軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

13. ハギノル湖

マリーヴェルはぴくりとも動かない釣り糸をじっと見つめていた。

王都から馬車を走らせて、翌日。途中、王室御用達の宿に宿泊して、昼にはこの北方地帯の巨大な湖畔地方であるハギノル湖に到着した。

途中目にするもの全てが真新しく、親の目がない開放感と、大好きなアルロとの旅行でマリーヴェルは興奮し通しだった。

「楽しいわね、アルロ!」

そんなマリーヴェルを見るだけでアルロも嬉しい気持ちでいっぱいになる。

途中の街歩きで珍しい物を食べたり、見たこともないものを見たり。

「ああ、楽しくって、大変!」

マリーヴェルの叫びに周りがにこやかに笑い合う。

そして、湖に一面氷が張っているのを見た時は、その広さに圧倒された。そしてその氷面の上に建てられたテントを見ると、一気に目を輝かせた。

遠くには雪をかぶった山の稜線が見える。そんな白い景色の中で、色とりどりの布でテントが作られていた。

中に入るとちょっとした部屋になっていて、椅子もテーブルも、ティーセットもある。

テントの中心には氷に穴が開いていて、そこから糸を垂らして魚を釣るという。

こんなお手軽に釣りが楽しめるなんて、なんて心躍るのだろう。

マリーヴェルは聞いていた通りの光景に大喜びした。

椅子に座ると、毛布でぐるぐる巻きに巻かれる。おかげで全く寒くない。

そうして糸を渡され、椅子に座ってお茶を飲みながら釣りをしている。

あまり多くの人間が入ってはいけないから、と、テント内には前国王とマリーヴェル、使用人一人とアルロだけが入っている。

護衛騎士はぐるりと巨大な湖を丸ごと警戒しているから、ちょっとした遠征のような物々しさだ。

——そんな中、このテントの中は暖かくてちょっとした秘密基地のような雰囲気で。子供心にワクワクするものがいっぱいだった。

「アルロ、寒くない?」

自分は毛布に包まれているが、アルロはコートを羽織っているものの、立ったまま。鼻の頭が赤くなっている。

「問題ありません」

座ったらいいと思うが、きっとアルロは座らないだろう。

「お祖父様、これどうなったら引っ張るの?」

「糸が、くいっと引っ張られたらだ。すぐわかるさ」

「なかなかね・・・」

マリーヴェルは大あくびをした。楽しみすぎて、昨日あまり眠れなかったから。

孫の眠そうな様子に笑うと、前国王——ユートスの目尻に優し気な皺が寄る。

「——静かにしている方がいいだろうな。魚は警戒心が強いから」

「はあい」

「冬は餌が少ないから、そんなに待つこともないはずだ——ほら」

言ってすぐ、ユートスは手を挙げた。

糸の先から、激しく跳ねる魚がくっついて引き上げられる。

「——うわあ、すごい!」

マリーヴェルも期待して穴をのぞき込む。——が、自分の糸は全く反応しなかった。

穴はいくつか開いている。

マリーヴェルは何度か別の穴にも糸を垂らすが、そんなにすぐには寄ってこなかった。

「マリー、あまり動くと魚は逃げてしまうよ」

「だってぇ・・・」

まだ釣りは早かったか、とユートスは苦笑した。

「アルロちょっと持ってて」

「はい」

マリーヴェルはアルロに糸を任せて、お菓子に手を伸ばす。

「——アルロ、やったことある?」

「いいえ。釣り自体、初めてです」

アルロがじっと穴の中を覗いた。覗いたところで、分厚い氷の更に下だから何も見えない。

真剣に水面を見ようとしているアルロがおかしくてマリーヴェルはその横顔をじっと見つめていた。

アルロの黒い瞳がきらりと光った気がした。

「——っあ、姫様!」

アルロの手が揺れている。

アルロは糸をマリーヴェルに渡した。マリーヴェルは確かな手ごたえを感じて、思いっきり引っ張る。

かなり大きな魚が氷の上に引っ張り上げられて、跳ね上がった。

「やったあ!!」

マリーヴェルは魚は触れなかったが、釣り上げた魚の感触が嬉しくて興奮した。

「ア、アルロ、魚取って」

「はい」

アルロは初めてとは思えない手つきで魚を掴んで、針を外した。

「アルロ、すごいわ。すぐ捕まえたわね」

「いえ・・・」

マリーヴェルが喜んでいると、アルロも嬉しそうだった。

その後もアルロと協力して魚を釣り上げ、合計6匹も釣った。

夕日が傾きかけていたので、そろそろ撤収しようという話になる。

「すごく楽しかったわ。お祖父様、連れてきてくれてありがとう」

「いやいや。私の方が、マリーが付き合ってくれて嬉しかったよ。1人でやっても今日ほど楽しくないからね。結局マリーの方がたくさん釣ったな」

ユートスが4匹、マリーヴェルが6匹つり上げていた。

「2匹は今夜の食卓に出して、残りは燻製にするように言っておくぞ」

「ええ。お土産にするわ。——あ、魚はアルロと釣ったから、アルロとも一緒に食べるわ」

ユートスはちら、とアルロを見た。アルロが恐縮して首を振る。

「いえ、そんな、僕は・・・」

「私が釣った魚を食べたくないの?」

「い、いえ・・・」

「マリーは本当にその侍従を大切にしているんだな」

「ええ」

「アルロは、孤児院の出身と言っていたが・・・ファンドラグにずっといたのか?」

シンシアから、父親が流れ者だという事は聞いている。

