作品タイトル不明
553 まだ癒えない心の傷
国境に向かうまでの間、まぁまぁの時間がかかる。
という事で、莉奈は揺れる馬車の中、色々な話を聞かせてもらっていた。
バス代わりのこの便利な幌馬車は、主に辻馬車や乗り合い馬車と呼び、国や地域により特色があるそうだ。
多くの場合は、幌馬車や荷馬車などを改造して、人がたくさん乗れる様にしているのだが、専用車両を牽引している物もあるとか。
アーシェスやローレン補佐官が、引率してくれる先生かガイドみたいに、分からない事を色々と教えてくれるので、修学旅行か観光みたいで楽しかった。
——30分後。
「ケツが痛ぇ」
国境側に着き、馬車から降りたエギエディルス皇子がお尻を撫でていた。
そんなエギエディルス皇子を見て、莉奈はため息を吐いた。
「だから、クッション敷けば良かったのに」
「それは、クッションじゃねぇ!! スライムだ!!」
エギエディルス皇子に続くように降りた莉奈がそう言えば、エギエディルス皇子が違うと反論していた。
どうしてもスライムだと言う事が、気になるらしい。
幌馬車の屋根から、ヒラリと降りて来たフェリクス王は、莉奈と弟のやり取りに片眉を上げたが、チラッと見ただけですぐにスルーした。話の内容は分からないが、碌な話でないと判断した様だった。
「そこでまた手続きだ」
国境を越えるので、街への入場同様に身分証の提示や確認があるみたいだった。
ウクスナ公国側の街に着けば、再び身分証の提示と入国税を払うそうだ。
不審者を入れないためとはいえ、色々と手続きが面倒くさい。
ちなみに、手続きする場所は街に入る時同様で、入管所か入管場でする。当然、他国に入る手続きの方が厳しい。
「あ」
手続きをするため馬車の停留所から歩いていけば、目の前には大きな川が国と国を挟む様にして流れていた。
今は流れが穏やかだが、泳いで渡るのはかなり距離があり無謀だ。
その川には、レンガ造りの大きなアーチ橋が掛かってあり、馬車も人も通れるみたいだった。
アーチ橋の出入り口には、監視や管理所を兼ねた小さな建物が建っている。そこで、ゴルゼンギルに入った時みたいに身分証を提示したり、入管料を払ったりする様だ。
国境沿いの街だけに、対魔物の警備兵だけでなく国境警備隊もいるので、重々しい。
対岸側にも数多くの兵が見える。川から侵入する魔物は少ない代わりに、人への警戒が強くなる様だ。侵略はもちろん密入して来る恐れもあり、互いの国の兵が等間隔で見張っているみたいだった。
———ドクン。
その川と橋を見た途端、莉奈の心臓が跳ねた。
異様に早鐘を打つ心臓に胸が締め付けられる。
……どうしたんだろう?
急に街の喧騒が静かになった気がした。
———ドクン。ドクン。
莉奈(じぶん) の心音が、やけに頭に響きわたる。
頭まで心臓になったみたいだ。
「……リ……ナ」
遠くで誰かが自分を呼んでいる。
誰?
脈打つ音がうるさくて、よく聞こえない。
———ドク、ドク、ドク。
胸が痛い。
身体がステレオになったみたいに、心音が響いて聞こえていた。
胸を押さえる手が、何故か震えて止まらない。
寒くないのに、手足がやけに冷たいのは何故だろう?
「はぁ……はぁ」
自分の息遣いが激しくて、耳障りに聞こえる。
どうしたんだろう? 目が霞んできたし、息も何だか苦しい。
あれ? 息ってどうやって吸ってきたんだっけ。
吸っても吸っても苦しい、息が詰まる。
耳からドクドクとうるさい心音に混じり、キンキンと変な音までする。
落ち着かせようと息を大きく吸えば、川の匂いで吐き気がした。
気持ち悪くて口を手で覆えば、今度は目や頭がクラクラとして景色が歪んで見えた。
———私、何でココにいるの?
