騎士の夫が、王女に愛を誓うので
作者: ひよこ1号
本文
夫が帰ってこない。
セレーデは、ふう、とため息を吐いた。
帰ってこない夫は、騎士である。
と、いっても純粋な騎士というよりは次期伯爵を継ぐまでの名誉職のようなものだ。
貴族の子弟達に人気のある、宮仕えの騎士である。
勿論、たゆまぬ鍛錬をしてきていたし、学生の時分から花形の近衛騎士団に入ると意気込んでいた。
婚約者だったゲオルードの様子がおかしくなったのは、王女の護衛を任されてからだったと思う。
それまでの明朗快活さと共に、何かを失ってしまったようにセレーデには見えていた。
王女への親愛に傾き、忠誠とは聞こえがよいものの、職務から逸脱しているように感じる事も多い。
セレーデも婚約者としては随分蔑ろにされてきたのだ。
逢瀬(デート) の予定は直前であっても、取り消しになることもしばしば。
それも、王女様の傍に居て欲しいという可愛らしい我儘だとか、珍しい物が手に入ったから是非下賜したいから、とか。
要するにくだらない用事である。
時を同じくして騎士を婚約者にしていたメアリアという友人も、同じ目に遭っていた。
仕事だから仕方がないだろう、とは騎士達の弁。
「結婚する意味あるのかしら?」
セレーデは学生の頃にそうゲオルードに尋ねたところ、彼は顔を真っ赤にして激高した。
「結婚していなければ 王女護衛隊(プリンセスガード) に入れない。君は私の職を奪う気か!?」
つまりそういうこと。
花形の職に就きたいから、という事ではない。
可愛らしく美しい姫様の傍に侍っていたいから、形だけでも結婚しておきたいのだ。
未婚の男女であってはならないという、規則に従って、である。
表向きは仕事だし、仕事を優先するという事に文句は言えない。
これが浮気ならばどうとでも出来たのだが、結婚を解消するに足る理由とはいえなかった。
もう一人の友人サリエルは、諦めて仮面夫婦となると言っていた。
メアリアは幼馴染だった事もあり、諦めきれないらしい。
王女に傾倒するまでは、本当に良い婚約者であり、恋人であったという。
けれど、セレーデは普通に政略での婚約だ。
最初は確かに、お互い歩み寄りつつ良い距離で良い関係を築けていた、と思う。
照れ臭そうに贈り物を身に着ける姿や、一緒に出掛けた思い出も、心の中にはまだ眩しいままで残っている。
結婚すれば少しは、と希望もあったけれど、初夜さえ行われなかったのだ。
「勤務があるから、先に寝ていてくれ」
そう、花婿姿から騎士姿に着替えて、さっさと出て行ったのだ。
花嫁姿のセレーデを置いて。
それから半年あまり、触れ合う事すらなく夫の帰りを待つ日々だ。
別にじっと待っている訳ではない。
手持無沙汰すぎて、領地運営や補佐、外国語の勉強もしていた。
忙しい方が気がまぎれるから、と同じ境遇の友人達と。
「そろそろ見切りをつけようと思うの」
悲しそうに涙を零しながら、メアリアがそう言った。
「こんなのって、耐えられないわ……」
ぽろぽろと涙が頬を伝って落ちていく。
痛ましい姿に、セレーデの胸もしめつけられるようだった。
自分はまだ良かった……いや良くはないが、思い出と時間を積み重ねて来て裏切られた訳ではない。
でも、腹の底に言い知れぬ怒りはある。
それは不当に扱われ、尊厳を踏みにじられた怒りだ。
仕事ならば良い、という事でもない。
仕事の為に家庭だけ、妻だけが犠牲になる仕組みがおかしいのだ。
「だって、王女殿下に白い結婚の誓いを立てたと言うのだもの……」
「「「えっ?」」」
皆が皆、驚いたようにメアリアを見た。
セレーデも知らなかったし、他の皆も知らなかったようで唖然としている。
「はぁ、そういう事でしたのね。馬鹿にされた訳ですわね、わたくし達」
怒気を込めた声でサリエルが言い放つ。
セレーデも頷いた。
