軽量なろうリーダー

共に過ごした時間は愛にはならなかった、ただそれだけ

作者: 木蓮

本文

「婚約を解消しましょう」

そう言うとモールドは驚いたようにサファイアのような青い目を私に向け、眉をひそめた。

「いきなり何を言い出すんだ。私と君の婚約は家同士を繋ぐための契約だ。例え君がこのまま記憶をなくしたままでも婚約は解消しない」

なぜ断るのだろうか。婚約を解消すれば彼は本当に愛する プリシラ(私の妹) と結ばれるのに。

*****

私はセデル。シュタイム伯爵家の娘で、双子の妹プリシラと留学している兄がいるらしい。

らしいというのはこれまでの記憶がないからだ。

ある朝、起きたらすべてを忘れていた。原因は未だにわからない。私付きのメイドたちは眠る前までいつもと変わらない様子だったと言っているし、お医者様たちに調べてもらっても記憶のこと以外はいたって健康だとお墨付きをもらったぐらいだ。

最初は不安だったけれども、原因がわからない以上はどうすれば記憶が戻るかわからないし、いつまでも悩んでいても仕方がない。

食事の作法など身についた習慣はできるし、わからないことも一度教えてもらえばわかる。知っている人の顔や関係をすべて忘れてしまったのは寂しいけれど、それはもう改めて覚えていくしかない。

そう割り切ると楽になった。幸い、家族や使用人たちもその考えを受け入れてくれ、以前の私にしていたように接してくれるようになった。

ある日、婚約者様がお見舞いにやって来た。

モールド・スタイン伯爵令息と名乗った彼は、艶やかな銀の髪にサファイアのような瞳をした美しい青年だった。

妹のプリシラから物静かでとても素敵な方だと話を聞いていて会うのを楽しみにしていた。実際に彼と会った時にはこんなにかっこいい婚約者様がいるなんてラッキー! と心の中ではしゃいだぐらいだ。

「ごきげんよう、モールド様。お見舞いに来てくださりありがとうございます」

「ああ。記憶がないと聞いているが。私のことも忘れてしまったのか?」

「ええ、申し訳ありません。あなたも含めて皆のことを思い出せないのです」

モールド様はその惹き込まれるような青い瞳で私をじっと見つめたが、申し訳なさをこめてうなずいた私に納得したのだろうか。固い表情ですっと目をそらした。

「そうか。それは大変だったな」

「ええ、皆本当に心配したのよ。私だって昨日までは普通にしていたのに、朝いきなり『あなたは誰?』と言われて何の悪い冗談かと思ったわ。でも、今までのことを忘れてしまった以外は何も変わっていないわ。あなたも気にしないでいつも通りにして」

モールド様に目を向けられて心配してついて来たプリシラが元気よく説明する。家族の妹に言われてほっとしたのか。モールド様はやっと微笑んだ。

「そうだな、こうして会っても君は今までと変わらない。ほっとしたよ」

その言葉に私もほっとした。

親しい人に自分を忘れられるというのは悲しいことだ。仲の良い婚約者だというモールド様も家族や家の皆のように彼を忘れてしまった今の私を受けいれてくれてうれしかった。今の私も彼が好きになれそうだから、なおさら。

――だから、彼の言う「今までと変わらない」は 私が思う意味(今の私を受けいれる) ではないのに。この時の私は気づかなかった。

*****

それからモールドはたびたび家を訪れてくるようになり、かつてのように私と彼、そしてプリシラの3人でお喋りをするようになった。

彼とプリシラが語る学園の話はとても面白い。ただ、私にはわからないことが多くてなかなか会話に参加できないのがちょっぴり寂しい。

今も音楽の教師が作曲した曲がダンスの授業に採用されるという話が気になって急いで口を挟む。

「その先生の曲はテンポが速いのよね。ダンスとなるとステップも複雑なのかしら」

「そうなのよ。私も一度見ただけだけれど、かなり難しそうだったわ。覚えられるかしら」

おっとりしたプリシラはダンスが苦手だ。モールドは不安げな彼女を励ますように笑う。

「それなら空いた時間に練習に付き合うよ」

「ありがとう。ついでに、宿題も教えてくれないかしら。ほら、あの歴史の……」

もっとダンスについて聞きたかったけれどあっという間に話が変わってしまう。結局、その後も2人の話に入れず取り残されたようで寂しい。

そんなことが続いていたある日。プリシラが用事ができたと帰りが遅くなり、モールドが先にやって来た。何も聞いていなかったらしい彼は戸惑っていたが、私は2人で喋れることにわくわくした。

