軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

292 聖地・ルナザルート(9)

「……聞こえないのか? お前達を破滅へと導く、あの翅の音が――」

俺は入り口と対称の位置にある両開きの最も大きな窓へと近づいて、カーテンを引いた。

「なっ!!!」

次の瞬間、ブンッと嫌な翅音を響かせて 何処(いずこ) からか何かが飛んできて張り付き、窓を音もなく這う。

それを見て全員が一斉に顔色を変えた。

体色は灰色で、森で見た亜成体の死骸よりも随分と薄い。

だが大きさはサッカーボールほどの大きさだった亜成体の軽く七、八倍はあるだろう。

蝿の王、ベルゼバブルの眷属、働き蝿の成体だ。

顔半分を覆うくすんだ茶色い目はよく見ると無数の目の粒の集合体である複眼で、ココによるとその数は四千個にも上り、ほぼ360度の視野を持つ。

「……呪われた果実に引き寄せられてきたか。だがこの聖地には蝿の王の眷属に手を出す事の恐ろしさを知らぬ者など――」

コルナールがそう言いかけた次の瞬間、眷属のくすんだ茶色い目が真っ赤に光りだす。

そしてブブブッ、ブブブッと忙しなく翅を鳴らし窓を引っ掻いたり、強化ガラスを突き破ろうと体当たりを始めた。

明らかに『敵』を発見した際の威嚇行動だ。

「ま、まさか…………貴様……! 蝿の王の眷属に手を出したのかっ!」

俺を拷問していたおっさんが、キアナさんに貫かれた左腕を庇いながら怒りと恐怖を綯い交ぜにした顔を浮かべた。

「……出してないさ、俺はな。誰か手を出したのか?」

俺がしらばっくれてジュエに尋ねると、ジュエはう~んと、一度顎に人差し指をやってから真っ直ぐにその指をトーモラへと向けた。

「ええ、確かあちらの方が。何度も何度も眷属をあのブーツで踏みつけて、とどめを刺しました。勇敢というか何というか」

「馬鹿だな。無知は罪なりというやつだ」

俺がやれやれと首を振ってそう言うと、皆が一斉にトーモラから距離を取る。

トーモラはきょろきょろと周りを見渡してから、ヘラヘラと笑っていた顔を紅潮させた。

「…………嵌めたのですか? この私を。き、協力するとチョーカーに誓ったのに?」

ジュエは肩をすくめた。

「別に私が殺すように指示をした訳ではありません。それに私は誓い通り、貴方達とともに目的地へ移動する為に、最善を尽くしましたよ? 到着後にどうなるかまでは面倒を見きれませんけどね」

ジュエが淡々とそう言い放つと、トーモラは紅潮させた顔を蒼白に染めてその場に立ち尽くした。

……そもそも魔道具を使い、脅して人を意の儘に従わせる事が出来ると思う方がどうかしている。

それが持続不可能な事は、これまでの歴史が証明しているだろう。

脅された人間が、真の意味での最善を尽くすなどあり得ない。

だからこそ、貞節のチョーカーとやらも表舞台から消えたのだろうからな。

どんなに面倒でも、失敗しても、人の心を帰そうと思うなら光で惹きつけるしかないのだ。

成体の威嚇行動に呼び集められたのか、キアナさんが先程突き破った窓とカーテンの隙間から亜成体と思われる眷属がすぐさま一匹入り込んでくる。

一匹入ってくると二匹、三匹、四匹と次々に増えて、トーモラへと一斉に群がる。

どうやら大きさ的に成体はあの窓からは塔の中に入れないようだな。

二つの窓を行き来しながら、口惜しそうに後ろの大きな窓を突き破ろうと体当たりを繰り返している。

「この、離れなさい! 離れろっ! レッドさん、何をぼけっと見ているのですか! 早く助けなさい! これまで育ててあげた恩を忘れたのですか!」

トーモラは自身に執拗にまとわりつく眷属を追っ払おうと手を振りながら、レッドへと助けを求めた。

だが、レッドは冷めきった顔で近づいてくるトーモラと距離を取るばかりだ。

「……誰も手を出すでないぞ。何があってもじゃ。過去、蝿の王の怒りを買って消滅した町や村は数知れぬ」

「し、承知しております。数百年前に聖地も、しばらくの間閉鎖された事がありますな」

太古の昔より、サン・アンゴル山脈に潜む天災として蝿の王ベルゼバブルは有名だ。

うっかり眷属に手を出すと毒手を持つ大量の王の眷属に襲われる。

よしんばそれらを全て撃退しても、次はその数倍の眷属によって襲われる。

抵抗すればするほど倍々ゲームのように敵の数が増えた挙句、最後は『王』が現れ、空から全てを蹂躙するとされている。

ゆえにその昔から、レベランス地方の子供は絶対に蝿の魔物には手を出してはいけないと教えられ、誤って王の眷属に手を出してしまったものは、王に捧げる供物にされると、口を酸っぱくして言われて育つ。

「因果応報なもんだな」

皆に見放されたトーモラの様子を横目で見ながら、俺は壁にかけられていたショートソードで芋虫のように這ってきたおやっさんの拘束を解いた。

「大丈夫ですか、おやっさん」

「ああ……どうって事……ねぇ、さ」

おやっさんはそう言って強がったが相当痛めつけられており、さすがに戦闘は無理そうだ。

などと呑気に考えていると、ジュエはぜぇぜぇと呼吸の浅いおやっさんの様子を見て切迫感のある声を出した。

「これは……内臓を痛めています……! すぐにでも治療しなくては……」

な、何だと?

