軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

37 ヴェルネリの決意

屋敷に張っていた結界が破られた。

そう言った直後、ユリウスは窓ガラスを蹴破って屋敷の方へ飛んで――いったりはしなかった。

彼は硬直するヴェルネリをよそに目を閉じ、数秒沈黙した後、ヴェルネリの名を呼んだ。

「君は先に屋敷に戻り、状況を確認してくれ」

「……ユリウス様は?」

「皆に予定の変更を詫びてから研究所の所長に報告し、調査隊の同行の許可をもらった上で戻る。ヴェルネリは先に戻って、ライラとヘルカが無事かどうか確認してくれ」

「……はっ」

正解だ、とヴェルネリは胸を熱いもので満たしつつ、部屋の窓を開けてたんっと窓枠を蹴った。自分一人なのだから、馬車を浮かすよりこちらの方がずっと速い。

……だがそれでも。

ヴェルネリが全力で飛んだとしても、王都から屋敷まで二十分は掛かる。

かつてないほどの速度で宙を飛び、汗を流し息が切れながらもやっとヴェルネリが屋敷にたどり着いた時、そこは異様なほどの静寂に満ちていた。

普段、ユリウスは屋敷に結界を張ったりはしない。結界を張ると、普通の来客や業者の者まで弾いてしまうからだ。

だが今日はライラとヘルカを残していくということで、結界を張って出発した。術者であるユリウスが屋敷から遠く離れれば離れるほど効果が薄くなると分かってはいたが、何もしないよりはましだと思って。

そんな結界には、大きな穴が空いていた。外側から、複数人が力ずくで破ったことが分かる雑な破壊のしかたで、ヴェルネリは舌打ちした。

侵入者の目的が屋敷の破壊や物取りではなかったのは、屋敷がほとんど壊れていないところから判明できる。

損傷がひどいのは、正面門付近。そこでおそらくヘルカと侵入者が最初に魔法をぶつけあい――ヘルカが負けたのだろう。

「……ライラ様、ヘルカ!」

ヴェルネリ、と笑顔で呼ぶ二人の女性の顔が頭を過ぎり、ヴェルネリは正面から破られた玄関を抜けた。

そして、破壊の跡の続く一階廊下の先で倒れるプラチナブロンドの女性の姿を見た途端、体の芯から凍えるような恐怖と激しい怒りで目の前が真っ白になった。

「ヘルカっ!」

ひとっ飛びでヘルカのもとまで向かい、俯せに倒れていた彼女を抱き起こす。

体が冷たくて喉ががくっとのけぞった瞬間には心臓が止まるかと思ったが、微かな息づかいの音が聞こえて目尻が熱くなった。

「ヘルカ、おい、ヘルカ! 何があった! ライラ様はどうした!」

「っ……怪我人なんだから、もうちょっと優しくしてよ……」

大声で怒鳴ると、身じろぎしたヘルカがぼそっと言った。

こんな時でも憎まれ口を叩くことを忘れない同僚をぎりっと睨み付け、肩を揺さぶる。

「うるさいっ! おい、おまえがこんな姿なら、ライラ様は……」

「……ごめん、なさい。ライラ様……お守りできなかった……」

掠れた血の付いた唇が悔しそうに囁いたため、ヴェルネリはぎりりと歯を噛みしめると素早くヘルカに回復魔法を掛けた。

「しっかりしろ! ……もうじきユリウス様が、研究所の調査員を連れて戻ってこられるはずだ。今分かることだけでいいから、話せ」

「……ライラ様の父君の名を騙って、魔道士たちが押し寄せてきたの。ライラ様は蒸留室に、隠れてらっしゃったけれど……」

ヴェルネリは頷き、少しずつヘルカの傷を癒す光に彼女を託してその身を床に横たわらせた。

そして半地下にある蒸留室に向かい――そのドアが魔法によって大破され、粉々に砕けた調理器具が散乱している中、魔力の気配の強い場所を見つけてさっと跪いた。

きっとライラはヘルカに言われ、この戸棚の陰に隠れていたのだろう。

だがヘルカが倒されて見つけ出され――

「魔法で飛んだか……行き先は……チッ、読めん……!」

ここで強力な魔法が使われたのは分かるが、あいにくヴェルネリの力では、ライラを連れた者たちがどこへ逃げたのか分からない。

だが、焦る必要はない。

ヴェルネリには不可能でも、ユリウスなら。

生まれながらに類い希な能力を宿し、名門バルトシェク家の教えを受けた彼なら――

その時、にわかに外が騒がしくなった。

ユリウスが来たのだ、と感づいてすぐに廊下に出るとはたしてそこには、コートをはためかせて走ってくるユリウスの姿があった。調査員の姿はないが、そもそもこれだけの短時間で屋敷にたどり着けるのはユリウスくらいだろう。

