作品タイトル不明
管理者権限
「緊急性の高い情報」とは何か。
ナビが続けた言葉は、短かった。
「《構造汚染》は、ダンジョンの構造そのものに侵食します。感染したダンジョンは、モンスターの行動が一元管理される状態になります。バベルの坑道の汚染は、現在第八層まで進行しています。第三の管理者がいる第十二層まで、あと四層。汚染の進行速度から計算すると——十八日から二十二日で到達します」
「二十二日か」とレオンが言った。
「その前に動く必要がある」
「そうなります」
ナビが言った後、部屋が静かになった。
俺はナビを見た。
「移動手段は」
「ゲートの起動には三名の管理者による認証が必要です。第三の管理者から応答がない場合、起動に七十二時間かかります。第三の管理者が応答した場合——十五時間で起動できます」
「現在、連絡は取れていないと言っていた」
「はい。ただし——」
ナビが少し止まった。
「信号は届いています。遮断ではなく、受信できない状況にある可能性があります」
---
ナビの説明は、三分で終わった。
《構造汚染》。
ダンジョンの構造そのものを書き換え、モンスターの行動制御を可能にする禁忌スキル。設計者の記録には「管理者権限の悪用により派生した逸脱型スキル」と記録されていた。
「イラクの状況は?」とレオンが言った。
「バベルの坑道の第九層以深において、モンスターの行動パターンに通常とは異なる統一性が確認されています。《構造汚染》の影響と合致します」
「第三の管理者は?」
「現在、第十二層に存在しています。単独。ただし生存状態です」
俺はナビを見た。
「ゲートは、日本とドイツ間のものが今日開いた。イラクまで届くか」
「バベルの坑道との接続は確立済みです。ゲートの開通には管理者権限が必要ですが、現時点での認証レベルでは、起動に五十時間から七十二時間を要します」
「……急げないか」
「第三の管理者が同時認証を行えば、起動時間が十五時間に短縮されます」
「連絡手段は」
「管理者権限を持つスキルホルダー間では、ゲートハブ経由の通信が可能です。ただし現在、相手側との接触を試みていますが——応答がありません」
「応答できない状況か、意図的に遮断しているか」
「判断できません」
---
地上に出たのは正午前だった。
ドイツの空は、夏の晴れだった。
ひなたが眩しそうに空を見上げた。
「なんか、出るたびに空の色が違いますね」
「ダンジョンの中に太陽はないですから」
「当たり前のことを言いましたすみません」
俺はスマホを取り出した。
通知が大量に来ていた。
日本からの着信が三件。黒崎からだった。
折り返した。
二コールで繋がった。
「榊。よかった、連絡がつかなかった」
「地下にいたので」
「ドイツはどうだった」
「想定以上のものが見つかりました」
「想定以上、というのは」
「配信でも話しますが——政治的に面倒なことになる可能性があります」
黒崎が少し間を置いた。
「そっちが動く前に、こっちも動いてる。政治家どもが騒ぎ始めた。管理者権限を国家管理にしろとな。桐島の奴が裏で糸を引いてる」
「桐島が」
「元会長がな。今は協会の外にいるが、政界への影響力はある。ドイツのニュースが出た瞬間から動き始めた。古代文明の遺産は国際共有財産であるべき、とか言って国会議員を動かしている」
俺は少し考えた。
「わかりました。対応します」
「どう対応する」
「配信で話します」
---
レオンが機材を手伝ってくれた。
ドイツの探索者チームの基地を借りた。簡単なデスクセット。カメラ一台。
俺は配信を立ち上げた。
接続した瞬間から、コメントが流れ始めた。
「ドイツにいる!?」「なにがあったの」「S級ドイツ遠征」「背景どこ?」「早く話して」
「こんばんは。榊誠二です。日本は夜ですね、こっちは昼です」
コメントが笑った。
「ドイツに来ています。ゲートを開きました」
「ゲートって?」「何のゲート?」「意味が分からん」
「説明します。ドイツのダンジョンと日本のダンジョンが、今日から繋がりました。移動が可能になりました」
コメントが止まった。
三秒くらい止まった。
