軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

162 【コミックス一巻発売記念!】シエル・グリーンヒル(後)

◇◇◇

交渉中の国との国交正常化の目処が立ち、久々に母国に戻った。国境を抜け近場の街で宿を取り、その食堂で緊張を解き一息入れていると、鈴の音のように明るく軽やかな声が私にかけられた。

「あれ? ……シエル先輩?」

「君は……ダイアナ?」

クロエの側近、ダイアナだった。

今ではきっとローゼンバルク辺境伯領の中枢にいる人材だろう。

「うわあ、シエル先輩、元々かっこよかったのに、凄みとか陰とか加わってとんでもない、いい大人の男になってる〜ぅ」

「……なんだそりゃ?」

この十年ご無沙汰だった軽口を叩かれて、目が点になった。

そんなことを言っている彼女こそ、黒髪の艶やかな大人の女性に成長していた。気取らない、快活な雰囲気はそのままで。

自然に私の横に座った彼女に、店員から受け取ったグラスを渡し、酒を注ぎながら尋ねた。

「久しいね。まずはローゼンバルクがグリーンヒルと良好な付き合いを続けてくれていることに感謝を。本当にありがとう。ところでダイアナ、こんな国の端で何をやってるんだ?」

この国境の街はローゼンバルク領からかなり離れている。

「大きな仕事が終わったのでお休みをもらって、ルーツ探し中です」

「ルーツ?」

「私は割と身元がはっきりした孤児なのです。母が私を産んだ際に死に、父は働きながら私を育てられず、養育院に預けて働きに出て、たまに様子を見にきてまた働きに出て……その出先で死にました。父から院への最後の手紙とお金がこのあたりから送られていたそうで」

苦労してきただろうその半生を、彼女は淡々と語った。

「そうか……何か、お父上の消息は掴めた?」

「いえ。まあ期待もしてませんでした。ただ、父がどういう景色を見ながら死んだのか、知りたかったのです」

そう言って、彼女は窓の外を見た。私も真似をすると、そこには美しい夕焼けがあった。

「そういえばクロエちゃん、先輩が平民になったと聞いたとき、とても動揺していました。私たちからすれば、シエル先輩も被害者中の被害者だもの」

ダイアナはそう言って口をへの字にした。

「こうする他なかったと、君なら当事者じゃないからこそわかるだろう?」

「まあ……ね。でも、なんか悔しい。シエル先輩はあの当時私たちが心を許せた、数少ない常識人だったもの。でも常識人だからこそ、ってことよね……」

「平民も悪くないよ。こうして酒場で君と気軽に飲めるのだから」

それは紛れもない事実。貴族に未練はない。殿下がいなければ、意味がない。

「そっか。じゃあ会話も崩しちゃお! ねえ、シエル先輩はまだクロエちゃんが好きだから独身なの?」

「そうじゃないけれど、女性でクロエほど心を揺さぶられる人は現れないね」

「相変わらずいい趣味ですね」

「褒めてもらえて嬉しいよ」

私がテーブルの干し魚を薦めると、ダイアナは美味しそうと言ってつまんだ。

「でも、貴族でなくても優秀な外交官! モテモテでしょ?」

「……大罪人の婚約者だったんだ。いつか厄災の煽りを受けるかもしれない男に声をかける女などいない」

私がエリザベス殿下の婚約者だったことは知れ渡っている。仕事以外の付き合いは腫れ物扱いだ。

「厄災の煽りなんて一生来ないわ。なんならエメル様に確約もらってこようか?」

ダイアナがそう言いながら眉間に皺を寄せる。

「エメル様って、ひょっとしてドラゴン様のこと? ダイアナ、直に話せるの? それはすごいな……」

「エメル様のことは卵の頃から知ってますしね。クロエちゃんの側近だから毎日だべってますよ」

ローゼンバルクはあの頃からずっと変わらず規格外だ。つい声を出して笑った。

するとダイアナはなぜか少しほおを赤らめ、目を伏せた。そして、何か決意した表情で顔を上げた。

「ダイアナ?」

「……シエル先輩、私も仕事が楽しすぎて盛大な行き遅れなんです」

「独身なの? 君こそ……こんな美人で優秀な女性を世の男どもはどうして放ってるんだろうね」

思わず首をかしげる。

「私のこと、本当にそう思います?」

「疑うなんてひどいな。職場で何度か君のまとめた議事録を見せてもらった。文章も過不足なく契約魔法や証明魔法も完璧。君が私の上司であればよかったのに」

そうであれば、私の仕事は一気に短縮されるだろう。私が海外から最短で戻っても、書類の報告、決裁の段階で毎度時間を取られ、イライラしているのだ。

「きらいではない?」

「当然だよ」

「本当にクロエちゃんのこと、良い思い出?」

「さっきからなんなんだ?」

「真剣に聞いているんです!」

よくわからないが正直に話す。探られて困る腹などない。

「クロエのことは、今も昔も好きだよ。でも当時から熱烈な男と女の愛情があったかと言えばそうではない。クロエへの私の気持ちは……表現しづらいけれど……最大級の信頼……かな?」

