軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第159話 重斗のお仕事

学校の教室の半分ほどの面積にいくつものデスクとパソコンが並び、空いているスペースなどどこにも無いほど書籍や資料と思われる紙の束が置かれている。

お世辞にも片付いているとは言えない場所だが、そこに居る数人の若い男女は気にする様子もなく、真剣な顔でパソコンの画面を睨んだり、隣同士で議論を繰り広げている。

その様子を満足そうな笑みを浮かべて見ていた初老の男が振り返って声を掛けてきた。

「この研究室では液体の流動性質に関する基礎研究を行っています。様々な種類の液体がどういった条件でどのように流れるか、その現象や性質をシミュレートして、実験を行い、その結果を分析してから仮説を立てたりするのです」

その言葉は、重斗に対するというより、その隣の陽斗と穂乃香に向けたものなのだろう。知識がなくても理解できるように噛み砕いた言い方である。

黎星祭の翌日。

平日であるものの、土日に黎星祭を終えた黎星学園の生徒は二日間の振替休日となっている。

それを利用して陽斗と穂乃香は重斗に誘われて都内の大学に来ているのだ。

「皇様はここだけでなく、当大学の様々な研究に対して多大なご支援をいただいております。率直に言って、この国の基礎研究に関する支援は十分ではありませんから、本当にありがたく思っているのです」

「基礎研究というのは具体的な用途を想定せずに探求する学問だ。その成果は幅広い科学技術に応用される非常に重要なものなのだが、直接利益を生むものではないから軽視されがちでな。残念ながら優秀な研究者は環境の整っているアメリカや中国に流れがちだ」

日本の大学、特に大学院や研究室の待遇は話にならないほどお粗末なところが多い。

国から支給されるわずかな補助金と大学の資金をなんとかやりくりしつつ研究をしているのが現状だ。

素材や応用技術の分野では企業の支援があるためまだましだが、それは結果次第で大きな利益を得られるため、いわば先行投資という意味合いが強い。

しかし基礎研究は仮説を立てて理論を構築し、それを実証していくという、謂わば技術の土台のさらに基礎部分となるものだ。

当然すぐさま既存の技術に応用できるわけはないし、実利を生む性質のものではない。だが、確かに未来の技術がその延長線上にある、根幹とも呼べる学問だ。

なのだが、現実問題として、基礎研究の9割は具体的な成果に繋げることはできず、科学技術の発展に寄与する研究はさらに少ない。

これはある意味当然のことで、基礎研究というのは一つの理論を確立させるために膨大なトライ&エラーを繰り返して実証していくのだ。

様々な角度から仮説を検証し、あらゆる可能性を検討して傍証を積み重ね、実証実験を繰り返す。

当然時間も掛かるし、その上で仮説が間違っていると証明されてしまうことも少なくない。そうなればつぎ込まれた時間も費用も実を結ぶことは無い。

といってもそれすら理論のためには必要なことなのだ。

だが営利企業がそういった研究を行うのは難しい。

膨大な時間も莫大な資金も必要なのに、直接的な利益には繋がらないからだ。だからこそ最高学府たる大学がそれを担い、優秀な研究者が大学院で研究に従事する。

しかし日本の場合、一般市民ばかりか政治家や官僚までが基礎研究の重要性の理解が足りず、十分な予算が配分されていない。

その上、少子化の影響で大学自体の経営も圧迫されているために研究室はわずかな予算をなんとかやりくりしつつ、大学院生を半ばボランティアに近い形で研究に従事させている。

院生たちの多くは研究のためにほとんどアルバイトもできず、親からの仕送りに頼りながら熱意と探究心だけで研究に打ち込んでいるのだ。

「話には聞いておりましたが、重斗様は篤志家として基礎研究を支援しておられるのですね」

「儂とて日本人だからな。この国の知的水準や科学技術が衰退していくのを座視するわけにはいかん。それに、利潤が生まれれば相応の見返りも要求している。善意ばかりではないからな」

