作品タイトル不明
147.煌めく世界で
「レティーシア、いくぞ」
ぐいと左手を陛下に引かれた。
引かれる力が強く、つい転びそうになってしまう。
「きゃっ?」
バランスを崩した体が、陛下に受け止められている。
ちょうど、陛下の胸に頬をおしつけるような体勢だ。
硬くたくましい胸板に、思わずどきりとしてしまう。
陛下は結構、着やせする方なのかもしれなかった。
「怪我は無いか? 悪かったな」
「大丈夫です。でも、突然どうなされたのですか?」
「……もうすぐダンスの時間だ。早めに会場の中心に向かっておいた方がいい」
陛下はそう言うと、私の右手をすくいとった。
「準備はできているな?」
「えぇ、もちろんです。それが私の役割ですから」
こういった場で陛下のパートナーを務め王妃として振る舞うために、私はこの国に呼ばれたのだ。
お飾りの王妃だからこそ、陛下に迷惑をかけないよう、きちんとイベントはこなしたかった。
あいにく、陛下が忙しいこともあり、一緒にダンスの練習をしたことは一度だけだ。
基礎的ないくつかの動きを合わせ、一通り踊る曲の流れを確認したのみで終わってしまった。
その後は離宮の使用人に陛下の代わりになってもらい、ダンスの練習をしている。
今の体は前世より運動神経が良いため、ダンス中にうっかり転んだりはしないはず。
「始まりますね」
演奏が変わり、踊りのための音楽が奏でられる。
一曲目は、舞踏会の主催者ペア単独で躍るのがこの国の決まりだ。
陛下と手を重ね、会場の中心へと進んでいく。
演奏に耳を澄ませ、陛下と視線を結んで。
冬の湖を思わせる瞳に、一瞬だけ心を奪われてしまって。
「いくぞ」
滑らかな動きで、二人でワルツを踊り始めた。
音楽に動きを合わせ、くるりとターンを決める。
楽しい。
陛下のリードのおかげで、上手に気持ちよく踊れている。
ふわりとドレスが舞い髪がたなびき、シャンデリアの灯りに煌めいた。
陛下の髪も光を受け、本物の銀よりもなお輝いている。
きらきらと眩い世界で二人踊る。
陛下のリードは安心でき、自然と体を委ねられた。
半ば夢見心地で踊っていると、あっという間に一曲目が終わってしまう。
最後の一音が奏で終えられると、大きな拍手が巻き起こった。
会場のあちこちから、陛下と私の踊りを誉め称える声が聞こえてくる。
歓声にこたえ手を振っていると、陛下が傍らでぽつりと呟いた。
「こんなにも、ダンスが楽しいと思ったのは初めてだな」
「ふふ、私もとても楽しかったです」
心地よいダンスの余韻に浸り、早まる鼓動を感じながら。
私は陛下へと笑みを浮かべたのだった。
◇ ◇ ◇
舞踏会が始まり、グレンリードの元にエルネストがやってきた時のことだ。
「お招きにあずかり感謝しよう、グレンリード陛下。レティーシアも、一昨日ぶりだな」
「よく来てくれた、エルネスト」
歓迎の言葉を述べつつも、グレンリードは直感していた。
(こいつはやはり気に食わないな)
ウィルダム翼皇国の皇太子として優秀で、天馬騎士としても逸材であると知っている。
性格こそ高慢だが、踏み越えてはならない一線は理解しているし、自らを律する誇り高い人物であるということも、先祖返りに備わる嗅覚により感じている。
が、それでも。
気に食わないものはやはり気に食わなかった。
(こいつは、レティーシアのことをずいぶんと気に入っている)
目の前で親し気に話す二人を見ていると、胸の底がじりじりと炙られる思いだ。
先ほど舞踏会が始まる前、レティーシアに見とれるリディウスを見た時も、同じような焦燥感をグレンリードは抱いていた。
着飾ったレティーシアは、多くの男性の視線をさらっている。
