軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

花開く その思い 29

その前日、直したばかりの会議室の扉は、再び同じ足によって蹴破られた。

その蹴破った足が、いつも見慣れた物である事に安堵した一家は、その人が姿を現し、背負っていた人物の姿を見て愕然とした。

「シリル様?」

「力を使いすぎて、ぶっ倒れた。ひとまずここに運べと言われたんでな。すぐに場所を開けて、寝かせる用意をしてくれ」

「シリル!?」

隣の部屋にいた宰相も、レノーの声が聞こえたのか飛び出してくる。

「何があった、レノー隊長!」

「ああ、すまんが、俺にもよくわからん。あっちの二人に聞いてくれ」

顎でレノーが指し示す先には、顔色を変え、形相を変えて走ってくる、二人の男。

一人は聖神官の正式なローブを身に纏い、もう一人は簡素な旅装だった。

だが、宰相は、その簡素な旅装の人物を見て、愕然とした。

「……第三聖神官殿?」

その人物を、宰相や公爵夫人が、見違えるはずがなかった。

顔色を変えた宰相の様子に、声をかけられた三位聖神官は苦笑して、足を止めた。

「あなたもいらしたんですね。申し訳ない。少々、試しが酷すぎたようです」

「今、試しを、やられたんですか」

その、ひと言ひと言に力を込め、区切るように放った問いに、聖神官は頭を掻いた。

「まさか、これから儀式を控えているとは思いませんでしたので。彼は、儀式までに責任を持って回復させますので、それでお許し願いたい」

足止めをされた三位聖神官の横を、会釈一つですり抜けた五位聖神官は、部屋に飛び込み、忙しなくその中を見渡し、安堵の表情で天を仰いだ。

「助かった……」

「五位、どうだ?」

「陽光と守護です。両方きちんと張ってあります。どうやら、すでにあの猫は、使い魔として繋がっているようですね」

そして、二人の聖神官は、黒猫を腕に抱き、白銀の猫を横に従えて唖然としていたジゼルに視線を向けた。

一瞬、三位聖神官は目を見張ったが、すぐにふっと微笑むと、ジゼルの正面に片膝を付き、首を傾げた。

「君が、シリルの婚約者ですか?」

「え……あ、はい」

「はじめまして。私はファーライズ第三聖神官。シリル=ラムゼンの、監督責任者です」

「……は、あの……はじめまして」

「監督責任者というのは、まあ、魔術師が魔に魅入られ、異常をきたした時に責任を持って封じるための役割を持たされた人です。役割上、シリルがきちんと自分の力を制御できるか確認するのも勤めなんです」

目の前の、シリルとさほど年が変わらない人物を、ジゼルは困惑しながら観察していた。

その人物は、にこにこと微笑みながら、それでも何か、有無を言わせぬ雰囲気を持っており、ジゼルはその雰囲気に完全に飲まれてしまっていた。

「いつもは、シリルの師にあたるヤン=ラムゼンからの報告書を受け取って確認しているのですが、今回たまたま、船の上で出会いまして。本来なら、離れる事の叶わない勤めがあるはずの身が、ずいぶん身軽な状態でふらふらしているので、お仕置きをかねて少々力を使わせすぎてしまいました。まさか、この地で婚約の儀式を控えていたとはつゆ知らず、大変申し訳ない事をしました。ここで待っていたあなたにも、ご心配をおかけして、申し訳ありません」

丁寧に頭を下げられ、呆気にとられていたジゼルは、慌てて首を振った。

「そ、そんな、どうぞ、頭をお上げください。……あの、シリル様が、力を沢山使ったという事はわかったのですが……いったい、どういう状況なのでしょうか」

「具体的に言いますと、限界ぎりぎりまで魔力を紡いだので、体の力が枯渇しました。もちろん時間が経てば回復もしますし、きちんと制御の出来ている魔術師なら一晩もかからずに回復しますが……陽の光の下だと、回復できないんです。紡ぐ傍から、光が力を奪っていくんです。私達が一時的に力を注いでも、その消耗に追いつかない。器の大きな人物ほど、それが顕著になるのですが、シリルの場合、類い希なる力の持ち主であるがゆえに、私達でも注ぐ力が追いつかない。ですから、こちらに連れて来ました」

