ、とミアみたいなことを考える。
戯れだ。
さすがに、もうアリスたちが危機に陥るような敵はいない。
「じゃあアリス。こっちはよろしく頼む」
「はい、カズさん!」
元気よくうなずき、アリスは兵士に導かれて怪我人たちの方へ駆け寄っていく。
戦いのあとだというのに、元気だなあ。
これもレベル23のおかげなのだろうか。
そうなんだろう。
ぼくも、朝から激戦続きなのに、それほど疲れていない。
「おまえたちは、おれが案内しよう。転移門はこっちだ」
別の兵士のひとりが、案内役をかって出てくれた。
っていうか、さっきアリスが蘇生させた男だった。
あー、いや、案内は助かるけどさ。
「そういや、自己紹介がまだだったな。おれはハグサの一族のハガンラン・ナガーラガー。ハガンでいい」
「よろしく、ハガンさん」
手を差し出すと、きょとんとされた。
ああ、握手って習慣がないのか。
そういや、ルシアもきょとんとしてたな。
「ぼくたちの部族では、友好と信頼の証に互いの手を握るんです」
「なるほど。武器ではなく手を預けるという意味か。いい風習だ」
ぼくは、ハガンさんと握手をした。
ごつごつして、ちから強い手だった。
精悍な男は、快活に笑う。
いい人なんだろうな、と思う。
出会いかたは最悪だったけど。
「それじゃ、ハガンさん、お願いします」
ハガンさんは「おう」と勢いよくうなずく。
※
ミアが全員にフライをかけ、空に舞い上がる。
ハガンさんも、器用にバランスをとっていた。
一路、転移門を目指す。
飛んでいる途中で、ルシアのお腹がかわいらしく鳴った。
ありゃ。
そういや、ぼくたちはごちそうをたっぷり食べたあとリーンさんのところにワープしたわけだけど、ルシアはそうでもないみたいだしなあ。
「これ、食べる?」
ミアが、リュックサックから取り出したスニッカーズを、袋をあけて手渡した。
ぷん、と漂うチョコレートの匂い。
ルシアはきょとんとする。
前を飛ぶハガンさんが、犬耳をぴくぴくさせる。
あー、もう、仕方がないなあ。
ぼくは自分のリュックサックから、自分のスニッカーズを取り出し、ハガンさんに手渡す。
「食べてみてください。ルシアの毒見ということで」
「お、おう。毒見じゃ仕方がねぇな」
ハガンさんは、チョコレート・バーにかじりつく。
無精ひげの口もとにチョコの欠片を張りつけ、夢中で食べる。
それを見て、ルシアもおそるおそる、手のなかのスニッカーズをかじった。
「甘い……です」
「腹持ちするから、携帯食糧がわりに持ってきたんだ」
「なるほど、あなたがたの世界は、素晴らしい保存食を持っているのですね」
この程度の駄菓子で褒められると、なんだかなあという気分になるけど……。
頬にチョコを張りつけ、むさぼるように夢中でお菓子を食べるルシアを見ていると、まあこれはこれでいいかと思えてくる。
ルシアは、ぼくとミアがじーっと見つめていることに気づくと、頬を朱に染め、口のなかいっぱいにチョコレートを詰め込んだまま下を向いた。
「申し訳ありません、はしたない真似をしました」
「ここは戦地なんだし、いまのルシアはひとりの兵士なんだから、あまり気にしなくていいんじゃないかな」
「そういうもの、でしょうか」
ぼくは、ハガンさんを見て、ほらと指差す。
粗野な兵士の代表格たる男は、包みや指先についたチョコレートを舐めて、犬耳をぴくぴくさせ、ご満悦のようだ。
「うまかった! もう一本、ないか」
「ほら。これくらい強欲でいいんだ」
二本目のチョコレート・バーをハガンさんに手渡し、ぼくはルシアに笑いかける。
ルシアは、少しはにかんだ笑みを見せた。
「これ一本で、だいぶお腹が膨れました」
「ん。ルシアは燃費がいい」
燃費? とエルフのお姫様は小首をかしげる。
あー、そもそも車がない世界なんだから、燃費なんて単語もうまく翻訳できないよなあ。
「MPあたりの破壊効率がいい、つまり小食ってことだよ」
「理解いたしました。小食でよく働く馬という意味ですね」
これだけの会話で、だいたいのニュアンスは掴んでたわけだ。
翻訳魔法って、すごいのか、すごくないのか。
ルシアの頭のまわりがいいだけかもしれないけど。
「手、べたべた。カズっち、水、出して。ハンカチ濡らす。洗ってあげよう」
「あ、そうだな」
「ついでに、カズっちが、ルシアの頬のチョコをぺろりと舐めてあげる」
「そういうの、いいから」
ルシアとハガンさんに濡れた布切れを渡し、口もとの汚れを拭わせるころ、ようやくぼくたちは、転移門のある樹に辿り着く。
カモフラージュなのか、渡し板も、梯子もない大樹だった。
だが周囲の地面は、硬く踏み固められてしまっている。
下生えの草も踏みにじられて、土が露出している。
これじゃ、偽装もなにもない気が……まあ、いいか。
ハガンさんによると、普段は合図すれば、樹上から縄梯子が降りてくるらしい。
今回は飛行しているから、そういう仕掛けも関係がない。
上空からじかに、木のうろの縁に降り立つ。
見張りの兵士が驚き、槍を突きつけてくる。
光の民の見張りたちは、緊張した様子で誰何してきた。
「まぁ、待て。おれたちは和平派じゃねぇよ。後ろの魔術師さまは、リーンさまが認められた協力者だ」
ハガンさんが前に立ち、まだ緊張している兵士たちに状況を説明する。
それにしても……和平派って、なんだ?
