作品タイトル不明
10-10 追跡者ヴェール
アルが懸念していたテンペスト王国からの追っ手が姿を見せたのは翌々日の昼前であった。アルたちが丁度拠点にしている古代遺跡の出入口近くで、細い木の根だか枝だかを束ねて、筏を作る作業をしている途中の事であった。
「パトリシア、ジョアンナさん、作業は中止だ。ボートが近づいてきた」
「ボート? どこに??」
アルの声に、二人はロープから手を放し、顔を上げた。外を見るが、二人にはまだ何も見えない。アルが指さす先をじっとみていると、しばらくして木々の間にすこし動いているものがようやく見えた。
「帆は無くて、大型の手漕ぎボートだよ。三隻だね。どれも十人乗ってる」
「三十人か。結構いるな」
ジョアンナの声にアルも頷いた。アルの予想では、先に来るのは 浮遊眼(フローティングアイ) の眼であった。それを見つけたタイミングで逃げようかとも思っていたのだが、いきなりこれだけの人数で来るのは少し予想外だった。もしかしたら、偵察に来ていた敵方の 浮遊眼(フローティングアイ) の眼を見落としたのかもしれない。三隻のボートのうち、二隻には 壱(アン) と呼ばれていた男が率いる四人組が二人ずつと櫂を持った男たちが八人ずつ乗っている。そして、一番後ろのボートには、商人のスノーデンと名乗っていた魔法使いの他に杖をもち黒いローブを着た三人の男女と櫂を持った男たち六人が乗っていた。
「これは、たぶんすぐに逃げ出すことになるかな。とりあえず打ち合わせ通りで」
アルの言葉にジョアンナとパトリシアは頷く。アルは目立つ自らの髪を外套の襟をたてて隠し、既に束ねていた分の木をつぎつぎと水の中に放り込んで、残りはマジックバッグに収納した。他の荷物などは、既にいつでも逃げ出せる様に整理済みだ。
ボートは徐々に近づいてきたが、三隻ともアルたちの居る古代遺跡から三百メートル程のところに並んで停止した。その間にアルはいつでも飛び立てるように 飛行(フライ) 呪文と 運搬(キャリアー) 呪文を唱えて出入口のところに用意した石壁の陰に隠れる。その内側でパトリシアを庇うようにジョアンナは位置取りをした。
「どうするつもりなんだろう? こっちの事は判っているのかな?」
三人が顔を見合わせていると、スノーデンと名乗っていた魔法使いがふわりとボートの上に浮かび上がった。そして、他の黒いローブを着た男から何かを受け取ると、それを口元にあてた。
「パトリシア姫、そこに居るのはわかっておる。儂はプレンティス侯爵家に仕える大魔導士ヴェール。抵抗は諦めて投降されよ。無碍には扱わぬ」
ヴェールは本名だったらしい。彼が口元にあてていたのは、声を大きくする魔道具か何かのようだった。低くしわがれた声が沼の上で大きく響く。その声にアルたちはすこし緊張をした面持ちでその姿をじっと見つめた。プレンティス侯爵家というのは、テンペスト王国で代々宰相を務め、今回王家に反旗を翻した貴族である。大魔導士というのはどういう立場なのかわからないが、堂々と名乗るというのはある程度の立場なのだろう。
「テンペスト王国の上位貴族家では大なり小なり、魔法使いによって構成される騎士団と同じような魔導士団とよばれる組織がある。騎士団長に相当するのが魔導士団長、その下で部隊を率いるのが大魔導士とよばれる腕の立つ魔法使いだ。尚、プレンティス侯爵家の魔導士団は特に規模が大きく、三百人を超える魔導士を抱えていると言われている」
ジョアンナはアルに早口でそう説明をしてくれた。テンペストでは魔法使いの長が騎士団長に比肩する立場を持ち、騎士に相当するものとして魔導士という爵位があるのか。それほど魔法使いが重用されているということなのだろう。しかし、その隊長クラスが潜入工作とは……。
「何を黙っているのだ。そこに王国騎士団のジョアンナ・クウェンネルも居るのだろう? さすが、王国騎士団の中でも選抜された騎士だ。姫の護衛を勤めてセネット伯爵領を脱出し、さらにこのような辺境をここまで逃げ延びてきたことは賞賛に値する。だが、騎士ならば状況も判っているだろう。もう逃げるすべはない。諦めて姫を説得せよ」
ヴェール卿がさらにそう言ってきた。
「どう答える? それとももう逃げるか?」
ジョアンナが小さい声でアルに尋ねた。アルは小さく首を振り、にやりと笑うと好きに煽ってくださいと囁いた。ジョアンナはすこし面白そうに微笑むと頷いた。
「反逆者プレンティスの犬が都合のいい事をほざくな。それほど自信があるのなら捕まえてみよ。それとも女騎士を見て震えあがったのか? それならば、さっさと帰って母親の陰に隠れるがよい」
