作品タイトル不明
番外編【はじめてのおつかい】5
アイラがひょい、と椅子を降りて、エイダンをそっと抱きしめた。
「エイダン」
優しい声に、ゆっくりと頭を撫でられる。シンシアにされるのともまた違った、不思議とほっとするような、あたたかくなるような感覚がした。エイダンは心地よくてしばらくじっとしていた。
「大丈夫だよ、よしよし、泣かなくていいからね」
アイラはそう言ってじっとユーリを見つめた。
責めているような視線ではない。ただ無表情にじっと見られているだけだ。
けれどユーリにはそれが責められているように感じた。自分の失言を思ったからかもしれない。
失敗した、と思った。
こんなまだ3つの子供に、わざわざ現実を突きつけるような真似。
ユーリは子供どころか、まだ結婚もしていない。近所で子供といえば、とんでもないいたずらをしてくる悪ガキ達か、アイラのようにひたすらマイペースでこちらの都合などお構いなしの子ばかりで。こんな、儚げにふわふわした可愛らしい子供は、正直初めてだった。これが貴族の子だからなのか、エイダンだからなのかわからないが、とにかくユーリは何とかしてやりたくてたまらなくなった。
ユーリは困った顔のまま、背後の棚から瓶を探し出した。
「そうだね、えっと、何か栄養のような……」
ちょっとよく眠れるようになったり、血の巡りを良くする程度の、副作用のないもの。ハーブティーの延長のようなものなら、渡してやれる。
「そうですね、元気になれる茶葉を煎じましょうか」
その時。
突然店のドアが開き、息を切らした少年が1人慌てて入って来た。
「やれやれ、今日は小さなお客が多い日だね」
どうやらユーリの知った子供らしい。
服はぼろぼろで、靴は穴が空いている。何日もお風呂に入っていないのだろう、黒い髪はボサボサになっている。
少年はカウンターまで走って、その勢いのままガン、と硬貨を置いた。銅貨1枚だった。
「薬をくれ!」
「薬ってのは……いつもの、妹さんのかい」
「うん」
「ポール……これじゃ足りない。渡せないよ」
アイラがそっとエイダンの耳元でひそひそと教えてくれた。
「ポールの妹はね、むねの病気なの。むねが痛くなって、動けなくなるの」
「発作が起きたんだ!」
ポールが必死に叫んだ。
その悲痛な叫びに、エイダンの涙はすっかり引っ込んでしまった。
「苦しんでるんだ。頼む、たのむよ、ユーリ……」
ユーリは返事ができなかった。
もちろん、何も意地悪をしているわけではない。
ポールの妹の薬は非常に高価な材料を使う。ユーリとしても助けてやりたいと思うからこそ、いつも材料費だけで作ってやっている。
両親とポールがほとんど休まずに働き続け、食事も衣服もできるところは全て切り詰めて——そうしてギリギリ出せるのが、銀貨2枚。
しかしその甲斐あってか、この薬の効果は 覿面(てきめん) だった。
痛みで息もできなくなる程苦しみ、青い顔をしている妹が、薬を飲むとあっという間に落ち着き、笑顔まで見せるのだ。紫色だった唇はみるみるうちに血色を取り戻す。
だから、どんなに貧しくても苦ではなかった。薬があってよかったとさえ思っていた。——が、今回は前回の発作からたった3日でまた発作が起きてしまった。
「治癒師に見せなって言ってるだろ?平民でも見てもらえるようになったんだ」
「あそこは……何日も待たされるんだ。あんなに苦しそうなのに、待ってられないよ!」
これまでは治癒師といえば貴族のためのものだった。それが平民向けの治療所ができ、治癒師は常駐し、公立だけあって価格も平民でも払える額だ。知る人ぞ知る、ペンシルニアの事業である。
ただ、何しろまだまだ数が限られている。そもそも事業が始まったばかりで、一般人は騙されるんじゃないかとか、本当に安全なのかとか良くない噂が出回ったりという事もあり、ポールの家族はまだ大事な娘を治療所へ連れて行けずにいた。
「そうは言ってもね、ポール。いくら何でも、材料費はもらえないと、売れないよ。次の薬が作れないだろう」
「必ず、返すから」
「その前にまた次の発作が来たら?」
「—————っ」
ポールはぎゅっと拳を握りしめた。その爪が食い込んでいるのを見て、エイダンは自分の手まで痛くなったような気がした。
この子は、僕と同じなんだ。薬を作ってもらえない。
大事な大事な家族の、頼みの綱なのに。
悲しくて僕は泣いちゃったけど、この子は涙を我慢して、ぐっと堪える表情をしている。
すごい子だ。
「お金……」
ポールが食いしばった歯の間から、そう呟く。
エイダンははっとして、鞄の中から、財布を取り出した。その中にある銀貨を3枚取り出して、じっと見つめる。
お金、だ。
「まじょさん、このおかねで、このこのくすりと、ぼくのははうえのおくすり、かえますか」
「え、か……買えるけど」
エイダンは手の平の中の銀貨をじっと見つめた。
「これね、ぼくのおかねじゃないの」
これで何でも買えるけど、大事なものだから、よく考えて使ってね、と言われた。
元々、シンシアのものしか買うつもりはなかったけど。
「エイダン、いいの?だいじなお金あげちゃって」
「あっ!ぶろろていの、おかね!」
アイラを見て、葡萄亭で作ってもらっているスープの事を思い出したらしい。何度も、ポールの顔と自分の手の中の銀貨を交互に見つめた。
やがてエイダンはぐっと歯を食いしばる様な顔をして、それからゆっくりと、カウンターに銀貨を3枚置いた。それをずずず、とポールの目の前までスライドさせる。
「どうぞ」
「え……でも」
手元にあると未練が残るのだろう。自分の手の届かないところまで押しやる。それでもやはり気にはなるようで、ちら、と銀貨を見ていた。
「あのね、また、かえしてくれる?ぼく、ペンシルニアにいるから」
ポールはくしゃりと顔を歪ませた。けれど涙は見せず、深く頭を下げた。
「返す。返します、必ず。ありがとうございます」
その声は掠れていた。
トン、とカウンターに薬が置かれる。ポールの妹の薬だった。
「ほら、早く届けてやりな。——でも、いいかい、落ち着いたら治療所に行くんだ。治癒師にちゃんと見せるんだよ」
「うん!」
ポールはその包みをつかみ取って、再びエイダンに頭を下げて、また急いで店を出て行った。
「——さて、公子様のはこっちだ」
そう言ってユーリはまた違った包みをくれた。エイダンの顔がぱあっと明るくなる。
「おくすり!?」
「ああ、お湯で煎じて飲むといい」
「おゆ……で?」
「飲み方の説明も入れておくよ」
ユーリは紙袋にそれを入れてエイダンに渡した。
「で、おつりはこれ」
ちゃりん、と銅貨5枚をカウンターに置いた。
エイダンは首を傾げた。
「おつりだよ。もっていきな」
「おかね?」
「ああ。」
「でも……おおいよ」
数は数えられないが、増えているという事はわかる。
「エイダン様、これがあればうちのスープ買えるよ」
「ほんと!?」
エイダンの疑問は、アイラの台詞で吹き飛んだようだった。
せっせと鞄に茶葉の包みを入れると、いてもたってもいられなくなったようで、椅子から降りて扉の方へ小走りに駆けていく。
はっと気づいて、ユーリを振り返った。
「ありがと、ございました!」
ユーリは笑顔で手を振ってこたえた。
こんなに可愛いお客さんばかりなら、大歓迎なんだけど。
二人が出て行った扉を見てそんなことを考えていた。