そして、ずっと頭の片隅で考えていた事を実行しようと決心がつく。
本当はもっと別の解決法もあるのだろうが、どうにも度し難かった。
怒りを笑顔で隠してセレーデは、妻達に視線を巡らせる。
「それならば、良い考えがございますの。メアも見切りがついたから実行できることですのよ?わたくし今までずっと、この結婚生活をどうするか考えて来たのですけれど」
ただ勉強して、気を紛らわせていただけではない。
政略とはいえ、家が絡む結婚である。
このまま告げられもせずに実行されていた白い結婚を貫くわけにはいかない。
三女とはいえ、侯爵家から伯爵家に嫁いだセレーデは、義両親からはきちんとした待遇を得ていた。
ゲオルード本人の問題であるにも関わらず、セレーデには謝罪し、ゲオルードには叱責を与えていたのも知っている。
だからこそ。
「全員が全員賛同して下さるかは分かりませんけれど、わたくし達と家門の存続について考えました事を共有させて頂きますわね」
そして1カ月後、七人の妻とその両親、義両親が招集された。
ただし、夫は除外して。
音頭を執ったのはセレーデと、その実家の侯爵家である。
騎士達の両親は肩身の狭い思いで、何が始まるのかと互いに目を見交わしていた。
この一か月、不穏な噂話が市井で広まり、とうとう貴族達の間でも噂されるに至っているのである。
姫と騎士達の奔放な恋愛について。
騎士達は結婚間もないのに家に帰らず、王女殿下に忠誠だけでなく愛を捧げているという噂だ。
元々市井では、時折噂されていたのだという。
王女が公務だ何だと出かける先に、常に煌びやかな騎士の護衛が付くものだから、憧れとやっかみを込めてそんな噂が立っていたらしい。
そんな噂が立つほどの王女と騎士の距離の近さや振る舞いが民達の目の前でもあったのだ。
国王陛下も勿論その噂には危機感を覚えていた。
そこで、セレーデの実家のアロワイス侯爵家から奏上された事を裁可するに至ったのである。
「本日はご足労頂き有難う存じます。実はこの度、王女殿下に愛を捧げる 王女護衛隊(プリンセスガード) の妻より、ご実家の皆様へと通達したい事がございまして、お集まり頂きました」
流石に、セレーデの痛烈な嫌味に、騎士を輩出した子爵から訂正の言葉が入る。
「市井ではそう噂が立っているが、仕事に忠実なだけでしょう。何故夫の品位を貶めるのですか」
「では、言い方を変えましょう。王女殿下に貞操を約束し、妻に白い結婚を強いる男達の被害者の会と申し上げれば宜しいでしょうか?」
「な………」
初耳だった子爵は目を見開いて、隣に座る妻を見れば、妻も苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
「お恥ずかしい事ですが、わたくし達は皆、初夜すら迎えていないのです。何故なら、7人とも初夜の晩に王女殿下の元へ夫が馳せ参じていたものですから。勿論、その後も共寝した事もございません」
「それなのに、子供をとわたくし達に迫られても困るのです」
冷たくサリエルが付け加えた。
サリエルの嫁いだ、ミオタ子爵家の二人は蒼くなって視線を落とす。
今までずっと、サリエルにだけ子はまだかと催促していたのだ。
初夜もまだなら出来る筈がないのである。
「忙しいから、疲れているから、という言葉が仕事によるもので真実であれば良かったのですが、騎士達の婦人会で訊いてみたところ、 王女護衛隊(プリンセスガード) は最近王女によって設置され、施行されたばかりの一番楽な部署と言われておりました。激務の筈がない、とまで」
今までずっと、激務だと息子達からは聞いていた親も、王城に勤めていれば薄々感じとってはいた。
王女の我儘に振り回されているだけで、遊んでいるようなものだ、と揶揄もある。
高位の貴族はまだしも、下位の貴族の間では 王女子守隊(プリンセスナニー) という不名誉な二つ名さえ囁かれていた。