「プリシラが貸りている今流行りの恋愛小説、とても面白かったわ。2人が無事に結ばれて良かった」

「君も読んだのか。意外だな、そういう物には興味がないと思っていた」

家の都合で離れ離れになってしまった恋人たちがお互いを諦めきれずに歩み寄って結ばれる、という王道の恋愛小説だ。

正直に言うとずっと愛しい相手のことばかりを考えている恋人たちの考え方が甘すぎて好みではなかったが、2人との話のきっかけになればいいと思って最後まで読んだ。モールドにもそんな浅はかな本音を見透かされたようで恥ずかしくなる。

「プリシラに話を聞いていたら気になって読んでみたくなったの。どのシーンも良かったけれど私は2人が夜会を抜け出してひっそりと会うところが好き。モールドはどこが好き?」

「さあ、昔一度読んだきりだから忘れてしまった。君はこんな物よりも冒険小説が好きだろう。何か探しておくよ」

せっかくだからもっと読んだ本の話をしたかったけれど、そっけない返事に落ちこむ。でも、せっかく彼と2人で話せるのだからこの機会にもっと仲良くなりたい。慌てて話を考える。

「そうそう。プリシラから聞いたのだけれど……」

学園を休んで家で過ごしている私の話題は多くない。プリシラや手紙を送ってくれる学園の友だちから聞いた話を出すもいまいち盛り上がらない。ついに話が尽きて困っているとモールドはぼそりと言った。

「今の君は良く喋るんだな」

短い言葉にどんな意味がこめられているのかはわからない。ただ、その硬い表情と声に「彼が知るかつての私と今の私は違う」と言われているようで心がずきんと痛む。

以前の私はどんな人だったのだろうか。どんな風に彼と過ごしていたのだろうか。

聞いてみたいが、どこか私に距離をとっている彼にはっきりと拒絶されるのが怖くて。それきり何も喋れなくなりただただ時間だけが過ぎていく。

プリシラが帰ってきたことで話が始まってほっとする。でも、双子の妹を見た時の彼のやわらかい笑顔は私の心にトゲを残した。

かつての私はモールドと仲が良かったのだ。今の私もいつかは前のような関係になれるのだろうか。

そんな淡い希望と今の自分を受け入れられない悲しみにその晩は眠れなかった。

*****

「セデル、会いたかったわ!」

「私も会いたかったわ。皆、手紙をありがとう」

久しぶりに教室に入ると手紙をやりとりしていた友人たちを始め、クラスメイトたち皆に声をかけられてうれしくなる。久しぶりのことで緊張していたけれど皆が助けてくれたおかげで馴染めた。

「セデルが楽しそうで良かったわ。そうだ、明後日はダンスの授業よね。もし、ステップを間違えたらこっそり教えてね」

ランチタイムにそう話すと、心配していたプリシラは喜びながら私を拝むという器用な仕草をした。

プリシラとモールドとは違うクラスだけど、一部の授業は一緒になる。モールドと一緒に踊れると思うとうれしくて笑みがこぼれる。

「ふふっ、もちろんよ。モールドもよろしくね」

「ああ、よろしく」

相変わらず無口な彼に少し傷つくも、明後日の楽しみで上書きされる。

授業の日。私はモールドとペアを組んだ。お父様と練習していたおかげか軽やかに踊れて楽しい。でも、モールドの視線は私を見ていない。

「きゃっ」

「大丈夫か」

「ええ、大丈夫よ。ありがとう」

モールドは近くにいたプリシラが転びかけるとすぐに気づいて声をかけた。プリシラはモールドと抱きとめたパートナーににっこり笑ってまた踊り始めた。

それは自然なやりとりで、一瞬だった。

でも、私は気づいてしまった。

モールドとプリシラのお互いを見つめる目の中にある熱と、プリシラに触れる男子生徒へのモールドの嫉妬に。

その後、モールドはいつものように淡々とした顔で私と2曲踊るとプリシラと踊り始めた。笑い合いながら踊る2人のダンスは息ぴったりで、1人で得意になっていた私がみじめになる。

