作品タイトル不明
#01.
春雨がしとしとと降る朝。ベッドに横たわっていたプリシラは、冷たい布団の温度に身をすくめた。
昨日までは少し暑く感じられたので薄手の布団に替えたばかりだったが、彼女の努力をあざ笑うかのようにやってきた寒さのせいで、朝から体が冷え切っていた。
ただでさえ窓を開け放したままだったので、プリシラの部屋は外とさほど変わらないほどだった。
寒いから、窓を閉めて布団を替えなければならない。けれど、寒くて動きたくない。それでも、やはり寒い。
起きなければならないという思いと、起きたくないという相反する感情に挟まれ、丸まったまま目を閉じてどれほど経っただろうか。起きる時間になってもプリシラが出てこないことを心配したリュエンが、扉を叩く音が聞こえてきた。
「プリシラ? 起きているか?」
「うん……」
「プリシラ? 大丈夫か? どこか具合でも悪いのか?」
プリシラの声が掠れていたせいだろうか。慎重に扉が開く音がしたかと思うと、リュエンが部屋の中に入ってきた。彼がベッドの端に腰掛けるのを感じたプリシラは、布団の中からひょっこりと顔を出して言った。
「大丈夫よ。病気じゃないわ。寒くて起きるのが嫌だっただけ」
「言われてみれば……部屋が冷えすぎているな。風邪でも引いたのではないか?」
寒いとは言っても、あくまで室内だ。野営に慣れているプリシラが、この程度で風邪を引くはずがない。それでもリュエンは心配なようで、彼女の額に手を当てた。
普段はプリシラの体温の方がリュエンより高いのだが、今日ばかりはリュエンの体温の方が高かった。温かい手が冷たい頬に触れると、心地よかった。
「今日はなんだか、あなたの方が温かいわね」
「そなたが冷たすぎるのだ。本当に大丈夫か? 体が冷え切っているぞ」
「このくらい平気よ。でも、ちょっと寒いわね。来たついでに、窓を閉めてくれる?」
「少し待っていろ」
言い終えたリュエンがベッドから立ち上がったかと思うと、瞬く間に部屋の中が暖かくなった。
いや、暖かいのではない。暑い。布団を被っていることすら苦痛なほどに暑い。目を閉じたままうつらうつらと言葉を紡いでいたプリシラは、突然の熱気に両目を見開き、弾かれたようにベッドから起き上がった。
見れば、窓は二重にきっちりと閉ざされ、部屋の中央には白い炎が燃え上がっていた。炎は周囲のものを焼きはしなかったが、熱気があまりに強いため、部屋の中は一瞬で熱帯と化してしまった。
「ちょっと、リュエン。何をしているのよ」
「部屋を暖めているのだが?」
「これじゃ蒸し殺されちゃうわ。もう十分よ。暑い」
「まだ体が冷えている」
「冷えてないってば」
「ダメだ」
(いや、本人が大丈夫だと言っているのに、なぜリュエンがダメだと言うのよ?)
納得はいかないが、リュエンの厳格な眼差しを見るに、プリシラの体が完璧に温まるまでは部屋から出すつもりはないようだった。おかげで、朝から肌が赤らむほど体を温められたプリシラは、疲れ果てた顔でようやく部屋を出ることができた。
「リュエンは厳しすぎるわ」
「そなたが適当すぎるのだ。そもそも、この天気でなぜ窓を開けて寝た?」
「昨日の夕方までは暑かったんですもの」
「誰かが侵入でもしたらどうする。いくら暑くても窓は開けるな。どうしても開けたいなら、私に事前に言え」
この家にはプリシラが張った守護結界があるため、敵意を持つ者が侵入することは不可能だ。リュエンも知っているはずなのに。そんなに心配なのだろうか。ふむ。
(おかしいわね。私がリュエンの保護者だったはずじゃなかったかしら?)
リュエンと一緒に暮らし始めて一ヶ月。確かに、最初はことあるごとに倒れるリュエンをプリシラが世話していたはずなのだが、いつの間にかリュエンがプリシラを世話しているような気がする。うーん、いつからだったか。
(リュエンが家事全般を引き受けた頃かしら? うーん……)
分からない。まあ、多少過保護ではあるものの、誰かが自分を気遣ってくれるというのはそれ自体ありがたいことなので、深くは考えないことにした。朝ごとにリュエンが用意してくれる食事にありつけるなら、プリシラは大抵のことは笑って流せる。
今日が寒いせいか、今朝は特に温かい料理が多かった。聞けば、リベリアはこの時期に「花冷え」が厳しく、非常に寒くなるのだという。時には雪まで降ることもあるため、服装には特に注意しなければならないのだとか。
湯気の立つシチューに焼きたてのパンを浸して食べながらリュエンの説明を聞いていると、彼女が食べる様子を見守っていたリュエンが、彼女の口元についたパン屑を拭いながら尋ねた。
「プリシラ。今日の予定は何だ?」
「今日? うーん、そうね」
最近のプリシラは、店を開くために薬草や素材などを採取しに魔の森を通っていた。空っぽだった陳列棚にも品物がだいぶ揃ってきて、あともう少し補充すれば店を開けそうだった。
今日もいつものように魔の森へ行こうと思っていたが……。
「雨も降っているし、今日は休もうかしら」
「名案だな。最近は休みなしで働いていたから、一日くらいはのんびり休むといい」
確かに、言われてみればこの十日間ほどはまともな休息も取らずに開店準備を続けていた気がする。
「リュエン。あなた、まだ完治していないのに、私が連れ回しすぎたんじゃない? 大丈夫?」
「体はもうすっかり良くなった。私よりそなたが心配だ。そなたはリベリアの気候にまだ慣れていないだろう? この時期に寝込む移住者は多いのだぞ」
「私なら平気よ。これより過酷な場所でも平気で過ごしてきたんだから」
まだ動ける。けれど、休息は大事なもの。今日は家で二人きり、睦まじく休むことにしよう。そう決心したプリシラがリュエンに伝えると、彼の目が細められた。
「そなたはもう少し、言葉を選んだ方がいいようだな」
「え? なぜ? 私、何か変なこと言った?」
「……その意図がないところが、より 性質(たち) が悪い」
一体何のことを言っているのだろうか。気にはなったが、大した話ではなさそうなので無視してもいいだろう。プリシラが肩をすくめると、リュエンは溜息をつきながらプリシラをぎゅっと抱きしめた。
「リュエン? 急に抱きしめられたら驚くじゃない」
「悪いのはそなただ。だから甘んじて受け入れろ」
リュエンは離れようとすればするほどしがみついてくるので、このままにしておくのが得策だ。どうやら今日は一日中、暑い日になりそうだ。彼に抱かれたまま降る雨を眺めていた、その時だった。
――コンコン。
扉を叩く音に、プリシラの視線が玄関へと向いた。
こんな時間に、こんな日に自分たちの家を訪ねてくる者は二人しかいない。そのうち一人は帝国へ帰ったのだから、扉を叩いているのは間違いなくライディス公だろう。
リュエンと視線を合わせたプリシラは、ちょうどよかったと彼の腕から抜け出し、玄関へと歩みを進めた。後ろからリュエンの不満げな視線を感じる気がするが……
まあ、これだけ抱きしめられていれば十分だろう。