「和平派とは、人類の裏切り者です。モンスターとの共存を目指すと主張し、テロをしかけてきます」
ルシアが手短かに説明してくれた。
ぼくの疑問が顔に出ていたのだろうか。
それにしても……モンスターとの共存って、よくわからないな。
あいつらと対話とか……無理だろう。
宗教みたいなもんか?
「んー。共生派、第五世代……」
なんかミアがぶつぶついっている。
無視しておこう。
「とにかく、そういうやつらがいるかもしれない、と。敵はモンスターだけじゃないわけですね」
「はい」
「まったくの無警戒はまずいってことなら、先に教えて欲しかったかな」
実際のところ、とルシアはいう。
「和平派は、どの国にも存在します。恥ずかしながら、わたくしの国もいたと聞きます。わたくしたちにとって、和平派の存在は常識でしたので……」
ああ、そうか。
外部から来たぼくたちが、そんなやつらは知らないと、そこまで想像できなかったのか。
例えるなら、北の方に住んでいる人が東京にやってきて、蚊やゴキブリのことなんてまったく考えないようなもの……かな。
……なんか例えがアレだけど。
いまのぼくたちが、そうそう危ない目に合うことはないだろうけれどさ。
ぼくたち四人が、魔法陣に入る。
兵士たちのなかの魔術師が、歌を歌う。
なんか、この歌を聞くと、いつも君が代を思い出すなあ。
くらくらする感覚と共に、別の木のうろのなかに出た。
鈴の音のような歌が聞こえてくる。
世界樹の歌う結界魔法だ。
ぼくたちは、ふたたび世界樹のふもとにやってきたのだ。
響き渡るその音楽を聞きながら、木の上を渡す橋を歩く。
もう一度、ほかの転移門からワープ。
次に出たのは、やはり一度見たことがある場所だ。
木のうろの外に出る
リーンさんのいる樹上の町の光景が、眼前に広がっていた。
「じゃあ、おれの案内はここまででいいか」
「ありがとう、ハガンさん」
「こっちこそ、おれなんかのために、ありがとうよ」
橋の手前でもう一度握手して、笑顔で別れる。
ハガンさんは、「じゃあな」とぼくたちに背を向け、別の橋に向かって歩き出す。
その直後。
ハガンさんの全身に、無数の槍が突き刺さった。
さっきまで笑顔だった男が、一瞬で絶命していた。
「あ……え?」
ぼくは、呆けたような声を出してしまう。
慌てて横に、槍が飛んできた方角に視線を移す。
ひとりの男が立っていた。
狂気をはらんだ笑い顔を浮かべる、不気味な猫耳の男だ。
男の周囲に、百本以上の槍が浮いていた。
え……これって。
どういう……。
一瞬、ぼくの思考がフリーズする。
「和平派です!」
ルシアが床を蹴って、男に突進しながら腰のボーン・ウィップを抜き放った。
棒状の武器が、鞭のようにしなる。
不気味な男は、ルシアに向かって十本以上の槍を放った。
ルシアは足を止めた。
呆然とするぼくたちの前に立ちはだかる。
「ブライト・シールド」
燃え立つ炎の盾が、ルシアの前方に出現する。
槍は、炎の盾に衝突し、溶けて消える。
いや、これは……そもそも男が使っている槍はすべて、魔法でできたもの、なのか?
炎の盾が消える。
男が、驚愕に目を見開いている。
ぼくとミアがまだ動けないでいる間に、ルシアは男に飛びかかる。
ボーン・ウィップを振るい、男の首に巻きつけ、ぐいと引っ張る。
男はもんどりうって倒れながら、残る槍を一斉に……。
自らの身体に向かって、放つ。
「ルシア、危ないっ」
何本かの槍は、接近していたルシアにも向かっている。
ルシアはボーン・ウィップを捨て、慌てて距離をとる。
魔法で殺さなかったのは、たぶん、生け捕りにしようと思ったからなのだろうが……。
その努力は叶わなかった。
己の槍に全身を貫かれ、ぼくたちを襲った男は即死する。
全身から滝のように血を流して、男はその場に倒れ伏す。
ぼくは改めて、倒れたハガンさんを見る。
アリスがいないいま、今度こそ、助けられない。
あの魔法は、致命傷を受けてからせいぜい、十秒以内に使用する必要があるからだ。
「いったい……なんなんだよ。なんなんだよ、これは!」
「これが、和平派です」
いらだち、叫ぶぼくに対して。
ルシアが冷静に、そういった。