軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

8.エレーナ・ラッドフォード

王都、ラッドフォード公爵邸。

エメリは、ラッドフォード公爵との晩餐を楽しんでいた。

「あの子も、大人になりましたわ」

領地で見てきたレナンドについて話をしていたところだ。

「それはなにより。エレーナくんとはうまくやっているようだったか? なんというか、二人とも若いのに随分と淡白な感じだったからな」

「いい子が過ぎるのでしょう? そのうち慣れますわよ。私と、貴方みたいに」

公爵は苦笑いする。過去の自分を棚にあげていた。

「そうであったな。懐かしい記憶だ」

公爵家の跡継ぎという立場は重い。その妻という立場も。エメリであっても、その立場を含め楽しめるようになるにはいくばくかの時間が必要であった。

「それで、いかがでしょう、例の件は。ご検討いただけましたか」

「うむ。そうだな……」

公爵は、ワインをあおる。

しばしの間。

燭台の明かりが揺れ、二人の影を躍らせる。

「良いだろう。二人があの負債を返済し終えた暁には、家督を譲ろう」

「ありがとうございます」

「早くて五年だったか?」

「はい。長ければ十年ほどかと」

公爵はその立派なひげをひとなでする。

「五年ではちと早いが、あやつなら大丈夫か」

「ええ、問題ないでしょう。そうしたら、二人でゆっくりと旅行にでも参りましょう」

「そうだな。こんな話をするとは、私も歳をとったものだ」

「あら、私はまだ年寄りのつもりはありませんわよ」

エメリは悪戯な笑みを浮かべる。

実際に、公爵の目には可憐さこそ年相応の色気に変わったが、変わらぬ美しさを誇る妻が映っている。

「違いない」

公爵はグラスを替え、エメリにも促す。

侍従が新たな酒を注ぐ。

「あの子たちの未来に」

「乾杯」

レナンドとエレーナは、アイーダと共にロックバード・カンパニーの本部にいた。

「実際に動き始めたね」

レナンドは、窓から外を見やる。

「そうね、皆よくやっているわ」

アイーダもそこから下を覗く。

眼下には、この建物に入ろうという人の行列。

職人の公的な登録が始まったのだ。鉱山の中で実際に働く者をはじめ、加工や流通など関連する職の者まで広く集めている。下の階の受付は大賑わいだ。

「レナンドお兄様もエレーナも、またとんでもない事を始めたものね」

「あら、ここは貴女の会社ですわ」

エレーナの言葉に肩をすくめるアイーダ。

「名前を貸しただけみたいなものじゃない。開店準備はそりゃあやりましたけれど。それにしても……なんでロックバードの名を付けたの? そこまでせずとももうあなた達に従わない者なんてこの街にいないでしょう」

アイーダは、ずっとその点が引っ掛かっていた。自分に仕事を押し付けるだけにしては、自分の両親まで呼び、ずいぶんと大仰な事をしている。

「そうだね。僕らには、ね」

「どういう事?」

アイーダはレナンドの言葉をすぐには理解できなかった。

「僕は、いずれ父からラッドフォード公爵の座を受け継ぐ。エレーナも公爵夫人になる。そうしたらこの領を直接治めることはできなくなるからね」

「だから、アイーダのご両親にもきちんと了解を得て、ロックバードの歴史と威光をお借りしたのですわ」

「それは……私に領主になれと言っているの? 平民になった私に?」

レナンドは首を横に振る。

「いや、そうなる可能性は大いにある。でも、そうならないかもしれない。だからロックバードの名をここに置いたのさ」

「アイーダ、貴女が誰かに嫁いだら、貴女はロックバード姓ではなくなるでしょう?」

エレーナに言われて、ようやくアイーダは理解が進んだ。

「ああ、そういうこと。私がいなくなろうともロックバードの名のもとに領内が一致できるための旗印、ね」

「そうだね。ロックバード家の治世は長かったから、五年や十年で新たな体制に完全に馴染むものではない。でも十年後に僕らやアイーダがここにいるとも限らないから」

「私が立ち上げた会社ならロックバードを冠しても不自然ではない、ってことね。いつも思うけれど、あなた方、どれだけ先を見ているの? 私怖くなってきたわ」

「アイーダがここにいてくれて本当に助かりましたわ」

エレーナはにっこりとほほ笑む。

「初めから、ケンカを売った相手が悪かったってことね。骨身に染みてよくわかったわ」

アイーダは両手を上げて降参のポーズをした。

「運命とは奇妙なものです。あなたがロイズに手を出さなかったら、私はレナンドと結婚していなかったでしょう。あの行いは許されませんけれど、今となってはある意味感謝していますわ」

