作品タイトル不明
キールとバルディア家
木炭車が新屋敷に到着すると、玄関の扉前には母上を中心にメル、ファラ、アスナ、ガルンと皆が勢揃いで正装に身を包み、威儀を正していた。
「あなた、おかえりなさいませ」
母上の一礼に合わせ、メルやファラ達も頭を下げた。
なお、母上は車椅子の横で凛とした姿で立っており、傍には万が一に備えたメイド長のマリエッタと副メイド長のフラウが控えている。
「ナナリー、色々と気苦労を掛けて済まなかったな」
決まりの悪そうな顔で父上が皆の顔を上げさせると、母上は目を細めて微笑んだ。
「いえ、とんでもないことでございます。当家の長女であるメルディとキール殿下との婚約の件、帝国に仕える貴族としてこれ程光栄なことはありません」
「そ、そうか。納得してくれたなら……」
「ですが……」
母上は父上の言葉を遮るように言った。
「流石に突然過ぎたので驚愕いたしました。殿下をお迎えにするには『準備』というものが必要となります故、今後はその点にも配慮していただきたく存じます」
「う、うむ。そうだな、すまない」
黒いオーラを放つ笑顔の母上に父上がたじろいでいると、キールが皆の前に出て一礼した。
「ナナリー殿、メルディ殿。そして、バルディア家に仕える皆様。初めまして、キール・マグノリアです。これから、よろしくお願いします」
彼が顔を上げてあどけなく微笑むと、この場に勢揃いした皆が目を瞬いた。
帝都で貴族達を相手にしていた皇子なだけに猫かぶりが凄い。
帝国に住む者であれば、第二皇子であるキールの名前は誰もが知っているだろうけど、彼を間近で見たことがあるのは、帝国民でも帝都在住の者ぐらいのはず。
帝国民にとって皇族というのは、偶像的で特別な存在だ。
多分、皆がいま示している反応はある意味で正しいのかもしれない
「か、可愛い……」
ダナエが小声で呟くと、母上が咳払いをした。
「こちらこそ、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。改めて、ナナリー・バルディアです。そして……」
母上が優しい眼差しを向けると、メルが一歩前に出て凛としたカーテシーを行った。
「辺境伯ライナー・バルディアの娘、メルディ・バルディアです。本来、今回のご良縁のお話は帝都に私が出向かねばならぬところ。キール殿下にバルディアまでわざわざご足労いただき、感謝の念に堪えません。本当にありがとうございます」
キールはメルの綺麗な所作を見て頬を赤く染めると、すぐにハッとした。
「いえいえ、今回の婚約は父と母の鶴の一声がきっかけです。バルディア家の皆様は、さぞ混乱したことでしょう。この場にいない父母に代わり、お詫び申し上げます」
彼はそう言って会釈すると、メルの前に出た。
「それより、メルディ殿とこうして直に会えたこと、とても嬉しいです。いやぁ、肖像画で見るより遥かに可愛らしい」
「私の肖像画、ですか」
メルは表情を少し曇らせて小首を傾げた。
あ、そう言えば『肖像画』の件。まだ皆には伝えていなかったな。
「あ、それはね……」
補足しようするが、先にキールが懐中時計を取り出した。
「これです」
彼が懐中時計を開いて皆に見せた蓋の裏側には、メルの小さな肖像画がはめ込んであった。
ちなみに懐中時計は、バルディア家が皇族に献上したものだ。
「え、あの、こ、これはどうされたんですか」
皆がきょとんとするなか、メルが恐る恐る尋ねると彼は照れくさそうに笑った。
「実は、母上からメルディ殿の肖像画を見せてもらったことがありましてね。いずれこうなるんじゃないかという予感はあったんです。それで、メルディ殿を小さく描いたこの肖像画を肌身離さず持つようにしていたんですよ」
「婚約前から私の肖像画を肌身離さず……」
何やらメルの表情がさらに曇ってきた。
ふと周りに目をやればマリエッタ、フラウ、ダナエといったメイド達の表情が打って変わって少し引きつっている。
というか、僕もメルの肖像画をそんな以前から手元に置いていたという話は初耳だ。
「き、キール。もうその辺にして後は屋敷の中で……」
声を掛けるが、彼は聞こえていないらしく咳払いをして続けた。
「私、帝都では様々な本を読んでおりましてね。その中で『365通目の手紙』という恋愛小説が特に面白かったんです。内容は、主人公が恋する女性に毎日直筆の手紙を書いて送るんですが、365通目。つまり、丁度一年後の手紙で恋が成就するという物語なんですよ」
「へ、へぇ、面白そうな小説ですね」
愛想笑いを浮かべたメルが相槌を打つと、キールは気を良くしたらしい。
彼は目を輝かせてまくし立てた。
「そうなんです。そこで、私も感銘を受けましてね。メルディ殿宛に手紙を毎日書いてみたんです。そうしたら、あの荷台まるまる一台分になってしまったんですけどね」
「え、あの荷台は全部書写本じゃなかったの」
思わず突っ込むと、キールが恥ずかしそうに頬を掻いた。
「いえ、ほぼ書写本なんですが、一台だけは私がメルディ殿宛に書いた手紙と恋文。それと……詩です」
「な、なんだって」
聞き返すと同時に遠くにある荷台を見やった。
あれの一台に、キールが書いたメルへの手紙、恋文、詩が一杯に積んであるのか。
なんてものを帝都から遠路はるばる運んできたんだ。
がっくりと肩を力が抜けるのを感じたその時、ふと見ればメルが真っ白になって唖然呆然としていた。
「メ、メル。良かったじゃない。第二皇子であるキール殿下にそんなに前から見初められていたなんて、大変光栄なことですよ」
母上が笑みを浮かべて場の空気を何とかしようとすると、ファラも「そ、そうですよ」と続いた。
「わ、私だったら、リッド様が同じ事をしてくれたらとっても嬉しいですよ。メルちゃん」
「えぇ、それは兄様と姫姉様の関係があってだよ。知らない人がしていたら、き……」
メルは呆れ顔で何を言いかけると、僕とファラを交互に見て何かを閃いたらしく、「あ、そうだ」と咳払いをした。
「キール殿下、一つよろしいでしょうか」
「う、うん。なんだろう、メルディ殿」
「私は婚約者の方と、お兄様や姫姉様のように互いの思いをしっかりと言える間柄になりたいんです。従いましてこれより先、私は殿下に思ったことを率直にお伝えしてもよろしいでしょうか」
「わかりました、それは私も望むところです。では、私のことは気軽にキールと呼んでください」
「ありがとうございます。では、キール。私の事もメルディとお呼び下さい」
メルは不敵に微笑むと、咳払いをして「では、早速」と切り出した。
「キール、先程から続く貴方の発言。正直言って怖い、怖すぎです」
「え……」
腰に手を当てながらびしっと指差したメルの言動に、今度はキールが啞然呆然。
この場は静まり返ってしまった。