作品タイトル不明
157.近くで見るのは奈良以来
「アティアルド殿下、なのですか……?」
目の前に現れた鹿へと、恐る恐る声をかける。
ぐー様に変化する陛下がいるのだ。
アティアルド殿下だって、鹿に変身してもおかしくないのかもしれない。
混乱しつつ考えていると、陛下がごく小さく、私にしか聞こえない呟きを落とす。
「私と同じ先祖返り、か」
先祖返り……。
やっぱりそうなのか。
陛下が一歩近づくと、アティアルド殿下が小さく震えた。
怖いのだろうか?
陛下は狼の聖獣の先祖返りだ。
鹿の姿のアティアルド殿下は、狼が苦手なのかもしれない。
「申し訳ありません。しばらくすれば、元のアティアルド殿下のお姿に戻られるはずです」
アティアルド殿下の従者が謝罪する。
彼は主の事情に、ある程度通じているようだ。
「あぁ、わかった。他の人間には、アティアルドは体調が優れず静かに横になっていると伝えておこう」
幸いと言うべきか、アティアルド殿下が鹿の姿に変化した瞬間を見たのは私達だけだ。
陛下が目撃者である、クロードお兄様へと話を向けた。
「おまえも、アティアルドのこの姿は知っていたのか?」
「いえ、俺は初めて見ました」
「その割には、鹿への変化を目撃したのに動揺が見られないが?」
「世の中にはいろいろな人間がいます。そんなこともあるかな、と」
「……人が鹿の姿に変わるのは、そんなこと、扱いできることではないと思うが」
陛下の疑問はもっともだけど、相手がクロードお兄様だからなぁ。
よく言えばおおらか。他人にどう思われようと構わない。
クロードお兄様は、だいたいそんな感じの気質だった。
「……まぁいい。わかっているだろうが、この場で見たことは黙っていろ」
「もちろんです。陛下はこれからどうされますか?」
「そうだな……」
陛下がこちらを見た。
「私はアティアルドに近づかない方がよさそうだ。アティアルドの不在を誤魔化すため指示を出してくる間、おまえがここで見ていてくれ」
「わかりましたわ」
陛下が部屋を出ていき、私はアティアルド殿下へと近づいた。
姿かたちは、普通の鹿と変わらないはずだ。……たぶん。
生きてる鹿、近くで見るのは久しぶりだもんね。
前世の奈良で、鹿せんべいをあげて以来だ。
つぶらな黒い瞳に、ぴくぴくと動く耳がかわいい。
軽くしゃがみ込み、視線を合わせ問いかけた。
「アティアルド殿下はそのお姿でも、人間の言葉はわかりますか? わかるのでしたら、二度頷いていただきたいです」
告げると二度、アティアルド殿下が頷いている。
ぐー様と同じで、この姿でも人間の言葉を理解することはできるらしかった。
「何か欲しいものや、やってほしいことはございますか?」
黒々とした瞳を見つめ問いかける。
アティアルド殿下は首を横にふりかけ、じっと私のドレスを見つめた。
「……あ、もしかして」
ドレスの隠しポケットには、ブッシュ・ド・ノエルの飾りに使った、落ち葉が何枚か入れっぱなしのままだ。
取り出し手に持つと、アティアルド殿下が落ち葉を食べ始めた。
鹿せんべいを食べる鹿にそっくりの、どこからどう見ても鹿そのもののお姿だ。
もそもそ、ぱりぱり。
一枚、二枚と、落ち葉が無くなっていった。
「長旅で、お腹が空いていたんですね」
気の毒になり呟くと、アティアルド殿下が動きを止めた。
「わっ⁉」
再び放たれる光とともに、アティアルド殿下が人間の姿へと戻っていた。
額に手を当て、どんよりと暗い表情をしている。
「……情けない姿を、お見せしてしまいました」
深くため息を吐くアティアルド殿下。
丁寧に整えられた、鹿の背中と同じ色をした髪の毛が、顔の一部へとかかり影を落としている。
アティアルド殿下は王弟だが、エルトリアの国王陛下とはそれなりに年が離れている。
今年二十四歳で、陛下と同い年だ。
落ち着いた物腰と、優美かつ上品に整った容姿。
黒い瞳が深い知性と優しさを感じさせ素敵、とのことでご令嬢達に人気らしいが、今は眉を寄せ沈みこんでいた。
「私はいつもこうだ……。肝心な場でいつも失敗してしまう」
どんよりと、影を背負うようにして言うアティアルド殿下。
かなりの落ち込みように、私は慌て慰めることにした。
「アティアルド殿下、そんなに落ち込まれないでください。いきなり鹿の姿になられたのは驚きましたが、何も責められるようなことはしていませんわ」
「……自制が利かず鹿の姿を晒し、人前ではしたなくも、落ち葉を食べてしまった」
「鹿なら、落ち葉くらい食べますわ」
「人間失格じゃないか」
深くうなだれるアティアルド殿下。
……どうしよう?
