作品タイトル不明
第65話 「あら、カイ。随分と重そうね」
ワイン工房に戻ってきたカイは、事務室の方に声をかけてから地下の醸造室へと下りた。
事務室では、ベルントが大きな体を小さくして、ジモーネから何かを教わっていた。
多分、先ほど言っていた予算のことなどだろう。
本職が職人とはいえ、工房長なら全体のことを知っておくことも大切だ。
カイは、修理屋としてつけているメモ程度の収支一覧のことを思い出し、後できちんと書き直そうと決意した。
階段を降りてひんやりした空気の中、カイは持っていた箱を下ろした。
ちょうどファイトが醸造室の中にあった細かい物を端にまとめたところらしく、こちらを振り向いた。
「戻りました」
「ああ、おかえり。じゃあ、木材を取りに行こうか」
ファイトが、袖をまくった逞しい腕をくるりと回して言った。
「はい、お願いします。二人なら、三往復もすれば充分だと思います」
倉庫はここから歩いて五分ほどの場所にある。
カイ一人なら、六往復以上しないといけないところだった。
倉庫へ向かいながら、ファイトは尻尾をふさりと動かした。
「それにしても、修理屋ってのはすごいな。桶を作ることもできるんだな」
感心したように言うので、カイは頬を緩めた。
「ありがとうございます。でも、一から作ることはできないんですよ。故障を直せるスキルなので」
「ああ、桶は大幅な作り直しなんだね」
ファイトは納得したようにうなずいた。
「はい。部品が多いと魔力をたくさん使うので、今日は桶の修理だけで終わりになるかもしれません」
桶の木部は全部入れ替えたほうが良さそうなので、そうなると扱う部品数が思ったよりも多い。
そもそもが大きいうえに、ブドウを絞るための圧力に耐えるよう、たくさんのパーツを組み合わせて頑丈に作られているのだ。
「今日明日ってわけじゃないから、そんなに急がなくていいよ。もし絞り機を一つ入れ替えてたら、今期は間に合わなくて生産量を減らさないといけないところだったかも。だから、間に合うように修理してもらえるだけで充分だよ」
ファイトは、にこりと笑った。
「そう言っていただけると助かります」
話しながら歩くと、すぐに倉庫に着いた。
大きな倉庫には、たくさんの木材が積んである。
ファイトは、中に入ってすぐに左に曲がり、一番奥まで進んでいった。
「あった。これがうちの工房で確保してる分だよ」
そこには、工房のマークをつけて区切られた場所があった。
周りに置いてあるものとは少し色味の違う細長い板が、いくつも積み上がっている。
「オークですね。これ、もしかして桶のサイズに切ってありますか?」
仕入れるときに注文していたのだろうか、長さがほぼ桶の高さと同じである。
「うん、だいたいそれくらいに切ってあるみたい。何枚くらいいるかな」
板の幅はおおよそ二十センチというところだろう。
「少し待ってくださいね。えっと、確か桶のサイズは直径二メートルくらいだったから……。三十じゃあちょっと足りないから、三十五枚くらい持って行きたいです」
「わかった。じゃあまず、持てるだけ持ってみるか」
「はい」
板を積みながら重さを確認し、紐でくくった枚数は、ファイトが十二枚、カイが五枚である。
「え、大丈夫ですか?」
「よい、せっ!ふぅ。ほら、肩に乗せれば大丈夫だ」
ひょいっと板を肩に乗せたファイトは、むっきりとした腕で落ちないように支えながら言った。
長さが二メートル半くらいある板なので、下手に近づけない。
「無理はしないでくださいね。僕は後ろからついて行くので、先に行ってください」
「わかった。カイも、気を付けて」
「はい」
この大きさの板の塊など、ほとんど武器である。
だから、カイとしては十分すぎるほどに気を付けるつもりだ。
ファイトがすたすたと倉庫を出るのを見てから、カイは腕まくりをしてなんとか板を担いだ。