続けて重斗が話したところによると、基礎研究や応用研究で得られた成果として特許の対象となるものがあった場合、その手続きや申請、保持にかかる費用なども重斗が支援し、同時に一定の割合での権益を確保しているそうだ。

もっとも、支援した金額は到底その程度で回収できるようなものではないらしいが。

「それに、必要な資金を全て負担しているわけではない。研究内容を精査し、儂が必要だと認める研究に対して研究員の生活費や機材の一部を支援しているだけだ。大学側も資金調達や文科省への働きかけをしてもらわねばならんし、研究室も可能な限り効率的に資金を使う必要がある」

潤沢な資金が供給されるとなればどうしても大学も研究室も危機感が薄くなり、努力することをしなくなってしまう。それでは意味がないのだ。

「それでも、皇様が支援してくださらなければ研究を続けることはできませんでしたよ。それだけでなく、皇様が出資する研究ということで、いくつかの企業や資産家の方々からの寄付もいただけるようになりましたし、大学側のサポートも手厚くなりましたから」

この研究室を統括している教授がそう言って、深々と頭を下げたのだった。

その後、もう一つ別の研究室を見学してから大学を出た陽斗たちは、リムジンで別の場所に向かう。

「次は大学とは関係のない、民間の研究所だ。主に経済や産業に関するデータを収集、分析する機関で、儂だけでなく四条院家や天宮家などが出資しているぞ」

重斗の言葉に穂乃香も頷く。

「そのことは知っていますわ。四条院だけでなく、民間や独立行政法人の研究施設には多くの企業や投資家が出資していますから」

「すごいね。学校では習わないことばかりなのに、お祖父ちゃんも穂乃香さんも色々知ってて」

陽斗としてはずっと驚きっぱなしである。

これまで陽斗は祖父の仕事をそれほど深く知らなかった。

複数の企業を所有し、投資なども行っているとは聞いていたが、具体的なことは重斗も説明していない。

重斗としてはまずは陽斗の心身の傷を癒やすことが最優先だったし、学園生活を十分に楽しんでもらいたかったからだ。

だが、最近では陽斗の気持ちも落ち着いてきていたし、重斗の所有する莫大な資産を経済に影響を与えない形で引き継がせるにはそれなりの期間が必要となる。

なので桜子や和田と相談して、少しずつ教えていこうということになったということらしい。

一般常識という面では世間知らずな陽斗なので、重斗や施設の人の話を穂乃香が一緒に聞き、適宜わかりやすく説明したりしてくれるので、なんとかついていけているようだ。

重斗のほうも、どこか陽斗より穂乃香に向けて説明しているように思える。

彼女は四条院家で幼い頃から令嬢としての教育を受けていて、企業経営者・資産家としての知識や心構えが身についているのだから適任と言えるだろう。

穂乃香はそれを誇るような態度は見せないが、陽斗はいつにも増して尊敬の念がこもった目で彼女を見つめていた。

そんなどこかほのぼのした雰囲気のままリムジンは街中を通り、都心部の真新しいビルの前に到着する。

入り口の前で出迎えたのは警備班の大山だ。

このように重斗が移動する時は常に行き先に警備班の者が先行し安全を確保している。治安の良いこの国であっても常に警備が必要な立場なのだ。

もっとも、ここ2年近く超絶過保護な爺馬鹿のせいで常に護衛が近くに居る環境に慣れてしまったせいで陽斗はそれほど違和感を覚えていないようだが。

大山を先頭に重斗の後に続いてビルに入ると、初老の男性が頭を下げて迎えてくれる。その隣には30代前半と思われる女性もいる。

「皇さん、お待ちしておりました」

「うむ。忙しいところ手間を取らせる」

男性の言葉に、重斗が鹿爪らしく頷いてみせる。

陽斗に向けるだらしない笑みは気配すら残っておらず、威圧感さえある重々しい態度だ。

「そちらがご連絡いただいていた御令孫とその友人の方ですね。初めまして、当研究所の所長を務めております 嶋(しま) 田(だ) と申します。こちらは主席研究員の 占(うら) 部(べ) です」

