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【電子書籍化】きっと、あなたが正しいのでしょうね 〜婚約者を妹に寝取られたので、ブチギレた伯爵令嬢は勝手に辺境伯に嫁ぐことにした

作者: 紺青

本文

――ああ、間違えた。

いつも冷静沈着で、正しい行動を取るサマンサにしては珍しい失態だ。

自分の作り出した自分だけの世界になぜ、人を入れようと思ってしまったのだろうか?

今更、過去の決断を悔いても仕方ないのだけど。

サマンサが幼い頃から試行錯誤し、密かに魔法で作り上げた空間に婚約者と妹がいる。

「なるほど、空間魔法と錬金術の組み合わせか……」

「えー、お姉様すごーい」

「魔法で作り出した空間には、生き物は入れられないはずだが……さらにそこに錬金術で生成した物だけでなく部屋のようなものも生み出せるなんて……」

二人が驚くのも無理はない。床にぽっかりと空いた穴とそこから続く木の階段を降りると普通の部屋があるのだから。

貴族令嬢の部屋と比べると小さくて窓や扉はない。ソファやテーブル、クローゼットや机などの家具も配置されている。勉強をしたり、くつろいだりするには十分な広さだ

これが魔法で作られた空間で、ここに置かれたものは全て錬金術によって生み出されたなんて信じられないだろう。

「でも、なんかお姉様っぽくないっていうか、子供っぽくないですかぁ?」

サマンサを押しのけるように階下に降りた婚約者の腕に、妹のアマンダが体をすり寄せて媚びるように言う。

アマンダの言う事には一理ある。

長身痩躯で、無表情なサマンサに可愛い物は似合わないし、興味もない。

それなのにこの部屋ときたら、カーテンやクッションなどは落ち着いたピンクで統一され、花瓶にもピンクと白の花が飾られ、おまけに飾り戸棚にはふわふわのぬいぐるみが鎮座している。

「確かに、まぁ、少女趣味というか……。将来の子供部屋でも想定して作ったのではないか?」

慣れたもので、婚約者は黙って妹の腕を外して距離を取った。なにかに夢中になると周りが見えなくなる程、没頭する彼は部屋を検分するのに余念がない。

そういう所がいいなと思っていたのに。

貴族令嬢としては長身のサマンサより頭一つ分大きい婚約者の背を見ながら、溜息をついた。

サマンサの婚約者は歴史は浅いが裕福な侯爵家の次男だ。二人姉妹の長女であるサマンサが婿を取って、クレイトン伯爵家を継ぐことになっている。妹ばかりを溺愛し甘やかす両親に任せておけないと、父方の祖父母が厳選してくれた婚約者だ。

婚約した十歳の頃から、地道にコツコツと勉学や鍛錬に励む少年だった。十八歳になった今では、ひょろっとしていた体つきはしっかりしたものとなり、シルバーフレームの眼鏡が似合う知的な印象の青年に成長した。

――真面目で正しくあろうとする人。

それがサマンサの彼に対する評価だ。

彼だけは理解してくれるかもしれない、なんて思ってしまったのだ。

だから週に一度の婚約者とのお茶会で、この魔法で作り出した空間について話してしまったのだ。

「後学のために、見てみたい」そう言われて、自分だけの空間への入り口を出現させてしまった。結婚式まで三カ月を切っていて、どこか浮かれた気持ちがあったのかもしれない。

「エイベルさまぁ、こんにちは! いらしていたなら声をかけてくださいな!」

そこへいつものように妹が突撃してきた。今日は母とお茶会に行くと言っていたのに、なぜ家にいるのだろうか?

