作品タイトル不明
16-8 死の川を越えて 後編
“アリュ、右に三メートルほどずれて……”
グリィはアルに細かい指示を送る。熱湯が噴出してくる可能性のある穴の角度を計算してのことらしい。彼女の助言を参考にしながら、 魔法発見(ディテクトマジック) 呪文で反応のあった対象の存在に警戒しつつアルは徐々に高度を下げてゆき、亀裂や建物の近くにまで移動した。そこまで移動してきても 魔法発見(ディテクトマジック) 呪文で反応した生物らしきものは位置を変えていない。だが、亀裂からは白煙がもうもうと立ち上がっており、その姿は見えなかった。
「もし、僕の言葉が判るのなら、ゆっくりと出て来て……」
口ではそう言いながらも、 痙攣(スパズム) 呪文の準備はしておく。人間であればよいが、知恵のある蛮族や魔獣ならいきなり姿を見せて攻撃してくる可能性もある。 盾(シールド) 呪文も事前にかけているので、一撃ではやられない……はずだ。 魔法抵抗(マジックレジスト) 呪文を習得して自分に使っていれば、もっと安心だったのだが……。
じっと様子を見ていると、亀裂の中からぼんやりと 魔法感知(センスマジック) 呪文ですこし青白く光る何かがでてきた。ただ、身体は透明化しているようで、呪文の反応でしかその姿を見ることはできない。地面に這っている生き物だ。魔獣なのだろうか? それにしては、動きに敵意はなさそうだった。アルの言葉に反応したということはかなり知性が高いのだろう。
「見えているよ……姿を現して」
その魔獣のようなシルエットを持ったものは徐々に姿を現した。尻尾の先まで含めると体長はおよそ一メートル。ぬめりのある赤い胴体に黒い目、巨大なトカゲのような生物だ。頭の先から尻尾の先にまで伸びた背びれの先には炎が燃えている。炎をまとった赤いトカゲ……。
「まさか……サラマンダー?」
トカゲの形をした火の精霊、サラマンダーの存在はアルも吟遊詩人たちの物語の中で聞いたことがあった。精霊というのは魔獣とは異なり、自然の力が形をとったもの、自然そのものであり、自然を破壊しようとする者でなければ、その反応は中立、すなわち敵でも味方でもないという存在であった。そして、精霊の中でも有名なのは地水火風とよばれる四大精霊であり、その一つがこのサラマンダーである。
その大きな赤いトカゲに似た生物は口をゆがめて少し笑ったようだった。その様子に何故か愛嬌が感じられる。知性はあっても言葉を発することはできないのかもしれない。 念話(テレパシー) なら可能だろうか。
「念話を送っても良い?」
相手はかるく頷いたようだった。
『 念話(テレパシー) 』
相手が疑念を抱かないように、大きめに声を張って呪文を使う。もし、このトカゲに似た生物が本当に伝説の精霊、サラマンダーだとして、もし、アルが敵対的な存在であると疑念を抱かれ、戦う事になったとすれば、正面から戦って勝てる自信がアルには無かった。もちろん様々な攻撃のための呪文は憶えたが、相手は炎の中に入っても生きていることのできるという精霊なのだ。どこまで通用するのか全く分からないのである。さらに、この距離ではすぐにとびかかられてしまうだろう。ここは、友好的な態度で接するべきだとアルは考えたのだ。
“こんにちは。サラマンダー?”
“こんにちは、人間。わぁ、人間と話すのは久しぶりだ”
サラマンダーの念話での声はまるで子供のようだった。この個体がそうなのだろうか。それとも精霊サラマンダーはこういう雰囲気を持った生物なのだろうか。
“え、えっと、僕は冒険者のアル。君はこんなところで何を?”
アルが尋ねると、サラマンダーとおぼしき生物は、きょろきょろと周りを見ていた目をアルのほうに向けた。
“ボクはね、サラマンダーのサーリ。パパの帰りを待ってる。パパはね、人間の魔法使いでアイネスっていうんだ”
人間の魔法使いをパパと呼んでいる? よくわからないが、話を合わせたほうがよさそうだ。少なくともこの個体は人間には友好的であるようだ。
“そうなんだ。魔法使いのアイネスさんか、僕は会ったことないな。いつ頃出かけたの?”
サーリはちょこっと首を傾げた。
“うーん、三十年ぐらい前?”
三十年前、かなり昔の事である。おそらく、このあたりではシルヴェスター王国とテンペスト王国とがまだ戦争をしており、レイン辺境伯の領都も出来てまだ間もない位だろう。その頃、アルの祖父は辺境伯に魔法使いとして仕えていたはずである。
それほどの昔に出かけたまま帰ってこないというのは……帰ってくる可能性はかなり低いような気がする……もちろん、ゼロだと言い切れるわけではないのだが……。
“パパ帰って来ない?”
