軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

その4

「え?」

私はずっと手を繋いだままだったラグナルを見下ろした。

どうして黒魔法? というかなんで私に聞くの? と内心で首を傾げてから思い出す。

そういや、約束したっけ。「黒魔法を使うときは事前に申告して許可を得ること」と。律儀に守ってもらえるとは思わなかった。

「えーと、どうして? 灰熊獣はキーラン達が倒してくれたからもう大丈夫……ですよね?」

思わずルツに確認してしまう。

ルツは戸惑った様子で頷いた。

「はい。見ての通りキーランがとどめを……」

「お姉ちゃん、早く許可して!」

そんなルツの言葉を遮ってラグナルが叫んだ。

ラグナルの声が聞こえたのか、キーラン達がこちらを見やる。訝しげだったその顔が驚愕の表情に変わるのを見た。

嫌な予感がした。それはもうひしひしと。

「走れ!」

キーランの声に弾かれるようにして、私はラグナルの手を掴んで走り出した。

といってもどこから何が来ていて、どっちに走ればいいのかさっぱり分からない。

とりあえずキーランに向けて走りだしたが、良かったのだろうか。

灰熊獣の死体から離れ、川縁にあがったキーランとすれ違う。剣を携え、私やラグナルがついさっきまでいた方向に向かって走るキーラン。

「止まるな。走り続けろ!」

振り返って背後を確かめようとした私に、ウォーレスが怒声をあげる。ウォーレスは足を滑らせた岩に寄りかかるように立っていた。どうやら足を痛めたようだ。

ラグナルの手を強く握りしめると、さらに走り、ウォーレスのそばへ。そうしてようやく背後を見た。

「なにあれ……」

それは猿に似た魔獣だった。

一目で魔獣だと分かったのは、とんでもなく禍々しい見た目をしていたからだ。

体は灰熊獣よりずっと小さい。小柄な成人男性ほどだ。大きく裂けた口からは鋭い牙が覗き、節くれだった指の先には湾曲した長い爪。前肢にはコウモリのような皮膜がついているが、あちらこちらが裂けていた。あれでは飛翔は出来まい。さらに額からは小さな角が一本……いや、違う。小さいんじゃない、根元近くで折れているのだ。

ノアとルツが魔獣を囲むように障壁を展開しているのが見える。キーランは剣を構え、二人に何事か指示を飛ばしていた。

「馬鹿な、狒々神だと?」

ウォーレスの声は上擦っていた。

狒々神。実際にこの目で見たのは初めてだが、知識としては知っていた。各地の森を渡り歩き、獣や人の血肉をすする魔獣の一種。知能は極めて高く。性質は残忍極まりない。さらには獣ながらにして魔術に近い力を操る。その力を畏れ、一部の地方では過去、神として崇められていたこともあったほど。

故郷の屋敷にあった怪異奇譚が記された本には、狒々神に襲われ全滅した村の話や、村娘を生贄に捧げたものの全滅させられた村の話や、攫われたお姫様を探しに行ってやっぱり全滅の憂き目にあった騎士団の話などが載っていた。

しかし毎度毎度全滅に追い込まれていたのは昔のことで、今では対処法が徐々に判明しつつある。

確か、まずは行動範囲を調べあげてねぐらを突き止める。仕掛けるのは必ず昼。これは狒々神が夜行性なためだ。

次に魔術師を大量投入し、狒々神の動きを封じる、ないしは鈍らせて角を折る。

皮膜を破壊し逃亡を防ぐ。

最後に必ず首を胴体から切り離す。

この4ステップなのだが、すでに3段階目までクリアしている。

「ウォーレスさん、角を折って皮膜の破壊まで済んでいるようですが、勝算は?」

いかほどでしょう。

ウォーレスは器用に眉を片方あげた。

「あんた良く知ってるな」

なにせ解呪師としては落ちこぼれすぎて暇を持て余していたものだから、やたらたくさんある蔵書を読み漁るか、山で木の実や薬草を採るぐらいしかすることがなかったのだ。

「残念ながらほぼない。というわけでラグナルを連れてさっさと逃げろ」

3段階目までクリアしているのに!?

「圧倒的に人数が足りない。今、ルツとノアの二人でこれだけ持っているのが奇跡だよ。よほど何かに痛めつけられたらしいな」

――何か

かつて神とまで言われた魔獣を追い詰めたのは何なのだろう? 興味を引かれたが、今はそんなことにかまけている場合ではない。

「私が街まで走って、救援を呼んでくるまでの間、持ちこたえられますか?」

「まあ、無理だろうな。だがノアを逃すぐらいはやれるかもしれん」

ノアを? それはこのパーティの中で彼が最年少だから?

「あいつ、あんなんでもいいとこの跡取りらしくてな。何かあればあれだけは逃がすとルツと約束してるのさ。それに死ぬなら年を食ってるやつからってのが順当ってもんだろ」

ウォーレスの声は妙に静かだった。もうとっくに覚悟を決めているのかもしれない。

障壁がひび割れるような不吉な音を立て始めていた。

「逃げきれよ」

ウォーレスは体を起こし、右足を引きずりながら皆の元へ歩き始める。

――どうしよう? いや、決まっている。ウォーレスに言われた通り、逃げて救援を呼びにいくべきだ。だって私がいても役に立つはずがないのだから。

考えてから頭を振る。そんなのは詭弁だ。自分が助かる道を探しているだけだ。

死ぬのは年を食ってるやつから――

ノアと私では、3、4歳の差しかないだろう。けどその差が今はとても大きく感じる。

ウォーレスの背中を見つめる私の腕を、小さな手が引っ張った。

「イーリスお姉ちゃん。黒魔法使っていいよね?」

「ラグナル……」

膨大な魔力を持つダークエルフのラグナルなら狒々神に対抗できるのかもしれない。しかしそれは本来の力があってこそ。彼の力がどれほど執念深く封じられているか、彼の背中に刻まれた印を見て知っている。

私はラグナルの前に膝をついた。

「街の方角はわかる?」

ラグナルが無言で頷く。

「逃げて。ロフォカレのオーガスタスに事情を話して救援を要請して。貴方が逃げる為に必要な黒魔術の使用は許可する」

「やだっ、やだよ。どうして僕だけ。あいつに黒魔法を使っていいって言って」

私はラグナルの手を取り両手で握りしめた。

「貴方の力は貴方が思っているようには使えないの。――そうでしょう?」

ラグナルは眉を寄せて考え込んだ。何かを探るようにぎゅっと目を閉じ、泣きそうな顔になって目を開ける。

「ノアもすぐに後を追うから。ラグナルにしか頼めないの。だからお願い」

そう言って固くラグナルを抱きしめる。

今一番に逃がすべきなのは、ラグナル。