作品タイトル不明
39.
マリーヴェルが帰って来て3日経った時、まずはソフィアの謹慎が解けた。
ソフィアは何が悪いのかをしっかり分かっていた。本当に反省したようだった。
「——分かってたの。大変なことになるって。でも、アルロに会えなかったお姉様の事を思うと、願いをかなえてあげたくなってしまって。お父様も、ちょっとやりすぎだと思ったし。アルロも落ち込んでるだろうなって。——でも、こんな方法を取ってはいけなかったわ」
ソフィアはシンシアに抱きついて、心からそう思っているように話した。
「ごめんなさい」
ソフィアの方がよほど分別がある。
元々、人の深層心理を覗いてしまう『炯眼』に加えて、面倒見の良さで色々とトラブルにも巻き込まれやすい性質である。
ただ、要領が非常に良くて怒られるという事がなかったから、今回の謹慎は色々と思うところがあったらしい。
「私、どこかで、自分は正しいって思ってたみたい。恥ずかしいわ」
爪の垢を煎じてマリーヴェルに飲ませてやりたいくらいだった。
それで決着とした。
「ところでソフィア、お城のお勉強はどう?」
「どう、って?」
「うーん。大変じゃない?」
ソフィアは赤く燃えるような瞳で、じっとシンシアを見つめた。
「お母様が心配していることについては——大丈夫、とは言えないかもしれないけど。私は実は、嫌じゃないのよ」
「え?」
ソフィアはにっこりと笑った。
「アレクの所に、行って来てもいい?」
「え、ええ……」
それはどういう意味、と聞いても、あの顔は言ってくれないだろう。
幼い頃は本人もよくわからなくて説明ができなかったが、成長してからは、敢えて言わないようにしているようだった。
どの事だろうか。本来自分には必要のない王太子教育の、勉強漬けの日々の事か。アレックスの婚約者候補と言われてしまうことか。まさかオルティメティが言っていた、王妃として国をという——?
そこまで考えて、ノックの音にはっとする。
「はい」
「アルロです」
シンシアは自分からドアを開けに行った。
そこにはアルロが立っていた。後ろにはエイダンがくっついている。
「どう?不自由はない?」
シンシアの家でもないし、貴賓扱いに不足はないと思いたいが。
アルロは普段王城に泊まることはないから、念のため聞いておく。
エイダンが毎日一緒にご飯を食べて訓練をして構い倒しているようだから、心配はいらないだろうが。
「——ご配慮いただき、ありがとうございます」
アルロは頭を下げた。
「エイダン……ちゃんと仕事してるの?」
ちょっと不安になったから聞いてみたら、エイダンはすました顔でアルロの背後から動かなかった。
「今仕事中ですが?公爵夫人」
「面白くないわよ」
要人警護のつもりなのだろうか。騎士団長の仕事ではない。ただ一緒にいたいだけだろう。
「アルロ、3日も国をあけて大丈夫?」
「この機会に、先日議題に上がった共同治水工事の件と、耕作地増加のための共同研究について、進めています」
シンシアが誘って、導かれるままアルロは中に入った。それぞれソファに座ってシンシアがお茶を淹れようとすると、アルロがさっと淹れてくれた。
「あの……」
ちょろちょろ、という音が止んで、カチャリとポットが置かれる。
「姫様は」
実は、アルロはこの3日間、マリーヴェルに会えていない。
他国の国王が牢獄へ行く訳にもいかないし、何より、シンシアが許さなかった。
アルロに会えたら、目の前にニンジンをぶら下げられた馬になるからだめよ、と言うのを、アルロは律儀にもちゃんと守っていた。
「1日目は文句が止まらなかったらしいわ。2日目には少し元気がなくなって、3日目に入ってようやく喋らなくなったところね。食事が口に合わなくて、ほとんど食べてないらしいのよ」
アルロは愕然とした。口を開けて、真っ青になってこの世の終わりのような顔になっている。
「ぼ……僕の、せいで」
「どうしてアルロのせいなの?」
「姫様は、僕が傷付いていると思って、来てくださったんです。実際……僕は、落ち込んでいました。だから姫様が来てくださって、救われたんです。助けていただいたのに……」
「ねえアルロ。この選択はあの子が自分でしたことでしょう?」
「そうだよ。今回はひどかった。あれは自業自得なんだから、気にするなって」
しかし。
生まれてからこの方、飢えというものを知らないはずのマリーヴェルがお腹を空かせている。牢獄にベッドはないだろう。固い石畳で、一体どうやって眠っているのだろうか。どうしても、居ても立っても居られない。
「——意地が悪いって思うかしら?」
アルロは慌てて頭を振った。
シンシアの言わんとする事は分かっている。
マリーヴェルがこのままではいけないという親心なのも。これが厳しい優しさなのだという事も。
