軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

49.大切な話

その日の夜。

アルロはマリーヴェルの部屋を訪ねた。

「姫様、お話したいことがあるんです」

アルロの表情が、硬い。大人びた顔をすることは今までもあったのに、今日はどこか遠くに感じて、マリーヴェルはごくりと息を呑んだ。

今日はヘルムトが来ていた。嫌な予感が一瞬よぎったが、まさか、そんなはずはないと即座に打ち消す。

部屋に招き入れてすぐ、一歩入っただけで立ったままアルロは口を開いた。

「お側を離れることをお許しいただきたいのです」

「何ですって?」

「——シャーン国の革命を、終わらせようと思っています」

「は・・・」

マリーヴェルは言葉を失った。

夏だというのに冷や水を浴びせられたような感覚に襲われる。

「どういう、こと」

「僕なら、革命を終わらせられる。——この能力を使えば」

ヘルムトは一瞬で終わらせられると、そう言っていた。流石に一瞬では難しいかもしれない。けれど、国中を解放軍が占拠し、あとは首都だけという今の状況なら。

「お父様と、お母様は・・・」

絶対に反対するだろう、そう思ったら、アルロは静かに首を振った。

「まだ誰にも言っていません。姫様のお許しがなかったら、行きませんから」

「そんな・・・そんなの」

許すわけないじゃないか。

「姫様のお側を離れるのは、耐え難いです。毎日姫様の笑顔を見て、声を聞いていたい。それこそが、僕の幸せです」

アルロがそんな風に言ってくれるのは嬉しいはずなのに、今は頭に入ってこなかった。

混乱するマリーヴェルの事をわかってくれているように、アルロはいつも以上にゆっくりと話した。

「でも、僕をこうして人間にしてくれた姫様を、この能力でお守りすることができる。だから、行きたいんです」

「ヘルムトね・・・あの革命家の妄言が、アルロを——」

「マリーヴェル様」

静かな声なのに。名前を呼ばれると、何も言えなくなる。

「僕はずっと、自分で考えています。自分の判断で今日までシャーン国には行かないと決めていました。今回も自分の意思で決めたんです。ヘルムトさんの言葉だけじゃありません。シャーン国の事、ファンドラグ王国の事、どちらの事も知って、そう決めたんです」

わかっている。

アルロは何も知らない子供じゃない。マリーヴェルよりずっと賢くて、多くの事を知っている。本当に必要だから行こうと判断したのだったら、きっとそれは正しいのだ。

けれど。

「そんな、外国に、たった一人で・・・危険じゃない」

「僕はもう強いですよ。姫様のおかげです」

知ってる。騎士団でも上級騎士に引けを取らないって。魔力付きなら、エイダンとだって互角に戦える。闇の魔力を使ったら、きっと無敵だ。

——私のアルロだもの、当然だわ。でも、だからって危険じゃないなんて言えない。

「アルロは・・・アルロが傷付いたら、誰が守ってくれるの?私が側にいないで、アルロを傷つける奴を、誰がやっつけるの?」

人の痛みにはすぐ気づくのに、自分のことになると体も心も無頓着で。

だから、マリーヴェルがアルロの傷には敏感になろうと思ってた。もうずっと前からそう決めていた。

「かすり傷だってたまらないのに」

「姫様・・・」

「私が勧めたせいで騎士の訓練を始めたけど、傷を作って来るから、もうやめましょうって言いたかった。でもアルロ、楽しそうにしてたから・・・止められなかったけど。それだって本当は、もうやめたらって言いたかったくらいなんだから」

やっぱり止めればよかった。戦争に行ってしまえるくらい強くなる必要なんてなかったのに。

アルロはマリーヴェルの手を引いた。そっとソファまで連れていかれて、座らせてくれる。

体が強張っていたのを初めて自覚する。

緊張が僅かに解けたマリーヴェルの前に、アルロは膝をついた。

「姫様、覚えてますか。僕が自分を傷つけていた時、それを癒してくれていたのを」

「私は・・・今よりもっと治癒も使えなかった」

薄皮さえ貼るのに苦労をして、無力感に毎日嫌気がさしていた思い出しかない。

アルロは綺麗な黒い瞳をすっと細めた。

「いいえ。姫様があの時僕を癒して下さったから、今の僕があるんです。僕の傷を見て、治癒師の先生は何度もやめろって言いました。でもあの時の僕は、自分を傷つけることで、心を保っていた。あの時、姫様が止めたら、僕はやめたと思います。でも代わりに、壊れてしまっていたと思います」

