軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

祝福の賛歌 11

子狼は、机の上で、しばし周囲を見渡していた。

しばらく覚束ない足取りでうろついていたのだが、そのうちにシリルの方に向かって、しきりにキャンキャンと鳴き始めた。

警戒などではなく、むしろ遊んで欲しそうなその様子に、ジゼルはほほえましさすら感じていたが、シリルも、そして聖神官の二人も、一向に警戒を解く様子はない。

ジゼルは、ふと、その子狼の背に、金色ではない何かがあることに気付き、そっと手を伸ばした。

「ジゼル!?」

「あ、この子、何か背負ってますよ?」

シリルに慌てたように声をかけられ、さすがに狼に気軽に触れるのはよくなかったと思い直したジゼルは、子狼を怖がらせないように、その正面に回ると、狼の顔より下に手を伸ばす。

その手を、不思議そうに眺め、しばらく匂いを嗅ぐような仕草をした子狼は、ジゼルを見上げてうれしそうに尻尾を振り、まるでそれを見せつけるように、ぐいっと首を伸ばしていた。

その首に、黒い首輪がはまっているのを見て、それに沿わせるように指を滑らせる。

「……綺麗な黒の首輪ね。ご主人様が付けてくれたの?」

褒めながら、よしよしと撫でてやると、まるで笑っているような表情になり、うれしそうに勢いよく尻尾を振り始めた。

「子狼さん、背中に何を付けてるの。見せてもらってもいい?」

体を撫でてやりながら、さりげなく背中に手を伸ばすと、子狼はぴたりと足を止め、ぺたんとお座りをした。

くいと顎を上げ、まるで早く外せとばかりに、じっとしている。

「いい子ね」

頭を撫でながら、素早く狼の首と腹で止めていたベルトを外し、背中に付いていたものを取り外す。

それは、子狼の体に合わせたような、小さな背負い袋だった。

ひと針ひと針、手縫いで縫われたらしいそれを開くと、ブラシが一つと、手紙が二通。そしてその奥に、小さく畳まれた手拭が一枚、丁寧に入れられていた。

「お手紙です」

シリルにそれを差し出すと、シリルはそれを、顔をしかめたまま懐にしまってあったらしい小さなナイフで開き、中身を取り出した。

しばらくじっとそれを読んでいたシリルは、なぜか呆然と呟いた。

「……好物はリンゴです?」

「……え?」

「きゅうん」

ぱたぱたと尻尾を振る子狼の視線が、期待できらきらと輝いた。

「鼻のいい子ですので、刺激物は与えないでやってください。肉は火を通した物しか口にしません。与える時は、香辛料や調味料を入れずにゆでてやってください……って……」

シリルの説明に、二重の意味で困惑した。

いきなり好物の説明をされても、意味がわからない。そして、狼なのに、生肉を食べないで、どうやって狩りをするというのか。

ジゼルの視線が、小さな金狼に向けられた。金狼は、その視線に気付いたのか、うれしそうにジゼルを見上げ、尻尾を振っている。

大変、人懐っこい子狼である。

「……ええと?」

その場に、困惑と気勢をそがれたような、微妙な空気が満たされた。

シリルは、戸惑いも露わな表情で、その手紙と目の前の子狼に視線を交互に廻らせた。

「……シグルド?」

「きゃうん!」

まだまだ甲高い、子狼の声が、元気よく響き渡った。

「この手紙は、この子に関する注意事項、らしい……。この子のお母さんから」

「狼が手紙を書けるんですか? どうやって?」

子狼の母は、すなわち狼である。

ジゼルは、子狼の前足をじっと見つめながら、その手にペンが握られる姿を想像した。

ジゼルのそのあからさまな疑問の視線に答えたのは、第三聖神官だった。

「……金狼は、人狼の一種です。成長すれば、人の姿に変化できるようになります。まあ、この狼の母親は人間ですから、文字は普通に書けるはずです」

「人間!? 魔の母親が、人間?」

「ええ。金狼は、雌が死に絶え、雄しかいない種族なんです。長命ですから命は繋いでいましたが、絶滅寸前だったところ、人から花嫁を迎え、命を繋いだんです。だから、今あの一族で若年なのは、その嫁いだ人が産んだ子供達です。これも子供ですし、まず間違いなく、その母親は人であるはずです」