「アマンダ嬢、家族とはいえきちんとノックをしてから入りなさい。あと、私はサマンサの婚約者だ。婚約者との交流の茶会で妹と親交を深める必要はない」

「もー、ほんと固いんだからぁ。まー、そんな冷たいところもゾクゾクしちゃうんだけど!」

妹のアマンダは天使のように美しい外見をしていて、幼少期に病弱だったため、両親はもちろん使用人達にも甘やかされて育った。そのため、貴族令嬢に必要なマナーは一つも身に付いていない。

年頃になり更に美しさに磨きがかかる妹にも、彼は一切興味を示すことはない。それでも、いつか妹になびいてしまうのではないかという不安がなくなることはない。

今日も花の周りをふわふわと舞う蝶のように、儚い外見に似合った淡いピンクのドレスを身にまとい甘い匂いを振りまいて、婚約者にまとわりついている。

「じゃあ、見せてもらおうか」

「は?」

サマンサの特別な空間を彼には見せてもいいかなと思っていたが、妹には絶対に見せたくない。アマンダの出現を気にもとめていない彼の注意は、床に空いた穴に注がれていた。

「すみません。あなた以外に見せるつもりはありません」

「えー、なになに? 内緒の話? お姉様ったら、本当に意地悪なんだから! 私だけのけ者にしないでよ!」

「なぜ?」

「……」

アマンダに同意しているわけではなくて、早く見たくて仕方ないのだろう。

彼はアマンダに関心がないが、サマンサの心情にも関心がない。効率主義で面倒くさいことも嫌いだ。いつもアマンダの素行を注意するが、サマンサを大事に扱うわけでもない。だからアマンダが付け入る隙があるのだ。

婚約者同士のお茶会にアマンダが乱入しても、注意はするが締め出すこともない。アマンダが癇癪を起すので、それが嫌なのだろう。結局いつも三人でお茶をするはめになる。

ずる賢いアマンダは自分が押し切れば二人の間に入り込めるとわかっている。だから毎週のように乱入してくるのだ。

両親に期待はできないし、使用人の協力も得られない。だから苦肉の策で、できるだけアマンダに外出の予定のある日に婚約者と交流することにしているのだ。

「えー、私にも見せてくださいよぅ!」

「アマンダ嬢にも空間魔法の素質があるのだろう? 姉妹で能力に違いはあるのかもしれないが、見ることによって参考になるかもしれないじゃないか」

クレイトン伯爵家は空間魔法の血統だ。アマンダはあまり熱心に鍛錬していないけど、空間魔法を物に付与することができる。例えばポケットなどに空間魔法を付与することで、見た目以上の物を収納することができるようになる。

サマンサにはない力だ。サマンサも空間魔法を発動できるが、自身でしかその空間を扱うことができない。それ故に父には「商家や冒険者の荷物持ちになる以外、使い道がないゴミみたいな能力だ」と言われた。伯爵家を継ぐのに、空間魔法は必須ではない。だから、サマンサは妹との能力の差を気にしたことはなかった。

「さぁ、時間がもったいない。見せてくれないか?」

上手い断り文句も思いつかず、自分が魔法で作り出した空間へと二人を導く。

サマンサが判断を誤った結果が、これだ。

アマンダは部屋のあちこちを見て回り、物を取り出して騒ぎ立てている。ついにクローゼットまで開け放ち、そこに釣られたドレスからなにかに気づいたようだ。ハンガーごとドレスを取り出し、サマンサの方に向けて当てる。

「エイベルさまぁ、見てください! 悪趣味! なにこのドレス! ピンクのフリフリで。やだー! 大きなリボンまで付いてる! え? サイズが子供向けじゃなくて大人向けじゃないですか? しかも、これってお姉さまにぴったりの! え? まさか、ここで、このドレスを着て過ごしているんじゃないですよね? やだー、おっかしい」

「……サマンサがこんなドレスを好むわけないだろう?」

それを見て婚約者の鼻の頭に皺が寄る。彼の趣味ではないのだろう。どうしても出席しなければいけない夜会の時に贈られるドレスは落ち着いたデザインと色味のものだ。

「しかもこの宝石箱、子供っぽくないですかぁ? わー! 中身まで入っている。ピンクのハートのネックレスって! うける! やだー、おそろいのイヤリングとブローチまで。だっさ!」