ダイアナはなぜか真剣らしいから、私も真剣に言葉を探して答えた。

「シエル様、それ、私たちは忠誠って言うんですけど」

「忠誠ではない。たとえクロエの頼みであっても、私は無理だと思えば断るからね。クロエのためには死なないよ。ダイアナと違う。私が忠誠を捧げるのは後にも先にもただ一人だから……」

その生涯ただ一人と定めた人から、遠ざけられた私。それが私のためを思ってとわかっていても、ひたすら……悲しい。

「ダイアナ……そばに立てる君が羨ましいよ」

カランとグラスの氷を鳴らして、酒を飲んだ。

「貴族でなくなったことよりも、そちらの喪失感が大きいのか……。シエル先輩、私はそんな過酷な体験はないけれど、想像することはできます。クロエちゃんを失うなんて想像するだけで、胸が張り裂けそう。だから……私とシエル先輩、案外上手くいくと思うんです」

「……ん?」

「シエル先輩、私とお付き合いしませんか? まずは友達から」

「なんだ? 突然?」

あまりに突飛な申し出に、目が丸くなる。

「考えれば考えるほど、それが一番いいと思うんです。私はシエル先輩の立場を理解できるし、シエル先輩も私のクロエちゃん第一主義に文句言わないでしょう?」

「それはもはやダイアナにとって変えようがないだろう?」

「ほら、わかってる。それに、シエル先輩は貴族じゃなくなった。私の手の届くところに降りてきた」

「ダイアナ……」

ダイアナをまじまじと見つめて……驚いた。目の前の彼女の瞳に……かつて侯爵令息だったころ、私の周囲にいたご令嬢方の瞳にもあった……親愛を超えた何かが見えたから。

「シエル先輩の寂しさに遠慮なく付け込みます。シエル先輩、私に見つかったのが運の尽きです。覚悟してください」

「昔から、物おじしない子だと思ってたけど……」

そう言いながらも、久しぶりの恋愛ごとにたじろぐ。この十年で私はすっかりこの手の免疫が消えていた。

「おかげ様で私の周囲は幸せに満ちています。それは私の幸せでもあるけれど……ふと自分だけ冷え切ってると思う瞬間がある。似たもの同士の私たちがたまに会って、お互いに温め合ってもいいでしょう?」

彼女も、日々充実しながらも、寂しいのだろうか? 贅沢言うな、現状に満足しろと自分を叱咤しながら生きているのだろうか?

「私はもはや、ただの国の使用人で、何も持たないよ」

「私、高級取りです。買えるものは自分で手に入れられます。私がほしいものは、うまく言葉にできないけど……互いを尊重しあった……温もりとか、安らぎ?」

彼女の言葉を心の中で繰り返す。温もり、安らぎ……もちろん私もほしい。

「私は君より魔力も少なくずいぶん弱い」

「シエル先輩は私の持たない教養と、身を引く潔さと、感情を殺して国の再興のために働く強さを持ってる。そして……シエル先輩の目の奥の悲しみを、私がどうにかしたいって……思っちゃった」

そう言ってダイアナは照れ臭そうに口の端を上げた。

この真っすぐで大らかなダイアナに私のような敗者はふさわしくない。はにかむ姿も愛らしい彼女になんとか思い直させようと頭をめぐらすが……あれこれ考えるのも疲れた。

彼女は私の背景を納得したうえで、声をかけてくれたのだ。

「君への想いは……育つかわからない」

「そこは私が頑張るから。シエル先輩は私に時間をちょうだい?」

そこまで言われて……断る理由などない。肩の力を抜いた。

「……そうだね。友達からなら」

「シエル先輩、大事にしてあげます。私が昔みたいに、朗らかなシエル先輩に戻してあげる」

そう言って頰を赤く染めたダイアナの笑顔は眩しくて、思わず目に涙が浮かんだ。私はやはり孤独だったのかもしれない。

「……ありがとう。よろしくね、ダイアナ」

静かにダイアナに手を重ねた。

◇◇◇

それからも私は、国外を走り回った。でもいく先々にどんな遠くても彼女の紙鳥が届いた。

そして帰国したときには忙しい彼女は休みを合わせ、待ち構えてくれていた。私も彼女の驚く姿を見るために、行く先々でとっておきの土産を探した。

私に帰る場所ができた。