――かつての私はモールドが好きだったというのならば。彼が双子の妹と想いあう姿をどんな思いで見ていたのだろう。

いくら探ってもかつての私が答えることはなく、私はただじくじく痛む心をなだめながらじっと苦しい時間が終わるのを耐えた。

*****

一度気づくとモールドとプリシラがいつもお互いを気にし合っているのがわかる。何で気づかなかったのか鈍い自分に呆れたぐらいだ。

それでも諦めきれなくて笑顔で明るくモールドに話しかける。でも、彼はいつも一緒にいるプリシラに夢中で。

傷だらけになっていく心が私を無視する彼と彼を独り占めする妹への憎しみで染まっていく。

でも、醜い本音をさらし出すこともできない。

この婚約は両家を繋ぐためのもので、私でもプリシラでも良い。

以前の私は優秀さを買われてスタイン伯爵家に嫁ぐために学んでいたらしいが、すべてを忘れてしまった今1から学び直すのはどちらも変わらない。だったら、健康で嫁ぐ相手と愛情がある方が良い。

私は笑顔を浮かべながら、モールドに嫌われないように醜い本音を押し殺して2人と過ごす。

どうか私を見て。私もここにいてあなたを愛している。

こんなの無駄だ、モールドが私を愛することはない。

1人の私はそれでも諦められないと泣き、もう1人の私は冷たく切り捨てる。

答えの出ない悩みに疲れ果てた私たちは最後の希望としてかつての私の記憶を探すことにした。

かつての私がつけていたという日記には不自然なほどにモールドと過ごした楽しい思い出しか書いていない。どこかに私が隠した本当の記録があるはずだ。

かつての私はどんな気持ちでモールドといたのだろう。どんな風に彼を愛していたのだろう。

モールドを愛していたセデルならこの気持ちに答えをくれる。そうすがった。

そして、私は隠し細工になっている引き出しの奥から日記を見つけた。

そこにはモールドへの愛情と悲しみがつづられていた。

私とモールドの婚約はお茶会で私がスタイン伯爵夫人と話をして気に入られたことで結ばれた。

でも、モールドは両家の挨拶で顔をあわせたプリシラに一目惚れし、プリシラもまた私たちの間にするりと入り込んできて。自然と3人で過ごすようになった。

彼がずっとプリシラを見ていて寂しかったけれどそれでもいつかは私に愛を向けてくれる、ある時まではそう信じていた。

ある日、3人で雑貨屋に出かけた時。

モールドの瞳のようなサファイアの指輪を見つけた私は思い切ってモールドにこの指輪が欲しいと言った。でも、プリシラもこれが気に入ったとねだると彼は私の言葉なんて聞いていなかったかのようにプリシラに贈った。

それでも諦められなくて必死にすがる私に彼は「君にはこれを贈るよ。こちらの方が君に似合う」と高級だけれど、私が欲しい指輪とは似ても似つかない指輪を選んだ。

――私は私が気に入ったあなたの瞳の指輪が欲しかったのに。あなたは勇気を出して願いを口にした私ではなく、いつものように愛するプリシラを選ぶのね。

サファイアの指輪をつけて喜ぶプリシラと微笑むモールドに私は心が崩れていった。

それから私はただ笑顔を浮かべて2人と過ごすようになった。そうすればうかつに出した自分を否定されて傷つかないから。それに両親はプリシラの婚約者を探している。婚約が決まればモールドも諦めて婚約者の私と向き合うようになるだろう。

