軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

24.ペンシルニアの食卓

今日もペンシルニアは平穏な一日を終えようとしていた。

エイダンは王国騎士団の団長としての仕事を終えて帰宅。その婚約者であるアイラは今日は実家の葡萄亭を手伝いに帰っているから、夕食までペンシルニア騎士団で体を鍛えている。

マリーヴェルはシンシアとお茶会に参加し帰宅後、自室に戻った。今日もたくさんの手紙を受け取っていたから、その返事を書いている事だろう。

ソフィアは愛猫のネロと遊んでいるらしい。第一王子のアレックスを待って、少し遅めの10歳で学園へ通ったソフィアは、12歳になって学園を卒業した。現在はアレックスと共に毎日王城で授業を受けている。少し前に帰ってきてネロと温室へ向かったと報告があった。

そんな夕食前のひと時である。

外出先から戻って来たシンシアは、寝室のソファに腰掛けて新聞を読んでいるライアスの対面に座った。

お帰りなさいから先、会話がない。

これはライアスに何かやましい事のある時の態度だ。いつもはうっとうしいほどの視線も、ずっと手元の新聞にあるのだから。

「——ねえライアス、貴方、私に言う事があるんじゃない?」

「……………」

「ライアス?」

返事までない。これはなかなかだ。

——とはいえ、シンシアの耳にはもう既に報告が上がっている。屋敷にアルロが来て、夕食の用意をしていましたが帰られたようです——と執事長から聞かされた。

アルロは王となった今でも、近所から帰って来るようにふらりとやってくるし、忙しいからとんぼ返りすることも度々あった。しかし、何の言伝もなく帰ってしまうのは初めてだ。

それからすぐに、居合わせたという騎士から何があったかは教えてもらった。

「ふうん……結婚して20年もたつと、こうやって妻をないがしろにするのね。ふうん。そうなんだ……」

「ないがしろになど……とんでもな——」

慌ててライアスが新聞を投げ捨てた、その時だった。

「お父さま!?」

バーン、とドアが乱暴に開かれる。マリーヴェルが仁王立ちしていた。

ノックもせずに、礼儀作法も何もない。どこから注意すればいいのやらと言う状態だったが、シンシアはとりあえず黙って見守っていた。

「信じられない事を耳にしたんだけど、まさか、嘘よね?」

「マリー、帰って来たのならまず——」

「アルロと決闘してブラントネルに追い返したって、本当なの?」

マリーヴェルはカツカツとヒールの音を響かせて近づいて来た。腕を組んで、きっ、とライアスを睨みつける。

成人を間近に控えて、マリーヴェルの美しさにはさらに磨きがかかっている。それと同時に、凄むととてつもない威圧感があった。

この視線だけの圧力で歴戦の武将をもたじろがせるだろう。

「そ……」

「そうなのね!?嘘でしょう!?信じられない!!」

マリーヴェルは眉間を押さえた。

「じゃあ、アルロの顔を殴ったって言うのも本当なの?」

「いや、あ——」

「はあ!?アルロの顔に?なんてことするの!!」

ライアスが話す隙を与えなかった。シンシアはやれやれ、とお茶を飲んだ。

「お父様……見損なったわ。アルロのあの綺麗な顔に傷をつけるだなんて。許せない……!」

ここまでものすごい勢いで話し続けていたマリーヴェルは深呼吸と共に止まった。

それから唇をかみしめて声を掠れさせる。

「誰にやられるよりも一番つらいわ。大好きなお父様が、大好きなアルロにそんなことをするだなんて」

この言い方には、ライアスは胸を抉られたようだ。

まだ泣き叫ばれて罵られた方がましだ。

マリーヴェルは心底失望した、という眼差しでライアスを見ていた。声を荒げるでもなく、ただ静かに、しかし他人を見るような目で。

あらあら。シンシアはカップから口を離し、眉を上げた。

これまで、泣き叫んで主張を通していたマリーヴェルが、こういう手に出るとは。

「マ——」

「やめて」

マリーヴェルは悲しそうな顔をして、背中を向けた。

「これ以上話したくないわ。これ以上、お父様を憎みたくない」

そんな大げさな、と側で聞いていたシンシアは思ったが、マリーヴェルはそのまま小走りで部屋を出て行ってしまった。

ライアスがその場に崩れ落ちる。

「あ……あぁ……」

流石に少し可哀想な気がして、シンシアは手に持っていたカップを置いた。そしてそっとその分厚い肩に手を乗せる。

「ねえライアス、何か考えがあったのよね」

ライアスは真っ青な顔で床を見たままだった。

はあ、とシンシアがため息をつく。

「先に話してくれていたら良かったのに。アルロと決闘したこと、私に言わないつもりだったの?」

「いえ、その……」

ライアスは目を泳がせた。

「どういうつもりなの?アルロの事は貴方だって息子のように思っていたのに」

「それは……」

即答もできず視線も合わないのは、おそらく後ろめたいことがあるのだろう。

元々シンシア限定では表情が読み取りやすいライアスではあるが、長年の付き合いで更に心を読みやすくなっている。

「どういうつもりであったとしても。——貴方、ものすごく恐かったって聞いたのよ。ねえライアス、つい感情的になったんでしょう」

思惑がどうであれ、振り返るとやりすぎたと思ったのか。もしくは、感情的になってしまったのを後悔しているのか。

そもそも家族の、特に妻や娘のことになるとやや冷静さを欠くことがある。

今更ではあるものの。シンシアとしては、そこから何も言えずに新聞に逃げるこの態度が、少し気に入らなかった。

どうもライアスには、本当に困ったとき逃げ癖がある気がする。

「しょうもないわね」

マリーヴェルの怒りももっともだ。とりなすのも面倒に思えてくる。

青い顔になったライアスの相手をする気にもならなくて、一足先に食堂へ向かった。

夕食の席。

貴族の食卓と言うのは、本来静かなものだ。食事が運ばれてきたら、できるだけ音をたてずに食べる。歓談は料理と料理の間で、お酒を飲みながら次の料理が運ばれてくるまでの間に行う。