「……お会いできて光栄です。占部 貴(き) 美(み) 子(こ) です。よろしくお願いいたします」

穏やかな口調の嶋田に対して、占部と名乗った女性のほうは無表情でおざなりに陽斗たちに頭を下げた。

その態度に穂乃香と重斗がわずかに眉を寄せる。

どうやら忙しいのに学生の相手をしなければならないのが不満のようだが、所長に命じられて仕方なく対応に来たといったところなのだろう。

とはいえ、いくら出資者でもさすがにその程度で部外者が叱責するわけにはいかない。

そもそも研究者というのはどこか偏屈な人間が多く、逆に人に 阿(おもね) るようでは研究などおぼつかないだろう。

貴重な研究の時間を割いてもらっているのは確かなので、重斗も不満を飲み込んで先を促した。

嶋田の後についていく形で建物を案内される。

研究所といっても内容は経済や通商、各種統計の分析や予測といったものなので、見た目は普通のオフィスとそれほど変わらない。

実験室などがあるわけではなく、違うのはワンフロアに巨大なコンピューターが設置されていることくらいだ。

嶋田が各フロアで行っている研究内容を説明してくれるが、さすがに一介の高校生が理解するのは難しく、穂乃香ですら途中で何度か質問しながら回っていく。

そしてもうひとりの職員、占部貴美子はというと、特に嶋田の言葉を補足したり説明に加わったりすることもなく、それどころか陽斗たちを見下したような冷淡な目を向けるばかりだ。

重斗が話を振っても一言二言返すだけで、愛想もなにもない。そのたびに嶋田が慌ててフォローを口にしているのだが、一向に気にする様子はなかった。

「う、占部くん、皇さんになんて失礼な態度を」

「失礼ですか? 研究所は学校ではありませんよ。子供の暇つぶしに付き合っていられるほど気楽な立場ではないのですけど?」

あまりといえばあまりな反応に、重斗も怒るより呆れたように溜め息を吐くしかない。

「ふむ。ずいぶんと嫌われたものだな。ここは企業や資産家の出資によって運営されている施設だというのを理解しているのかね? 次代を担う若者に研究の重要性や意義を伝えるのも研究所の責務だと思うのだが」

苦笑しながらチクリと釘を刺す重斗に、占部は不快そうに眉を顰める。

「日本有数の資産家というのは随分と狭量なのですね。別に気に入らなければ圧力を掛けて 馘首(クビ) にでもすれば良いのでは? 私はどこでも研究できますので構いませんよ」

「占部くん、いい加減にしなさい!」

売り言葉に買い言葉とでもいうのか、吐き捨てるように言う彼女に、さすがに黙っていられなかった嶋田が叱責する。

そもそもの論点を外した反論をした自覚があるのか、占部が唇を噛んで口をつぐむ。

「まぁ、急に訪れて研究の邪魔をしてしまったのはこちらだからな。儂はこれ以上は咎めんよ。ただ、『子供の暇つぶし』という言葉は取り消してもらいたい。この子たちは遊び気分で来たわけではないのでな」

「……大人げなく失礼な言葉を投げつけてしまいました。真剣に学びに来た学生さんに言うことではありませんでした。撤回させていただきます。申し訳ありません」

占部は陽斗と穂乃香に向き直り、深々と頭を下げる。

困惑しつつ顔を見合わせるふたりを、重斗は出口に向かって促した。が、陽斗は少し迷ったような素振りを見せてから占部に近寄って口を開いた。

「あの、貴女は資産家が嫌いなんですか?」

その言葉を聞いて、彼女の顔は初めて驚きの色を見せたのだった。