ドレスを床に放り出したアマンダは、白を基調として大きなハートのピンクの宝石を中心に、小さな宝石が散りばめるようにはめ込まれた宝石箱を取り出した。中に入っているアクセサリーも幼い子供が好むような可愛らしくて大ぶりなデザインのもの。それをテーブルの上にぶちまける。

どれだけ表情を取り繕っても、妹は悪魔的な嗅覚でサマンサが言われたくないこと、されたくないことを嗅ぎ分ける。

まるで拷問されているようだ。

ただ痛みに耐え、自分を鈍くし、時間が過ぎるのを待つしかない。

ガシャンという音が響き、床にピンクと白の花が散らばり花瓶の破片が飛び散った。

「あらー、ひっかけちゃった。ごめんなさいね? でも、こんなところに置いておく方が悪いのよ。でも、ま、錬金術で作り出したものなら、すぐに作り直せるわよね? 優秀なお姉様なら」

花瓶をひっかけて、落としたアマンダは悪びれることもなく、部屋を荒らし続ける。

「これは収納した現実世界の物ではなくて、錬金術で生成したものなのか? すごいな……。現実世界の物の在り様を完全に再現している……」

婚約者はアマンダの素行を注意することなく、この空間と錬金術で生成された物と自分の思考に浸っている。

「サマンサ、この空間の保持にはどのくらいの魔力量が必要なんだ? なぜ生き物が魔法で作った空間に入れる? どのくらいの時間、人間は滞在できるんだ? この空間で錬金術を使ったのか?」

この人にサマンサを理解してもらえるはずなんてないのに。でも、もしかして、なんて期待を抱いてしまって。自分の内面を現したこの特別な空間に招待してしまったのだ。

誰かとわくわくした気持ちを共有したかったのかもしれない。本当の自分を誰かに見せたかったのかもしれない。

サマンサの周りにいる人の中で彼は一番まともだったから。

無関心な両親と病弱でわがままな妹。由緒ある伯爵家の存続だけが大事で、サマンサを駒としか思っていない祖父母。

ただの婚約者で、サマンサに愛情がないのはわかっている。皆に平等に接する彼はサマンサを特別扱いすることもない。

自分にも他人にも厳しい人だけど、平等で妹になびくこともない。だから愛情はなくとも、信じていた。

でも、そんな気持ちも花瓶と一緒に粉々に砕けた気がした。

◇◇

好きに空間を作りそこに錬金術で物を作り出せるようになったのは、サマンサの家庭教師のお陰だ。

「んー、僕は本来、王家とか高位貴族のノーブルなお方にしか教えないんですけどね? この世のなによりマネーが好きなので、来ちゃいました! オーケー?」

五歳のサマンサの前に現れたのはとても家庭教師とは思えない珍妙な男だった。ゴツイ体つきなのに、動きは女性のようにしなやか。異国風の顔立ちで、黒髪を七三にきっちり分けている。

サマンサの後継ぎ教育のために祖父母が伝手を辿り、金を積んで最高の家庭教師を手配した、らしい。

「いいですか? イメイジとイマジネイションが大事なんです! そうするとイリュージョンが起こり、レボリューションになるんです。オーケー?」

風貌としゃべり方は独特で片言だけど、噂にたがわず優秀な家庭教師は、一般的な教養やマナーはもちろん、魔法からこの国では平民がするものとされている錬金術まで教えてくれた。

特にサマンサは錬金術に夢中になった。初めは石と土など、実在するものを掛け合わせて物を作り出していた。

サマンサが幼い頃には妹のアマンダが病弱で、しょっちゅう臥せっていて両親はもちろん使用人達もつきっきりだった。だから部屋や庭の片隅でせっせと錬金術や魔法を練習するサマンサをいぶかしく思う者はいなかった。

「そうそう! サマンサはセンスの塊ですね! グッドグッド!」

魔法と錬金術は、想像力と創造力が大事。その言葉をヒントに、今度は土などの実在する物に魔力を掛け合わせ、最後には違う魔力の塊を掛け合わせることで自分の想像したものは大抵、錬成できるようになってしまった。