突然話の矛先が向かって、アルロは緊張して固まった。

「そ、その・・・よく、おぼえて・・・ません」

「そうか」

ユートスはじっとアルロを見つめていた。

「なあに?お祖父様」

「いや、そこまで濃い黒髪黒目も珍しいと思ってな」

「確かにアルロの目は綺麗な黒色だけれど・・・黒髪も黒眼も、別に珍しくはないでしょう?」

魔力のない平民ではよく見掛ける。

ユートスは何を考えているのかよくわからない、いつもの穏やかな微笑みを浮かべたままだ。

「いや、ファンドラグで良かったな、という話だ」

例えばシャーン国では、黒髪黒目は忌まわしいとされる。

不遇な身の上だとシンシアから聞いていたし、父親がシャーン国の者であれば、この見た目だけで虐げる理由にはなるだろうが。

それでも、今は心からマリーヴェルに仕えているのは見ればわかる。

今の国籍はファンドラグにあるのだし、ペンシルニアに籍を置いていれば何があっても安心だろう。

「マリーヴェルをしっかりと守ってやってくれ」

「はい。必ず」

アルロは頭を下げた。

そうして、その時はすぐに訪れた。

翌朝、マリーヴェル達は氷の上を散歩していた。旅行の3日目になる。

前国王とマリーヴェルが来訪したという知らせを受けて、周辺貴族から連日お誘いの手紙はきている。

訪ねてくるものもあるようだが、それは騎士や使用人によって止められているので、どれ程訪ねているのかマリーヴェルも知らない。

それらを無視してユートスとゆっくり過ごしていたが、ユートスは3日間の旅程で少し疲れが出てしまったようだった。今朝から調子を崩し、寝込んでいた。

今日一日ゆっくりして、明日王都へ向けて発つ予定である。

することもないし、せっかくなので氷の上で遊んでみることにした。

まだ朝なので、少し霧が出ている。

マリーヴェル一人に、氷の上をペンシルニアの騎士がぞろぞろと6人程ついてくる。

マリーヴェルは氷が滑るので、アルロに支えてもらいながらゆっくりと歩いていた。騎士に支えてもらったらその方が安定するだろうが、それでは面白くない。

「——アルロはどうして滑らないの?」

「訓練の成果でしょうか」

まだまだマリーヴェルのお眼鏡にかなう程の筋肉はないが、下半身にぐっと力を入れると、安定して歩くことができた。

「氷って、こんなに滑るのね。雪とは全然違うわ」

「ソリを借りてきて滑ってみてはどうでしょうか」

「あの、荷物を運んでいたやつ?いいわね。楽しそう!」

そんな話をしていた時だった。

遠くで、狼の遠吠えが聞こえる。

山深いところに狼が出るのは、別に珍しいことではない。ここは田舎だし、夜の間に家畜が食べられることもある。

騎士が数人いれば狼の群れに遭遇しても恐れることはない。

——しかし。

湖の向こうから駆けてくる白い影に、一行は一気に緊張を走らせた。

「あれは、何・・・?」

マリーヴェルが指を指す。狼ではなかった。もっと大きい。

「姫様、戻りましょう」

アルロがいち早くマリーヴェルの手を引いた。

「え、何?」

マリーヴェルは霧もあって良く見えなかった。

目を凝らそうとして、その前にずらりと騎士が並ぶ。

「マリーヴェル様、白熊です。こちらへ向かっておりますので、一旦村へお帰りください」

白熊?野生の獣が出たと言う事だろうか。

「白熊って、危険なの?」

「問題ありません。一人でも倒せます。——が、念のため」

そう言いながら騎士の一人がそちらに向かって、火の魔力を放っていた。威嚇している。

騎士はそう言ったが、獣が、わざわざ人間のいる方へ襲い掛かってくるなど、少しおかしい。

ここは一旦村の騎士団とも合流した方がいいだろう。村までは馬車で10分程度。そこは塀で囲まれているし、兵士もいる。

「慌てなくても大丈夫です、姫様、まだ十分距離がありますから」

「ええ」

アルロにそう言われて、ゆっくりと馬車に向かって歩き出した。

騎士が2人残って、残り4人はマリーヴェルに付き添う。

「待て。まだいるぞ」

騎士の一人が警戒する声を上げた。

その騎士の視線を同じように追ってみると、また別の方向に何かの影。

「何?あれ」

「あれは・・・あれも、熊、でしょうか」

霧で見えないのと、一頭ではない。群れのように見えたからだ。熊は群れない。

「とにかく、退避を」

獣の咆哮が聞こえた。嫌な感じで心臓が早打つ。

マリーヴェルはアルロと共に速足で歩いた。

あと少しで湖畔にたどり着き土を踏める所で——聞き慣れない音がした。

ガリ、ガリガリ、という、低い音だった。それが足元からする。同時に足元の氷も揺れた。

「姫様っ」

姿勢が崩れそうになって、アルロが咄嗟に抱きとめてくれた。

氷が、動く——いや、氷が割れていく。

驚いて辺りを見渡せば、ぐん、と騎士と距離が離れた。何故、と思うのと、身体が大きく揺れるのとが同時。

騎士がこちらに駆けてきている。それなのに、距離がどんどん離れて行く。——氷が動いていた。

岸辺に控えていた騎士たちも、急いでこちらに向かっていた。湖に飛び込む騎士もいる。

たくさんの騎士たちが、みんな遠い。マリーヴェルはアルロにしがみついた。アルロも力の限りマリーヴェルを抱きかかえた。

足元の氷は崩れ去った。

2人は冷たい湖の中に放り出された。