作品タイトル不明
バルディアの名に賭けて
「この蝶を地上に連れていく、だと。木偶、貴様は本気で言っているのか?」
マルバスが鋭い目付きでじろりとこちらを見やった。
「この場で嘘なんて付けるわけないでしょ」
僕は肩を竦めて毅然と告げると、フェイの頭を優しく撫でた。
「それにさ。今のこの子に必要なのは頭ごなしに怒って罰を与えることじゃなくて、常識や道徳を教えて導いてくれる存在だと思うんだ」
「……貴様がそれを言うのか」
「くっくく。確かにリッドが常識を教えるとか笑っちまうな」
マルバスは眉を顰め、イビは肩を震わせて噴き出した。
フローベルも何やら目を逸らして咳き込んでいる。
「君達、失礼だな。僕は至って健全な常識人だよ」
「常識を持つ者であれば、牢宮内で敵対した相手を地上に連れて行こうなどと思わん。この型破りめ、貴様のそういうところが本当にいけ好かん」
僕が胸を張って異議を唱えると、マルバスは鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。
イビとフローベルはその姿を見るなり、いよいよ笑い出してしまった。
なんだよ、もう。
急に強い口調で言われ、釈然とせずにむっとしていると「ねぇ……」とフェイが僕のズボンの裾を引っ張った。
「本当に、本当に地上へ連れて行ってくれるの?」
「うん、もちろんだよ。あ、でも、君の形代にはなれないよ。だけど、僕が協力したら出られるんでしょ?」
「それはそうだけど。僕、君達に酷いことしたんだよ。それなのにどうして?」
フェイは意図が理解出来ないらしく首を傾げた。
「君が言っていたじゃないか。外の世界を見たいってね。それに僕も君に広い世界と色んな人を知ってほしいと思ったんだ」
「色んな人?」
「うん、人には君を傷つけたように悪くて酷い奴もいる。でも、君が困った時に手を差し伸べてくれる人も沢山いるんだよ。その事をフェイにも知ってほしい」
彼は牢宮核の化身ということもあって、持っている魔力量は人知を超えている。
でも、その心というか精神年齢は生まれてずっと牢宮にいたせいか幼い子供そのものだ。
善悪の区別も曖昧だし、考え方がどうしても極端になりやすい。
今後のことも考えれば、時間が掛かっても彼に外の世界を見せるべきだ。
彼の記憶と感情を読み取ってしまった以上、個人的に放っておくことも出来ないからね。
「わかった。でも、その、本当に僕のことを許して、酷いことをしないって約束してくれる?」
念を押すように、フェイは恐る恐る尋ねてきた。
過去に頼った相手に裏切られたことが、今でも心の傷になっているんだろう。
僕はにこりと目を細めると、こくりと頷いた。
「バルディアの名に賭けて誓うよ」
「バルディアの名に賭けて……?」
フェイがきょとんと首を捻ると、マルバスが鼻を鳴らして眼鏡の山をくいっとあげた。
「地上で過ごす者には身分というものがある。リッドは帝国に属するバルディア辺境伯家という貴族の出身だ。お前には理解出来ぬだろうが、貴族が自らの名に賭けて誓うという言葉は決して軽いものではないのだ。名を賭けた誓いを違えれば、その者はもう貴族ではない。そう心得ておけ」
「あはは、説明ありがとう」
僕は苦笑しながら頬を掻いた。
かなり古風な認識だけど間違ってはいない。
高名な貴族が名を賭けた誓いというのは、この世界では絶対に破ってはならない重い約束という認識を持たれている。
誓いを立てて相手が裏切った場合には、地の果てまで追い詰めて粛清しても許されるぐらいだ。
事前に状況を皇帝陛下に伝えて、承諾を得る必要はあるけどね。
咳払いをすると、僕はフェイに向かって手を差し出した。
「今の僕が送れる最大限の言葉だよ。フェイ、僕は君に酷いことはしないし、外の世界を見せて色んな人に会わせてあげる。この手を取ってくれれば、ね」
「うん。君のことを信じるよ、リッド」
彼が僕の手を取ったその時、「ちょっと待て」とイビが切り出した。
「さっきから聞いてたらよ。リッドばっかり譲歩してんじゃねぇか。おい、クソ蝶。てめぇも、リッドと契約しろよ」
「契約……?」
僕とフェイが顔を合わせて首を傾げると、イビが「はぁ……」と深いため息を吐いた。