グレンリードもまた、そんな男性のうち一人なのだった。
(レティーシアは美しい容姿をしている。人々の目を惹きつけるのも当然だ)
それくらいは、グレンリードとて知っていたし納得できた。
しかし、レティーシアと親しい男性が彼女に見とれている時、グレンリードは自分の感情を抑え表情を制御するのに苦労していた。
今目の前にいるエルネストも、レティーシアに好感情を抱いている。
贈られたチョコレートの天馬に高揚しており、彼女への好意もどんどん強まっているようだ。
レティーシアを見て、薄い唇から呟きを落としている。
「おまえは本当に、驚くことばかりだ。……やはり、俺の国に欲しいな」
潜められた呟きの後半も、先祖帰りで耳のいいグレンリードにははっきりと聞こえていた。
視線を向けるとエルネストが挑発するように、口角を持ち上げ笑っている。
「レティーシア、いくぞ」
「きゃっ⁉」
気が付いた時には、レティーシアの手を掴み引き寄せていた。
バランスを崩した体を受け止めると、間近でレティーシアの香りを感じてしまった。
(欲しい)
どくりと心臓が脈打ち、今まで感じたことが無い熱が全身を巡っていく。
レティーシアを強く欲する、飢えにも見た感情を抱いてしまう。
もし今二人きりであったら、彼女に何をしていたかわからなかった。
グレンリードは全力で自制心を働かせ、どうにか表情を動かさないよう誤魔化す。
「怪我は無いか? 悪かったな」
「大丈夫です。でも、突然どうなされたのですか?」
「……もうすぐダンスの時間だ。早めに会場の中心に向かっておいた方がいい」
タイミングよく、じきにダンスの時間だった。
レティーシアの右手をそっとすくいとると、女性らしい指の細さに心が揺れ動く。
「準備はできているな?」
「えぇ、もちろんです。それが王妃としての私の役割ですから」
レティーシアの答えに、グレンリードははたと冷静さを取り戻す。
(私は何を浮かれているのだ)
レティーシアはお飾りの王妃として、今も役割を果たそうとしてくれているのだ。
彼女の働きを無駄にしないためにも、胸の思いに蓋をして、国王らしく振る舞わなければならなかった。
グレンリードはレティーシアと共に、会場の中心へと進み出ていった。
「いくぞ」
声をかけ踊り始める。
決してステップを踏み間違えないように。
レティーシアの体に負荷をかけ、怪我などさせていまわないように。
注意しつつ踊るうち、グレンリードはいつしか、レティーシア一人を見つめていた。
青いドレスが翻り、縫い付けられた粒宝石が星のように煌めく。
楽しそうに嬉しそうに。
グレンリードと呼吸を合わせ踊るレティーシア。
アメジストの瞳に見つめられると、束の間まるで時間が止まってしまったように、グレンリードには感じられた。
いつまでも続けばいいのにと願う音楽は、無情にもやがて鳴りやんでしまう。
名残惜しさを覚えながらも、グレンリードはぽつりと呟いた。
「こんなにも、ダンスが楽しいと思ったのは初めてだな」
「ふふ、私もとても楽しかったです」
かすかに上気した薔薇色の頬に、ゆるく笑みを描く柔らかそうな唇。
(触れてみたいな……)
わきあがる衝動のまま思いを口にしないよう、グレンリードは唇を引き結んだのだった。
◇ ◇ ◇
ワルツを踊り終えた後、なぜか黙り込んでしまった陛下。
気になり、私は問いかけを発した。
「陛下? 今のダンスでどこか、私にミスでもありましたか?」
「……いや、違う。おまえのダンスは完璧だったぞ」
「ありがとうございます。陛下もとても、ダンスがお上手でしたわ」
「国王として、あれくらいは出来ないといけないからな」
「国王として、ですか……」
ほわほわと夢見心地だった頭が冷静になっていく。
