軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

祝福の賛歌 14

入城許可がなければ、当然のことながら城から出る事はできない。

バゼーヌ家でも同じ規則があったことから、この事実をジゼルはすんなりと受け入れていた。

宰相に連れられ、その執務室で許可証を待つ事になったジゼルは、仕事をしていた宰相の秘書官という人物にお茶と茶菓子を出され、それを口にしながら、ふと夕食を食べ忘れていることを思い出した。

今日、いつ食事をしたのか思い出せない。それだけ慌ただしく、それなりに緊張していたのだろう。

出された茶菓子を一口食べると、その甘さが疲れていたらしい身に染みわたる。

秘書官は、親切にも、ジゼルが抱いたままつれて来てしまったノルにも、皿に水を入れて出してくれた。

今は、すでに夜も更け、普通の家庭なら、すでに寝る仕度をしてしかるべき時間である。

しかしここにいる秘書官は、当たり前のように仕事をしながら、宰相を待っていたらしい。

宰相と同じ歳ほどに見える、温厚そうな壮年の男性は、これが最後ですからと、いくつもできている書類の山の横に、さらにひと束書類を積み上げた。

「急を要する案件はなかったか?」

「はい。頂いていたご伝言の通りに、急ぎ決裁が必要な書類は、王太子殿下にお願いいたしました。ここにあるものは、それほど決裁を急ぐ物ではございません」

「そうか。……あとはもういい。さがりなさい」

「は。では、失礼致します」

壮年の秘書官は、宰相と、そしてジゼルに丁寧に挨拶をして、部屋を出て行った。

宰相は、重厚な机のすぐ傍にあった、優美なランプに手をかけると、それをそっと持ち上げた。

ランプは、持ち上げられた途端に淡い光を湛えはじめ、それを宰相が机の上に置く頃には、驚くほどに明るさを増していた。

「……すごい」

その明るさは、まるで昼の光のようで、それに照らされている宰相の机は、夜だというのに書類の細かい字まではっきりと読み取れるほどだった。

「これは、シリルが道具を作れるようになって、一番はじめに作った物だ」

「閣下のお仕事のために、作られたのでしょうか?」

「いや、本人の寝室に置いてあった。魔術師になりたての頃、闇がよほど恐ろしかったのだろうな。蝋燭や油のランタンでは、燃え尽きれば周囲は闇に閉ざされる。それが嫌だったらしい」

「……今は、暗闇に包まれた作業場で、道具を作ってらっしゃいますよね。魔術師の目は、どんな闇の中でも物が見られると教えていただきました」

「さすがに、今はもう慣れているからな。そこにいる使い魔は、夜の闇でも物が見える猫だから、まだ闇に慣れ親しんでもいるだろうが、人はそうはいかないからな」

柔らかな光を湛えたランタンによって照らし出された宰相は、穏やかな笑みを湛えていた。

「シリルがこれも使わなくなっていたので、借りたのだよ。おかげで、夜の闇の中でも、仕事がはかどる」

くすくす笑う宰相に、ジゼルはお茶を飲みながら、恐る恐る口を開いた。

「その沢山の書類を見れば、こんな事を言ってはいけないとは思いますが……。どうぞ、休養もしっかり取ってください。夜は、月の女神から人に与えられる、休息のための贈り物なのだと、昔、母が寝物語に聞かせてくれました」

「ほう。それは、北の大陸の伝承か何かかな。こちらでは、聞いたことのない話だ」

「母の家系は、旅芸人が多いので、別の場所かもしれません。もしかしたら、夜に寝たがらなかった私達のために、母が創作したのかもしれません」

ジゼルが、昔を懐かしみ、眼を細めたのを、宰相は署名していた手を止めて、ほう、と呟いた。

「父は、砦に通っていた時、勤務の都合で二日に一度帰宅していたんです。いつも、私達にお土産を持って帰ってきてくれるので、それを楽しみにずっと起きて待っていたんです」

「なるほど。あの男は、昔から妻と娘が一番だとずっと言っていたからな」

宰相の言葉で、ジゼルはふと、実家での父と宰相のやり取りを思い出し、首を傾げた。

「閣下は、父とどういう関係なんですか?」

「隣のベルトラン侯爵繋がりの友人だ。ベルトラン侯爵と、君の父親は、同じ部隊にいた事があってな。昔からの友人同士だった。ベルトラン侯爵が気に入って、昔から連れ歩いていてね。あれの知りあいは、大体全員、顔見知りになっている」

「……そういうお付き合いだったのですね。父の、こちらでの付き合いは、私達は一切存じませんので」

「そうだろうな。君たちは、一度も王都に来たことがなかったろう」

「はい。ですから、王妃陛下に舞踏会に招かれて、いったいなにがあったのかと、招待状が届いた時には一家全員が驚いたんです」

宰相は、再び署名のために手を動かしながら、さもありなんと頷いた。

その時、扉の外から、入室の許可を求める女性の声が部屋に響いた。

宰相が許可をすると、静かに扉が開かれる。

ふわりと、部屋に花の香りが微かに漂い、それに続くように、扉から女官が姿を見せた。

その人は、宰相の机に飾られた光に照らされ、その蜜色の髪を輝かせ、紺の瞳にまるで星を湛えたような印象的な眼差しの、女性だった。

女官のお仕着せを纏っていても、その華やかさと優雅さは隠せるものではなく、王宮に勤める女官は、その外見も勤めるために審査されているのかと思うほどに、麗しい人だった。