「リッドはお前を地上に連れだし、導くと名に賭けて誓ったんだ。クソ蝶は牢宮核の化身なんだろ。だったら、その力をリッドの求めに応じて惜しみなく使うぐらいの契約をしろって言ってんだ」
「あぁ、そういうことか。わかった」
フェイは合点がいった様子で頷くと、僕の目を真っ直ぐ見据えてきた。
「僕も名と牢宮核に賭けて誓うよ。リッドの求めに応じて、僕の力を惜しみなく使うってね」
「ありがとう、フェイ。じゃあ、それで契約しよう」
改めて彼と握手をしたその時、急に虹色の牢宮核が強い光を発して煌めきはじめる。
何事かと目を瞬いていると、イビがにやりと口角を上げた。
「リッド、良かったな。クソ蝶を通してだが、お前はこの牢宮核の力を得たも同然だぜ。どうだ、人知を超えた力を手に入れた気分はよ」
「人知を超えたって、大袈裟だな。牢宮核の魔力は膨大だけど、あくまでフェイの力でしょ。僕には関係ないよ」
「そうかい。まぁ、いずれわかるさ」
僕が頭を振ると、イビはやれやれとおどけた様子で肩を竦めた。
確かに牢宮核の魔力は凄いけど、あくまでフェイの力だ。
僕には関係ないだろう。
「おい、フェイと木偶の話はまとまったんだろう。私と部下達を早く地上に戻してもらおう」
マルバスが棘のある口調で切り出してきた。
「あぁ、そうだったね。じゃあ、まずはマルバス達とイビを地上に送るよ」
フェイが頷いて指を鳴らすとルイ、ジャン、ジーンの三人がこの場に現れた。
ただ、気を失っている様子で「うーん」と唸っている。
マルバスは歩み寄ってしゃがみ込み「怪我はないようだな」と呟くと、その場で立ち上がった。
「このままで良い。私を牢宮に引きずり込んだ場所に全員戻してくれ」
「お安い御用だよ」
フェイが返事をして間もなく、黒い渦が床に現れた。
「これに入れば地上に戻れるよ」
「やれやれ。手間を掛けさせておってからに」
マルバスは面倒臭そうに呟きながらルイ、ジャン、ジーンを抱えて黒渦に次々放り込んでいく。
思った以上に扱いが雑だ。
彼は三人を放り込み終えると、こちらに振り向いた。
「リッド・バルディア。今回は止むなく協力したが、貴様を倒すのは兄上と私だということを忘れるな。せいぜい今のうちに首を洗って待っておけ」
「……その言葉、そっくりそのまま返すよ。僕のところにくるなら、首は綺麗に洗っておくことだね」
「ふん、最後まで生意気でいけ好かん奴だ」
僕が切り返すと、彼は鼻を鳴らして眼鏡の山をくいっと上げる。
イビをちらりと横目で見やってから、再びこちらに振り向いた。
「鳥頭のことを気に掛けているようだが、寝首を掻かれぬようせいぜい気を付けることだ。パドグリー家、もといホルストは良からぬことを考えているようだからな」
「良からぬこと……?」
僕が眉を顰めて聞き返すも、彼は頭を振った。
「それぐらいは自分で調べろ。教えてやる義理はない」
「……わかったよ。じゃあ、最後に僕からも一つ言っておきたいことがある」
そう告げると、僕はにこりと微笑んだ。
「フローベルさんのこと。大切にしてあげてね」
「……⁉ 貴様に言われんでもわかっている」
彼が目をカッと見開いて怒号を発すると、フローベルが「マルバス様……」と嬉しそうに顔を赤らめた。
うん、二人はもう大丈夫だろう。
マルバスはハッとして咳払いをしながら僕に背を向けて「いくぞ、フローベル」と声を発した。
「畏まりました」
彼女は即座に返事をすると、こちらに振り返って会釈した。
「何をしている、早く来い」
「はい、申し訳ありません」
フローベルが急いで駆け寄っていくと、彼は彼女をお姫様抱っこしてそのまま挨拶もせずに黒渦の中へ飛び込んでしまった。
あっけないお別れだったけど、マルバスとはこんな感じで良いだろう。
「さて、次はあたしの番だな」
イビはそう言うと、僕の前にゆっくり出て振り返った。
「クソ蝶、あたしも引きずり込んだ場所に戻してくれ」
「わかった」
フェイが返事すると、僕とイビの間の床に黒い渦が現れた。
「……思いがけない出会いだったけど、君のおかげでここまで来れたよ。本当にありがとう。それから今度会うときは、ゆっくり君の歌声を聞かせてほしいな」
「リッド、てめぇは良い奴だ。だからこそ教えてやる」
彼女はそう言うと、目付きを鋭くした。
「もしも敵対することになったら、迷わずあたしを最初に殺せ」