軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

瞳の戒め 3

王太子と共に王宮に向かったシリルは、翌朝になっても帰ってこなかった。

寝室を見て、使った形跡がない寝台に、ジゼルは首を傾げながらも、簡単な掃除を済ませた。

会議の予定は、今日ではなく明日だったが、もしかしたら臨時で仕事でもあったのかもしれない。

心配するような事ではないが、なにやら気になった。

黙々と、他の侍女が入れない場所の掃除を済ませた頃合いで、本邸から通いの侍女が姿を現した。

「ジゼルさん、そろそろお約束の時間ですよ。奥様がお待ちですわ」

「あ、はーい」

マリーに呼ばれ、一つため息を吐くと、その場に残る侍女達に引き継ぎをして、本邸に足を向けた。

濃緑の、薄絹で作られたドレスは、公爵夫人の白磁の肌を引き立て、その四肢の嫋やかさを否応なく見せつけた。

魅惑的な体は、もう三十になる子供を三人も産んだとはとても思えない、同性の目すら奪われる美しさである。

貴婦人にとって、自身の体は最も大切な武器であり、鎧である。社交界の中で、一挙一動に他者の視線が向けられた時、つけいる隙を見せないため、我が身を磨く。

そうジゼルに教えたのは、隣家のベルトラン侯爵夫人だった。

凛とした立ち姿から、気品と強さを感じさせる公爵夫人は、その姿を姿見に映し、満足そうに頷いた。

「やはり、この色がわたくしは一番好きですわ」

「ディオーヌ様の亜麻色の御髪は、このお色に良く映えますわ」

仕立屋の壮年の女主人が、ドレスの裾を直しながら、公爵夫人に微笑みかけた。

「旦那様のお衣装も、この色で揃えてくださるそうですから、久しぶりにエスコートしてくださるのかしら」

「宰相閣下のお衣装は、こちらにもお話が通っております。小物を、ディオーヌ様と共布で作るように申し付けられておりますので、当日はご一緒に参加なされるのではないでしょうか」

「まあ、そうなの。それなら、旦那様にお褒めの言葉をいただけるように、がんばらなくてはいけませんわね」

公爵夫人は、そう言って、まるで少女のように頬を染めた。

「では、わたくしのものはこれで構いませんわ。このままお願いしますね」

「かしこまりました」

恭しく頭を下げた女主人は、公爵夫人付きの侍女達が、仮縫いのドレスを丁寧に公爵夫人から脱がせるのを見守っていた。

「そうそう。お願いしていた事なのだけど……ジゼル」

「はい」

呼ばれて、先に教えられていた通りに、一歩前に出る。

「彼女のドレスも、お願いしますわ」

「かしこまりました」

恭しく頭を下げた女主人は、ジゼルの傍に歩み寄った。

「初めてお目に掛かります。私は代々、王族の方々の仕立てを承りますブリュノー男爵家のロクサーヌと申します」

「は、あ、の。ジゼル=カリエと申します」

慌てて頭を下げたジゼルを、ロクサーヌはにっこり微笑んで見守っていた。

「なんて可愛らしいお嬢様でしょう。御髪の色も瞳も、素晴らしいですわ」

「そうでしょう」

公爵夫人が、にこにこと微笑みながら、上機嫌で答えた。

「では、まず採寸いたしましょう。失礼致します」

ロクサーヌは、侍女と協力して、手早くジゼルを下着姿にしてしまう。

抵抗もできないまま、あっという間に採寸は終わった。

あまりの手早さに、本当に今ので必要な採寸ができたのか、不思議なほどだった。

着付を手伝うという公爵夫人付き侍女の手はさすがに断りながらジゼルは姿を整え、公爵夫人に促されるままに、その隣に腰を下ろした。

「どのようなお色がよろしいかしら。御髪からすると、濃い色のほうが映えるとは思いますけれど、あまり濃い色は、若いお嬢様が身につける色ではございませんし。瞳にあわせた紫なども、とてもよくお似合いになるかと思いますが」

そう言いながら、ロクサーヌは素早く手元でジゼルの為のドレスをデザインしていた。

何枚もスケッチを出され、ジゼルは慌てて身を乗り出した。

「あ、あの、できるだけ、飾りなどを無しに、できませんか」

「まあ、簡素なものの方がお好みですか?」

「いえ、あの……私は本来、豪華なドレスを身に纏うような身分ではありません。今回のこれも、公爵夫人のご厚意によるものなのです。それで、あまり飾り立てたものは、その……失礼な気がして」

「ディオーヌ様も、それでよろしゅうございますか?」

「私は、ジゼルを精一杯飾っていただきたいのだけど」

「あの、このドレスの代金は、いつか働いてお返しできたらと思うのです。ですから、その、分相応のものを、作っていただきたいのです……」

ジゼルの言葉に、公爵夫人は、あきらかに驚いたように目を見開き、そして微笑した。

「あなたのその心根は、わたくし、とても愛おしく思いますわ。そうね、それなら、宝石を縫い付けるのはやめて、ブローチで飾ることにしましょう。わたくしの持っている宝石は、すべてご存じね? わたくしが当日身につける物でなければ、どれだけ使っても構いません。それを利用することを前提にしたデザインをしてくださる?」