しかし、ペンシルニアの食卓は料理が運ばれてもいつもにぎやかだった。

子供がマナーを覚えるまで別で食事を摂る一般的な貴族の家門と違い、ペンシルニアでは離乳食が始まると子どもと共に食卓を家族で囲む。つまり、エイダンが生まれてからずっとにぎやかなまま今日に至るのだった。

——それが、今日は。

まるでお通夜のような静けさだった。

カチ、カチ……と時折ナイフの音が響くのみ。

ちらちらと顔色を窺っているのはエイダンだった。困ったような顔でマリーヴェルとライアスを見比べてから、シンシアへ視線をやる。シンシアも肩をすくめるしかなかった。

マリーヴェルは能面のような顔をして黙々と食べている。隙のない美人が黙ると怖いっていうのは、こういうことをいうのだろう、氷点下の無表情だ。

一方ライアスは料理しか見ていない。あえて視線を上げないのは、会話をするつもりがないのだろう。するつもりがないのか、できないのか。いずれにしてもライアスにしては珍しい。

「なんかさ、寒くない?この部屋」

エイダン。それはね、気温じゃないと思うわ。

そう思いながらシンシアはワインを飲み干した。

「——あら、今日のワインは美味しいわね。花開いたような香り」

「あ、それね、アイラのおすすめなんだ。アイラが以前勉強に行ったワイナリーのもので、特に天候に恵まれた年ので——」

そのアイラは今日は葡萄亭でそのまま泊まると言っていた。アイラの事だ、きっとこの寒々しい食卓を察したのかもしれない。相変わらずいい勘をしている。

エイダンは大袈裟にため息をついた。

「ソフィーだけだ、僕のオアシス」

マイペースにこちらも黙々と食べ進めていたソフィアはエイダンの言葉に顔を上げた。

「お兄様はアルロに会ったの?」

突然の爆弾投下である。

ひっ、とエイダンが息を呑んだ。

ガチ、とカトラリーの嫌な音が鳴る。マリーヴェルの方からだ。

食卓は長方形の机で、一番奥にライアス。その次の席にシンシアとエイダンが向かい合わせで、その隣にマリーヴェルとソフィアが向かい合わせで座っている。

「私も会いたかったなー。お城にも来てたのでしょう?私もお城にいたのに」

にこにことソフィアが笑っているその右隣で、エイダンの顔がみるみる白くなっていく。

見なくても分かる。シンシアの左にいるマリーヴェルが、鋭く冷たいまなざしをソフィアとエイダンに注いでいるのだろう。ストールを持ってくればよかった。肩が寒く感じる。

マリーヴェルも…マリーヴェルだが……暴れ出さないだけましだ。怒るに怒れない。

こほん、とシンシアが咳払いをした。

ちょっとエイダンが可哀想になって来たので、話題を変えようと思う。

「ソフィー、お城の授業の方はどう?」

「うーん。面白い所と、そうでもない所とあるかな」

ソフィアは少し首を傾げた。伸ばすのが面倒だと言って首のあたりで切りそろえられた金の髪が、ふわりと揺れる。

「歴史は結構好き。ほら、ブラントネルでも、古城探検したわよね。ああいう古代遺跡の探検とか、いつか行ってみたいわ」

ソフィア。まさかわざとやってるのかしら。どうして話をそっちに持って行くのかしら。

「ファンドラグの王城は新しいもの」

つまんない、と口をとがらせて、パンをかじっている。

「ブラントネルへの歴史学者の調査も来週でもう5回目よ?今回は湖に潜るんですって!ロマンよねー」

「そう言えば」

ここはもう、大きく話題を変えようと思う。

「——エイダン、衣装の準備は進んでいるの?マダム・シファが切実そうだって執事長がいっていたけど」

「あー……予定通りではないですけど、まだ間に合うかなって」

マダム・シファは昔から懇意にしているドレスショップのデザイナーである。特に格式高い衣装を手掛けている。

「貴方……ウェディングドレスを作るのに何日必要か、分かっているわよね」

「頑張れば一月」

「できるわけないでしょう?」

頭の痛いことを言われて、シンシアが眉を寄せた。

そう、この秋、エイダンはめでたくアイラと結婚式を挙げる予定だ。今は6月。結婚式は10月を予定している。まだ採寸ができていないと聞いてマダム・シファが困り果てているらしい。

「間に合わなくなったらどうするの。王族を招待する——というか、王城で行う結婚式よ、わかってるわよね?貴方がちゃんとしないと——」

「あ、でも、アイラが。母上のおさがりでもいいって。街の人は結構そうしてるからって」

「私のは……」

「王家の婚礼衣装なんだから、確かに立派だろうなと思って。式場も母上が挙げたのと同じところだし」

「…………………」

今度はシンシアが固まる番だった。

婚礼衣装一式……それは結婚直後、前世を思い出す前のシンシアの手によってボロボロに切り刻まれ、破り捨てられている。もう跡形もない。

「母上?」

言えない、そんな事。

シンシアはにっこりと笑って見せた。

「残念ながら、もうないの。新調する方向で考えてちょうだい」

この日の夕食は、過去一くらい混沌としていた、と思うシンシアだった。