拡声の魔道具がなくても、ジョアンナの声はヴェール卿の声以上に沼に響き渡った。その横でアルは自分と二人に 盾(シールド) 呪文を順番に唱えてゆく。
「なにを……! 良い、姫も女騎士も生死は問わぬ。ここに首をもってこい!!」
激高した様子でヴェール卿が叫ぶ。その声に彼の左右のボートがすすみ始めた。それぞれのボートの先頭に居る男たちは金属製の盾を構えた。矢や 魔法の矢(マジックミサイル) に対する対策なのだろう。それに合わせるようにヴェールが乗っていたボートから魔法使いが二人空に浮かび上がった。
「ずっと用心深くしていたと聞いていたが、この程度の言葉に乗せられるとは」
ジョアンナが呆れた様子で呟く。だが、アルにはどうせこの局面では力攻めしか選択はなく、元々そのつもりだったのではないかという気がした。アルの事までは把握していないのだろう。
「いい感じです。お二人は、打合せ通りに僕の 運搬(キャリアー) に乗ってください」
アルはそう言って一足先に古代遺跡の入口である壊れかけたバルコニーの石造りの手すりらしいものを乗り越えて下に落としておいた木の上に飛び降りた。いつも椅子の形につくっている 運搬(キャリアー) 呪文の円盤は二人を受け止められるように巨大なうつわの形にしてある。
「逃げるつもりだ。急げ! 魔法使いは魔法を放て」
二隻のボートが速度を上げた。魔法使いもその少し上に浮かんで同じように進んできている。ヴェール卿の乗るボートもその少し後を進んでいた。まだ距離は百メートル以上離れている。
『 魔力制御(マジックパワーコントロール) 』
二人が飛び降りてきて 運搬(キャリアー) 呪文の円盤に乗ったのを確認して、すでにいくつか束ねて準備済みの木を組み込んで筏っぽくしながら、速度が出ても落ちないように椅子の形を変える。追っ手のボートがアルたちから三十メートル以内の距離に近づこうとしていた。
『 魔法の矢(マジックミサイル) 』
前を進むボートの上空の魔法使い二人の手から青白い光が三本ずつ迸った。アルは少しにやりと笑う。 魔法の竜巻(マジックトルネード) といった集団攻撃用の魔法なら 痙攣(スパズム) 呪文で対処せねばならない。それなら後手に回ってしまうという恐れを持っていたのだが、魔法使いが放った呪文はそうではなかった。青白い光はアル、パトリシア、ジョアンナにそれぞれ二本ずつ命中しようとしたが、六角形の盾の形をした光が一瞬だけ姿を現し甲高い金属音のようなものを響かせてそれらを弾く。事前に準備しておいた防御呪文、 盾(シールド) の効果だ。
『 魔法の竜巻(マジックトルネード) 』
アルの掌から飛び出した白い光は長い尾を曳いて真っ直ぐ右のボートの先頭に乗っていた 壱(アン) と呼ばれる男が構える盾に命中した。一番狙うべきはヴェール卿であったが、彼の乗るボートは前の二隻からすこし距離があり、三十メートルの射程の外だったのだ。 壱(アン) と呼ばれる男がいる辺りを中心として二隻のボートとその上空の二人の魔法使いを巻き込んで白い光の塊の渦が荒れ狂った。
「掴まって。行くよ」
その光の塊の渦がもたらした結果を待たず、アルは筏を偽装しつつも全速力で水面を飛行して遠ざかろうとした。速度からするととても筏とは思えないだろうが、さすがに手漕ぎの速度ではすぐに追いつかれてしまう。なにかよくわからない呪文とでも思ってくれたら十分だ。
背後ではうぎゃぁと阿鼻叫喚の叫び声が聞こえ、続いてぼちゃんぼちゃんと水に何かが落ちるような音が響いた。古代遺跡の屋根に乗せたままのアルの 浮遊眼(フローティングアイ) の眼から見ると、二隻のボートは大きく損傷を受けて浸水しており、乗っていた連中やそのすぐ上を飛んでいた魔法使いは血だらけでそのボートの上に倒れている。そのすぐ後ろをヴェールが乗るボートがぶつかるようにして止まっていた。
「すさまじい威力だな」
ジョアンナの声は震えていた。パトリシアも手すりを握った手に顔を伏せている。 魔法の竜巻(マジックトルネード) の呪文の効果を見て恐ろしくなってしまったのかもしれない。だが、これは殺し合いでしかない。それにヴェール卿はこれを都市のど真ん中でやろうと考えていたのだ。
「想定の中では一番うまく行ったね。このまま逃げて、あとは盗聴の魔道具と服の切れ端を木切れと共に放り出してこの逃避行は終了で良いかな」
「ああ、そうだな」「はい」
二人の声が少し遠い気がした。だが、アルはそのまま移動を続ける。ヴェール卿の 浮遊眼(フローティングアイ) の眼が追いかけてきたが、それもアルが 魔法解除(ディスペルマジック) をして消した。そして、アルたちはそのまま追跡を振り払う事に成功したのだった。