「おー、サマンサ! すばらしい! エクセレント! 僕に教えられることはもう、ないですねー」

「え?」

自分の知らない世界を教えてくれて、さらに惜しみなく自分を褒めてくれる大人は家庭教師以外にいなかった。大柄な男が身をかがめて、サマンサの頭をくしゃりとなでた。褒められることはあっても、なでられたのは初めてだった。

「先代伯爵様、もうマネー出せないって言う。サマンサは次期伯爵夫人として完璧です」

「え、え、え」

「最後に一つだけ。サマンサの空間魔法と錬金術はとってもスペシャルでゴージャス。他の人にないものです。だから、内緒にしてこっそり使いなさい。他の能力だけで伯爵令嬢や夫人として完璧。オーケー?」

七歳になって、淑女教育が身に付いたサマンサが年相応にうろたえている間に、彼は魔法でさっと姿を消してしまった。

それからサマンサはまた一人ぽっちになった。新しくつけられた家庭教師は普通の貴族女性だった。サマンサはどこか裏切られた気持ちで、空間魔法も錬金術も封印してしまい、使うことはなくなった。

サマンサが再び、空間魔法と錬金術を使おうと思ったのは妹のアマンダのせいだ。

サマンサが十歳になった頃、病弱だったアマンダは少しずつ元気になっていった。成長と共に体が丈夫になったらしい。

サマンサはようやく両親が自分にもかまってくれるかもしれない。妹と遊べるかもしれないと期待に胸を膨らませた。

しかし相変わらず両親の中心はアマンダで、サマンサには無関心だった。

「お姉様だけ、ずるい!」

「お姉様のものが欲しい!」

あまり交流することのなかった妹は、とても我儘で欲張りな女の子だった。サマンサの物をなんでも欲しがり、うらやましがる。サマンサの部屋からどんどん物がなくなっていった。両親に訴えても妹の味方をして、取られたサマンサの物が戻ることはない。

だから、サマンサは錬金術で欲しい物を作り出し、魔法で作り出した空間に収納することにした。

サマンサから物を取り上げても平気そうな顔をしているのが、気に食わなかったのかアマンダは両親にあることないこと告げ口をするようになった。

「お姉様にいじわるされた」

「お姉様が勉強をさぼっていた」

追い詰められたサマンサの空間魔法は進化を遂げていった。

はじめはただの真っ白い空間だった。

ただ、ほんの少しどこかで隠れたかっただけ。人目をはばからず泣きたかっただけ。

魔法で作り出した空間には通常、生きている物は収納できないという。そこに入れてしまった。

投げやりな気分だったのも良かったのかもしれない。サマンサは自分がどうなってもかまわなかった。正気だったら、戻れるか不安で怖くて入れなかっただろう。

自分の意思で、魔法で作り出した空間に出入りすることができた。

さらにその空間内でも錬金術が使えることがわかった。自分の想像したものを思うままに作り出すことができた。小説や絵本の中にある世界を再現できた。

ふわふわのぬいぐるみ。

可愛い色味のドレスやアクセサリー。

あたたかいごはん。

まるでお人形遊びのようだ。

でも、なにも与えられなかったサマンサはその世界に夢中になった。

サマンサの大事なお城。

それを婚約者に見せようとしただけなのに。

ただ一言「すごいね」「いいね」って言って欲しかっただけなのに。

二人が気のすむまで探索して出て行くまで、サマンサは無表情を貫くので精一杯だった。

クローゼットや飾り戸棚は全て開けられ、中身もぐちゃぐちゃになっている。床には割れた花瓶やドレスやアクセサリーやぬいぐるみが散乱している。

コツコツと錬成し、整えたのに一瞬でぐちゃぐちゃになった。

大事な空間だけでなく心やここで過ごしたあたたかで幸せだった時間まで、泥だらけの足で踏みにじられた気分だ。

サマンサが手を一振りすると、部屋にあるもの全てが灰色の砂となりさらさらと形を無くしていく。

あとには真っ白でなにもない空間と階段だけが残った。

ゆっくりと階段を上り、自分の殺風景な部屋に戻る。

くしゃり。

自分が生み出した空間を握りつぶすように、消し去った。

サマンサは再び空間魔法と錬金術を封印することにした。

◇◇

サマンサが魔法で作った空間とそこに置かれた錬金術で作った物。

それらはなかったことになった。少なくともサマンサの中では。

あれ以来、婚約者とは変りなく交流を続けている。結婚式は二週間後に迫っており、あまり事を荒立てたくなかった。妹はサマンサの魔法や錬金術のすごさを理解しておらず、姉を蹂躙したことに満足して何も言ってこない。

