作品タイトル不明
13-16 タバサ男爵夫人
以前、タバサ男爵夫人についてパトリシアに尋ねると、母親のような人と言っていた。幼い頃から行儀作法を指導するというので身近についてくれていた人で、王弟殿下の第一夫人であった母親は様々な事で忙しく、実際の所、パトリシアは彼女に育てられたようなものだったらしい。
どういう展開になるかわからないので、アルはクリスの後ろを歩きながら服の隠しポケットから 契(ちぎ) りの指輪を取り出して指にはめ、パトリシアと念話をつないで、これから彼女に会うことになったと連絡しておく。さらに、彼女が偽物という可能性も考えてそれを感知するための 魔法感知(センスマジック) 呪文と、 知覚強化(センソリーブースト) 呪文をこっそり自分に使っておく。 盾(シールド) 呪文までは要らないだろう。
「こちらです」
クリスはレビ商会の屋敷のなかでも一番端の部屋の前に立つとドアをノックした。直ぐに部屋の中からハイとまだ少し少女のような声で 応(いら) えがある。
「アル様をお連れしました」
扉が少しだけ開いた。顔を出したのは十才前後の少女であった。おそらくタバサ男爵夫人の面倒をみているというドリスという子だろう。アルの顔を見て軽く頷き、扉をアルの通れそうな分だけ開く。
「どうぞ、アル様だけお入りください」
アルはクリスの顔をちらりとみた。彼女も特に驚いたりした様子はなく軽く頷く。いつもの事ということだろうか。アルはするりと細くしか開いていない扉の隙間に身体を滑り込ませるようにして中に入った。部屋は四メートル四方ほどで、客を迎えるようにソファなどが置かれた部屋であった。だが中には誰も居ない。扉がいくつかあるので、奥の寝室か、従者用の部屋にでも居るのだろう。ドリスはすぐにとびらを閉め、さらにカギをかちゃりとかける。
「申し訳ありません。ここに逃げて来るまでにいろいろとありまして……。武器などはここに置いていただけますか?」
用心深いというより少し病的な感じである。どれほどの事があったのだろうか。魔法使いであるアルにとっては武器などは大した事ではないので一応従う事にした。ベルトに付けたナイフを外して、少女が指したテーブルに置く。
「タバサ夫人はすぐに来られますが、少しその前にお話を聞かせていただきたいのです。こちらにどうぞ」
そう言ってドリスはアルにソファの一つを勧めた。
十才前後とは思えないほどの口ぶりである。何か意図があるのか。今の所、 魔法感知(センスマジック) 呪文に反応して光るものはなかった。アルはとりあえずドリスのいう通りにしてみる事にする。
「わかりました。何でしょう」
ソファに座ったアルはそう尋ねる。
「アル様の手紙には、辺境都市レスターでパトリシア様と交流があり、一緒に渡したハンカチがその証である。話をしたいと書かれてありました。確かにあのハンカチの刺繍はパトリシア様のものでしょう。ですが、もしそうだとしても、アル様の目的は何ですか? 礼金等と言われても、私たちにはお渡しできるものは何もありません」
ドリスの言葉に、アルは苦笑を浮かべた。アルがナレシュの友人である事を知らないのだろうか。ナレシュが保護した相手に礼金を求める訳がないだろう。
「何を笑っているのですか?」
ドリスはすこし苛ついたような顔をした。
「ごめんなさい。笑っているんじゃないんです。大丈夫です。落ちついて僕の話を聞いてもらえませんか」
そう言いつつ、アルはソファに手を置いた。手のひらで感じる振動からすると近くに居るのは、左の扉のすぐ裏に立っている一人だけだった。タバサ男爵夫人なのだろう。クリスについては、アルを案内した後、すぐに立ち去ったのを足音で確認している。見える範囲に魔道具はないし、立ち聞きしているような者は他に居ない。
「パトリシア様からの伝言です。タビーママには申し訳ない事をした。恨まれても仕方ないと思っている。でも、もう一度会いたい。会って謝りたい……だそうです」
アルがそう言うと、ドリスは眼を見開いた。