だがジュエには魔封じの錠が嵌められており、俺が持参した回復薬の類も全て没収されている。

「…………リーナさん、こちらへ」

するとジュエはリーナを手招いた。膝をつき、リーナと目線を合わせて優しく語りかける。

「私が手助けしますので、あなたの聖魔法でリンドさんを救ってください」

ジュエがこう言うと、リーナは顔を真っ青にした。

「そんなっ! 私聖魔法なんて使った事ない! 確かすごい貴重な才能なんでしょ? 私に、そんな事できっこないっ」

ジュエは優しく首を振り、確信に満ちた目で、声で、リーナに言葉を掛けた。

「今、リンドさんを助けられるのはあなたしか居ません。大丈夫、あなたにその才能がある事は私が保証します。……リンドさんを……あなたを想ってここまで助けに来てくれたおとうさんを、あなたは助けたいですか?」

ジュエの確信に満ちた力強い目を吸い寄せられるようにして見ていたリーナが、やがてポロポロと涙を流してこくりと頷く。

「……助けたい。私……とうさんを助けたい……!」

ジュエは一つ頷いてからリーナを引き寄せて後ろから抱え、おやっさんの腹部に両手を添えさせた。

「やはりあなたは勇敢です。……自分の言葉で構いません。祈りなさい」

構えた両手をジュエに支えられながら、リーナが固く目をつむる。

「……生きて、とうさん。もう私たちのために、無理して働かなくていいから。私たちの側にいてくれるだけでいいから。だから……だからりんごの家に、一緒に帰ろう?」

リーナがそう言っておやっさんを抱きしめた瞬間、ジュエは歌うように古代ラヴァンドラ語で何かを唱えた。

リーナから溢れた優しい光がおやっさんの体を包み込み、同時にリーナの体からがくりと力が抜ける。

「……リーナ?!」

がばりと体を起こし心配げにリーナを抱きしめたおやっさんに向かって、ジュエはにっこりと笑った。

「……大丈夫、魔力を使い果たして眠っているだけです。すぐに目を覚ますでしょう」

無事おやっさんを解放してトーモラへと目をやると、足元に数匹の潰れた蝿が転がっているものの、なおも十数匹の蝿にへばりつかれ息も絶え絶えになっている。

亜成体の毒手はそれほど強くないとは言うが、少しずつ毒も回ってきているようだ。

トーモラは遂に膝をついた。

そのタイミングで繰り返し繰り返し窓ガラスに体当たりをし掛けていた王の眷属が、ついに後方の窓ガラスを突き破り中へと侵入してくる。

そのまま俺たちには目もくれず真っ直ぐにトーモラへと飛びかかり、しっかりとその脚でトーモラを抱える。

「はぁ、はぁ、嫌だ! 止めろ、この、虫ケラども! この私を! 誰か! 嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ、こんな最期ぉ!」

惨(むご) たらしい光景ではあるが、因果応報、自業自得としか言いようがない。

同情の余地も全くない。

だが――

「……そうだろうな」

トーモラを抱えた王の眷属がどこかへと連れ去ろうと浮き上がったのを見た瞬間、俺はショートソードをぶんと一振りし大窓の前で立ち塞がった。

アレンが剣を振って窓辺に立ち塞がったのを見て、コルナールはその顔をはっきりと歪めた。

「……な……何を考えておる……? 止めよ……! そやつを助けたら我々全てが王の敵と認知されるやもしれんぞ。災厄は一度暴走を始めるとコントロールが利かん。この聖地が壊滅するまで歯止めが利かなくなる!」

アレンは、初めてその顔にはっきりと焦りを浮かべたコルナールの警告を聞き、ふんっと鼻で笑った。

そして――

トーモラを抱えてのろのろと飛んでくる王の眷属の成体に向かって一足飛びに間合いを詰め、僅かな躊躇も見せずに剣を振り抜いた。

王の眷属の顔が両断され、血飛沫がアレンへと降り注ぐ。

アレンは尚も手を緩めず、翅を切り飛ばし、足を両断し、腹を突き刺した。

返り血によりぐっしょりと濡れたアレンに向かって、亜成体達が殺到する。

それをアレンは一匹残らず叩き切っていく。

「お……愚か者めが……」

呆然とその様子を見守っていたコルナールは、くるりと踵を返した。

「……どこへ行くつもりだ?」

だがコルナールは、関わり合いを避けるようにアレンの問いかけを無視した。

アレンは手のひらをやれやれと上に向け、そして朗々とした声で口にした。

「―― 蝿肉祭り(フライ・カーニバル) 」

転がっていた死骸の肉片や血飛沫が、突如として渦巻いた風によって部屋中に舞い散る――

コルナールとその取り巻きが、ピルカが、レッドが、蝿の死骸と血飛沫にまみれ、一瞬呆然とした後、一気にその顔へ絶望を浮かべる。

「ば、馬鹿な……貴様一体何をして――」

コルナールがアレンを見ると、アレンは悪魔のように口の端を吊り上げ微笑んでいる。

「どこへ行くつもりだ? パーティの時間だぞ?」