軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第35話 新しい家族

白猫を抱きしめながら陽斗が『飼いたい』と意思表示をすると、彩音はごくあっさりと頷いた。

「はい、承知致しました。

ただし、その猫の飼い主の有無をきちんと調べてからですよ。心配している飼い主が居たら可哀想ですからね。

それと、お屋敷に入れるならまずお風呂で綺麗に洗ってからです。

見たところ汚れてはいないようですがそれでも外から来た猫なのはまちがいありませんから。

そうですね、結局洗う前に抱っこしてたわけですし陽斗様も一緒に入ったらいかがでしょう」

彩音の言葉に考えるまでもなく頷く陽斗。

動物を洗った経験なんて陽斗にはないが、生き物を飼うというのがそれなりに大変だということくらいは理解している。

猫は濡れるのを嫌がるというのは聞いたことがあるが、『面倒を見る』と言った手前それくらいできなければ駄目だろう。

たとえ白猫が暴れたところで少々引っ掻かれる程度。長年暴力を受け続けてきた陽斗にしてみれば大したことではない。

それに不思議なもので、白猫はまるで会話の内容がわかっているかのように彩音達に対する警戒を解き、陽斗の腕の中でゴロゴロと喉を鳴らしていた。

彩音はそんな陽斗の様子を見て警備員達を解散させた後、スマホで白猫の写真を撮り、それを添付して飼い主の調査を指示した。

当然それは陽斗に言った通り飼い主の有無の確認のためだが、彩音としてはもし飼い主が居たとしてもどうにかして白猫を譲り受けるつもりでいる。

陽斗がこの屋敷にやってきて初めて口にした我が儘らしい我が儘なのだ。

お金で解決するなら新築戸建て一軒分程度の金額でも構わないと思っている。

幸いこの屋敷で働いている者の中に動物アレルギーをもっている人は居なかったはずなので問題は無い。

主人である重斗も陽斗の望みであれば許可しないわけがない。

彩音に促され陽斗は白猫を抱いたままお風呂に向かう。

皇邸の浴場は昼前の清掃時間以外はいつでも利用できるようになっている。

このお風呂を利用するのは基本的に重斗と陽斗だけなのでいつも勿体ないと思ってはいたが、こういうときだけはありがたい。

脱衣所で腕から白猫を降ろして服を脱ぐが白猫が逃げる様子はない。素っ裸になった陽斗が浴室の扉を開けても嫌がる素振りを見せず、それどころか陽斗の先に立って入っていってしまう。

挙げ句洗い場でちょこんと座って待っているのだからつくづく猫らしくない。

だが陽斗としては助かるのは確か。

弱めのシャワーを掛けた一瞬だけ白猫はピクリと動いたもののその後は気持ちよさそうに大人しくしている。身体が強張っていないので我慢しているというわけでもないようだ。

優しく首から下を濡らし、陽斗はボディーソープを手にプッシュする。

本来乾燥地帯で生活してきたイエネコは皮脂が少なくpH値が低いので人間用のシャンプーだと刺激が強すぎる。それにシャンプーに含まれていることの多い潤い成分も毛を舐めてグルーミングする猫の場合は口に入ってしまうので良くないと言われている。

ただ、皇邸で使われているボディーソープなら無添加石鹸のもので弱アルカリ性。成分が残らないようにしっかりと流せば猫に使っても問題ないらしい。

さすがにこの屋敷にペット用シャンプーは置いていなかったのだが彩音がネットで調べてくれたので安心して白猫を洗うことができる。

ちなみに、どちらにしても人間用のものだと油分を落としすぎてしまい毛がゴワゴワになってしまうのであまり頻繁に使うことはできないが。

本当に飼うことが決まったら改めて用意してもらえるように頼もうと陽斗は考えた。今は無いのだからどうしようもない。

洗い終わると少し強めにしたシャワーでしっかり流し、ついでに耳に水が入らないように注意しながら頭や顔も濡れた指で丁寧に拭う。

毛皮が濡れてペッタリと細くなってしまった白猫に少し待っててもらい陽斗も手早く全身を洗う。

さすがに湯船に入れるのはどうかと思ったのだが、陽斗が肩まで湯に浸かると白猫も器用に浴槽の縁に捕まりながら一緒になって浸かっていた。

もっとも小さく細い身体はすぐに熱くなってしまったらしくすぐに出てしまったが。

途中、メイドの一人がお手伝いと称して浴室に突撃してきたが、その時はもの凄い勢いで白猫に威嚇されて追い出されていた。

そんなこんなで騒がしいお風呂を終えて、丁寧に白猫を拭いてからもう一度乾いたタオルで身体を包み、抱き上げて共有リビングに戻ると、早くも彩音に手配された医師と獣医が待っており、すぐに診察と検査、各種予防接種がおこなわれた。

幸い罹患している病気や感染症は無く、先天的な異常も見られなかった。皮膚の状態からノミも付いていないようだ。

陽斗の方も当然問題なし。

ただ、一応念のため1週間ほどしてからもう一度それぞれ診察をおこなうらしい。

そしてそれらが終わった頃には早くも近隣への調査も終え、周辺数キロ圏内に飼い主はいないことが確認された。

猫の移動範囲というのはそれほど広くない。飼い猫は特に狭く、自宅から半径100メートル以上離れないことがほとんどで、好奇心旺盛な若い個体でも1キロ以上離れることは滅多にない。