それだけで、汗がぽたりと落ちた。
「よ、おっと。三十キロはないくらいかな……。重さはともかく、長すぎて怖い」
ちょっと振り返れば、近くに来た人をポコポコ叩き飛ばせそうである。
「……気を付けよう」
首だけでうなずいたカイは、ゆっくりと足を進めた。
気分はのっしのっしと、ワイン工房に向かって歩いていると、声をかけられた。
「あら、カイ。随分と重そうね」
「こんにちは、イーリスさん」
竿を持ち、蓋が閉まり切っていない籠を肩から下げたイーリスが川の方から歩いてくるところだった。
つばの広い帽子が涼しそうである。
カイは思わず、首に下げた布で汗をぬぐった。
「今日も修理なの?」
方向が同じなので、イーリスが隣に並ぶのを待ってからカイは足を動かした。
「はい。今日はワイン工房なんです」
「まあまあ。それは大事なお仕事ね。あたしもよく仕分けを手伝うのよ。ジュース工房もブドウを使うから、収穫の時期はもうこっちの広場まで使って村の人たちは総出になるわ」
ニコニコと言ったイーリスは、ワイン工房の方向にある広場を見た。
ジュース工房は、ブドウだけではなく森で採れる果物や、ブドウ以外の果物でもジュースを作るほか、ジャムやドライフルーツを作っている。
ジュースと言っているが、実際には食品製造工房と言った方がいいのかもしれない。
「そういえば、もう釣りできるようになったんですね」
「ふふ、そうなのよ。久しぶりだから、ちょっと釣り過ぎちゃったわ。そうだ、仕事が終わったらうちに取りにいらっしゃいな。一匹焼いといてあげるから」
ひょい、と籠の蓋を開けてみせたイーリスは、楽しそうに言った。
「え?いえいえ、イーリスさんたちの夕飯ですよね」
遠慮しようとするカイの腕を、イーリスはペチリと軽く叩いた。
「いいからいいから。楽しくてたくさん釣って持って帰ってきたけど、よく考えなくても多すぎたのよ。このところ本当に暑いし、腐らせるよりは持って帰ってくれる方が良いわ」
地下室のある家なら、比較的涼しいところで食品を保存できるが、やはり冬場よりは暑いので傷みやすい。
「そう言ってもらえるなら、ご相伴に与っても良いですか?」
「もちろんよ」
カイの返事を聞いて、イーリスはニコニコとうなずいた。
「ありがとうございます。イーリスさん、釣りができて嬉しそうですね」
心なしかイーリスの歩みも軽く見えて、カイは思わずそう言った。
一歩ごとに(物理的に)重いカイとは大違いである。
「あら、わかるかしら。久しぶりでとっても楽しかったのよ。それに、可愛いコも見れてね」
目を細めたイーリスは、ちらりと川の方を振り返った。
「可愛い? 誰か一緒だったんですか?」
すぐに勘違いに気づいたイーリスが、首を横に振った。
「ああ、違うのよ、村の子じゃなくてね。動物の仔が川辺に来てたの。あたしが魚を釣ってるのをじっと見ててね。真似をしようとして尻尾を川につけてたわ」
入れ食い状態のイーリスを見て、自分にもできると思ったのだろうか。
小動物が恐る恐る尻尾を川につけている様子を想像して、カイも頬を緩めた。
「それは、可愛いでしょうね」
「ほんと、可愛かったのよ。あたしが釣ってるのを見て、自分の尻尾は全然釣れないのを見て、首をかしげてたの。随分かしこい仔だったわ」
それは可愛いに違いない。
「次も居ると良いですね」
「そうね。楽しみが増えたわ。じゃあ、仕事が終わったらうちに寄ってね。お皿ごと貸すから、お皿はまた今度返してくれたらいいわ」
籠の蓋を閉め、軽く肩にかけ直したイーリスが、曲がり角で足を自宅の方に向けた。
「ありがとうございます。終わったら伺いますね」
「ええ。お仕事頑張って」
「はい」
笑顔で、お辞儀はできないので軽く手を上げたカイは、ほっこりした気分でワイン工房に向かった。