軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

16

「ではおかあさま、おべんきょうに行ってきます!」

「ええ、いってらっしゃい」

試着室の一件の後、妖精学の授業のあるフレンと別れてエメリアはその小さな背中を見送った。

廊下で一人息を吐く。結局仕立て屋に泣きつかれて、一着だけ揃いのものを注文するはめになった。

後は揃いにならないように母娘二着ずつお願いしている。

それにしても頭が痛い。

――対応に、すごく困る。

ギルフォードがフレンを大事にしてくれるのは嬉しいが、彼とは適度な距離を保たねばならない。

イヴァンが国へ戻り、夜一緒に寝ることはなくなって、元通りと思っていたのに……。

「……っ」

窓から入る日差しに、エメリアは眩暈がして壁に手をついた。

着替えの楽しさにはしゃいでしまったからだろうか。一瞬のことなのに、わずかに不安が顔を出す。

原作のエメリアが死ぬ時期は近づいているが、自分はいたって健康なはずだ。

少なくとも心は何も問題はない。

ない、はず。

「――エメリア」

そこで、声をかけられて顔を上げた。

うす暗い廊下の先から現れたのは、黒い杖を持ち、白い髭を蓄えた男性だ。

にこにこと朗らかに微笑む好好爺の顔を見てエメリアは目を見開いた。

「……お父様……――いえ、エヴァン卿」

エヴァン公爵。

エメリアが王宮を出て……いや、皇妃になったエメリアがギルフォードに見向きもされていないことを知って以来、姿を見ていなかった父その人。

「エメリア、元気にしていたか」

「ええ、エヴァン卿もお変わりなさそうで」

お互い笑顔で言葉を交わすが、親しさはない。

彼からは三年前、離縁状を叩きつけられている。

「責務を勝手に放り出すような者は、エヴァン公爵家の者ではない」という宣言とともに。

フレンを王宮から離して一人で育てようとしていたエメリアとしても、そちらの方が都合がよかった。

誤算は、ギルフォードがエメリアたちを連れ戻したこと。父にとってもそれは予想外だったはずだ。

――それにしても、王宮に戻ってから今まで会わなかったのが不思議だわ。……いえ。

そう思って考え直す。

彼のことだから、ギルフォードの出方を見定めていたのだろう。そして『父』として接しても問題ないと判断して声をかけた。

出世欲が強く、自分以外は駒としてしか見ておらず、誰も信用していない。その心をにこにこと笑う仮面の下に隠している。

エヴァン公爵はそんな人物だ。

「心配していたのだぞ、陛下が探してくださったからよかったようなものを……」

大きくため息をついた父は、次いで満足そうに顎髭を撫でた。

「……まぁ、おかげで皇帝の執着を引き出せたか。お前もなかなかの策士だな」

ピクリと手が動くが、エメリアは努めて笑顔を続けた。父と同じように。

「お話はそれだけかしら。忙しいので失礼します」

今さら彼と話すことはない。踵を返したところで、声が飛んできた。

「たかが妖精の愛し子を産んだだけで満足しているわけではあるまいな。子どもなぞいつ死ぬかわからん。早く皇帝の情けを受けて、あと三人は子を産むのだぞ。男子ならなおいい」

その瞬間、エメリアは立ち止まった。

振り返って父の顔を冷ややかに見る。

「……――今、なんと?」

ピンと空気が張り詰める。

父が眉を下げた。

「なにか気に障ったかい」

「フレンはすでに皇太子の座にいます。その上で子をなせというのはどういう意味でしょう?」

「おいおい、育ててやった恩を忘れて、親に口答えするつもりではないだろうな」

「王妃になった時点で、その恩はお返ししたはずです」

夫(ギルフォード) に望まれない花嫁となったときに。

彼は国母の父の称号を得た。それ以上何が必要なのか。

「私もフレンも、これ以上お父様の政治の道具になるつもりはありません」

エメリアは背筋を伸ばして、父をまっすぐに見た。

この不遜で、己以外の人間を道具としか見ていない彼が、愛する娘を侮辱した。――それだけは、許してはいけない。

「……いえ、離縁状をいただいている以上、親子でもないでしょう。皇族への無礼な言動、この場でしかるべき対処をしてもいいのですよ」

「――」

にこにこと笑っていたはずの父の表情がなくなる。

折檻される前の特徴だ。エメリアは途端に震えそうになる身体をその場に留めた。

「……っこの、馬鹿娘。いちから教育し直してやる!」

杖を持ち上げられる。予定通りだ。

――暴力沙汰を理由に、王宮から追い出してやる!

やがてくる痛みを覚悟して身を硬くする。

そこで黒い影が二つ、間に入った。

執務室で仕事をしていたギルフォードは、外交官の言葉に目を見開いた。

「同盟国から申し入れが……?」

「はい。イヴァン殿下が、我が国に、改めて長期留学したいとの内容です」

その言葉に少し考える。

先日、同盟国の特使、そして未来の国王として見分を広げるために使節団とともにやってきた少年の姿を思い出す。

そしてその座に相応しい素質も見せていった。

熱心に剣を学び、寝室で妻子とともに寝たことも記憶に新しい。

「……長期というのはどのくらいだ」

「あちらとの交渉次第ですが、少なくとも二年ほどでしょうか」

「二年……」

隣国の国王はギルフォードより年上だが、まだ健在だ。

女癖が悪いのが玉に瑕だと聞いている。ギルフォードの父と同じく、イヴァンの他にも幾人も王子はいるとも。

下手に手を出すと、万が一後継者争いが起こったときに巻き込まれかねない。しかし……。

――今のうちにイヴァン殿下を取り込めば、彼が王になったときに何かと都合がいい。

そう冷静な頭が呟く。

ひいては次期国王であるフレンの益にもなりえる。

それに、彼がまた来るのであればエメリアは彼に構うだろう。

――そうなれば、俺がエメリアたちと寝室を共にしてもおかしいことはない。

「……ん、ごほっ」

自分の考えが急に気恥ずかしく、ギルフォードは咳払いをした。

「陛下? や、やはり、お耳に入れるのもバカバカしい話でしたでしょうか」

外交官の言葉に我に返る。

深く思考していたのを、怒っていると勘違いしたらしい。

「すぐにお断りの返事を」

「いや、少し検討しよう」

――なにより、エメリアの意見を聞きたい。

そう自然に思った自分に驚く。

エメリアの姿を探して、廊下を歩いていると男女の声が聞こえてきた。

声だけで誰が話しているのかわかる。

エメリアとその父のエヴァン公爵だ。背筋を伸ばしたエメリアが父親と対峙していた。

「私もフレンも、これ以上お父様の政治の道具になるつもりはありません。……いえ、離縁状をいただいている以上、親子でもないでしょう。皇族への無礼な言動、この場でしかるべき対処をしてもいいのですよ」

そうエメリアが宣言した途端、公爵が持っていた杖を振り上げた。

黒く光るそれはかなり硬い材質でできているのが伝わってくる。

「……っこの、馬鹿娘。いちから教育し直してやる!」

咄嗟にギルフォードは駆け寄り、二人の間に入る。次いで小さな黒い影が、公爵の持っている杖にぶつかった。

次の瞬間、腕に鈍い痛みが走った。