この屋敷の敷地自体が広大で周囲に民家は少ないので範囲をある程度広げてみたが該当する家は見つからなかったらしい。

飼い主と一緒に移動している最中にはぐれたなどというレアなケース以外ではほぼ野良猫と判断しても構わないだろう。

そして彩音は陽斗の祖父、重斗にも連絡を入れて了承を得ており、白猫は正式に陽斗に引き取られることとなったのだった。

リビングのソファーで嬉しそうに腕の中の白猫を撫でる陽斗を微笑ましそうに眺めるメイドと執事達。何故か白猫を羨ましそうに見ている者もいるが。

「陽斗様のお部屋のお手洗いを仕切って猫用のトイレを準備しました。それと扉にも出入口を付けてあります」

陽斗担当のメイドである湊がそう報告した。

どうやら猫のために部屋の一部改装がおこなわれたらしい。

リビングに隣接する無駄に広いトイレに猫のためのスペースが作られたということだ。まだ陽斗が猫と風呂に入ってから2時間も経っていないのに、相変わらずの力業である。

「それで、無事にその猫は陽斗様の飼い猫となったわけですが、名前はどうします?」

彩音に訊かれた陽斗は少し躊躇った後、迷いながら返す。

「えっと、葵って英語でなんて言うんですか?」

「葵、ですか?」

葵はアオイ科の植物の総称であるが、陽斗の実の母親の名でもある。

生後1歳半の時に陽斗が誘拐され、その心労もあって5歳の時に病気で他界している。

なので陽斗は顔も覚えていないし、母親だという実感もないだろう。

ただ、重斗からは沢山の写真を見せてもらっていたし敷地内には母親の眠る墓もあり、陽斗は毎日のように訪れて掃除や花の交換をしている。

「えっと、この猫を見ているとどうしてだかお母さんの顔が浮かんできて。写真でしか知らないんですけど。だからお母さんに因んだ名前にできたらなって。

……や、やっぱり不謹慎、かな?」

まるで叱られているかのような表情で理由を説明する陽斗に、彩音は優しく微笑む。

「そのままの名前だと旦那様としては複雑な気持ちになるかも知れませんけど、因んだ名前をということなら構わないと思いますよ。むしろお顔も覚えていないでしょうに葵様のことを母親と想ってなら賛成なさるかと。

……そうですね、葵という植物は日本の固有種ですが、タチアオイなら英語で HollyHock(ホリーホック) 、フランス語で Rose(ローズ) Trémière(トレミエ) 、イタリア語なら malvarosa(マルヴァローザ) ですね」

「あ、ありがとうございます! どうしようかな、女の子みたいだし、ホリー、いやマルヴァ、それともレミエとか」

「ンニャア」

偶然なのかそれとも本当に選んだのか、陽斗がフランス語の名前を捩るとちょうどそのタイミングで白猫が鳴いた。

「えっと、レミエ?」

「ニャ!」

まるで本当に会話しているみたいである。

こうして白猫はレミエ(レミー)と名付けられ、陽斗にとって新しい家族が増えることになった。

尚、レミエを飼うことになった経緯と名前の由来を、重斗が帰宅した後に陽斗が話すと涙ぐみながら陽斗が窒息しそうになるほど抱きしめ、レミエに引っ掻かれるという一幕もあったとか。

翌朝、陽斗は自分の頬に当たるフワフワと柔らかく温かい感触で目が覚めた。

なんだかその感触がとても優しく感じられて身体を起こすことなく枕元の時計を確認する。

午前5時45分。

時計が鳴るまでにまだ15分ほど余裕がある。

この屋敷に来たばかりの頃はそれまでの習慣から午前3時過ぎには目が覚めてしまっていたのだが、新聞配達の仕事に行く必要がなくなったのでさすがに時間を持て余してしまう。

陽斗にしても別にどうしても早起きしたい理由があるわけではないので二度寝を試みたりしているうちに少しずつ起きる時間が遅くなってきて最近ではようやく6時起きが定着しつつある。

もっともその分寝るのは遅くなる傾向にあり、睡眠時間そのものは5時間ほどだ。以前は3時間くらいだったので長くはなっているのだが。

陽斗が動いたことで目が覚めたのか、レミエは丸くなった姿勢のまま瞳を開いて陽斗の顔を見つめてくる。

何故だか陽斗にはその眼差しがとても優しく、まるで愛おしい我が子を見るように感じられて泣きそうになる。

最初の出会いから、本当に不思議な白猫だと思う。

まるで始めから陽斗に会うためにこの屋敷にもぐり込んできたかのように感じられる。

だがそれが陽斗にとって嫌な気持ちに感じられることはなく、むしろ新しい家族が増えたことが嬉しいと思えていた。

陽斗は枕元にいるレミエのふわふわな毛並みを掌に感じながらぼんやりと目覚ましの鳴るまでのひとときを楽しんでいた。