作品タイトル不明
終了の声が聞こえるかしら?
勝ち誇った笑みを浮かべて睥睨していたラシェル殿下だったが、笑顔を向けたまま微動だにしない私に苛立ち、さらに言葉をぶつけようと口を開き息を吸い込んだ瞬間、傍らの側近に声を掛けてそれを封じる。
「マルコム、トーネット伯爵に書類をお渡しして」
きらきらと尊敬の眼差しを向けてトーネット伯爵に書類を渡すマルコムが微笑ましい。
その書類を確認したトーネット伯爵が書類を掲げて宣言した。
「王太子殿下のグラーシュ公爵家所属の使用人に対する処刑の発言は無効である!
国王陛下の名の下に、グラーシュ公爵家の自治エリアに於ける使用人の処遇については当該公爵家の采配とする。正当防衛を除く傷害以外に王家及び他家の干渉はその一切を認めないとの勅書である」
ラシェル殿下は俯いて歯ぎしりが聞こえてきそうなほど歯を食いしばっている。
潮時だ。
壇上の御方に意識を向ける。
国王陛下の不在時には、ほとんどの場合王妃陛下が摂政に任命され、宰相や大臣、秘書官がその補佐に当たるが、現状はエリオット公爵が宰相の任を解かれて摂政に任ぜられている。
恐らく退位が前提だからと深く考えずに納得しているのだろう。物事を素直に受け入れる、実に無邪気な方なのだ。
この場に置かれたのはただの影武者としてではなく、本人にとって残酷な事実を知らしめる為だ。
今までのラシェル殿下の態度や言葉をどのように受け止めているのだろう。
断罪されている者たちと同じく [どうしてこんなことに] 辺りだろうか。であれば、これから殿下の口から発せられる言葉によって、根底にある侮蔑を覆い隠す偽善を剥ぎ取られ、自分たちの無意識の傲慢さを思い知らされる。
それを周囲に詳らかにした上での退位とそれに対する贖罪。
これこそがグラーシュ公爵家とマクガリー辺境伯家が望んだことだ。
「何をされたかわからない穢れた女を王妃になんて出来るわけないじゃないか!
あんな状態を見て、妻にしようなんて思える男なんかいないんだよ!」
王妃陛下とその周辺に純潔を疑われていたことは知っていた。
婚約の締結のために王都に来て一番にした事は宮廷侍医による診察だった。
純潔であることを証明する書類を提出し、その上で婚約の運びとなったのだ。
今まで自分を含め、影武者の女の子たちを守るための苦労は筆舌に尽くし難い。
その為に性別を明らかにせず扮装も男女織り交ぜながら必ず男女をペアとして、お互いを守れる技術を身に付けて危険を掻い潜って来たのだ。
もしも、万が一そのような事が起るとしたら、私以外の誰でもない事をひたすら祈っていた。
幸いにも誰もそのような惨い目に遭う事は無かったが、それはひとえに皆の尽力と幸運も味方してくれた結果だ。
そんな苦労も知らず、アルテーヌの相続人が女性だと分かるような要請をしてきたせいで、あの日私たちは一網打尽にされかけ、一命を取り留めたとはいえカールは重傷を負ったのだ。
あんな状態とは、襲撃の後、無残に引き裂かれたドレスで髪も崩れ、血だらけで座り込んでいたあの時のことだ。
その言葉を聞いた瞬間、血が逆上した。
髪の毛が逆立つ程の怒気を纏ったのが自分でもわかる。
周囲の空気さえも張り詰める程一瞬で纏う雰囲気が変わった私を見てたじろいだラシェル殿下に向かい、ゆっくり一歩ずつ近づいていく。
「誰が穢れているですって? 貴方も目にしたあんな状態になったのはあなたたち王家の人間のせいなのよ? あの時、夥しい数のかぎ針に捕らえられていたの。ドレスを切り裂き髪を解かなければ窓から引きずり出され、死体か最悪の場合は瀕死の状態でバランデーヌに連れ去られていたわ。しかも私たちを守ろうと必死で立ち向かった側近のカールは命を落としかけた」
ラシェル殿下の目の前で歩を止め、私を守る様に側にぴたりと付いたパトリシアが差し出した鉄扇を手にして広げざまに一閃、ラシェル殿下の前髪が一束はらりと床に落ちた。
「ねえ、答えて頂戴。穢れているって、一体誰のことかしら?」
床に落ちた髪を見て床にへたり込んだラシェル殿下は、震える声で語り出した。
「あ、あの日の様子を皆に話した後、は、母上と侍女長が話しているのを聞いたんだ。きっと汚されているに、ち、違いないって。そん、な、そんな女を僕の伴侶にするなんて、って、母上が泣いていて、父上も、お、お、お爺様の時代に、ゾフィー王妃の件で負い目があるから、仮令どんな状態であっても王家が守って伴侶に迎えたと見せなければいけないって。そんな令嬢を形だけでも王妃にしてもらえるのだから、これでグラーシュ公爵もマクガリー前辺境伯も王家に感謝するはずだって…。
