軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

76 : 死に戻りの魔法学校生活 - 07 -

「ここにヴィンセント様がいることを、公爵閣下は?」

「いえ。父は今、フェルベイラ家のタウンハウスでへべれけになっているはずですから」

「では、失礼で無ければ裏口からお送りしましょう」

「そうしていただけると信じていました」

ヴィンセントがソファから立ち上がる。座った時は不安で仕方が無かったのに、今は空も飛べそうな足取りの軽さだった。

書斎の扉を自ら開けようとしたエルシャ殿は、ドアノブに手をかけたまま振り返った。

「最後に」

「何か?」

「なぜ、このように光栄なお役目を、私にお任せくださったのです?」

笑みを絶やしてはいないが、ふくふくした顔についた小さな瞳が、鋭く光った。

紫竜公爵家には、もちろんお抱えの商家が複数ある。今頼んだことを、引き受けてくれる商人も数人はいる。現に二巡目の父は、その商人らに依頼して、密かにネックレスを探させていた。

だが、ヴィンセントは、そのタンザイン家お抱えの商人を出し抜いて欲しかった。

ヴィンセントは、父と母を喜ばせたいがために、こんな回りくどく、自分の首をも絞めそうなことを、しているのでは無い。

誰のためかなど、あまりにも明白だった。

「……それは」

これまで、大人顔負けの威勢と言葉遣いだったヴィンセントが狼狽えた。顔を俯かせる。五歳の体のせいか、頬に血が上るのを、うまく押さえることが出来ない。

急に顔を赤く染め、しどろもどろになったヴィンセントに、エルシャ殿はこの日一番の驚いた表情を浮かべた。

ソファの後ろで、今夜のヴィンセントの変貌ぶりに目を剥いていたマルセルでさえ、ぎょっとしている。

ヴィンセントは幾度か深呼吸をすると、もつれそうになる舌で呟いた。

「――貴方は」

「はい」

「一目惚れを信じますか?」

マルセルが衝撃のあまり体を揺らした。

エルシャ殿が申し訳なさそうに口を開く。

「……あいにく、私には心の底から愛している妻がおりまして……」

「知っております」

「それに、今年五つになる娘も――」

「知っておりますっ」

赤く染めた顔をあげ、ヴィンセントはエルシャ殿にくってかかろうとした。が、顔を上げた先に、にこにこと笑ったエルシャ殿を見て、頬が引きつるのを感じた。

(こ、この食わせ者っ――!)

慌てふためいているヴィンセントを、微笑ましそうに見つめながら、エルシャ殿は言った。

「喜んで引き受けさせていただきます。貴方とのご縁も、大事にできたら嬉しいのですが」

「そうなることを、私も願うばかりです」

つんとして言ったが、エルシャ殿がヴィンセントを見る目が明らかに変わっていることを、肌で感じていた。

***

公爵家の紋章を付けていない一頭立ての馬車は小さく、御者席と乗車席が分かれていない。手綱を握るマルセルの隣に、ヴィンセントもちょこんと座っていた。

所々、魔法の街頭が照らす闇夜の王都を、かっぽかっぽと馬が駆ける。

「何も聞かないのか?」

行きの馬車はともかく、帰りの馬車でも、マルセルはヴィンセントに何かを尋ねることは無かった。

使用人としては、満点の態度だ。使用人たるもの、主人の行動に興味を持ってはいけない。

だが、ヴィンセントにとってマルセルは、ただの使用人では無かった。特に、今夜のような夜を過ごした後では。

「おや。何を聞いて欲しいんです?」

ヴィンセントは口を噤んだ。その通りだと思ったからだ。ヴィンセントは悩みを打ち明けたかった。一人で過ごす苦悩の日々を終わりにして、マルセルに全てを話し、共に戦って欲しかった。

だが、マルセルに全てを話せば、その重大さに気付き、父の耳にまで入るだろう。そしてヴィンセントは、魔法学校に入れなくなる。二度目の人生を信じて貰った結果、死ぬよりはいいと、家に軟禁状態になるに違いない。

(そうなれば、オリアナにも会えない)

それだけは絶対に避けねばならない。ヴィンセントがいなければ、オリアナだけが死ぬかもしれない。そして何より――ヴィンセントがもう一度、オリアナに会いたかった。

マルセルの顔を見上げ、ヴィンセントは小さな自分の手を握りしめた。

「……君達が愛してくれていた、 ヴィンセント(・・・・・・) がいなくなったわけじゃない。こんな僕も、どうか許して欲しい」

ヴィンセントは、幼い頃に彼らに愛されていたことを知っている。こんなことまで――今のところは主人に内緒で――してくれている、マルセルの愛情だって感じている。

だが、今日のヴィンセントを見たマルセルは、ヴィンセントが変わってしまった事に気付いただろう。

変わってしまった事が酷く申し訳なかった。隠し通すことも出来ただろうが、ヴィンセントはこの力を使うことを躊躇わなかった。

どうしても、オリアナと歩む未来を夢見たかった。

「元々聡明なお坊ちゃんでしたが、ここ最近のヴィンセント様は、聡明さに磨きがかかってらっしゃると、爺は内心喜んでおりました。立派な主に仕えることは、私にとって何よりもの喜びです」

「素直で溌剌で、愛嬌のある僕が懐かしくは無いか?」

「おや。今でも素直で溌剌で……愛嬌がおありだと思っておりましたが」

とぼけたように眉を上げるマルセルに、ヴィンセントは顔を赤くした。先ほどの、自分の醜態を思い出したのだ。

「あれはっ……忘れて欲しい」

「今日のお出かけのことは、どうしましょうか」

「……出来れば、忘れて欲しい。オリアナに――エルシャ家の娘に、迷惑をかけたくない」

マルセルは手綱を鳴らした。そして「オリアナ様とおっしゃるんですね」と呟く。

「約束する。絶対に、生涯を家と領地に尽くすと誓う」

「ヴィンセント様がご家族を、そして我々領民を、どれほど大事に思ってくださっているか、承知しておりますよ。生まれた時から、お仕えしているのですから」

マルセルは優しく笑うと、ヴィンセントを見下ろした。

「今日のことは一旦、爺の胸に納めておきます」

ヴィンセントは顔を上げ、輝く瞳でマルセルを見た。今日ヴィンセントが強請った外出は、九割の確率で父に告げられると思っていたからだ。

ヴィンセントが動き、エルシャ家を動かしたとわかれば、エルシャ家が公爵家に恩を売ろうとして動き出した事がばれてしまう。そうなれば、父は損をしたと捉え、エルシャ家に感謝の念を抱かないだろう。

それどころかあの盗難事件が、ヴィンセントによって仕立てた事件だと思われる可能性もある。二巡目の記憶があるせいで、ヴィンセントだけが大人でさえ知らない事情を早々に知っているからだ。

「その代わり、私が勤めている内に、必ずオリアナ様を連れてきてくださいね」

「何を言う。僕はマルセルが、よぼよぼになって杖無しで歩けなくなろうとも、田舎に返しはしないからな」

「では、ヴィンセント様のお子を抱くのを楽しみに、これからも一層励むとしましょう」

「お、お子っ――! マルセル!」

ヴィンセントが再び顔を真っ赤にした。その顔を見て、マルセルは嬉しそうに笑った。