「すまない、君との婚約は破棄されることになった」

頭を下げる婚約者の髪がゆれて綺麗なつむじが見える。

彼の隣には、にやにやと勝ち誇った笑みを浮かべる妹がいた。彼の腕に胸を押し付けるように座る妹を引きはがすこともない。

彼らが座るソファの背後には、そんな二人を微笑ましく見守る両親が佇んでいた。

「一体、どういうことでしょうか?」

彼らと対峙するように座るサマンサは一人だった。なんの前置きもなく客間に呼ばれると、婚約者から婚約破棄を宣告された。

「……君に非はないんだ。申し訳ないと思っている」

彼が顔を上げると、どこか悲壮感が漂っていて歯切れも悪い。

「私だってぇ、お姉様に申し訳ないと思ってるんですぅ」

「君のご両親に頼まれて、アマンダのデビュタントのパートナーを務めただろう?」

「ええ。一カ月ほど前のことですよね?」

幼い頃は病弱なことを理由に、大きくなってからは恋愛結婚すればいいと言われているアマンダに婚約者はいない。男兄弟や従弟もいないことから、アマンダに甘い両親が彼にごり押しして頼んだと聞いている。入り婿の立場では彼も断れなかったんだろう。もちろんサマンサには事後報告だ。

「その時に結婚前に一晩だけと頼まれたんだ」

話の流れにゾワゾワしたものが背筋を走る。

「……貴族令嬢にとって純潔がどれほど大事かご存知なかったんですか?」

「お姉様と違って私、貴族には嫁げませんしぃ」

顔色を悪くして押し黙る婚約者に代わってアマンダが答える。

「だってぇ、病気をしてたから子供を生めるかわかりませんしぃ。マナーもお勉強もさっぱりですしぃ。お父様やお母様も裕福な商人の妻か後妻がいいんじゃないかって言われてたんですぅ」

そこで言葉を区切るとサマンサを見て妖艶に笑った。

「だから、純潔なんて意味ないんですよ」

「……だからと言って、なぜ婚約者の妹と……」

「お姉様、エイベル様を責めないで! 悪いのは私なの! お姉様の婚約者だってわかってたけど、思いが止められなくて。私、エイベル様を好きだったの、ずっと。いいえ、愛してるの。その気持ちを受け止めてくれただけなのよ! 彼は悪くないわ!」

涙目で両手を組んで訴える妹の願いなら、誰でも聞いてしまうだろう。それほど儚くて庇護欲をそそる。

「それだけなら、秘め事としてお墓まで持っていこうと思ってたんですけどぉ……」

そこで思わせぶりに平らな腹をなでる。

「ね? わかるでしょう? この子を殺せって言うの? おねーさまは?」

さすがに無表情を保ちきれず、顔から血の気が引く。

父や母は、無情な言葉を放つアマンダをにこにこと見守っている。アマンダが家に残って伯爵夫人となることと孫の誕生が楽しみなのだろう。

「……あれだけ……結婚式は?」

あれだけ、真面目でいつも正しい彼が浮気をした。妹と。体を繋げ子供もいるという。その事実を飲み込み切れずに、ハクハクと口先だけの浅い呼吸を繰り返す。

それにサマンサと彼の結婚式は二週間後に迫っている。今更、中止にした場合の損害は大きい。

「婚約破棄などという大げさなものではない。お前と彼の婚約を白紙にして、アマンダと婚約を結ぶ、いやすぐに籍を入れるだけだ。二週間後の結婚式で新婦がアマンダに入れ替わるだけの話だ」