下手に慰めても、よけい落ち込ませてしまいそうだし……。
「アティアルド殿下、大丈夫ですよ。レティはそんなことで、他人をバカにしたりしません。鹿かわいいなぁ近くで見れてラッキー、くらいに思ってますよ」
「クロードお兄様……」
一部図星だけど、ラッキーとまでは思ってないです……。
苦笑すると、アティアルド殿下も小さく笑っていた。
クロードお兄様のゆるい言葉で、いい意味で気が抜けたようだ。
「そうだな。あまり私が、落ち込みすぎてもやりにくいだろうな。すまなかった」
謝罪と共に誠実で、温厚そうな笑みを浮かべるアティアルド殿下。
ご令嬢に騒がれるのも納得の、美青年の微笑だった。
「私だ。もう入っても大丈夫か?」
扉の外から陛下が声をかけてきた。
入室する陛下と入れ替わりに、クロードお兄様が退出していく。。
「部外者はお暇するよ。レティ、またあとでね」
「えぇ、お兄様。またあとで」
クロードお兄様へ手を振り、アティアルド殿下へと向き直る。
「先ほどの鹿の姿について、お話を聞かせてもらえますか?」
「あぁ、もちろんだ。巻き込まれた君たちにはその権利がある」
ローテーブルを挟んで、長椅子に向かい合わせに座る。
隣には、陛下が腰を下ろしていた。
「アティアルド、おまえは先祖返りで間違いないな?」
「その通りです。グレンリード陛下も、先祖返りだったのですね」
「……え?」
いきなり核心へと踏み込む会話に、小さく声をあげてしまう。
アティアルド殿下と陛下に以前よりの親交は無く、顔を合わすのも初めてのはずだ。
なのにどうして、陛下が先祖返りであるとわかったのだろう?
「先祖返り同士は、直接会えばすぐにわかるものですよ」
私の疑問を察し、アティアルド殿下が答えくれた。
「私も、陛下にお会いした瞬間、すぐに陛下が先祖返りであると確信いたしました。確信し理解して、そして過剰に反応してしまったのです。陛下は、先祖返りとしての純度が高く、力が強いように感じられます。私の中にある先祖返りの力が、そんな陛下のお力にあてられ反応し、暴走してしまったのです」
「暴走……。今はもう大丈夫なのですか?」
「えぇ、ご心配をおかけしました。暴走してしまったのは、ここのところ旅の身だったため満足に、鹿の姿に変じ過ごす余裕なかったからでもあります。ある程度定期的に鹿の姿にならないと、少しのきっかけで、鹿へと変化してしまうのです」
なるほど。
定期的に獣の姿にならないといけないのは、陛下と同じようだ。
「先ほど鹿の姿になったので、しばらくは心配ないということですね?」
「えぇ、おそらくは。いきなりあのような姿を晒し、申しわけありませんでした」
「気にするな。先祖返りのままならさというのは、私も覚えがあるからな」
陛下には、アティアルド殿下を咎める気はないらしい。
ならば私としても、騒ぐようなことではないのだった。
「レティーシア様も、驚かせてしまいましたね」
「お気になさらないでください。むしろ伝説を、この目で見られ感動いたしました。あの鹿の姿は、エルトリア王国の中興の祖の伝説に関係するものでしょう?」
長い歴史をもつ私の祖国は、いくども滅亡の危機に瀕したことがある。
あまたの危機の中でも最悪の、一番亡国に近づいた時代に現れたのが、聖なる鹿だと伝えられていた。 不思議な力を持つ聖なる鹿がエルトリア王国の危機を救い、やがて人の姿に変じ姫君と結ばれたという伝説だ。
もっとも、今では聖なる鹿は実在せず、姫君の結婚相手が鹿を飼っていて、その鹿がなんらかのきっかけで崇められ、尾ひれ背びれのついた噂が伝説となり残ったのだと考えられていた。
「あぁ、その伝説だよ。詳しくは王家の秘密にもかかわるため教えられないが、伝説は虚構ではなく、聖なる鹿が実在したのは確かだ。私がその力を、この身に受け継いでいるからね」
アティアルド殿下が、自らの胸へと手を置く語った。
「この大陸には私の他にも何人か、先祖返りで特殊な力を持った人間がいる。先祖返りについて公表しても、無用な混乱を呼ぶばかりだから、公にはしないようにしているんだ」
もっともな話だった。
陛下も先祖返りの力のせいで、実のご両親と溝があったらしい。
人の社会では異質な先祖返りの力を、隠そうとするのも自然だった。
「わかりました。私も口外しないよういたしますね」
「助かるよ」
ほっと息をつくアティアルド殿下。
横の陛下を見上げると頷いていた。
「私が先祖返りであるということを黙っていてくれるなら、こちらも秘密は守るつもりだ。この国に滞在する間は、同じ先祖返りとしてそれなりに配慮することが可能だ。人目に触れず鹿の姿に変じられる時間を、確保できるよう協力しよう」
「ありがたいお言葉です。こちらの国には二月ほど滞在する予定ですので、とても助かります」
「滞在中、どのように過ごす予定だ?」
「まずはこの離宮で過ごさせていただき、陛下達と共に王都へ向かいたいと思います。王都では、この国の東西南北に領地を持つ、四公爵家の皆様の元を訪れさせていただく予定です」
「そうか。その際は、祖国を同じくするレティーシアにも協力を求めるといい。嫁いできて一年も経たないレティーシアだが、自らの才覚と人柄により、既に多くの知己を得ているからな」
「えぇ、頼りにさせていただきますね。レティーシア様は祖国でも、とても優秀だとお噂でしたからね」
「ふふ、ありがとうございます。アティアルド殿下のお力になれたら幸いです」
期待に応えられるよう頑張ろう。
祖国エルトリアの王族であるアティアルド殿下だけど、私が王太子フリッツ殿下に婚約破棄された件については無関係だ。
むしろアティアルド殿下は、
『婚約破棄だなんてとんでもない、レティーシア様に申し訳ない』
といった具合に私に同情的な方だと、風の噂に聞いていた。
聡明とお噂のアティアルド殿下が、この国の人々と良い関係を築けるよう、私も協力したいと思えたのだった。