改めて思い知らされて、離婚と慰謝料の二文字が浮かぶ。
だが、セレーデは続けて言った。
「さて、夫たちの事はどうでも良いのです。大事なのは二点。
一つは、王女殿下との悪い噂を払拭する事。これは王家のみならず我々の家名に泥を塗らない為でございます。
もう一つは、家門存続のために、子供を生さなければならないという事です」
義両親たちは、この二つには大きく頷いた。
詰られた上、とんでもない要求があるのかと思いきや、常識的な話である。
家名と後継は貴族として、守らなければいけない大事なものであった。
「ですので、婚家の皆様には、一族の中から内縁の夫を見繕って頂きます。ただし、これは種だけで良いという訳にも参りません。いずれ家を継げるだけの後継教育もして頂きます。妻と閨を共にする時間もないのですから、領地の事など今の夫は何も出来ませんでしょう?いつまでも両親に頼り切る訳にも参りませんもの」
「つまり、夫の役割を別の者に与えるという事だな?」
「ええ。でも婚家の御血筋でないとなりません。内縁の夫にもきちんと権利を差し上げたく存じます。子供の実の親としての権利、それから夫たちには騎士の俸給がございますので、各家から出る夫への手当ては全て内縁の夫へお願い致します。子供が無事後継として育った場合は、生涯の年金と家に住まう権利。望むなら家を出る権利もです。更に、夫婦の話し合いにもよりますが、後々内縁でなく正式な夫婦としてもやっていけるよう、出来るだけわたくし達を妻として支えて下さる方をお願いしたく。でないと、夫婦関係がより破綻するでしょう」
一気に言って、セレーデはそこで言葉を区切ってにっこりと微笑む。
「もしまた蔑ろにされるような事があれば、噂になってしまうのではないかと存じますの。貞操の誓いについて。そうなってしまったら、王室の覚えは悪くなりますでしょうね」
完全に虎の威を借りる狐だが、セレーデはそれで構わなかった。
そもそも国王夫妻すら脅しにかかったのである。
家を結び付ける婚姻で、子供を作らせないような横槍を入れた王女は、身分制度を破壊しているのだ。
騎士達の家門ばかりか、妻達の家門にまでその影響を及ぼしている。
何のことは無い、自らの虚栄心を満足させるお遊びの為に。
国王夫妻とて市井に噂を広めたのが誰かも見当はついているだろうが、実際はもっと酷いのだから咎めようはない。
王女のした事は噂より……一時の遊びや気晴らしでの奔放な振る舞いよりも、性質が悪いのだ。
修道院へ入れたとして、噂が本当だったのだと思われるだけで、王家の信用は失墜したまま。
真実を暴露されれば、貴族達からも背を向けられてしまう。
だからこそ、騎士達の妻に子供が出来たという実績が必要なのである。
そしてそれは、きちんと次代の子供を残すという利点にも繋がるのだ。
本来なら即刻離婚する事になり、騎士達も解任されて仕事を失うし、嫁ぎたいという貴族女性はいないだろう。
逆に嫁も白い結婚だとしたところで、今更貰い手が現れるかは不明である。
ならば、ここで改めて婚家に恩を売り、安定した将来を勝ち取った方が良いという打算でもあった。
一時的な慰謝料よりも、夫人としての権利と俸給の方が遥かに大きい。
「国王陛下の王命となりますの。どうか、よしなに」
婚家である家門が急ぎ後継を立て、内縁の夫達を夫婦の寝室へ送り込んだ後も、正式な夫たちはその部屋に来ることも無く、何も気づかぬままに過ごしていた。
気付いたのは、騎士達ではなく、王女の方である。
「ねえ、どういうことかしら?貴方の妻が妊娠したって聞きましてよ、ゲオ」
「……は?……いえ、そんな筈は。妻とは結婚式で口づけを交わして以降触れておりません」
「もう!その話もわたくしの耳に入れないでって言ったでしょう!」
可愛くむくれる可愛らしい王女に、ゲオルードは脂下がった。