「それは……パトリシア様のせいではありません。誰もパトリシア様の事を恨んでなんて……」
ドリスがそう言っている途中でアルが入って来た扉とは反対側にある二つの扉のうち、左の扉が急にバタンと開いた。すぐ裏に人が立っているような感じがしたほうだ。そこから落ち着いた紺色のドレスを身に付けて、かなり痩せた女性が出てきた。髪が隠れるようなフードを被っていて、すこし目が虚ろな感じがした。彼女は足をすこし引きずりながらアルに近寄って来た。
「タビーママ……謝りたい……? もしかして、パトリシア様は生きて?」
実はタビーママというのは、タバサの愛称であるタビーと 母親(ママ) というのを繋げてパトリシアが作った言葉だった。幼い頃しか使っていなかった言葉なので、それを知っているのは、古くから仕えていた者だけだとパトリシアは言っていた。そして、その言葉にこのような反応するということは、やはりこの女性はタバサ男爵夫人だろうか。しかし、二十代だと聞いていたが、もっと上の年に見える。その様子からすると、体力をかなり落としているようだ。そして、彼女がパトリシアの事を思っているのは間違いなさそうだ。
「タバサ様! あれほど、ここには出てこないでくださいとお願いしておりましたのに」
ドリスが慌てて駆け寄る。タバサ男爵夫人にも魔法がかかっている様子はなかった。タビーママというワードにも反応している。本人で間違いはなさそうだ。これ以上疑っていても話は進まない。
「タバサ男爵夫人、そしてドリスさん、パトリシア様は生きておられます。そして、御二人にすぐにでも会いたいと……」
「ああ……」
タバサ男爵夫人はアルの言葉を聞いて全身の力が抜けたようすで、その場に座り込みそうになり、ドリスが懸命にそれを支える。
“パトリシア。本人で間違いないと思う。そして、かなり弱ってるみたい。君が言ったみたいにそちらに転移して直接話をしたほうが良いと思う。そのあと、こちらに戻ってもらうかどうかはみんなで相談しよう。厳しい話になるかもしれないけど、それで良いかな?”
“もちろんそれで良いわ”
彼女の夫はセネット伯爵の領都防衛戦で命を落とし、彼女自身も危うく死んでしまうような目にあった。だが、パトリシア自身はそれに対して今まで何もせず、自分の身を守るためにテンペストの研究塔で隠れているままの状態である。彼女から責められても仕方ない立場と言える。だが、パトリシアは良いときっぱり答えた。
「タバサ男爵夫人、そしてドリスさん……よく聞いてください。これは転移の魔道具です。転移先にはパトリシア様とジョアンナさんが居ます。ただし一人ずつしか転移はできないので順番に使ってもらう必要があります。転移先では彼女たちの指示に従って欲しいのです」
アルはそう言って楕円形をした転移の魔道具を取り出して、彼女たちにみせる。
「転移の魔道具?! そのようなものが……」
ドリスは疑い深そうにそう呟く。だが、タバサ男爵夫人の視線はそれではなく、アルの手に注がれていた。虚ろであった目が力をとりもどしてゆく。
「その指輪は…… 契(ちぎ) りの指輪……。アル様はもしかして?」
そうか、この指輪はセネット伯爵領に住む貴族には有名な魔道具だった。そして、この指輪を身につけているということはペアとなる相手がいないと活用できない事も知られているのだろう
「パトリシア様とは、今も念話で会話をしています」
どう答えようかと迷ったアルは、辛うじてそう答える。タバサ男爵夫人は驚いたような顔をしてアルをじっと見る。
「わかりました。そうだったのですね。あのパトリシアが……。では、私から」
ドリスが慌てて自分からと言い出したが、タバサ男爵夫人の決意は固いようだった。アルに使い方を聞き、魔道具を手に持って、そのボタンを押す。タバサ男爵夫人の姿が徐々に消えてゆく。ドリスはその様子を驚きの表情と共にじっとみつめていた。
“タバサ男爵夫人がそちらに転移していったよ”
“はい。タビーママの姿が見え始めました。ああ、こんなに窶れて……。えっ? 髪が?”
