軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【2期】10話 「この空の向こうにいる君と」(上)

それから、20年ほどが過ぎた頃。

温泉宿での恒例の集まりに、剣士は姿を見せなかった。

その日の王女様は、いつもより少し口数が少なかった。

夕食のあと、彼女は静かに言った。

「……剣士は、もう来ないわ」

王女様から聞いた話では、剣士は軍に戻され、辺境の砦に司令官として赴任していたそうだ。

襲撃を受けた夜、兵たちを逃がす時間を稼ぐため、砦に一人残ったという。

彼らしい、まっすぐな最期だった。

そういえば、最後に顔を合わせた年、剣士は少し髪に白いものが混じり始めていた。

大きな背中はまだしっかりしていたけれど、肩にかかる外套を直すしぐさに、少しだけぎこちなさを感じたのを覚えている。

……思い返せば、もうその頃から、別れは始まっていたのかもしれない。

さらに15年ほどが過ぎた頃、王女様――いまは王様として国を治めていた彼女が、病に臥せっているという噂が広がった。

私は王都を訪れ、見舞いに向かった。さすがに王都が怖いと言っている場合ではなかった。

王宮の中は、どこか重苦しい空気に包まれていた。広い病室に案内されると、そこには、かつて威厳に満ちていた王女様が、今は一人、ベッドに身を横たえていた。

「……来てくれたのね」

「ええ。ご病気だと聞いたので」

王女様は小さく笑った。

その顔は思ったよりも穏やかで、どこか安堵の色すら滲んでいた。

しばらくの間、昔話を少しだけ交わした。けれど、それも長くは続かなかった。

まもなく、彼女の容態は急に悪くなった。

瞼を閉じ、苦しげにうなされながら、ベッドで眠る彼女は誰かを探すように手を宙にさまよわせる。

傍らにいた侍女に促され、私はそっとその手を握った。

すると、まるで光を探し当てたように、その手が強く私を引き寄せ、抱きしめてきた。驚くくらいに、強い力だった。

「……ああ、よかった……ここにいたのね。もう、探したんだから」

その声は、幼い子どもがようやく迷子から帰ってきたときのように、心底ほっとした響きだった。

そして、王女様は私の胸元のブローチに指を当て、歌うように唱えた。

「――昼の名残、夜の底

ほどける縁を縛し

沈むしるしを引き止めよ

この器のうちにてなお

我が残響よ、ここに――」

その瞬間、ふっと、ブローチの重みが変わった気がした。

「ほら、もうすぐ宴よ。音楽が聞こえるでしょう?」

そう言って、王女様は遠くを見つめた。

その音は、私には聞こえなかった。

けれど、王女様にはきっと、確かに届いていたのだ。

……きっと、あの夜に続く、もう一つの夜。

時を越えて訪れた、ほんとうの宴の始まりが。

王女様は、満ち足りたように小さく息を吐き、

そしてそのまま、静かに目を閉じた。

――まるで、遠くで流れる祝福の調べに、身を委ねるように。

さらに、いくつかの季節が巡ったある日。

勇者が、突然、姿を消した。

ある日ふらりと、彼の住まいを訪ねると、そこには誰の気配もなかった。

いつも通りだったはずの部屋は、まるで舞台が終わった後のように静かで、整えられていて、物音ひとつなかった。

机の上には、小さな紙切れが1枚。

「ちょっと出かけてくる」

それだけが、残されていた。

近くの村人によると、大きな荷を背負った勇者が、にこやかに挨拶をして出ていったという。

でも、それきり。

彼は、二度と戻ってこなかった。

自分の死ぬところを見られたくなかったのか。

「1000年後に生まれ変わる」という約束を果たすための方法を探しに行ったのか。

――私は、たぶん後者じゃないかなと思っている。

ひとりになるのは、久しぶりだった。

それから、だいたい百年くらいは山奥の洞窟で身を隠していた。王都に行ったからだ。

私が長命種だということは、もしかしたらあのときバレたかもしれないし、誰も気づいていなかったかもしれない。それでも念のため、姿を変えることにした。

ばきばきばき、っと。……これくらいかな?

