軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

祝福の賛歌 16

すべて説明し終えたあと、公爵夫人は、にっこりと微笑んだまま、「王宮に行ってきますね」と、あっさりと三人に告げた。

「……奥様。今は深夜でございます。王宮の門は閉ざされておりますので、中から出る分には可能かもしれませんが、許可のない者は……」

執事は、そこまで言って、はたと口を噤んだ。

正面の公爵夫人は、憂い顔でどこかを見ている。その表情は、ジゼルには若干の見覚えがあるものだった。

シリルが、たまにこんな表情をするのだ。

これは、別に何か憂えているわけではない。むしろ逆である。何か、突飛でよろしくないことを考えている時の表情だった。

「……私と旦那様が出会うのを邪魔するような門は、必要ないと思いますの」

いえ、必要です。

ジゼルはそう言いたかった。視線の先の執事の表情を見てみると、平素では考えられない、絶望したような表情で俯いていた。

しかし、憂い顔を消し、再び微笑みを見せた公爵夫人に、誰が何を言えるというのだろうか。

ただ一人、可能性があるとすれば、夫の公爵くらいなものだろう。

「……馬車の仕度をしてまいります」

執事はどうやら、公爵夫人の説得よりも、門番の説得を試みる事を選択したらしく、先程の絶望を貼り付けた表情を消して、平素の冷静さを取り戻し、足早に厩舎に向かった。

その間マリーは、特に何を言うこともなく、いつも通りに公爵夫人のコートや帽子などを仕度し、手早く夫人の外出の仕度を調えている。

あっという間に外出の仕度を調えた公爵夫人は、深夜だというのに用意された小型の馬車に素早く乗りこみ、颯爽と出かけていった。

マリーが静かに頭を下げて見送るその後ろで、ジゼルは心の中で義父にひたすら詫びの言葉を繰り返していた。

完全に腰が引けた涙目のノルを腕に抱き、ジゼルはマリーに挨拶をして離れに足を向けた。

疲労で、すでに四肢の力が入らないほどになっており、そのまま寝台に飛び込めるものなら飛び込みたかったのだが、慌てたように追いかけてきたマリーによって、浴室に追いやられた。

さすがに急だったために、湯船に水を貯めるような時間はなかったようだが、浴室にはちゃんと体を清めるための湯が沸かしてあった。

香り付けされた湯を使い、まず髪を洗い、残りを使って、柔らかい布で体を拭き清める。

そして浴室から出て、ようやくジゼルは気が付いた。

ここにあったジゼルの衣服は、下着まですべて実家に送ってしまっていた。

お仕着せは、こちらの支給品であるために備えもあるが、まさか寝る時にそれを着るわけにはいかないし、そもそも下着もないのである。

ジゼルは、浴室から恐る恐る顔を出し、慌ただしく布を手にして移動していたマリーを呼び止めた。

「あの、マリーさん……。すみませんが、着るものを貸していただけませんか」

「もうご用意しておりますわ。こちらをどうぞ」

にっこり笑顔で差し出されたそれを受け取り、脱衣場に戻ると、すでに夢うつつの状態でぼんやりと身に纏い、浴室のすぐ外で待っていたノルを再び抱き上げ、以前使っていた部屋にふらふらと足を運ぶ。