第三聖神官の言葉を引き継ぎ、第五聖神官も頷いた。

「今、族長とその息子が二人、人の花嫁を迎えています。族長は正式な結婚をしていませんけれど、その息子二人は花嫁を迎えるにあたり、ファーライズに誓約と立ち会いを依頼しまして。立ち会いは、私達の同僚が行っています。……立ち会いは六位でしたっけ?」

「六位と九位。それから考えるに、この子は、族長の孫にあたる金狼でしょう」

あっさり告げられたその事実に、その場にいた聖神官以外の三人は、目を丸くしていた。

「……ファーライズでは、魔からの誓約の申し込みも受け入れるのか?」

宰相の言葉に、聖神官達はそれぞれ視線を見合わせた後、頷いた。

「神は、魔を厭いません。彼らもまた、ファーライズの子。魔が神に加護を望むことはなくとも、彼らに世界を与え、命を与えたのは神ですから。我々も、特に彼らと敵対することはありません。だからこそ、互いの調停役として、魔力の契約に関する立ち会いも、ファーライズの領分として扱っているのですよ」

聖神官達が語る、初めて知った驚愕の事実に、他の三人はぽかんと口を開けていた。

「魔の世界は、人の中にだけ入り口があるわけではありません。私達の国には、そちらに繋がる扉がありますから、人が生身のまま、そちらに渡ることも可能なのです」

「他の場所でも、稀にあちらの世界と繋がる場所があるんです。魔の森だとか、魔の海だとか、そういった名がつけられた場所に、扉があることが多いのです。それを潜り、魔が多く現われるからこそ、その名がつけられているのです」

ぶんぶんと尻尾を振り、期待に満ちた眼差しをジゼルに向けている子狼に、ジゼルは用意してきたお茶のセットから湯を皿に出し、冷まして出してみた。

子狼は、しばらくふんふんと匂いを嗅いでから、飲み始めた。

まったく警戒をしていない様子に、ジゼルはくすりと笑いながら、シリルの手元にある手紙をのぞき込む。

「シリル様。もう一枚のお手紙はどなたからの物なのですか?」

ジゼルからの問いに、そう言えばとシリルはその手紙を裏返し、硬直した。

そこに、先程シリルが書き出した物と同じ文字が記されていた。

シリルが、再びその封を開け、中身を取りだし、読み始める。

ジゼルは、しばらくそれに気を取られていたのだが、突然手にふわふわした物が当たる感触で、そちらに視線を向けた。

ジゼルの手にほど近い位置にある机の上に、リスがいた。そして、その横には、ノルもいる。

リスは、身を低くした状態でじっと身構えており、ノルの方は、不安そうにジゼルの手に尻尾を絡ませている。

二匹は、ジゼルを守るために、狼に対して警戒しているようだった。

「リス、ノル。大丈夫だから、落ち着いてね。この狼は、お客様なのよ」

「……お客様、かなあ」

ジゼルの声に、疑問も露わなシリルの声が重なる。

首を傾げながら、手紙を読んでいたシリルは、ようやく顔を上げ、机の上にいた狼に視線を向けた。

「契約は、受け入れてくれるらしい。あちらからは、一切の干渉を行わないと約束してくれるって」

聖神官二人は、それを聞いた途端に、シリルの手元の手紙をのぞき込んだ。

「確かに、そう書いてありますね。……って、その条件が、金狼一頭の飼育?」

第五聖神官の驚きの声に、その場の全員が、その手紙に注目した。

「魔というのは、人のなにかしらを食料と見なす。……金狼は、魔力喰い。喰った魔力をその体の強化に使い、成年に達した時、その体は魔術の通じない、魔術師の天敵になるそうですよ」