だが、妊娠の話は聞いていない。
「……まさか、浮気、を……」
蒼くなったゲオルードに、にんまりと王女は笑う。
「そんなふしだらな妻は離婚しておしまいなさい」
「ですが、離婚したら殿下をお守り出来なくなります」
王女護衛隊(プリンセスガード) は、わざわざこのマーガレット王女が古い仕来りから引っ張り出してきたものだ。
見目麗しい騎士達に囲まれることが、王女の自慢だったのである。
特にお気に入りの騎士達は傍から離したくなかった。
その際、色々と規則を変更するには手間と時間がかかるので、そのままの規則を適用していたのである。
未婚の王女に侍る騎士が未婚では、間違いがあってはならないという理由で、既婚者である事を入隊条件にしているのだ。
国王夫妻は王女の行動を諫めたものの、いずれは国の為の結婚をする身で、あと数年もすれば国を出る。
それまでの我儘として許す事にしたのであった。
ふうん、とマーガレットは可愛らしく唇を尖らせる。
「それなら、そのままでいいんじゃないかしら?だって、ゲオはわたくしの物でいられるでしょう?」
「は…………は?……でも」
返事をしてから、あまりの言い草に、思わず言葉を返した。
でも。
浮気をされた甲斐性の無い男と、後ろ指を指されるのは自分だと気が付いて、ゲオルードは愕然とする。
王女は良いかもしれないが、政略の上とはいえ、妻だ。
婚約時代から、美しく賢い彼女に好意を抱いていたのに、横から攫われて。
「浮気をされた、許した男などと言われては名誉が……」
「言わなければ分からないでしょう、誰にも。貴方の子として生まれてくるのだから、堂々としていればいいのですわ」
確かに、そうだ。
妻と、自分と、王女と、顔も知らぬ男しか知らない事実で。
でもそれは何よりもゲオルードの尊厳を踏みにじる事実なのだ。
なのに、目の前の王女殿下は、その話は飽きたとばかりに、甘味に手を伸ばした。
「それよりもっと楽しい話をしましょうよ。次の観劇の演目なのだけれど……」
目の前が真っ暗になったゲオルードには、もう王女の声さえ耳に入らなかった。
ゲオルードが久々に王都邸に戻ると、既に両親は領地へ向かった後だった。
家は以前より明るく、柔らかい雰囲気になっている。
何故、と思うが、今まではそこまで家の中を見ていなかった事を思い出す。
「セレーデは」
「今時分は、お庭に出られている頃でございます。お食事はどうなさいますか?」
「いや、いい」
話を聞かねばと庭に向かえば、セレーデの柔らかい笑い声が耳を打つ。
まさか、男を連れ込んでいるのか、と勢いよくその場所へと向かうが、声をかけるより先に声がかかった。
「やあ、久しぶりだなゲオルード」
「あ……ミロシュ 従兄(にい) さん……何故、ここに?」
「ああ、セレーデが身重になったからね、領地の仕事は叔父上と交代してセレーデの 補助(サポート) に専念する事にしたんだよ」
そう言って、ミロシュはセレーデと柔らかく微笑み合う。
ミロシュはゲオルードの従兄だ。
父の姉が嫁いだ伯爵家の次男で、領地の仕事を手伝いながら、後は平民になる予定だと聞いていた。
セレーデの服は柔らかい布地で、 腰当(コルセット) はしていない。
腹の膨らみは分からないが、ミロシュは確かに今、身重と言っていた。
「何故だ、セレーデ。……何故子供が出来ている」
「可笑しな事を仰いますのね?わたくし達は子を生す為に結婚したのではありませんでしたか?」
「そうだ、しかし、私は君に触れていない」
悲しみと怒りを込めたゲオルードの視線に、セレーデはふと微笑む。
「ええ。家同士の約束である婚姻よりも、王女殿下への誓いを優先させた結果ですわね?どうぞ、そのまま王女殿下を優先して差し上げてください」
「何を、言っている、仕事だとあれほど」
「つまり、お前は仕事だと言われたら王女殿下を抱いたりもする訳か」