「かしこまりました」

「ジゼル。このドレスは、わたくしの感謝の気持ちですわ。ですから、それと、開放の日までここで勤めることの報酬としましょう」

「……奥様」

「あなたが、あの子の傍にいることで、あの子はとても安定しました。いっそ、もっと早くにあなたをここに迎えていられたらと思いましたのよ」

「そんな、もったいないお言葉です」

「できるなら、このままうちに勤めてもらえたらと思うのだけど……。あなたは家に帰ったら、何かお仕事が決まっていて?」

「いえ、元の通り、母の手伝いをして宿舎の管理と父の土地の管理を手伝う事になりますが」

首を振ったジゼルを見て、公爵夫人は満足そうに頷いた。

「でしたら、改めて、我が家の侍女として、勤めてみる気はありませんか?」

公爵夫人の言葉に、ジゼルは驚きを隠せなかった。

「あの、でも、私は公爵家にお仕えできるような身分ではありませんし、その伝手も本来ありません」

「わかっていますわ。でもね、ジゼル。わたくしが求めているのは、あなたの身分や伝手の人物ではなく、あなた自身なのです。あなたという存在を知り、そのあなたを求めているのです。そこに伝手や身分は必要ありませんよ」

「……それに、私は、その……帰ったらおそらくすぐに縁談が……」

ジゼルの言葉に、公爵夫人は、今まで見たことがないほどの驚きを顔に表した。むしろジゼルは、公爵夫人が驚愕したことに驚いたほどだった。

「もう、お相手は決まっていますの?」

ぐいっと迫るように尋ねられ、思わず身を引きながら首を振った。

「いえ、あの、まだお相手は父が探しているところなのですが……。私の下には、妹が二人おりますので、いつまでも家に残るわけにはいかないのです」

「でしたらなおさら、うちにおいでなさい。そんなに急いでお嫁に行くことはありませんわ。なんでしたら、今からでも正式な雇用契約を……」

身を引いた分、さらに迫られ、ついにソファの端に追い詰められたジゼルは、驚くほど真剣な公爵夫人の真意がわからず、混乱した。

なんと返答すればいいのかわからず、ただ「あ」とか「う」などと答えるだけになったジゼルに、公爵夫人はどんどん雇用条件の説明をはじめたのだが、それを止めたのは人払いされているはずの場所に響いたノックの音だった。

その音に反応して、マリーが扉の外で用件を聞き、公爵夫人の傍に歩み寄ると、その手にあったものを差し出した。

銀盆の上に載せられていたのは、一通の書状だった。

円筒状に巻かれ、掛けられた紐が蝋封されたそれを、ようやくジゼルの傍から身を起こした公爵夫人が優雅な手つきで開く。

その表情は、はじめ驚愕で目を見開き、そして次に困惑したように眉間に皺を寄せた。

「……どういう事ですの。これを持ってきた使者はどこにいますの?」

「お返事をいただきたいと、控え室でお待ちですが」

「それならば、その使者に伝えなさい。今からわたくしが直接お伺いして、お返事をすると。すぐに外出の用意を」

「かしこまりました」

その二人の様子に、ジゼルとロクサーヌは成り行きを固唾を呑んで見守っていた。

「急用ができました。今から王宮に行かなくてはいけませんの。男爵夫人はこちらで、ジゼルの希望を聞きながら、ある程度デザインをまとめてくださる?」

「かしこまりました」

「ただ、私が帰るまで、こちらにいてくださるかしら。できるだけ急ぐつもりなのだけど、どれくらい掛かるかはわかりません」

「私は今日、こちらの仕事しかございませんので、それはよろしいのですけれど……何がおありなのですか?」

「この子は、シリルのパートナーとして参加させるつもりでしたが、それが変更になるかもしれません」

公爵夫人は、手元に握っていた手紙をくしゃりと握りつぶした。

「シリルと王太子殿下では、衣装の色がまったく変わります。それにあわせた物に変える必要が出るでしょう。しばらく作るのはお待ちなさい」

「王太子殿下……?」

ジゼルが呆然と呟くと、公爵夫人は忌々しそうに頷いた。

「王太子殿下は、今回のベルトラン侯爵家の宴に、王妃陛下の名代として参加することが決まっています。そのパートナーとして、ジゼル、あなたを借りたいと仰っているのだそうです」

「……はい?」

「そんな事をすれば、以前の二の舞ですのに、いったいなにを考えていらっしゃるの。しかもこの手紙は、王妃陛下からのものです。王妃陛下自身も、王太子の言葉の真意がわからないと仰っているのです。ですから、今から問いただしてきます」

普段からは考えられないほど早口にそう告げると、公爵夫人はすぐにその部屋をあとにした。

残されたジゼルは、先程公爵夫人が告げた言葉の意味がわからず、しばらく呆然としていたのだが、改めてその言葉を自分で口にして、その事に気が付いた。

「……王太子殿下のパートナー!?」

「……もしそうだとすれば、簡素なドレスでは、逆に困りますわね。確かにこれは、お帰りをお待ちしなければ、ドレスの形も決められません。王太子殿下ならば、騎士服を基礎とした礼服をお召しでしょうし、逆にシリル様は、王宮魔術師の正装で参加されるはずですもの。そのパートナーのお衣装となると、それぞれあわせた物にしなければ、釣り合いが取れませんわ」

ロクサーヌの溜息混じりの言葉も、ジゼルには金槌で頭をぶたれたような衝撃だった。

がっくりうなだれたジゼルは、呆然と呟いた。

「勘弁して……。いっそ、お祝いを言ったらそのまま脱走して、帰ってきたら駄目かしら」

頭を抱えたジゼルのつぶやきを聞かなかったことにして、ロクサーヌはため息を吐き、用意されていた紅茶を口に含んだ。