しかし、廊下の途中で、突然扉から出てきたマリーに笑顔で足止めされたのである。

「お部屋の仕度が調いましたわ。さあ、どうぞ」

そう言われて、背中を押されて足を踏み入れ、石像になったかのように硬直した。

そこには、ここで仕事をもらってから実家に帰るまで、毎日ほぼ半日、ずっと見続けた寝台があった。

しかし、寝台は同じなのに、その寝具は一新され、その天蓋を覆う掛け布も見ていた色とは違っていた。

「……え? あ、の……?」

「今日から、ジゼルさんの寝室もこちらですわ」

そこは、シリルの寝室だった。

毎日毎日、彫像のように寝ていたシリルを見続けた、あの部屋だった。

今までは、深い緑と金糸で作られていたその寝具や掛け布は、今はなぜか真っ白なもので覆われているのである。

あきらかに、花嫁の、初めてのお仕事仕様のその場所で、ジゼルは眠気も吹っ飛び、呆然としていた。

「では、私は戸締まりをして失礼します。お休みなさいませ」

完全に硬直したジゼルの後ろで、マリーは鮮やかにお辞儀をすると、あっという間に立ち去った。

ジゼルが我に返った時、そこには、初めて足を踏み入れた場所を確認して回るノルがいるだけだった。

――外から、小さく小鳥の鳴く音が聞こえる。

「……朝日が目に痛みを与えるって、こういう事?」

ぼんやりと、ジゼルは呟く。

初夜をようやく実感し、真っ赤になったり真っ青になったり、慌てふためいているうちに、夜は明けた。

どうやら、シリルは帰ることが叶わなかったらしい。

夜明けの寸前、ノルが眠ることでようやくその事に気が付いたジゼルは、自分の空回りぶりにぐったりとしながら、カーテンを開けたのである。

シリルが置いていた光の珠一つだけに照らされていた空間から出たばかりの目には、朝日は眩しすぎて目に刺さるようだった。

魔術師のような、夜に生活する人々には、それは確かに苦痛だろう。思わぬ事で、その苦労の一端を垣間見た気がした。

思わず目頭を押さえ、さすがに少しだけでも横になろうと窓から離れようとしたジゼルは、庭で、この季節にはないはずの色を目の端に捕らえた。

夜更かしでかすれた目をこすり、よくよく確認すると、それは女性のドレスで、そのドレスの主は、不安そうに森から顔を出し、あたりを見わたしていた。

「……フラン?」

その顔を見て、夜着に上着を身につけただけの姿で、ジゼルは外に飛び出した。

「ジゼル! 本当に帰ってきてたのね」

ジゼルの姿を認めた途端、ほっとしたような表情をしたフランシーヌは、森から駆け出してきていた。

「どうしたの、こんな朝早くから」

「昨夜遅く帰ってきたエルネスト様が、あなたが帰ってきていると教えてくださったの。だけど、その理由が、あなたが結婚したからだと聞いて、どういう事かよくわからなくて……」

ジゼルは、そのフランシーヌの混乱に、思わず頷いた。

ここを去るまで、結婚どころか婚約の文字すら、ジゼルの頭にはなかったのである。

ここを去って、たった十日ほどで、シリルの妻としてここに帰ってくることなど、フランシーヌとの別れの瞬間、考えもしていなかった。

当然ながら、フランシーヌには、何があったかなどわからなくて当然だろう。

「ええと、あちらに帰ってから、いろいろありすぎてとても慌ただしくて……私もちょっと、説明のしようがないの。あ、そうだ! フラン。あなたのおかげで、母さんの潔白が証明されたの。……機会をくれて、本当にありがとう」

「じゃあ、ジゼルはカリエ隊長の子だと証明できたのね。よかった。父さん達も、とても気にしてたの」

ぎゅっと抱きついたジゼルを、フランシーヌも抱き返す。

「それで、結婚って……本当なの?」

「……ええ。神様の誓約もちゃんとして、その証も頂いているから、結婚したのはまちがいないんだけど……昨日のことだから、まだ実感がわかなくて」

苦笑したジゼルの表情をじっと見ていたフランシーヌは、心配そうな表情でジゼルの頬に手を当てた。

「じゃあ、昨夜、もしかして……」

フランシーヌは、頬を朱に染め、慌てて離れようとして、ふと気が付いたように首を傾げた。

「あら、でも、エルネスト様からは、昨夜シリル様は儀式だったとお聞きしたのだけど」

「……あ、そうね。儀式よね。それじゃあ、帰ってこなくて当然だったわよね」

あはは……。と、乾いた笑いが口から漏れるジゼルを見て、フランシーヌは愕然としながら呟いた。

「……なんてこと。ジゼル、もしかして、昨夜、一人だったのね?」

「一人……そうね、なんというか、一人と一匹……」

今は眠っているノルは、昨夜、公爵夫人からジゼルを守れなかったことを気にしたのか、ずっとジゼルのそばを離れなかった。

いつもならば、ノルはそれほど体を撫でられることは好まないのだが、昨夜は初めての場所でノル自身も落ち着かなかったのか、ぴったり寄り添って撫でさせてくれたのである。

おかげで、混乱はしていても、暗闇の中、一人で寂しさを感じることだけは避けられた。

そんなジゼルを、悲痛な表情で見ていたフランシーヌは、突然、キッと表情を引き締めると、くるりと身を翻した。

「……ちょっとエルネスト様をたたき起こしてくるわ」

「え!?」

「新婚の花嫁を一人寝台に追いやるなんて、何を考えているの! 新婚の友人をほったらかして、一人寝ているなんて、許されないでしょう! 大丈夫、必ずエルネスト様を起こして、シリル様を家に帰すようにしてもらうから」

「え、フラン、ちょっと待って。エルネスト様もお仕事大変だったのよ。シリル様は帰ってこなくても仕方なかったの。私は大丈夫だから! ってねえ、聞こえてるの、フラン!」

肩を怒らせ、来た時の不安そうな表情を一変させたフランシーヌは、まるで騎兵が突撃するかのごとく、猛然とまっすぐ走り去っていった。

取り残されたジゼルは、呆然としながら、友人が勢いよく森をかき分ける音が遠ざかるのを聞き、思わずぐらりと立ちくらみを起こした。

――さすがのジゼルも、限界だった。

ふらふらと部屋にとって返すと、ノルが丸まっている真っ白の寝台の、空いている場所にぼふりと身を沈めると、そのまま気絶するように眠りについたのである。