パトリシアの念話からすると、タバサ男爵夫人の外見にはかなりショックを受けている様子だった。
しばらくすると、樽のような形をしたものがアルとドリスの待つ部屋に戻って来た。樽からはおもちゃのようなちいさな手が突き出ていて、転移の魔道具を握っている。元々、転移の魔道具とセットで保管されていた転移先が問題ないのか確認するためのゴーレムだ。以前、マラキにはこのゴーレムを利用して、人が運ばずとも転移の魔道具を転移させる準備をお願いしていたのだ。ゴーレムなら生物ではなく物体であるので、人が転移する際に物体として持ち運びもできる。それを利用すれば、一人ずつ順番にではあるが、転移が可能であった。
「ドリスさん、この樽を抱えて、魔道具をつかってもらう事は出来ます? 無理なら僕が一旦運びますけど……」
このゴーレムのサイズは高さ八十センチで、直径五十センチほど、重さは二キロ程だ。少女には大きい気もするので、無理ならアルが先に一往復して運んでも良いのだが……。
「はい、すぐにタバサ様を追わせていただきます」
ドリスは、そう言ってアルから転移の魔道具を受け取る。そして樽型のゴーレムを抱えると、ボタンを押した。こちらも徐々に消えていく。
“タバサ男爵夫人の身の回りを世話しているドリスさんって女の子もそちらに”
“はい。アル様”
完全にドリスの姿が消えた。だが、しばらく待っても、帰ってくるはずの樽型のゴーレムが一向に姿を現さない。
“パトリシア。どうしたの?”
アルが待ちきれずに念話を送る。
“ごめんなさい。アル様。タビーママがアル様抜きで相談したいことがあるらしいのです。少しの間、そちらで待っていていただけますか?”
何を話すというのだろう。パトリシアが自分からは話しにくいだろうと、アルも一緒に話をするつもりだったのだが、彼女だけでよいのだろうか。
“大丈夫なのかい? タバサ男爵夫人が誰かに騙されている可能性もあるので、そうするなら必ずジョアンナさんも一緒に。それと、合図があるまでそちらには転移しないから、転移の魔道具はこっちに送っておいてもらえないかな。もし何かあったらすぐに呼んでね”
“少し話をしましたけど、アル様が心配されるような事は何も……大丈夫です。わかりましたが……もう少し……”
仕方なく、アルがしばらく待っていると、転移をしてきたのはゴーレムではなく、ドリスだった。
「戻りました、アル様……。何と不思議な……。申し訳ありません。驚くことばかりで……。パトリシア様とタバサ男爵夫人が話をされているのですが、まだ時間が欲しいと仰られています。おそらく夕食の時間になるだろうというので、私だけが戻されました。とりあえず、これはお返しします」
ドリスからアルは転移の魔道具を受け取る。大丈夫……なのだろう。向こうにはジョアンナも居るし、タバサ男爵夫人だけなら何も悪い事は出来ないだろう。心配しすぎなのかもしれない。それならば、彼女たちの言う事を信じても良い気もする。しばらく会えなかったが親子のようなものなのだ。話す事もたくさんあるのだろう。
“パトリシア。しばらくそちらでタバサ男爵夫人と話をしているのかい?”
“はい。少し塔を案内して……アル様の事を……”
“アルの事をきっとタバサ男爵夫人に説明しているのよ。アルが自分の恋人としてふさわしいって”
グリィの一言でアルははっとした。そうか、パトリシアは、母親代わりでもあったタバサ男爵夫人に、アルの事を認めさせようとしてくれているのか。今回、アルはタバサ男爵夫人……というより、セネット伯爵領から逃れてきた人たちに対するパトリシアの罪悪感と彼女を狙うヴェール卿の影ばかり気にして、そちらのほうには全く頭が回っていなかった。
パトリシアについてきて欲しいと辺境都市レスターから連れ出した事を彼女の肉親にも等しい人に何か言うべきだったのかもしれない。タバサ男爵夫人は 契(ちぎ) りの指輪を身に付けているアルを見て、二人の関係を察したのだろう。しかし、それなら、どうして同席させてくれないのだろう。母娘でいろいろと先に話をしたいということなのだろうか。
色々と頭の中に考えは巡るが、今はパトリシアに任せるしかないのだろう。
「わかった。じゃぁ、ドリスさんはタバサ男爵夫人がここにまだ居るかのように偽装してくれるってことかな」
アルの問いにドリスは頷く。ではと、アルはパトリシアからの念話での連絡があった時の為に、彼女とノックするときの符丁を決めた。今日はおそらく夜になって男性であるアルがこの部屋を訪れる事は出来ないだろう。明日の朝にでもまた来ます。そうドリスには説明し、アルは部屋を立ち去ることにしたのだった。