意地のような執着のような、何も気づかずに笑い合う2人への怒りと諦めきれない気持ちがドロドロと混ざった黒い感情を押し殺してただ時を待つ。

そして、夜会の日。プリシラは父が選んだ婚約者と初めて顔を合わせた。

緊張するプリシラを穏やかに気遣う彼に私はほっとした。

無邪気にモールドをとりこにする彼女には嫉妬しているが、やはり優しい妹には幸せになってほしい。彼ならばプリシラを幸せにしてくれるだろう。

いつにも増して固い表情をしたモールドは私とダンスを1曲踊るとどこかに行ってしまったが。でも、もうプリシラの元に行くことはないと思うとほっとする。

そのまま何も知らずにいれば良かったのに。私はつくづく2人のお邪魔虫らしい。

薄暗い庭に出た私はモールドの後ろ姿を見つけてそっと近づいた。彼とプリシラの声が聞こえて耳をそばだてる。

「あの男と婚約するのか」

「ええ、お父様が決めた相手だもの。仕方ないわ」

「……何かあったら言ってくれ。すぐに助けに行く」

「ええ、信じてる。私の心は永遠にモールドのものよ。別の人と結婚しても愛しているわ」

「ああ、私もだ。私が共に生きるのはセデルだが、心から愛しているのはプリシラだ」

月明かりの下、抱き合う2人はお互いへの愛情で固く結ばれていた。そして、私は永遠に愛されないことを知って心が砕け散った。

家に帰ると私はモールドに与えられた偽のサファイアを庭に埋めた。黒い土に消えていく石は私の心のように冷えきって汚れた石になった。

それを見て私は決めた。

私の心がこれ以上傷ついて汚れないうちに、幸せだった時の思い出と愛情を抱えて消えよう。

――そして、かつての私は身の回りを整理してひっそりと眠りについた。もう二度と誰にも奪われない彼女だけの幸せを抱えて。

日記の最後には手紙が入っていた。

新しい私へ

私を見つけてくれてありがとう。日記の通り、意気地なしの私はモールドに本音を言えなくて逃げました。

モールドは素敵な方でしょう。あなたもきっと恋をしたのじゃないかしら。

この日記を読んだならあなたは私と同じ過ちをしないで。あなたの幸せが叶うことを願っているわ。

かつての私はモールドが振り向いてくれるのを待っていた。

今の私はモールドに振り向いてほしくて話しかけた。

――でも、どんなに同じ時間を過ごしても彼が私を愛することはない。

こうしてかつての私と今の私はモールドへの愛を手放した。

*****

「婚約を解消しましょう」

そう言うとモールドは驚いたようにサファイアのような青い目を私に向け、眉をひそめた。

「いきなり何を言い出すんだ。私と君の婚約は家同士を繋ぐための契約だ。例え君がこのまま記憶をなくしたままでも婚約は解消しない」

「ええ、わかっています。でも、婚約は夫人が私と話をしたことをきっかけに我が家を気に入ったからだと聞いています。だとしたら、婚約者が妹のプリシラに代わっても問題はないでしょう」

プリシラの名前を出すとモールドは警戒するように私を見つめた。

「そんなことはない。君は今まで母上について我が家に嫁ぐために熱心に励んでいたし、皆も君を慕っている。もちろん私も同じだ」

今さら彼に必要なのだと言われて私は苦笑した。

「でも、それは過去の話でしょう。記憶を失くした私でもプリシラでもスタイン家に嫁ぐために最初から学ぶことは変わりませんもの。それにあなたはプリシラを愛しているのでしょう。プリシラの婚約の話も流れてしまった今ならば、私の記憶喪失を理由にお互いに穏便に婚約を解消できますわよ」

「……知っていたのか?」

私が指摘するとモールドは顔を強ばらせた。まさか気づいていないとでも思っていたのだろうか。あんなにわかりやすいのに。

「ええ。言っておきますがあなたにもプリシラにも怒っていません。私もプリシラもあなたと同じだけ時間を過ごしたのに私はあなたへの愛が生まれなかった。ただ、それだけのことですから。あなたたち2人の幸せを願っていますわ」

愛情の反対は無関心だという。2人の私がどんなにモールドを愛しても彼には気づいてもらえなかったのは、彼が最初から私に興味がないからだろう。そう思うとすんなりと恋をあきらめられた。

今の私は心から妹と知人の彼の幸せを願っている。それなのにモールドは怒ったように顔をゆがめた。

「確かに私はプリシラを愛している。でも、私が婚約したのは君だ。君と婚約を解消するつもりはない」

「どうしてでしょう? ……ああ、姉の婚約者をとったとプリシラが悪く言われるのが嫌なのでしょうか。それならば大丈夫ですわ。私が病気のために身を引いたと言っておきますので」

「違うっ、そうじゃないっ」

モールドは何が言いたいのだろうか。静かに見つめているとやがて彼は絞り出すようにつぶやいた。

「……私は確かにプリシラを愛している。でも、君のことも好きだ。私との思い出を失くしてしまっても君がいつもそうやって笑って傍にいてくれるのが幸せなんだ。だから、婚約を解消するなんて言わないでくれ」

ああ、わかった。前に彼が言っていた「君は変わらない、ほっとした」という言葉は、記憶を失くしても私がモールドを愛していることを言っていたのだろう。

でも、それが私が彼に嫌われないように必死に醜い感情を押し殺して演じていたものなのだと彼は気づいていない。そして、彼がようやく明かした本音にもう私が何も思っていないことにも。