——ただ、単純に、マリーヴェルがつらい思いをしているという事が耐えられないのだ。
代わる方法はないかと思っていると、シンシアが明らかによそよそしく、エイダンに尋ねた。
「ねえ、エイダン。その……家には帰ってるの?」
「僕?帰ってないけど?」
「……………」
シンシアが考え込む。
「どうしたの」
「そろそろ、帰らないでいいの?」
「まあ、特に不自由ないからね。むしろ快適」
エイダンは城から葡萄亭へも通っている。アイラに会えさえすれば全く不自由を感じないのだ。
ペンシルニア家の中で、今一番幸せなのは他でもない彼だろう。結婚直前のウキウキが、隠せていない。
シンシアはむっとして考え込んだ。
「ちょっと、うちに取りに帰ってほしいものがあるんだけど」
「え、僕?」
「ええ」
「メイドじゃ駄目なの?」
使用人を使わずにエイダンに直々に頼むという事は。何か余程重要で、機密な物なのだろうか。
アルロがそっとエイダンの袖を引いた。
「エイダン様」
「え、何?」
そういう事じゃないですよ、とアルロが首を振る。
全く分からない様子で、エイダンは眉間に皺を寄せた。
「何」
「いえ、その……」
何て言えばいいのか。「公爵様の様子を見てきてほしいのでは」とは、シンシアの前では言えない。
「何?わかんないよ。そんな見つめないでよ」
エイダンの中で、シンシアとライアスの夫婦喧嘩はかなりどうでもいい事だった。小さい頃からライアスの溺愛も、ところ選ばずいちゃいちゃとしている夫婦も見てきたエイダンにとって、ほっとけばその内どうせ、すぐ仲直りするだろう、位なものだった。
だから、シンシアがライアスの様子を気にしているだろうなんてことも、気づかない。今、エイダンの頭の中は秋の結婚式、その後のアイラとの新婚生活がほとんどを占めている。
その辺りはアルロの方が鋭敏に察知した。
「あの、僕が行ってきましょうか」
シンシアははっとした。
「あっ……いいえ。考えてみれば、大したことなかったわ」
「でも……」
「そういえば、今日は父上来てないですね」
ガチャ、とカップが嫌な音を立てる。シンシアの手元からカップが滑ったようだ。
今はもう夕方である。一昨日は朝昼晩と来て、門前払いをくらった。昨日は朝来て、暗い顔で帰って行った。今日はまだ来ていない。
「本当に来てないのかしら」
シンシアの声が固い。
「父上が来ると僕が呼び出されるから。ってことは、来てないよ」
「エイダン様」
「何だよもう、さっきから」
二人の様子を見ながら、シンシアはため息をついた。
アルロに気を遣わせてしまって、こんなんじゃ駄目だ。
「アルロ。それで、何か用事だったの?」
「あ、姫様が、どうしているかと……」
シンシアは困ったように笑った。
「この際だから聞いておくけど。ライアスからは何て言われたの?」
アルロは静かに、そっと目を伏せた。ライアスの言葉は、あれからずっと考えている。
「——足りない、と」
「何が?」
「……わかりません」
力や強さというのではないように思う。——では一体、何なのか。
「国王として、でしょうか。ファンドラグの支援に、まだ頼っているところのあるから。やはりこの国力では、姫様を守るのには——」
「うーん、50点」
アルロは少し驚いたように目を瞬かせた。そういう顔をしていると少し幼く見えて、シンシアは味方したくなる。
「そう言う事じゃないと思うわよ」
「母上は分かるんだ。父上が考えてること」
シンシアはそれには答えない。
「——僕が国王になったのは、公爵様のお言葉があったからです。向いていると、言われました。成し遂げられるだろう、と」
だから、まだ成し遂げていないと言われているのかと思った。
国政に終わりはなく、どれほど全力で取り組んでも、新しい問題は次から次へと生まれてくる。どこまで行けば成し遂げた、と言えるのか。
「——ペンシルニアへ帰ってくるなら、すぐにでも認める、と」
「言ってたね。この前」
「本気で仰っているように思えて……」
「本気だと思うわよ」
「それは……諦めて帰ってこいという……?」
「うーん、違うわ。アルロ、貴方の国王としての働きに申し分はないし、ライアスは何か言える立場でもないでしょう。——ブラントネル国の事は関係なくて」
何て言えばいいか……シンシアは少し考えた。
「例えば国とマリーを選べと言われたとき、アルロはどうする?」
「え……」
それは、思いもよらない質問だった。
そんな選択を迫られる事なんてありえないと思うし、考えたこともなかった。
「そうね、そういう意味で、考えてみたらいいんじゃないかしら?」
アルロは益々分からなくなった。
シンシアはそれ以上のヒントをくれそうにない。
「それだけ以心伝心で、なんでこじれるわけ?もう帰ればいいのに」
エイダンがぼそりと呟いた。