「リナ!」
目の前が霧の様に霞んだ瞬間———
何かがふわりと莉奈の全身を包み込んだ。
あれ? おかしいな。
真っ白ではなく、真っ暗だ。
遠くでフェリクス王の声が聞こえる気がして、ボンヤリしていれば、身体にふわふわとした浮遊感を感じた。
「少しだけ我慢しろ」
耳元にそんな声が聞こえたが、莉奈は息が苦しくて何も考えられなかった。
◇◇◇
———ふわふわ。
———ゆらゆら。
ココがどこだか分からない。
莉奈の意識は揺れていた。
———ポン。
———ポン。
莉奈をふわりと包む温かい感触。
そして、ポンポンと背中を優しく叩く感触がものスゴく心地よくて、なんだか身体がポカポカしてきた。その優しい感触は、莉奈の冷えた心に、ゆっくりゆっくりと温かさを戻してくれていた。
……あぁ、この温かくて優しい感触。
小さい頃、悪夢を見て眠れなかった莉奈を、ポンポンと優しくあやしてくれたお母さんみたいだ。
『莉奈の悪夢がどこかに行きますように』
そう言って、莉奈が寝るまで優しく抱き締めてくれたんだ。
……あれ?
あんなに息苦しかったのに、息が吸える。
痛いくらいにうるさかった心臓も、今はスゴく静かだ。
さっきまでした嫌な川の音や匂いも、まったくしない。
その代わりに鼻腔にふわりと、お母さんとは違った懐かしさと安心する香りがする。
あぁ、この香りは———
「……お父さん」
———ドス。
「誰がお父さんだ」
手を伸ばした先にあった服をギュッと握り、そう呟いたら、苦笑混じりの柔らかい声と、軽い痛みが頭上に振ってきた。
「痛い」
だが、その痛みが無性に嬉しい。
気付いたら動悸も息切れも、目眩さえもしていなかった。
「少し飲んどけ」
目の前には、いつものフェリクス王の顔が見えた。
あぁ、この世界で一番安心する顔だ。
彼がいれば何も怖くはない。
フェリクス王が、 魔法鞄(マジックバッグ) から取り出した冷たい水を飲めば、頭が徐々に冴えてきた。
「冷たい」
莉奈のカラカラだった口や喉が、ゆっくりと潤っていく。
ただの水だけど、この冷たさが不思議とホッとする。
口や喉だけじゃなくて、身体中が癒されるみたいだった。
「へへっ」
フェリクス王と目が合えば、自分を見てくれているのがものスゴく嬉しくて、莉奈はフニャリと笑った。
そんな莉奈の頭を、フェリクス王はクシャくしゃと優しく撫で回すのだった。
◇◇◇
「ん?」
落ち着いた莉奈がキョロキョロとすれば、ここは川沿いではなかった。
どこかの路地みたいだが、ゴルゼンギルより少し殺風景な街並みが、通りに見える。
「川はもう渡った。ここはウクスナ側の国境の街"マヨン"だ」
莉奈が落ち着きを取り戻したのを確認したフェリクス王は、莉奈を包んでいたマントを 魔法鞄(マジックバッグ) にしまっていた。
ふわりとした浮遊感は、フェリクス王に抱えられたまま、あの川を飛び越えていたからだろう。
「あれ?」
手続きはしていたっけ?
急な気分の悪さに、莉奈は何も記憶がなかった。
だけど、手続きしないで国に入れば、立派な不法入国者だ。莉奈が気付いていないだけで、すでにやっておいてくれたのだろう。
「あぁ、エディ達も来たな」
気配を感じたフェリクス王は、莉奈の頭をポンポンと優しく促すように叩くと、路地から出た。
「リナ!!」
心配そうなエギエディルス皇子が、莉奈とフェリクス王を見つけ駆け寄って来るのが見えた。
「エド」
仔犬みたいなエギエディルス皇子が可愛くて、莉奈は思わず両手を大きく広げて迎えた——
———が、いつまで経っても腕の中に飛び込んで来る気配はなかった。
むしろ、その手をパシリと払われてしまった。
「飛び込むかよ。バーカ」
そう言って笑ったエギエディルス皇子の笑顔に、莉奈は再び救われた気がした。