続けられる父の言葉にさらなる衝撃がサマンサを襲う。

「お祖父様とお祖母様は……」

「エイベル君が婿として伯爵家当主となるなら、別に良いと言っていた。それにひ孫の誕生も楽しみにしていると」

「……エイベル様は、ご自分の意思でアマンダと体を繋げたのですか?」

両親やアマンダに薬でも盛られたのかもしれないと一縷の望みをかけて聞いてみる。彼の本意でないのなら、このまま話を進めるのは良くない。

「好意を寄せられているのは知っていた。最後に一度だけと懇願されて君なら断れるか? 体のせいで望むようなところへ嫁げない彼女を」

アマンダや両親がきちんと彼女の状況を把握しているとは思わなかった。でも、アマンダは十歳の頃には健康体だと医師に言われていたし、マナーや勉強も努力をすれば身についただろう。するべきことをせず甘えた結果だというのに、それを悲劇的な演出にするとは卑怯だ。

「情けをかけた。それだけだ。でも、子が出来たとなれば話は別だ。責任を取らなければならないだろう。……それに伯爵夫人にとって、跡取りを生むことが一番の仕事だ。正直、君との結婚では閨のことが心配だった、その……君に魅力がないというわけではなくて、どうしても女性として見られないというか……」

「わかりました。全て受け入れます」

妹と寝たと知ってなお、彼をかばう発想をした自分が馬鹿みたいだ。これ以上、辱められるのには耐えられない。サマンサは席を立った。

「待ちなさい。サマンサ。お前は伯爵家から出ることは許さない」

「は?」

アマンダに向けるのとは違う鋭い目で父がこちらを見る。

「エイベル君から聞いた。お前のなんの役にも立たないと思っていた空間魔法を有効活用できる方法があるみたいだな。アマンダのように物に付与できるような有用なものではないかと思っていたが。人脈やお金が手に入る可能性があるらしいな」

「……それほどのものではありません」

「あの空間の利用方法を思いついたんだ。依頼主の望む空間を作り出して、時間貸しするんだ。これはいい商売になる。クレイトン伯爵家は歴史はあるけど、産業が少ない。災害があった時のことを考えると蓄えはいくらあっても足りない。伯爵家の者として伯爵家に貢献するのは、当たり前だろう?」

婚約者はこれまでのしおらしい雰囲気を霧散させて、明るい顔で滔々と語る。彼はずっとサマンサの空間魔法や錬金術を有効活用できる方法を考えていたのだろう。

「だから、安心していい。自立して外で働く必要も、嫁ぐ必要もない。伯爵家で安心して暮らして、伯爵家のために力を使ってほしい。空間魔法や錬金術だけじゃない。アマンダでは伯爵夫人として足りない部分があるだろう。君が身に着けたマナーや教養を教えてあげてほしい。家族なんだから助け合うのは当然だろう?」

頭の奥でキーンと音がしている。同じ言語を話しているのに目の前で話している人の言葉が一つも理解できない。

彼に悪意はないのだろう。それがよい考えだと言わんばかりに、顔を輝かせている。

彼はきっと正しいのだろう。

可哀そうな婚約者の妹に情けを与えただけ。

その妹に子ができたから、責任を取るだけ。

そして元婚約者である姉を有効活用し、次期伯爵として少しでもお金を稼ぎ、領地や領民に還元しようとしているだけ。

高貴なるものの勤め―ノブレス・オブリージュ―を全うしようとしてるだけ。

でも彼にはなにも見えていないし、サマンサの気持ちなどなにも理解していない。

サマンサを理解してくれない人達に。

サマンサになにもしてくれなかった人達に。

すごい力を持っているからって、自分を犠牲にして人に振る舞わないといけないのだろうか?

「これからアマンダの結婚と出産で費用が嵩む。お前のために用意できる結納金もないし、嫁ぎ先もないだろう。だから、伯爵家に住んで伯爵家のために生きるんだ」

止めを刺すような父の言葉。

――そんなの、クソくらえだよ!!