五位聖神官が、横たえられたシリルに再び術を施し、力を注ぐ。光が一振り注がれる度に、シリルの体が一瞬仄かに光り、髪がふわりと舞い上がる。

その様子を見た三位聖神官は、安堵の笑みを浮かべ、ジゼルに告げた。

「今はシリルも意識は無いようですが、あの調子なら、最悪、日が落ちるまでには起こせるはずです。ファーライズの儀式は、日のあるうちしか行えませんので、どうなるかと思いましたが、あれならなんとかなるでしょう」

ジゼルはその、本来なら安堵してしかるべき言葉を聞き、一瞬顔をしかめた。

聖神官を疑うのは、論外である。その言葉を疑っているわけではない。

だが、なぜか、告げられた言葉に、違和感を感じたのだ。

ジゼルは、その困惑も露わな視線を、立て続けに聖神官の魔法を受けるシリルの体に向けた。

なぜ、こんなふうに考えるかもわからないまま、ジゼルはシリルの体ににじり寄った。

「……あの、私は魔法を受け付けない体質らしいのですが、このままこちらにいても、大丈夫ですか?」

恐る恐る、聖神官達に問いかけたジゼルに、二人の聖神官は一瞬視線を交わすと、頷いて答えた。

「問題ありません。私達の術は、魔術師達の使うものとは根本が違いますから、あなたの存在でそれが乱される事はありません」

「では、お体に触れても、大丈夫ですか?」

「ええ、かまいませんよ」

その了承を受け、ジゼルはそっと、シリルの頬に手を添えた。

その寝ている姿は、ジゼルが半年ほど見続けた、その時の様子と変わらない。

いつも、本当に生きているのか不安になる度に、そっと口元に手を添えて、呼吸を確認した。

伸ばした手に、微かに感じる呼吸に安堵しながら、ジゼルはそっとシリルの手を取り、両手に握る。

その指にはめられた指輪を見て、ジゼルは先程感じた違和感の元がなんなのか、ほんの一瞬、掠めた気がした。

ジゼルは体をゆっくりと倒し、シリルの胸に、そっと耳を当てる。

自分の鼓動とは異なる、ゆっくりとしたそれを耳で感じながら、ジゼルはシリルの目覚めを一人きりで見守っていたその時の事を思い出す。

その視線の先に、いつの間にかジゼルのそばを離れていたリスがいた。

白銀の体毛は、いつもふわふわと汚れなど受け付けないとばかりに輝き、翡翠の双眸はジゼルを見守っていた。

――見守っている、のだ。

ジゼルは、がばりと身を起こした。

ジゼルが身を起こしたのを見たリスは、まるでその目を隠すように視線を逸らす。

腕に抱いたままだったノルを膝の上におろし、ジゼルはリスの体を持ち上げた。

「……シリル様……意識があります……ね?」

そう告げた瞬間、リスの体がびくりと震え、その尻尾がくるりと後ろ足に巻き付いて隠された。

まるで何かを誤魔化すように、しきりに視線をそらせるその顔を、ジゼルは凝視する。

「……え?」

「意識、ここにあります」

「は?」

その場にいる、全員の視線が、リスの小さな体に集まった。

リスであるはずの『眼』の猫は、忙しなく目を彷徨わせ、何かを誤魔化すように、慌ててふわふわ尻尾を振っていた。

「……ぷっ……」

長い沈黙の末、一番はじめに漏れ聞こえたのは、三位聖神官が吹き出す声だった。

「シ、シリル……お、面白い技を……猫だよ、猫。本当に猫」

ついにこらえきれないとばかりに、膝を叩いて笑いはじめた聖神官を尻目に、ジゼルは『眼』の猫の体をそっと床におろし、その様子を見つめていた。

シリルの意識が支配している『眼』の猫は、ちょこんとお座りしたままで、ちらりと上目遣いでジゼルに視線を向け、その耳をしおしおと倒した。

「シリル様……駄目ですよ。ちゃんと寝ないと、治らないのでしょう?」

「みぃう。みぃ」

「ちゃんと治してくださらないと……儀式、出来ません」

「……みゃう」

しょぼんと項垂れた猫の姿は、大変哀れを誘う。

横で笑っていた三位聖神官は、その姿を見てさらに我慢できないとばかりに笑っていた。