「そうですか。あなたの気持ちはわかりましたわ」

かすかに笑みを浮かべて私を見つめるモールドに私は答える。

「でも、残念ながら既に父とスタイン伯爵にお願いして婚約の解消は済んでいますの。ですから、それはできませんわ」

モールドは一瞬あっけにとられた顔をしたが、理解すると悲痛な叫び声をあげた。

「なぜだっ! なぜ私に言わずに勝手なことをしたんだ!?」

「あなたとプリシラの婚約を進めるためですわ。父はこの間の方との話が流れたこともあって焦ってプリシラの婚約者を探しています。早くに手を打たないとまた他の方と婚約が決まってしまうと心配になったのです。それに」

私はモールドのサファイアの瞳を見つめた。この色を見ることはもう二度とないだろう。

「本音を打ち明けるのはとても勇気がいることですわ。相手に自分のためのお願いをするのならば尚更。私はあなたに婚約解消をお願いする勇気がなかった。だから、父に頼んだのです」

*****

それから間もなく私とモールドの婚約は私の病気を理由にひっそりと解消された。

あの後、私の本音を聞いてなぜか動かなくなった彼がどうしたのかはわからない。ただ、それからモールドは我が家にやって来ることはなくなり、時々学園で会っても私と彼が話すことはない。もちろん3人でいることもなくなった。

プリシラは私たちの突然の婚約解消を聞いて驚いていたが、私が「彼のことを好きになれなかった」からだと言うと「ずっとモールドが好きで、彼と結ばれたい」と私に本音を打ち明けた。そして、私たちは話しあってプリシラは父に彼との婚約を申し込んだ。

自分の幸せを手に入れることに夢中で、でもその残酷なぐらい無邪気な明るさで皆を癒す双子の妹。彼女がいれば今は私を理由に使ってプリシラと婚約したと負い目を感じているモールドも幸せになれるだろう。

「セデル、この本は読んだことある?」

「ううん、初めて見たわ。どんな内容なの?」

「普通の生活を送っていた見習い騎士の少年が、裏切者に追われて致命傷を負った騎士に彼の主への重要な品物を託されて届けるという冒険と忠義の物語だよ。

主人公がどんな困難にもめげずに託された品物を守り抜く姿にも感動したけれど、僕は主人公のはりつめた気をさりげなくほぐしてくれる彼の友人が好きだな。僕を苦しめる数学の宿題からも気をそらしてくれるし」

「ふふふっ、それは面白そうね。じゃあ、その本を貸してくれたらお礼に宿題を手伝う、なんてどう?」

「ありがとう、セデル!!」

飛び跳ねる友人に笑いが止まらなくなる。彼は私が久しぶりに学園に来た時に何かと声をかけて世話を焼いてくれた隣の席の令息だ。休み時間に喋っているうちに仲良くなり、好みの本が同じと知ってからは本を貸し借りしている。

趣味の話になると止まらなくなるのが悩みだという彼が相手だといくらでも話ができる。自分はこんなに笑いやすくてお喋りなんだと気づいて驚いたぐらいだ。気づいたら気の合う友人たちがたくさんできていて、私は毎日自然に振るまえている。

――だから、私を見つめるサファイアの目にはもう振り向かない。今の私には一緒に過ごしたい人たちがたくさんいて、彼らと過ごす時間が一番大切だから。

「ねえ、宿題が終わったら一緒に本屋さんに寄って行かない? セシル・ベルローズの新作が出たんですって」

「ええっ、知らなかったっ! よし、さっさと片づけて探しに行こうっ」

別人のようにやる気を出した彼に笑いをこらえながら私は宿題の紙を引き寄せた。

*****

――あんな顔、見たことない。

そっくりな顔をした双子の姉妹でも一緒にいれば違いがわかる。無邪気なプリシラの笑みは広げられたレース生地のようにやわらかく、穏やかなセデルの笑みはシルクのように上品だ。

セデルと婚約したのは私の母のスタイン伯爵夫人が彼女を気に入ったからだ。初めて会った彼女は母に聞いていた通り穏やかで聞き上手な少女で婚約者として上手くいくと思った。

でも、プリシラと会った瞬間彼女に恋をして、いつも彼女のことばかり考えるようになっていた。

こんなことはいけない。自分の婚約者はセデルなのだからプリシラとは会ってはいけない。

そう自分に言い聞かせても、プリシラがいるシュタイム伯爵家を訪れるとつい目で探してしまう。そして、必ずプリシラが出迎えてくれることに喜び、やがてそれだけでは飽き足らずに愛しい彼女と少しでも多くの時間を一緒に過ごしたいと求めるようになった。