アルの表情を見て、何かを感じ取ったのか、サーリは顔をくしゃくしゃとゆがめた。
“出かけた後、五年ぐらいして、パパとの契約印がなくなったの……。契約印って、契約している相手が死んじゃったりするとなくなる。だから、もう帰ってこないかも……って、うすうす思ってた”
契約印? 精霊魔法というのをアルは聞いたことがあった。いつもアルが使っている呪文とは違い、なんらかの方法によって、精霊の力を利用して効果を得る魔法である。精霊さん、精霊さん、力を貸してと物語に出て来るアレだ。本当に実在したのか。
“アイネスっていう人と、サーリは契約をしてたんだね。どこに行くとか、どれぐらいで帰るとか言ってなかった?”
サーリは力なく首を振る。ずっと契約相手が帰ってくるのを待っていたのだろうか。アルはなんとなくこのサーリがかわいそうになって来た。
“わかったよ。ちょっと先になるけど、今度、知り合いに会った時には聞いてみる”
そのアイネスが力のある魔法使いなら、エリックが知っているかもしれない。
“ほんと? よろしくお願いします”
サーリはペコリペコリとなんども頭を下げる。
“ねぇ、サーリ。ここって、どういう所なの? そのアイネスって人はここでどうやって暮らしていたのかな?”
“ここはね、山の魂のすぐ上なの。この下、あの裂け目からは山の魂に繋がっているんだよ。パパはこの山の魂からあふれてきた水や空気が好きだって……”
“??”
不思議そうな表情を浮かべるアルに、サーリは、こっちに来てと言って、自分が出てきた裂け目の横にある岩を組み合わせて作った建物の中に入っていった。入口にはおそらく布らしいものがかけられていたようだが、それも長い年月の間に朽ちてしまっている。
“ここは山の魂からあふれてきた水に満ちているから、金属や布はすぐダメになるってパパはよく愚痴を言ってた。でも、そのおかげで、この水に浸かると肌に良いし、病気が全部治るんだって……”
建物の中には、ベッドらしいものもあったが、こちらもほとんど崩れてしまっており、あまり形を残していない。布がすぐにダメになるという話どおりなのだろう。しかし病気が全部治るというのは本当だろうか?
“そこの丸いのを押すと、そこのちいさな龍の頭をした石の彫刻の口のところから、あたたかい水が出るんだ。押すたびに出る水の量が増える。出た水はこの建物の横のところに溜まるから、パパはいつもそこで水に浸かってた。お腹が痛い時にはその水をカップに入れて、冷まして飲んでたよ”
アルが触れると、横にあった龍らしき彫刻の口からぴゅぅと湯が噴きだした。温度はかなり熱そうである。サーリは水といったが、サラマンダーにとって湯も水も大して差はないのだろう。調べないと判らないが、水が出る魔道具とよく似た物なのかもしれない。
“あとは、それはね、肉や野菜がおいしくなる籠”
テーブルの上に置かれたそれは直径三十センチほどの丸い籠で蓋が付いており、その蓋から、長いひものようなものが垂れ下がっていていた。サーリの説明によると、その籠に食材を入れ、熱湯が噴き出る穴に放り込むと美味しく食べれるようになる籠らしい。食材によって時間は違うのだというが、出来上がったら、手元に残した長い紐の端から手繰って籠を手元に引き寄せるだけのシンプルな調理器具らしい。籠そのものに、湯で劣化したりしないように保護の魔法がかかっているのだそうだ。サーリ自身は何かを食べないといけないわけではないのだが、アイネスが食べさせてくれたものは美味しかったらしい。
サーリの話を聞いていると、そのアイネスという魔法使いが、ここで美味しく料理をしてのんびり滞在するのを楽しんでいた雰囲気が伝わって来た。のんびりと温泉に浸かって、美味しい料理を食べる。それ自体は悪くない話だ。この近くであれば、鹿など狩の獲物が豊富なのはすでに確認済みである。
“へぇ、なるほどね。まぁ、ここなら誰も来なさそうだから安全そうだし、いいんじゃない? 一緒に暮らしていいか聞いてみたら?”
サーリに聞いた内容をグリィに伝えると、彼女もここでの生活は良いかもしれないという反応を返してきた。足元がぬかるんでおり、 飛行(フライ) 呪文などの移動手段がなければ、侵入は厳しいだろう。
“ねぇ、サーリ、僕はここでそのアイネスさんと同じように料理をしたりしても良いかな? あとは友達とかも呼びたい”
“うん、パパが戻ってきたら困るから、この建物とかはそのままにしておいて欲しいけど、それさえ守ってくれたら、アルやその友達が来るのは構わないよ。魔道具も使うだけならかまわない”
そう返したサーリの口元はすこし口角が上がったように見えた。嬉しがっているようにアルには思えた。そして、アルにはもう一つ気になる事があった。
“ねぇ、サーリ、もう一つ相談があるんだけど……。僕にも精霊魔法って使えるかな?”