抑圧された感情から、瘴気を出していたかもしれない。そうでなくても、自ら命を絶っていたかもしれない。

あの時のアルロの傷は体ではなく、心にあった。そっちの方が深刻だという事にマリーヴェルは気づいていた。

マリーヴェルと繋いだままのアルロの手が、ぎゅっと力を込めた。

「姫様は素晴らしい方です。本質を見抜く眼をお持ちです」

マリーヴェルはきゅっと唇を噛んだ。

「初めてお会いした時から。姫様は僕に、光をくれました。覚えてらっしゃいますか?姫様は初めて会った時、僕の目を見て、綺麗だって言ってくださったんです。宝石みたいだって。僕はもう、驚いてしまって。今まで忌まわしい以外に言われたことがなくて、人に見せないようにしていたこの目が、宝石だなんて」

「そんなの、私の方が・・・だってアルロは、いつも私をお姫様にしてくれた。ずっと真正面から私に向き合ってくれてた」

「はい。姫様からは、目が離せませんでした。美しくて、輝いていて、眩しくて・・・それなのにそんな姫様自身が、僕を必要だと言って下さったから。恐れ多いのに、嬉しくて。生まれてきてよかったと思えたのも、もっと生きたいと思ったのも、姫様に教えていただいた感情です」

「アルロこそ、私が魔力なしの落ちこぼれだって言われても、アルロが私の事、そうやって、素晴らしいって言ってくれるから。それに私がどれほど救われたか」

学園での弱音を吐けたのも、アルロにだけだった。

「——僕が闇に堕ちた時も、救ってくれたのは姫様です。きっとどれほど遠くにいても、姫様の声は聞こえると思います。僕には特別な声ですから」

アルロはマリーヴェルの手を少しだけ持ち上げた。そこに、そっと自らの唇を寄せる。

手の甲へのキスは、敬愛、尊敬——。

「マリーヴェル様」

アルロはゆっくりと唇を離し、じっとマリーヴェルを見つめた。

「お慕いしています。心から、愛しています」

驚きに息が詰まった。マリーヴェルは叫びそうになって、けれど声にならなかった。

アルロが、私を、愛している——?

何度も夢見たその言葉が、想像してたよりものすごい破壊力で襲いかかって来る。

嬉しくてたまらない。まさか、と思う。同時にこんな時こんな形で聞くことになるなんて、と心が押しつぶされそうだった。

こんな時に泣きたくないのに、涙が溢れて止まらなかった。この涙はいつも、マリーヴェルの意思に反して次から次へと流れていく。

アルロが空いている方の手を伸ばして、マリーヴェルの涙をそっと拭った。この手は、いつも優しい。

「——泣かせたくなかったのに。申し訳ありません」

「ちが・・・ち、が・・・」

この涙は違う。そう言いたいのに、それも言葉にはならなかった。

「お側でお守りする方をお望みでしたら、僕は行きません」

アルロはきっぱりと言った。

「謙虚であり、誠実であり、礼儀を守り、貴方を守る盾となり、忠節を尽くすことを誓います」

あの時のように。あの時より、少し近い距離で。

「僕は姫様をお守りするためにいます」

「行くことが、どうして守ることになるの・・・?」

「最終決戦で情勢が覆ることのないように。この戦争を確実に最短で終わらせて、シャーン国を滅亡させ、ヘルムトさんにブラントネル王国の初代国王になっていただきます。それがこの先何十年の平和につながる」

束縛されない、自由な世界をマリーヴェルに。アルロがシャーン国に行けば、きっとそれを叶えられる。

アルロの強い意志の宿った瞳を見ると、マリーヴェルは金縛りにあったように、身動きが取れなかった。いろんな感情が入り混じって何を言っていいのか分からない。

でも、いつでもマリーヴェルはアルロを見てきた。誰よりも、ずっと見てきた。アルロがマリーヴェルの幸せのために動くことが、アルロ自身の幸せなのだという事までわかる。

アルロが一歩を踏み出したとしたら、その背中を押すのはいつも自分でありたかった。

「アルロ・・・わたし、私ね」

マリーヴェルはまたポロポロと涙があふれた。

変な声になっても、顔もぐちゃぐちゃだけど。どうしても言いたかった。

アルロはじっと待ってくれていた。

「アルロが、好き」

声がひきつるようだったけど、必死で絞り出した。

「もうずっと前から。愛しているの。負担に、なるって、言えなかった・・・アルロ。私もアルロのためなら、何だってできるわ」

「では、僕と同じですね」

アルロは嬉しそうに笑っていたが、その声は掠れていたように思う。

「必ず帰ってきます。僕が姫様を心配してるように、姫様も僕の事を心配されていると思うので」

「すぐ帰って来てね。少しの傷もつくっちゃだめよ?」

「承知いたしました」

「もう一回、言ってくれる・・・?」

アルロはマリーヴェルの涙をまたぬぐい、にっこりと微笑んだ。何を言われているのかすぐに察した。

「マリーヴェル様。愛しています」

アルロの声は、いつもと同じ、柔らかくて深く心に染み込んでいく。

涙をぬぐってくれた手の平に、マリーヴェルは頬を寄せた。アルロの手は今日も温かかった。