「私もあんな酷い目にあってないし、今こうして平民暮らしもしていないでしょうね。はいはい、今こうして生きていられるだけで感謝してるわよ」

――今となっては、過分なまでに、幸福に。

皮肉めいた口調で言うものの、アイーダの感謝は形ばかりのものではなかった。

幾日かが過ぎた。

「エレーナ、今日は何の日でしょう?」

エレーナが領主公邸で皆とお茶を嗜んでいると、レナンドが降りてくる。

「もちろん覚えていますわ。あなたに結婚を申し込まれてから、ちょうど二年ですわね」

「そう、正解! 覚えてくれていたんだね。これを」

レナンドは化粧箱を取り出す。

エレーナが開けると、そこには宝石の入った綺麗な銀の髪飾り。

「ここで採れた銀からエレーナのために作らせたものだよ」

「まあ、ありがとうございます。大切にしますわ」

レナンドは記念日を大切にしてくれる。

「そういうのは二人だけの時にやってよね。私、銀の髪飾り嫌いなの」

アイーダはお茶をがぶ飲みする。

そういうアイーダの髪には今日は鼈甲と金細工の髪飾り。

「あら、貴女も素敵な髪飾りをしているじゃない。トッドから?」

「ブッ!」

トッドがお茶を吹き出す。

「汚いわね! 違うわよ!」

「俺ではありません!」

「そうです、奥様! トッド様がアイーダ様にお贈りするとは思えません!」

アンまで混じって否定される。

「……お母様からよ」

アイーダは若干気恥ずかしそうに、視線を背ける。

「そう、よかったわね」

アイーダはご両親と着実な一歩を踏み出せたようだ。

「ごめんね、アイーダ。もう今日は出なければならないから、今しかなかったんだ。それじゃ」

言いながら、レナンドは上着を羽織る。

「行ってらっしゃいませ、旦那様。お帰りは遅くなりますの?」

「そうだね。銀山の街までいくから、今日はもしかしたら泊まりになるかもしれない。できるだけ帰ってくるようにするよ」

「道中お気をつけて。お帰りをお待ちしておりますわ」

笑顔で見送るエレーナ。

レナンドは玄関に向かった。

「ねえエレーナ。貴女いつもそう澄ましているけど、愛する旦那様が泊まりでお仕事で寂しくないの?」

「えっ? それは、もちろん寂しいですわ」

「全然そう見えないけれど。貴女、強すぎるのよ」

そんなつもりはなかったので、エレーナは驚く。

「レナンドのことは大好きで……もっとお話ししたいし、いつでも一緒にいたいですわ」

「レナンドお兄様も強いから、お互いそんなに愛し合っていないようにすら見えるわ」

「それは心外です。ですが……愛を示すとは? 考えてみると難しい話ですわね」

ハァ、とため息をつくアイーダ。

「あなた、レナンドお兄様が何かをしでかして貴族じゃなくなったら、別れるの?」

「もちろんレナンドの傍におりますわ」

さも当然と答えるエレーナ。

「それが即答できるほど信頼して好いているなら、それはもう愛でしょ。あとは素直になればいいだけよ。私はもう帰るから、レナンドお兄様が戻られたらそうしてみなさいな」

「素直……ですか」

エレーナは貴族として利のないことをしないように意識してきた。それはレナンドとの関係の上でも。それは家のためには効率が良かったが、傍目にこのようなことを言われるように見えるのか。

「もっと幸せそうにしていいんじゃないの。地位もお金もあって、良い旦那様だっているんだから」

アイーダは深い意味で言ったのではないのかもしれない。しかし、エレーナの中で自問が広がる。

私は、エレーナ。

ウォード侯爵家の令嬢として生まれ育ち、ラッドフォード公爵家に嫁いだ上級貴族。

貴族として完璧に近い振る舞いをしてきたという自負はある。

しかし、それで私は本当に幸せになったと言ってよいのだろうか? 少なくとも、アイーダにはそのようには見えていないらしい。

考えてもみなかった。いや、利に尽くすことに邪魔になるため、考えようとしてこなかった。しかし、それはエレーナ自身の「利」そのものではないか。家の利が見えた今、自分を少しくらい気にかけても良いのではないだろうか。

「ありがとうアイーダ、やってみます。私は利にはうるさいですから」

「お帰りなさいませ」

その夜遅く、レナンドは戻ってきた。

「ああ、ただいま、エレーナ」

エレーナはアイーダの言葉を思い出す。

素直に、心のままに。

勇気をもって、口に出す。

「寂しかったわ、あなた……」

レナンドはエレーナがそんなことを言ったのを聞いたことがなかった。一瞬驚いたものの、優しい笑みを浮かべエレーナを抱きしめた。

「待たせてごめんね、エレーナ」

レナンドに抱きしめられると、いつだって安心する。

エレーナもそっとその背中へ手を回す。

「……本当はどこにもいかないでほしい。行くなら私もご一緒したい」

普段なら、そんな無理は言わない。しかし、素直に喋ろうと決めると、わがままな言葉が紡がれる。

「うん、僕もそうしたい。そうしよう、できるだけ」

「ごめんなさい、わがままを言って」

エレーナは、自分の言葉に少し驚き、困惑する。

「いいんだよ。もっと僕を困らせてくれていいんだ。だって君は僕の愛するエレーナなんだから」

レナンドは、いつだって。

そう、初めから。

私を愛してくれていた。

エレーナは、目を閉じ、レナンドの身体の温もりをその身に感じる。

わかっていたのに、わかっていないふりをしていた。

だから、言わなくちゃ。

「ありがとう。……愛していますわ、レナンド」

やっと素直に、自然に心から言えた一言だった。

――ああ、こんなに簡単なことだったとは。

それは完璧であろうとしたからこその、エレーナの完璧でない部分であった。

自分に正直になる。それはエレーナにとってとても難しいことであり、そしてレナンドへの想いに溢れる今となっては、簡単なことであった。

「僕もだよ、エレーナ。愛しているよ。ずっと前から、そしてこれからも」

レナンドはエレーナの唇に唇を重ねる。

――これが、幸せ。

その心の奥から湧き起こる温かさに、エレーナの目から涙がこぼれる。

エレーナは、その温かさに、素直に身をゆだねた。