いつからか穏やかに微笑んで私たちを見守るセデルを交えて、3人で過ごすのが私の 当たり前(幸せ) になっていった。

そんなある日、3人で出かけた時に珍しくセデルがサファイアの指輪を欲しいと言った。

その指輪を見た時にまっさきに思ったのがプリシラの好みのデザインだということ。私の考えは当たりプリシラもまたその指輪を欲しいと言った。

悩んだ私はプリシラに指輪を贈り、セデルには婚約者として私が良いと思った別の指輪を贈った。プリシラには悪いがこちらの方が元の指輪よりもより質の良い物だし、婚約者としての贈り物としてふさわしいと思ったから。

セデルは礼を言って受け取ったがその顔はどこか寂しげだった。姉妹らしく好みが似ているのだから、プリシラにさりげなく聞いて元の指輪と似ている物を選んでもらった方が良かっただろうか。一瞬浮かんだその迷いはプリシラの満面の笑みに忘れた。

それからも私たちは3人で過ごしていたが、その幸せな時間にもついに終わりがきた。

プリシラはシュタイム伯爵が選んだ婚約者と婚約することになった。突然現れてプリシラをさらったあげく、私の幸せな時間を奪う邪魔者を私は憎んだ。そして、その邪魔者のことが頭から離れなくなった。

そして、邪魔者とプリシラが顔をあわせる夜会の日。

ぽっと出の男が馴れ馴れしくプリシラの婚約者として振る舞うたびに私の心は憎しみと怒りにどす黒く染まっていった。

プリシラが1人になった時に私は彼女を追いかけた。そして、私と同じ想いを抱える彼女の口から「私を愛している」と聞いて誓った。

――私が共に生きるのはセデルだが、心から愛しているのはプリシラだ、と。

その願いを気まぐれな神が聞き届けたのか。

数日後にセデルは突然記憶を失い、慌ただしい日々の中でプリシラの婚約もなかったことになった。

記憶を失ったセデルは以前とは違って良く喋って笑う少女になった。でも、以前の穏やかな彼女を知る私にとってはどこかプリシラを無理に真似ているような気持ち悪さがぬぐえなかった。

やがてセデルは落ちつきを取り戻し、また以前のように3人で過ごす幸せな日々が戻ってきた。そう思っていたのに。

「モールド、今日は寄り道して帰らない?」

「ああ、良いよ」

私がうなずくとプリシラはぱっと笑顔を見せたが、セデルの姿を見つけるとしょんぼりと顔を曇らせる。

「セデルはまた忙しそうね。あれじゃあ声をかけても断られそう。寂しいわ」

突然婚約を解消してからセデルは「プリシラに悪いから」と私と距離を置くようになった。学園内では私とほぼいつも一緒にいるプリシラも同じだ。

彼女はいつもクラスメイトたちと一緒にいて笑っている。かつてはプリシラの笑顔を無理に真似ていて苦手だと思っていたのに今はとても美しく見える。

――あんな笑顔、私には見せたことがなかったのに。

セデルが言ったとおり婚約解消は既に両親とセデルの父が了承していた。

彼女が自ら身を引いてくれたおかげで私は愛するプリシラと婚約できる。

母はいずれ娘になるとかわいがっていたセデルを惜しんでいたが、セデルと同じく長年知る少女であり、自分を応援する姉の分まで婚家のためにがんばるプリシラもまたかわいがっている。貴族の中には陰口を叩く者もいるが、優しく明るいプリシラならばそんな悪評を吹き飛ばすぐらい味方が付くだろう。

私は愛しあうプリシラと結ばれて幸せだ。

でも、なぜだろうか。

セデルが見たこともない笑顔で、喜びのこもった声で、知らない男と過ごしている姿を見るたびに、彼女に惹きつけられる。彼女に笑顔を向けられる男に怒りがこみ上げる。

――私もプリシラもあなたと同じだけ時間を過ごしたのに私はあなたへの愛が生まれなかった。ただ、それだけのことですから。

どんなに見つめていてもセデルはあの日の言葉どおり振り向かない。

それでも私は彼女を求めて見つめ続ける。そうすれば、どんなにプリシラと過ごしても埋まらない心の穴が塞がるかもしれない。そう期待して。