だ、から、好きな子を側に置いて良いって、言われたんだ。婚約の条件で、ぼ、ぼくが君を大事にしなければ、こ、婚姻は形だけになるからって」
壇上の御方が声を飲んだのが聞こえた。エリオット公爵に目を遣ると、頷いて護衛に周囲を囲ませてこの場から退出できない様にしてくれた。
「それで?」
背後に立ったメルヴィルに、護身用のスティックを首元に宛てがわれて立つ事を封じられ、しりもちをついた状態で怯え切った目を向けるラシェル殿下をパトリシアと二人で睥睨する。
「でも、君が純潔だと知って、君に会って美しくて優秀な事が分かると、父上も母上も急に結婚に乗り気になって。でも、僕はもうメグしか側に置きたくなかったんだ。
サイラスもジルベールも、グラーシュ公爵家なら診断書なんて簡単に偽造出来るはずだっていうし、ルイは君とメグのどちらが優位なのかきちんと皆にも分かるように知らしめておいた方が良いって言ったから…」
それで毎日毎日飽きもせずに小芝居を打ってきたと。
まあ、こちらもそれは利用させてもらっていたことだ。掛かっても大丈夫なようにメニューや温度を調整していたのは厨房に潜入していたモリーだったし、絶妙な掛かり具合を調節していたのはトレーを弾くメルヴィルだ。
「だから、学園以外では君を蔑ろにしている素振りは見せなかったし、学園での事は皆には口止めしていたし、グラーシュ公爵とマクガリー前辺境伯がごちゃごちゃ言ってこない様に、大人しく結婚してすぐにどこかに閉じ込めておけば良いって事になったんだ。王宮の中のどこかに隠しておけば、グラーシュ公爵とマクガリー前辺境伯には手が出せないから…」
メルヴィルの護身用のスティックに力が籠り、ぐっと喉を押さえつけられて言い直した。
「王宮の、地下牢…です」
閉じた鉄扇で殿下の頬をするりと撫でて続きを促した。
「まだ続きがあるでしょう?」
床に落ちた自身の髪の毛を見つめながら声を絞り出した。
「ゾフィー王妃が助け出された時の様にやせ衰えて老婆のような姿になったら、希望通り子供のころから想い合っているという、辺境伯家の令息の元へ送ってやろうと…」
辺りが静まり返り凍えるような視線がラシェル殿下に突き刺さる。
「そう言って皆で嗤っていたそうね。あのヘイデン家の令嬢のセリフは確か…」
『もし私がそんな姿でラシェ様の前に出なければならないなら、死んだ方がましだわ』
裁定の場に嘲りを含んだミーガン嬢の嗤い声が響き渡った。
ラシェル殿下がぎょっとしてヘイデン兄妹の居る控えの間の小窓を見やると、猿轡をかまされて涙ぐんだミーガンが首を横に振っている。
それを見たラシェル殿下は震える手で床に落ちた自分の髪の毛を掴んで騒ぎだした。
「王太子の僕に危害を加えるなんて、許されると思うな!」
そう言って立ち上がろうとしたところを、メルヴィルのスティックで肩を押さえ込まれ膝を突いた。
「あら、私、何かしたかしら?」
周囲を見渡しても護衛や廷吏たちは皆こちらを見ていない。エリオット公爵に目を遣ると首を横に振っている。
マルコムと法律書を覗き込んでいたトーネット伯爵は顔を上げ、ラシェル殿下の掴んでいる髪を見て眉を顰めた。
「ラシェル殿下、ご自分の髪を毟るなど何をなさっておいでですかな? 廷吏、後片付けをお願いします」
そして威勢を正すと、朗々と宣言した。
「本日の聞き取りはこれにて終了致します。
明日の朝より、国王陛下代理、摂政のエリオット公爵閣下から裁定が下される予定です。
呼び出しがあるまで各自与えられた場所で待機してください」
愕然と座り込んでいるラシェル殿下のあごに閉じた鉄扇を添えて上を向かせ、不敵に微笑んで見せた。
「お父様の事をずいぶん怖がっているようだけれど、たかが家具を壊した程度の事でしょう? 温厚なお父様らしいわ。温すぎて笑ってしまう。
忘れているようだからしっかりと教えてあげる。
私には、バランデーヌの [人ならざる悪魔] と同じ血が流れているのよ」
ああ、悪い虫が沢山湧いてしまったわ。これから大伯父様とお父様が大忙しね。
遠く小波の様に打ち寄せていた凱旋のどよめきは、徐々に大きなうねりとなって押し寄せ、その歓喜の声はやがて王宮を呑み込むだろう。
王太子殿下、聞こえるかしら?
何がって?
あなたの終了のお知らせです。