「閣下。お帰りなさいませ」

「……ソレーヌか。王妃陛下付き女官殿が、なに用かな」

「閣下のご要望の、入城許可証をお持ちしました」

彼女は、手にした書類入れを、宰相に差し出した。

「……それだけか?」

首を傾げた宰相に、ソレーヌという名の女官は、少し苦笑して見せて、ジゼルに向き直った。

「こちらに、ジゼル=カリエ様がいらしたとお聞きして、近衛隊長様にわがままを申し上げました」

突然、その人に視線を向けられ、さらに名指しされたジゼルは、首を傾げるしかなかった。

「私?」

ソレーヌはジゼルに向かって小さく頷くと、突然その身を翻し、しっかりとした足取りでジゼルのすぐ傍まで来て跪き、深々と頭を下げた。

突然のソレーヌの行動に、慌てふためいたジゼルは、顔を上げるように願ったが、ソレーヌはそのまま、静かに告げた。

「……先日、王太子殿下と私の個人的な事情のために、あなた様を危険に晒すことになりましたこと、お詫び申し上げます」

「……え?」

「当家の長年の嫌疑が晴れましたのは、あなた様のご尽力によるものだと、殿下から伺いました」

深々と下げられた頭を見ながら、ジゼルはその時ようやく、この女性が誰なのかを理解した。

「……もしかして、殿下の……?」

「……大変残念ながら、私は一度も、殿下から女性扱いをされた記憶がございませんでしたので、うかつにもそのお心をはかることができませんでした。つい先日、突然結婚を内々に打診され、その時ようやく、先日のベルトラン家の婚約披露の宴の事情を知り、危うく不敬を承知で殿下につかみかかるところでした」

ソレーヌは、再び頭を下げ、ジゼルは慌てて自分も跪いた。

「御身を危険に晒すことになったと聞いております。舞踏会で受けた悪意によるお心の傷も癒えぬ間に、再び悪意に晒されたとも聞き及んでおります。本当に……お詫びの言葉もございません」

「どうぞ、頭を上げてください。そんな風に、謝罪を受けなければならないようなことはありませんでしたから、大丈夫です。ベルトラン家の皆様は、お強かったです。宴の事も含めて、ずっと守っていただきました」

それに、とジゼルは苦笑した。

「おかげで、実家に帰ったあと、とてもよい方向に事態は動きました。あの宴での事があったからこそなんです。差し引きしたとしても、こちらの方が大きな幸運を頂いたと思います。ですからどうぞ、頭を上げてください」

「……ジゼル様」

再び顔を上げたソレーヌに、その背後から宰相も立ち上がるように促した。

「おかげで、シリルとそちらのジゼル嬢も、ファーライズとの縁を結んだ。それを思えば、最良の結果を得られたと言えるだろう」

それを聞いたソレーヌは、まあ、と感嘆の声を上げ、ジゼルと宰相に、おめでとうございますとひと言告げた。

「それよりも、ソレーヌ。殿下との事は、どうなっている?」

「……お受け致しました。近々、王宮女官の職を辞し、王太子妃として内定致しました後、王妃陛下の元で必要な教育を受けさせていただくこととなりました」

ジゼルは、ソレーヌのその言葉に、ぱっと花開くような笑顔になった。

ソレーヌは、この僅かな出会いの間でもわかるほど、清廉で凛とした淑女だった。王妃陛下がそうであるように。そして、公爵夫人もまた同じく、そんな貴婦人達に並び立てる、素晴らしい女性だと、ジゼルは感じていた。

あの舞踏会の裏側で、凛とした王妃陛下の姿を目にしたジゼルにとって、あの方こそが王と共に国を守る、王国でもっとも尊い女性の威厳ある姿だった。

国に忠誠を捧げるのは騎士の仕事であり、父の仕事である。だが、あの方のために父が命を捧げるなら、ジゼルにとっては誇らしいことだろうと思えたのだ。

その次代を担うのが目の前の女性ならば、ジゼルはきっと、王妃陛下の時のように、その姿を尊敬をもって見つめられる。

その事は、ジゼルにとって、純粋な喜びだった。

「これでやっと、肩の荷が一つ下りるな。ソレーヌ。王太子殿下をよろしく頼む。お前ならば、あの方と並び立ち、同じものを見つめていけるだろう」

「王家に忠誠を誓う皆様方に恥じぬよう、己を磨き、王太子殿下と並び立つに相応しくあれるよう、努力致します」

王太子殿下がずっと待っていたのが、この女性であることに、ジゼルは心の中で深く深く頷いた。

そして、その女性を見る目の確かさを、ジゼルはにこにこと微笑みながら納得していたのだった。