横からかけられた声に、ガツンと頭を殴られたようだった。
考えてもみなかった言葉に、呆然とゲオルードは声の主であるミロシュを見上げる。
「何てことを……不敬だぞ!」
「お前こそ、仕事を何だと思っている。お前は騎士ではなく男娼か何かか?騎士の職務にお前の貞操の何が関係しているのか言ってみろ」
「……っそ、れは……」
騎士の職務には、何も関係が無い。
ただの王女殿下の我儘を、仕事だと言ってきたのだ。
説明のしようがなかった。
「可愛らしい我儘だと思ったんでしょう?嫉妬する王女殿下が愛らしいと。貴方の人生は貴方のものだから王女殿下に好きなように消費させると宜しいですわ。その寵愛がいつまで続くかは知りませんけれど。でもね、わたくしは御免なのですよ。待っても帰ってこない貴方を待つのも、子供を抱く事すら許されない誓いもね」
先程まで笑い合っていた柔らかい表情ではなく、悲しい顔をしてセレーデは言う。
いつまで続くか分からない寵愛、それを終えたらどうなるのかゲオルードは考えた事が無かった。
それが何年先になるのかも。
「これは王命ですのよゲオルード様。わたくし達は恥を忍んで純潔という事を証明いたしましたわ。王室と神殿の二つの医師にかかってね。白い結婚を知らぬ間に強要されていた私達を、陛下は憐れみ、王女殿下の仕打ちを謝罪されましたわ。王女殿下を敬愛する貴方達を引き裂くよりはと、わたくし達が身を引いたのです。だからどうぞ、王女殿下の元へお帰りになってくださいませ」
「言ってくれれば、俺は」
「そうかしら?帰ってこない貴方にどう伝えれば良かったのですか?何を伝えても仕事だからという貴方に。帰ってきて欲しいという、ただそれだけの事すら聞いて下さらなかった貴方に」
自分のやってきた事だからこそ、ゲオルードには分かっていなかった。
仕事だと言えば全て許されるという勘違いをして、何も聞いてこなかったし、煩いとすら。
この家が戻る場所ですらなくなっていると、セレーデの言葉で漸く気づいたのだ。
随分前に、別れは決まっていた。
決めたのはセレーデではなく、ゲオルードだ。
「いずれ僕達は正式に婚姻する事になっている。セレーデと伯爵家の事は気にしなくていい。僕が大切に守っていくから。お前は王女殿下を守って差し上げなさい」
優しく 掛け布(ショール) をセレーデの細い肩に巻き付けて後ろから抱きしめ、ミロシュはセレーデの髪に口づける。
割って入れない二人を見て、ゲオルードは静かに背を向けた。
セレーデとミロシュの行いが、単なる浮気ならまだ良かったかもしれない。
けれど、国王陛下と両親が認めた夫婦は、自分ではなくあの二人なのだ。
彼女の心はもっと前に、自分が踏みつけにして壊して、失われていた。
もう何もかも取り返しがつかないのだと。
そして、1年後。
王女の嫁ぎ先が決まったのである。
遠く、強大であり富国でもある、マトウシュ帝国の皇帝の第五夫人として。
「な、何故そんな、わたくしに後宮に参れなどと……」
マーガレット王女は国王と王妃の前で取り乱すが、二人の視線は冷えきっていた。
この一年、噂が収まるのを待つ間、国王夫妻は細心の注意を払ってマーガレット王女の動向を見守っていたのだ。
けれど、騎士の妻達の気遣いを勘違いして、増長したのである。
自分の子を諦めた騎士の落胆、妻を他の男へと明け渡した後悔など気にすることも無かった。
彼らの気持ちはどうでもよく、ただ自分を崇める存在であれば良いのだと。
国王は視線と同じく、冷たい氷のような声で告げる。
「断るのであれば、修道院へ行く事も許そう。ただし王族としての待遇は期待するでない」
「何故ですの?近隣の国の王子や我が国の高位令息のように真面な嫁ぎ先がある筈ですわ!」
溜息を吐いて、眉間を揉みながら王妃が答えた。