陛下と踊れて、私はとても楽しかったけれど。
あの踊りも陛下にとっては、きっと国務の一環のようなものなのだ。
わかっていたことだけれど、どうしても寂しく感じてしまった。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません。行きましょう。すぐに二曲目が始まりますわ」
笑みを作り気分を切り替える。
この国の舞踏会において、婚約者同士は最初の一曲を、既婚者は二曲目までを配偶者と踊るのが一般的な決まりだ。
音楽に合わせ、二曲目もミスなく踊り切る。
その後どうするかは参加者の自由であり、私は陛下と一旦別れ談笑へ向かった。
今日の舞踏会はこの国では最大規模で、招待客は優に百人を超えている。
陛下がここのところ忙しくしていたのも、舞踏会関連に時間を取られていたからだ。
陛下は男性相手を主に、私は女性相手を主に。
二人で手分けし、主催者として社交を行っていく。
まずは近くにいた西の離宮の次期王妃候補・ナタリー様に声をかけ談笑する。
互いに社交の対象、話すべき相手が多いため、短めに切り上げ次へ向かった。
次の相手と話し合えると、今度は南の離宮の次期王妃候補・フィリア様がやってきた。
こちらもソツなく談笑を行い、次へ次へと向かう。忙しい。
声をかけ声をかけられを繰り返しているとやがて、東の離宮の次期王妃候補・ケイト様が近づいてくる。
「こんばんは、レティーシア様。陛下とのダンス、とても綺麗だったわよ」
かぎ尻尾を揺らしながら、歩み寄ってくるケイト様。
少し前までかぎ尻尾にコンプレックスがあったようだけど、だいぶ改善しているようだ。
明るくはきはきとしたケイト様とは、まどろっこしい会話の駆け引きがなく気楽だった。
高位の貴族令嬢にしては珍しい性格のケイト様は、ある種の癒しなのだ。
流行りのお菓子やドレスなどについて盛り上がるが、あまり長く談笑を続ける余裕はなかった。
「―――では、予定を空けておきますので、また二十日ほど後にでも、ぜひうちの離宮にいらしてください。また一緒に、なにかお菓子を作りましょう」
「えぇ、楽しみにしているわ。レティーシア様はこの後どうするの?」
「イ・リエナ様を探し軽く談笑しようと思います」
次期王妃候補のうち、今日まだ会話を交わしていない最後の一人だ。
現王妃である私が今日の舞踏会で、次期王妃子候補の一人とだけ、社交を行わないというのは少し厄介なことになる。
私がイ・リエナ様を軽んじ遠ざけていると、そう受け取ってしまう人もいるからだ。
あぁめんどくさい。
政治のパワーバランスを保つ利点は理解しているが、めんどうなことこの上なかった。
「レティーシア様も大変ね」
ケイト様が苦笑している。
「イ・リエナ様だったらさっき、中庭へ向かったのを見かけたわ。今日は夜になっても気温が高めだから、夜風にでもあたりに行ったんじゃないかしら?」
「ありがとうございます。行ってみますね」
情報に感謝だ。
イ・リエナ様、少し前から舞踏会の会場に姿が見あたらず、困ってしまっていたのだ。
ケイト様の情報を頼りに、中庭へと歩き始める。
今日の舞踏会は大規模なため、メインの会場以外にもいくつか、参加者に開放されている場所がある。 中庭もその一つだ。
メイン会場の右手奥、開けっ放しにされた掃き出し窓から中庭へ出た。
ぐるりと中庭を一周するが、狐耳をもつイ・リエナ様は見当たらない。
既にどこか、別の場所へ行ってしまったのかもしれない。
「あら、レティーシア様ではありませんか」
声をかけてきたのは、ふくよかな体のニーディア伯爵夫人だった。
行方不明になっていた彼女の愛犬・ジョゼの捜索に協力したことで、顔見知りになていたのだ。