手紙を読んだシリル以外の全員が、その説明に息を飲んだ。

つまりあちらは、魔術師の天敵を、魔術師自身に育てさせようとしていることになる。

しかし、小さな金狼は、何を言われているのかわからないようで、きょとんと首を傾げていた。

「……見張り、らしいです。私が、あちらにとって目障りになるほど、その力を振りかざすようなら、それもあるという事でしょう。『畏怖』自身は、私に干渉しない。だけど、目障りなら、この金狼に私を狩るように命じることが出来る。この子を育てさせるのは、その見極めも兼ねてるんじゃないかと」

「見極めですか」

「この子の育ち方によって、あちらも私を試すおつもりのようです。この子に力を与えたくないなら、魔力を関知しないほど遠くに追いやらなければならない。だけどそれだと、この子は私と一切関わりなく育つ。つまりそれだけ、私を狩るのに好都合になる。可愛がっていれば、あるいは私を主と認めて、『畏怖』に命じられたとしても、躊躇うこともあるかもしれない。『畏怖』の命令は絶対でも、猶予を与えてくれるかもしれない。魔は、基本的に気まぐれですが、気に入った相手にはとことん尽くす性質がある。現状で、私が出来るのは、これに主と認められて、その猶予を与えてもらうのを祈ることしかなさそうですね」

苦笑しながらシリルが告げた内容に、ジゼルは眉根を寄せた。

小さな金狼は、身構えたリスに、視線を合わせるように伏せ、二匹の猫をかわるがわる見つめながら、くんくんと鼻を鳴らして遊びたそうにしていた。

ただの小さな狼にしか見えないこの子が、そんな使命を持っているとは、とても考えられなかった。

「ジゼル」

「は、はい!」

突然シリルから声をかけられ、びくりと身をすくめたジゼルは、慌ててシリルに向き直った。

シリルは、先程までの苦笑から表情を一変させ、真剣な眼差しでジゼルに問いかけた。

「ジゼルは、この子を育てるの、どう思う?」

「え、わたし、ですか」

「この子が魔力喰いだというなら、職場には連れて行けない。私の職場は、それこそ魔術師しかいないから。という事は、日頃この子と一番長く接するのはジゼルになる。……ジゼルは、この子狼を、育てられるかな。いつか、私を殺すかもしれない金狼を、愛情を持って育ててやれるかな」

シリルに問われて、初めてジゼルはその事に気が付いた。

唖然としたまま、今は猫二匹に興味をひかれているらしい狼に視線を向けた。

無邪気な子狼は、子供らしい好奇心で、猫達に遊んで欲しそうに前足を伸ばしている。

「……将来はわかりませんけれど……必ず、そう命ぜられるというわけではないですよね?」

「手紙では、可能性がある、という書き方だから、必ずではないだろうね」

「……シリル様が、力に溺れるようなことは、ありませんよね」

「それもわからないよ。神のごとき力を自在に使えるとなったら、暴走するかもしれない」

ジゼルは、それを告げたシリルの、どこか辛そうな表情を見て、一つ頷いた。

「育てます」

きっぱり言い切ったジゼルに、周囲は若干の驚きを見せた。

「以前の暴走でも辛そうになさってたシリル様が、自分から進んで力を使いたがるとは思えません。そうなった時、私は止めたいと思いますし、その為に私はシリル様のお側にいたいのです。この子を育てることで、それも抑止力の一つになるなら、私はこの子を育てます。……それに」

ジゼルは、今も無邪気に尾を振る金狼をみて、にっこりと微笑んだ。

「この子のお母さんは、人なんですよね。儀式で、シリル様の魔力の輪が書き換わってから今に至るわずかな時間で、この子を送り出す仕度をするのに、好物や注意することをまず一番に書き記すほど、お母さんはこの子が大切なんですよね。そんな優しいお母さんから託された子です。大切に、お預かりします」

子狼が背負っていた背負い袋をそっと手に取り、その縫い目を指で辿る。

手縫いのそれは、小さな狼の体に負担にならないように、背中には柔らかい布が当てられ、縫い目も体に擦れないように、注意深く丁寧に作られていた。

母の思いがこもっているだろうそれを、ジゼルは胸に抱きしめた。

「……わかったよ。聖神官殿も、それで良いでしょうか」

シリルのその問いに、聖神官二人は静かに頷いた。