「……うるさいですよ、三位」

五位聖神官が、聞いた事がないほど低く、苛立ちの籠もった声で三位聖神官を諫める。

その声はどうやら効果覿面だったらしく、三位聖神官は自分の手でその口を押さえて笑い声を止めた。

そんな寸劇のようなやり取りの間も、ジゼルはリスの体から視線を逸らさず、その様子を見つめていた。

「リスの体を使うのにも、力をお使いになるんでしょう? 前にも言いましたけれど、お側にいてくださるのは心強いですが、それがシリル様のお体に障るようでは、私は落ち着いていられません」

「みぃ」

もじもじと体を揺らすシリル猫は、潤んだ瞳をジゼルに向けながら、何かを言いたそうにしていた。

ジゼルは、それに気が付いていたが、猫の言葉など、ジゼルにはわからない。

その時ふと、つい先程梟の師匠に教わった事が、頭をよぎった。

「……シリル様。その姿で、文字は書けますか?」

「みゃん?」

しばらく小首を傾げていたシリル猫は、その前足の爪を出すと、かりかりと何度か床を掻く。

それは、間違いなく、文字を綴っていた。

ジゼルは、母にそっと耳打ちし、持って来てもらった物をシリルの前に、そっと差し出した。

それは、文字の練習などをするための粘土板であった。

ソフィが、つい先年まで計算を覚えるために使用していた物であったが、母はその粘土を含め、ちゃんと大切に取っておいたらしい。すぐさま用意して、それをジゼルに渡してくれたのである。

「そのお姿でいるのは、何かご用があったんですよね?」

ジゼルがそう告げると、シリルはその粘土板の意味を察したらしい。

前足の爪を上手に利用して、その粘土板に、文字を書き記した。

――儀式、どちらなのか、聞くのを忘れてた。

「……にぃ」

猫の姿でも、書く文字は人の時とあまり変わらないらしい。

その猫の前足が書いたとは思えないほど流暢な文字を見て、ジゼルは目を見張っていた。

「……それが気になって、寝られなかったんですか?」

「みぅ……」

耳を倒したまま、シリル猫はこくんと頷いた。

ちらりちらりと、上目遣いの猫の眼が、ジゼルにそれを問いかける。

ジゼルは、しばらく呆然とその粘土板を見て、そして吹き出した。

「……シリル様。どうか、お休みください。そして、時間になったら、私が起こします。必ず起きてくださいね。……結婚の儀式が、いきなり遅刻して慌ただしいのは、さすがに困ります」

ジゼルの言葉を聞いた猫は、しばらくしょんぼりとうつむいていたままだった。

しかし、その言葉の意味が理解できた瞬間に、ピンと耳が立ち上がり、きゅっと顔を上に上げていた。

「シリル様が起きてくださらなかったら……これが旦那様ですって、リスと式を挙げちゃいますからね。ちゃんと起きてくださいね?」

「みゃ!?」

「だって、わたしでは、シリル様のその大きな体は動かせませんし。リスなら、抱っこして運べますし」

「みゃみゃ、みゃー!」

ぶんぶん首を振りながら、シリルは慌てたように、自分の体に飛び乗った。

「みゃみゃ、みゃー、みゃん、みゃう!」

「絶対駄目だそうですよ。ジゼルさん、指輪を外して欲しいそうです。あなたなら抜けるから、だそうですよ」

「わかりました」

五位聖神官の言葉に、慌ててジゼルは、先程まで握りしめていたシリルの手から、そっと指輪を抜いた。

それを確認した五位聖神官は、再び先程まで掛け続けていた呪文を唱えはじめた。

リスは、それを見ながら、その体をふるりと震わせる。

その途端、猫の形はぼやけた光となり、ふわりとシリルの体に吸い込まれていった。

先程までリスがいた場所には、白銀で作られた腕輪が残されていた。

「眼の魔力も、自身の回復のために使うようだな。効果覿面じゃないか」

まだ笑いがおさまらない三位聖神官の言葉に、ジゼルは苦笑しながら、頷いた。

「お休みなさいませ、シリル様」

ジゼルは、シリルの指輪を握りしめながら、微笑んだ。