「こんばんは。イ・リエナ様を探しているのですが、どこかで見かけませんでしたか?」
「イ・リエナ様? でしたらついさっき、あちらの方へ向かっていきましたよ」
やはり、イ・リエナ様とは入れ違いのようになっていたらしい。
ニーディア伯爵夫人が指し示したのは、疲労を感じた舞踏会の参加者が、体を休めるたの部屋が用意されている方角だった。
お礼を言い、今度こそ入れ違いにならないよう、速足で進んでいったのだけど、
「おや、レティーシア様。このようなところで幸運ですな」
またもや呼び止められてしまう。
こげ茶の犬耳を持つ、ケルネル公爵だった。
「レティーシア様、先ほどのダンスはお見事でしたな。陛下との息のあったダンスには感動いたしましたよ」
「喜んでいただけ光栄ですわ」
社交用の笑みを浮かべ答えた。
ケルネル公爵家は、ヴォルフヴァルト王国が五つの小王国であった時代から、グレンリード陛下のご先祖様に仕えている名家中の名家だった。
代々お妃候補が選出されてきた四公爵家と、勝るとも劣らない家格なのだ。
公爵家の現当主であるケルネル公爵も、優秀な人物だと聞いている。
先代と先々代の国王の下、文官として辣腕を振るい国政に身を捧げた、忠誠心の厚い獣人らしかった。
ケルネル公爵からの心証を悪くするのは避けたかったため、無理に会話を切り上げることもできず談笑することになる。
このままでは再度、イ・リエナ様と入違ってしまうかもしれない。
どうすべきかと、笑顔の裏で考えていると、
「あらあらあら、ケルネル様じゃないですの」
先ほど中庭で会った、ニーディア伯爵夫人だった。
笑顔でぐいぐいと、ケルネル公爵と私の談笑に入ってくる。
「聞きました、ケルネル様? ついこの間、マルチス子爵家の三男が――――」
社交界の噂を、ぺらぺらと喋りだすニーディア伯爵夫人。
この二人、獣人同士とはいえ家同士の関係もあり、あまり仲が良くなかったはずでは?
疑問に思っていると、ニーディア伯爵夫人と視線がかち合う。
ぱちり、と。
ウィンクを投げかけられ、私はニーディア伯爵夫人の考えを悟った。
どうやら、助け舟を出してくれたようだ。
私がまだイ・リエナ様を探している途中だと察して、ケルネル公爵の注意を引いてくれたのだ。
ニーディア伯爵夫人に感謝しつつ、私はケルネル公爵へと礼をした。
「お二人のお話を邪魔してもいけませんし、私は他へいきますね」
「レティーシア様は気にされな――――」
「もうケルネル様! 私の話を聞いてられますか?」
ニーディア伯爵夫人の声を背中で聞きながら、足早にその場を離脱する。
向かう先は人けが少なかった。
今日は良く晴れているため、室内ではなく中庭にくり出した人の方が多いらしい。
休憩用に設けられた小部屋は数室あるが、ほとんどが無人のようだ。
またもや入れ違いかと危惧しつつ小部屋を見て回っていると、かすかに声が聞こえる。
聞こえてきた方向にある小部屋を覗くと、お目当ての人物がいた。
「こんばんは、イ・リエナ様。ここでどうされたのですか?」
「あらん? レティーシア様ぁ?」
室内にいるのは、イ・リエナ様を含む三人の獣人。
頭の上にピンと、逆三角形の耳が立っている。尻尾の形も似ているし、おそらくは全員雪狐族だ。
長椅子に座るイ・リエナ様は唇をかすかにゆるませ、襟元をくつろげている。
衣服の隙間から覗く白い胸元。布地を押し上げる胸部が蠱惑的だ。
以前会った時も妖艶な雰囲気の美女だったけど、今日はより色っぽさが増している気がする。
頬はうっすらと赤く上気していて、気だるげに椅子にしなだれかかる姿にはつい、女の私でもどきりとしてしまったのだった。