軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

20 遠乗り

広がる草原に、風が心地よく吹き抜ける。

普段は重厚な城内や、静かな魔塔の中で過ごすことが多かったため、この開放感に思わず息を深く吸い込んだ。

「……なかなか良い場所だろう?」

馬上のセドリック殿下が、満足げに草原を見渡しながら言う。

「ええ、とても……!」

私は馬のたてがみを撫でながら頷いた。馬の鼓動が伝わるのが心地よい。

「リリアナ、乗馬は父から教わったのか?」

「はい。幼い頃、兄と一緒に訓練を受けました。こうして少し乗れるくらいですが……」

そう答えると、セドリック殿下は意外そうに私を見つめた。

「そうなのか? 安定していて、馬も心地よさそうだ。兄はレオン殿だったな」

「はい。兄は昔から騎士を目指していて、父も私が何かあったときに備えて乗馬や剣術を学ぶことを許してくれました」

「なるほど……」

セドリック殿下が何かを考え込むように視線を遠くへ向けたその瞬間――

突如、草むらの中から飛び出した野兎に、彼の馬が驚いて前足を上げた。

「っ!」

セドリック殿下の体が傾く。すぐに私は馬を駆け寄らせると、彼の馬のたてがみを素早くつかみ、馬の首を優しく撫でた。

「落ち着いて、大丈夫……怖くないわ」

静かな声で語りかけながら、慎重に手綱を引く。馬は耳をピクリと動かしながらも、徐々に落ち着きを取り戻した。

「……」

しばしの静寂の後、セドリック殿下が驚いたように私を見下ろす。

「……馬の扱いも、慣れているのだな」

「少しだけ、です。アイリスが厩舎にも何度か連れて行ってくれて……ふふ、アイリスが近づくと、馬たちも少しぎょっとした顔をするんです。それがおもしろくて」

私が冗談めかして微笑むと、セドリック殿下はわずかに目を丸くした。そして、口元に僅かな笑みを浮かべる。

「そうだろうな。あの二人がそろうと、何が起きるか分からない……馬も困っているだろう」

「ふふ。自由でのびやかで、憧れます」

二人は羽が生えたように軽やかだ。何にも縛られておらず、そしてその自由な発想が新たな発明につながり、誰かを助ける。

エリオット殿下とアイリスの会話について行けないこともあるが、それはそれでただ見ているだけでも幸せな気持ちになる。

穏やかな風が吹き抜ける中、私たちはしばらく並んで馬を進めた。

遠くに見える青々とした丘陵、鳥のさえずり、そして馬の歩く心地よいリズムが、日々の喧騒を忘れさせてくれる。

「……こんなふうに、何も考えずに馬を走らせるのは久しぶりだ」

不意にセドリック殿下が呟いた。

私は横目で彼を見る。馬を巧みに操りながらも、その瞳にはどこか遠くを見つめるような静けさがあった。

「いつもお忙しいですものね」

「そうだな。王宮では常に誰かの目があるし、魔塔では実験に追われる。だが、こうしていると何もかも忘れられそうだ」

殿下の言葉に、私もまた馬上から広がる草原を見渡した。

まるで世界に私たち二人しかいないみたい。

どこか胸の奥がくすぐったくなるような感覚に、私はそっと手綱を握り直す。

「……リリアナ」

「はい?」

「王妃との茶会の後に騒がしい令嬢と遭遇したが――アレは以前、君と対峙していた女性だろう? アルトマン男爵家の長女だったか」

その名を聞いた瞬間、一瞬だけ心臓が跳ねた。

殿下が『以前』というのは、エドワード様と決別するきっかけになったあの日のことを言っているのだろう。

「……はい、そうです」

少しだけ、声が震えた。

「なおさら、よく分からない人だな」

「え?」

「婚約者がいる男性と親しくするのも、婚約者の女性に対してああして振る舞うのも、常識では考えられない。先日の態度もそうだ」

セドリック殿下の言葉はまっすぐだ。

あまりにも当たり前のこと。それでも、こうして声をかけてくれる人はいなかった。

「彼女が行儀見習いをしに来ていたということは、バークレー家はアルトマン男爵家と縁を結んでいないだろう。そうした話も聞いていない」

私はゆっくりと呼吸を整え、慎重に言葉を選びながら口を開く。

「……はい。私と婚約を解消して、カミラ嬢と一緒になると言っていたので、てっきりそうなっているものだと思っていたのですが……?」

本当にどういうことなんだろう?

エドワード様が私を探す理由も分からないし……?

すると、セドリック殿下はゆっくりと馬を止め、私のほうをじっと見つめる。

「君は、何も分かっていないな」

「……え?」

まっすぐな瞳が、私を射抜く。

「きっとその愚かな男は、今さら君の魅力に気が付いたのだろう」

セドリック殿下の声は、穏やかでありながらも、確かな意志を感じさせるものだった。

不思議と、胸の奥が温かくなる。

「……そんなことを言われると、なんだか照れますね」

「私も、言っておいて少し照れている」

殿下がわずかに目を伏せる。

「ふふ。ありがとうございます!励ましてくださって!」

その仕草に、私の顔もほんのりと熱を持った気がした。

「……そろそろ戻ろうか」

「はい」

湖の水面は宝石のように煌めいている。

こんな穏やかな気持ちは、久しぶりだ。

「……ところでセドリック殿下。森までは安全とエリオット殿下が仰っていましたが」

私が問うと、セドリック殿下は「ああ」と頷いた。

「魔塔からこの湖がある森までは、エリオットの結界が及んでいるんだ。外部の者は入れない」

「まあ……!」

魔塔の主の底知れぬ力をまた知ってしまい、私は思わず目を見開いたのだった。