ぼそりと呟いたのが、お前がまともならね、という言葉だ。
聞き間違いかと問い返そうとする前に、父王と同じく王妃も冷たい声ではっきりと言った。
「では、純潔である証を立てなさい」
「………え?」
「どの家でも、王室でも 処女(おとめ) が求められているという事は嫌という程知っているわね?関係のない種を混ぜない為よ。王室と神殿の医師。全ての診察を受け、証明なさい。……買収などと考えても無駄。どうせ婚家でもその家の侍医に必ず確認されますからね」
教育されて、知っていた。
マーガレットもきちんと王女としての教育は受けていたけれど、見目麗しい騎士達に囲まれて、彼らが自分だけの物になった事に浮かれていたのである。
彼らの妻が浮気しているのなら、自分と騎士達の浮気も許されると、王女も箍が外れてしまった。
勿論応えられないと拒否する者もいたが、受け入れる者もまたいたのだ。
子が出来ないように薬は飲んでいたが、それだけ。
「それは……でも」
口篭もった王女に対して、母親の目は冷たい。
唇を震わせて、吐き捨てるように王妃は言葉を紡ぐ。
「姉姫も妹姫も貞淑な良い娘なのに、何故お前だけ……」
言い訳しようにも、純潔だと証明出来なければ覆す事は出来ないとマーガレットは唇を噛む。
学園でも、夜会でも、見目麗しい騎士達を侍らせて、羨ましがられる事が喜びだった。
まさか、それが幸せな結婚から自分を遠ざけるなどとは思わずに。
今にも泣きだしそうな妻を気遣うように、国王はその細い肩を優しく抱いて、目の前の娘に残酷な未来を告げる。
「マトウシュの皇帝は寛容でな。その様な不埒で奔放な娘でも構わぬと言ってくれている。一人目の子供は皇帝の子と確証が得られぬ為に継承権を持たせず、高位の臣下として迎えて下さるそうだ。お前に似合いの嫁ぎ先だろう」
母親に汚物の如く見られて、父親にも色好きの皇帝と似合いだと言われ、王女は何も言えずに俯いた。
修道院と比べれば、自由がある方がマシだと選んだ嫁ぎ先で、自分が死ぬ事になるとは知らずに。
後宮を抱える皇帝は性に奔放だ。
とはいえ、自分の妻妾に浮気を許している訳ではなかった。
はき違えた王女は皇帝の怒りに触れ、浮気相手の男と共に処刑されたのである。
浮気相手も帝国臣民ではなく外国から来た人間だったからこそ、深く考えずに火遊びに応じてしまったのだが、高い代償を支払うことになってしまった。
王女の死は表向きは病死として、見舞金が幾許か王家に送られてきたが、人の口に戸は立てられない。
数年後、実しやかに処刑の話が伝わり、騎士の妻達の耳にも入った。
無残な王女の最期に比べれば、元夫達の処遇は軽かったかもしれない。
王女の誘いを断った幾人かは、そのまま 王女護衛隊(プリンセスガード) より除隊して、通常の近衛隊の騎士として迎えられて、正式に騎士として勤務する事になった。
ゲオルードやメアリアの婚約者であったスヴェンがそうだ。
生家からは離婚によって縁が切られたが、彼らは一代限りの騎士爵を戴き、下級騎士として一生を過ごす。
途中で改心はしたものの、常識がない者に重要な職務は任せられないという理由で昇進は一生ない部署で。
王女の下に残った者達は、王女の嫁入りと共に騎士の資格を剥奪されるに至る。
そして、正式な離婚を経て、貴族籍からも抜かれる事となった。
平民となり、年の離れた商家の娘に婿入り出来た者などはまだ幸せだったと言える。
王女に請われて騎士として共に付いて行った、サリエルの元夫を含む二名はマトウシュ帝国に着いてすぐに、宦官としての処置を受けた。
二度と女を抱けない身体にされた事は、彼らにとって何よりの苦痛だったろう。
皇帝の目を楽しませる美しい見た目の愛玩物として、そのまま後宮で飼われることになったのである。
騎士達の妻は、どの家庭も内縁の夫を正式な夫に迎え、お互いを尊重しながら円満な家庭を築いている。