洞窟の姿見の前に立つと、そこには十歳くらいの少女が立っていた。うん、ばっちり。

長命種が伸び縮みできるというのは、どうやら世間一般にはあまり知られていないらしい。少女の姿で記録や伝承に残っていたとしても、さすがに今の私と結びつける人間はいない……はず。

それからは、森や谷などの、人里近くの場所を転々としながら数年ずつ暮らす、ということを繰り返した。

なぜ完全に人里を避けなかったのかというと――次にみんなと会ったとき、色々な話ができたらいいなと思ったからだ。ちょうど日記も買ったことだし。

それに、なんとなく。街の人混みの中にいると、懐かしい声や仕草に似たものを見かける気がして。

もちろん気のせいだ。そんな都合のいいことがあるわけない。

でも、もしかして、と思うことはある。

そのくらいは、いいと思った。

さて、そんなある日のこと――。

川辺で水を汲んでいたら、がさりと茂みが揺れて、若い女性が転がるようにして現れた。服は泥にまみれていて、足もとには擦り傷。呼吸が荒く、ひどく疲れているようだった。

私は、しばらくその場を離れなかった。彼女が立ち去るでもなく、その場に崩れ落ちたまま、身じろぎもしなかったからだ。

ようやく水を差し出したら、彼女は一瞬、びくりとした目でこちらを見て――それから、おそるおそる受け取った。

顔立ちは整っていた。高貴な家の出の人が持つ、独特の雰囲気を纏っている。

彼女は、どこか王女様に似ていた。

その晩、私の家で、ぽつりぽつりと彼女は語った。

彼女は、とある国の貴族の生まれだったが、「禁忌」とされた力を持っていたらしい。

触れずに物を動かす、夢の中で精霊を見る、そんな子どもだったという。

「だから、封印されるか、処されるかの二択だったんです。あの国では、そんなものを持っているのは許されないらしくって」

だから、彼女は、魔法都市に行きたいのだという。確かに、あそこは禁忌であればあるほど受け入れてくれそう。ただ、問題が1つ。

今いるここから魔法都市へ移動するとなると、半年ほどはかかる。ほぼ大陸の端から端だ。そんな中、彼女が追手から逃げ切って、辿り着くのは難しいような。

杖を使って送ってあげたら一発なのだが、大陸の端から端となると、魔法はおそらく赤色になる。みんなは「必要がある時は使ってもいいよ」と言っていた気もするし、黄色や青までならいい気がするけど、赤はなんだか普段使いするとまずそう。

事実、私の頭の中のイマジナリー王女様は、大きく×を書いた札をぶんぶんと掲げている。すごく怖い顔をしていた。うーん。やめたほうがよさそう。

……となると……送っていく? 黄色と青、それに他のアイテムを使えば、たぶん追手をかわすくらいはできるだろう。

寿命を削る話は今度こそ内緒にしよう。私もさすがに学習した。寿命削る話、絶対ダメ。

姿は……このままでいいや。目の前でバキバキ変形したら、きっとびっくりさせてしまうから。

「私、魔法都市まで送っていきましょうか? ちょうど暇ですし、昔の知り合いにも会いたいと思ってたところなんです」

白巫女様にちゃんとお礼もしてない気がするし。彼女はたぶんまだ生きてるだろう。

ところが、女性は、不思議そうな顔をして口をつぐみ、周囲へそっと視線を巡らせた。私も釣られてあたりを見回す。

洞窟の中は、それなりに整っていた。旅の行商人に貰った家具や手作りの棚があり、布を吊るして仕切ってある。ぱっと見、ちょっと変わった山暮らしの家庭、くらいには見えると思う。

「あの……それで、ご両親はいつごろ帰って来られるんでしょう?」

女性がおずおずと口にした。……両親? 私の?

「両親はずっと昔に亡くなりましたけど」

「じ、じゃあご兄弟とか……?」

「ここに住んでいるのは私1人だけですよ?」

「いつから……ここに……?」

「もう5年くらい……?」

「5年も、こんなところに、1人で……?」

お気に入りの私の自宅が「こんなところ」とか言われているのは置いておいて。口にはっと手を当て、可哀そうな人を見る顔をする彼女を見て、私はようやく理解した。

今の私は10歳の子供の姿である。だから、森の中の洞窟で1人暮らしをしているのを見て、気の毒に思っているのだろう。だが、そんな気遣いは必要ない。だって私、中身は大人だし。単に、週末に趣味のキャンプをしているのと同じなのだ。

そこで笑って、ついでに両手も振り上げて、精一杯に元気をアピールしてみた。

「大丈夫です! 私、もう大人ですから!」

「……」

「あれ?」

――1000年もあれば、色々あった。

魔法都市に送って行ったあの子とは、あの後、魔法学校に一緒に通った。私は魔力がないって言ったのに。白巫女様が面白そうだからという理由だけで無理やりねじ込んできた。明らかに駄目な権力者であった。いつか告発してやろうと思っている。

異世界から召喚されたという少年とも会った。「家に帰りたい」と言う彼と一緒に、元の世界に戻る方法を探すための旅をした。

ミアともまた再会した。……怖かったので、詳細は控えたいが……「すごくすごく怒られた」ということだけは、記しておきたい。

そして……ついに、1000年が経った。