「え」「は?」「どういうこと」「意味が分からん(本当の意味で)」「国際ゲートってことか?」
「そういうことです。詳細は追って説明しますが、今日言いたいのは一つです」
俺はカメラを見た。
「管理者権限を国が管理すべきだという話が出ているようです。それについて言います。管理者権限は個人のスキルに紐づいています。国が管理するものじゃない」
コメントが動いた。
「当然」「そりゃそうだ」「国が管理したら終わり」「榊さん言ってくれた」
「現在、テレビで別の意見が言われているのは知っています。それは一つの意見です。俺の意見はこれです。スキルは個人のものです。それだけです」
---
コメントがまだ流れていた。配信を切っても、スマホに通知が来続けた。
「どんな反応が来てますか?」とひなたが聞いてきた。
「支持が多いです」
「当然ですよ。スキルは自分のものですから」
ひなたが言った後、少し考えるような顔をした。
「でも——国が管理するって、具体的にはどういうことになるんですか」
「スキルの使用制限が設けられる可能性があります。ゲートの開通も、国の許可制になる」
「……それは嫌ですね」
「俺も嫌です」
「でも向こうも、完全に間違ったことを言ってるわけじゃないですよね。管理者権限がいつか悪用されたら、困るのは国民でもある」
俺はひなたを見た。
「そうです」
「どっちが正解なんですかね」
「答えは出ていません。ただ——今決める必要はないと思っています。まず、ゲートが何かを全部理解してから、制度を考えるべきです。理解する前に制限をかけるのは、俺には合理的に見えない」
ひなたが頷いた。
「師匠って、それを淡々と言えるのが強いですよね」
「淡々と言っているつもりはないです」
「そう見えます」
---
配信を切った後、スマホに着信が入った。
凛花からだった。
「榊さん」
「九条さん。日本は夜ですか」
「はい。さっきの配信を見ていました」
「そうですか」
「左腕のことを——少し、報告があります」
俺は立ち止まった。
「話してください」
「ゲートが開いた瞬間から、痛みが消えたんです」
「……消えた?」
「はい。三年間、ずっとあった疼きが——ゲートの起動と同時に止まりました。今も痛みがない」
俺は窓の外を見た。
ドイツの空。
「原因の心当たりは?」
「ありません。ただ——左腕の破片が、少し温かくなったような気がします。気のせいかもしれませんが」
「気のせいではないかもしれません」
「……はい。何かを調べてもらうことはできますか?」
「考えます」
「ありがとうございます」
凛花が電話を切った。
俺はスマホを持ったまま、ニュースアプリを開いた。
桐島玄一郎の会見映像がトップに来ていた。
「管理者権限は個人に属するものではない。人類全体の資産として、国際的な管理体制のもとに置くべきだ」
テレビの前でスーツを着た老人が言っていた。
俺はその映像を数秒見た。
閉じた。
そのとき、レオンが俺を呼んだ。
「榊。ニュースが入った。イラクだ」
振り返った。
レオンが硬い顔でタブレットを持っていた。
「イラクのダンジョン入口付近で、モンスターの集団行動が確認された。組織的な——攻撃だ。入口周辺を包囲している」
俺はタブレットを受け取った。
映像が流れていた。
砂漠の夜。ダンジョンの入口。そこに向かって、百体以上のモンスターが整然と移動していた。
整然と。
統一された動きで。
「《構造汚染》か」
「そう判断するのが自然だ」
そのとき、別の映像がウィンドウに割り込んだ。
国際放送のチャンネルだった。
男が映っていた。
白衣。仮面。声を変換しているのか、低く平坦な音声だった。
「管理者権限は人類全体のものだ。独占は許さない」
男が言った。
「《構造模倣》——」と俺は言った。
「知っているのか」とレオンが言った。
俺はその仮面の男を見た。
白衣の男が、カメラに向かって手を伸ばした。
「管理者よ。その権限を、私と分かち合え。さもなくば——」
画面が切れた。
ひなたが、俺の腕を掴んだ。
「師匠」
「……問題ない」
問題ない、とは言えない状況だった。
だが今は、考えることがある。