「ユリウス様、こちらへ」

「助かる。……ヘルカを運んでやってくれ」

真顔のユリウスに言われ、ヴェルネリは一瞬戸惑ったもののすぐに命令に従い、廊下に横たわって気を失っているヘルカの体を抱え、すぐ近くにある彼女の部屋に連れて行った。

ぐったりする体をベッドに寝かせ、血や埃の付いた頬も拭ってやる。そうしていると庭の方から複数の人の声が聞こえてきた。調査員が遅れて到着したようだ。

ヴェルネリは蒸留室に向かったが、戸棚の脇でじっとうずくまるユリウスを見、声を掛けようか迷ってしまった。

「……ユリ――」

「東、オルーヴァ王国の方向だ」

ヴェルネリの呼びかけを遮って、ユリウスが淡々と言う。

ヴェルネリは息を呑み、やはりそういうことになったのか、と歯がみした。

「……魔力の気配がありますか」

「それもあるが、ライラの体に染みついた僕の魔力の気配がする。オルーヴァの方角だが、距離はそれほど遠くない。……ミアシス地方周辺だ」

途中、よその者が聞けば目を剥くような発言をしつつ、ユリウスは冷静に言う。

だが「ミアシス」の名を口にするのに、どれほどの覚悟が必要だったのか。

ユリウスの「過去」を知るヴェルネリは、ローブの胸元をぎゅっと握った。

「……調査員が来ております。いかがなさいますか」

「……」

「ユリウス様」

「……ヘルカは無事だったのだな」

いきなり問われて拍子抜けたが、すぐにヴェルネリは頷いた。

「はい。負傷しておりましたが意識があり、今は回復魔法を掛けた上で部屋に寝かせております」

「そうか、よかった。……それじゃあ、少し、席を外す」

そう言うなり立ち上がったユリウスがさっさと蒸留室を出たので、慌ててヴェルネリは彼の後を追う。

「せ、席を外すとは……?」

「悪いが、調査員への報告と捜索依頼は君に任せる。僕は……離れに行ってくる」

離れ。

そこは、ライラを迎える以前の、ユリウスにとっての寝室。

家具も何もない、ただユリウスが魔力を発散するためだけにある部屋。そこに自ら行こうとする理由がすぐに分かり、ヴェルネリは主人の背中をじっと見つめた。

ユリウスは、冷静なのではない。

冷静になろうと必死に自制しているのだ。

本当なら、オルーヴァまでひとっ飛びしてライラを助け出したいはず。そして、彼ほどの魔力の持ち主なら、それも不可能ではない。

だがそれをせず、むしろ十分にある魔力を自ら削ろうとしている理由は――

「今僕が出れば、我慢できずに東へ飛んでしまう。そうすると、僕は国の許可なく国境を越えることになる。……これでは、連中に侵略戦争を吹っかける理由を与えてしまう」

そう、彼が恐れているのは、感情のままに行動してオルーヴァが戦争を起こすきっかけを作ってしまうことだ。

ライラを誘拐した者はおそらく、オルーヴァの魔道士だ。だがそれを立証する方法は今はなく、ただユリウスが婚約者の救出のために川を越えればどうなるのか。

それが分かっているからこその、発言なのだ。

「……はっ。方々への報告、そしてオルーヴァに向けた国王公認使節団派遣の申請など、このヴェルネリにお任せください。お心が整われましたら、ユリウス様にも加わっていただきたく存じます」

「ああ、ありがとう。……頼んだ」

早足で離れへ向かうユリウスを見送り、ヴェルネリはいつもは感情に薄い瞳に決意の炎を灯した。

ユリウスはやはり、賢い男だ。ヴェルネリが忠言せずとも、事の次第をよく分かっている。

だがユリウスはどれほどの思いで、婚約者の一秒も早い救出を諦めたのだろうか。

冷静であろうと努める仮面の下で、婚約者より国の安定を優先した決断に、どれほどの苦痛を感じたのだろうか。

そんな彼に「頼んだ」と言われた。

苦渋の決断をしたユリウスのため、そんな彼の愛するライラのため、そして必死になって戦ったヘルカのため――ヴェルネリは、歩きだした。