ずっとずっと腹の奥でぐらぐら煮えてきたものが爆発した。

もう、うんざりだ。

自分を伯爵家の駒としか思っていない祖父母も。

無関心な両親も。なんでも欲しがって、サマンサの負の感情を糧に生きる妹も。

サマンサの心をないがしろにして、正論の刃で刺してくる婚約者も。

その激情を淑女の仮面に押し込んで、サマンサは微笑んだ。

◇◇

ある意味サマンサをよく理解している婚約者によって、伯爵家に軟禁されることになった。今までは付いていなかった侍女や護衛が付き、サマンサを見張っている。

アマンダと元婚約者の結婚式は無事終わったらしい。サマンサは流行病にかかったためという理由で、屋敷に閉じ込められていた。ヤケを起こして結婚式を台無しにされたくなかったのだろう。

「あまり舐めないでもらいたいわねぇ……」

見張りをしやすいように使用人部屋の一室を与えられたサマンサは、机にむかっている。部屋を抜け出したり、暴れたりすることなく大人しく過ごしているサマンサに初めは警戒していた使用人達の緊張も解けてきた頃だ。

これからすべきことを列挙していく。

目標は伯爵家や婚約者の生家の侯爵家が口出しできないくらいの嫁ぎ先を見つけること。

まずは図書館で最新の貴族名鑑をチェックして、お茶会や夜会に忍び込み噂話を収集すること。そして対象に接触すること。

リミットは妹と元婚約者が、伯爵領へ戻る三ヵ月後まで。身重の妹の体調が落ち着いてから領地へ移動するらしい。そのまま出産まで王都に出てくることはないという。さすがに姉の婚約者を略奪した妹というのは世間体が悪いらしい。社交界での噂が沈下するまで身をひそめるためというのも理由の一つだろう。

問題は二人に、サマンサも帯同しなければならないということ。そしてそのままサマンサを伯爵領に軟禁するつもりだろう。王都にいられる間に手を打ちたい。

「あなたが知っている私が全てだと思わないことね……」

サマンサが元婚約者に見せた能力は、一部でしかない。

だって魔法に制限はないのだ。イメイジとイマジネイションがあれば、イリュージョンが起こり、レボリューションになる。

◇◇

瞬間的に殺気を放つ様は、さすが陛下が一目を置く北の辺境伯といったところか。

「初めまして。私はクレイトン伯爵家のサマンサと申します。突然で申し訳ないのですが、私の純潔を散らしていただけませんか?」

突然姿を現し一気にまくしたてるサマンサに、北の狂戦士と呼ばれる男は目をぱちくりとさせた。北の地で魔獣をばっさばっさとなぎ倒す猛者で、熊のような野蛮人だと噂されている。条件だけを見て、外見は度外視した。

――もっとむさくるしいのかと思っていましたが、案外カワイイですね。

中性的で線の細い風貌がもてはやされる王都の男性と違って厳つく肉感的。身長も男性にしては低めで、ヒールを履いたサマンサと同じくらい。

「どういうことだ?」

いつもは得物があるのであろう腰元に手をやっているが、ここは王宮の深部で帯剣が禁止されているため、そこにはベルトがあるだけでなにもない。

「純潔を散らす? しばらく王都に来てないうちに訳のわからない遊びが流行っているのか?」

実践と鍛錬により鍛え上げられた体、日に焼けた肌に残る傷跡。こちらを睨みつける眼光も鋭い。しかし顔立ちは思いのほか整っていて、皺が少し刻まれた目元から優しい茶色がのぞく。隙のない戦士といった出で立ちだが、内心の戸惑いがつぶやきとしてこぼれた。

「サマンサ・クレイトン、伯爵令嬢、十九歳。可愛げはないですけど、それなりに整った顔立ちで、肌もぴちぴちですわ、伯爵家の侍医に健康で子を成せる体だと診断されています。伯爵家の後継ぎとして育てられたので、マナーと教養は身に付いています。空間魔法と錬金術が得意です。社交経験はほとんどないですけど、辺境ではお茶をしているより魔獣と戦う時間の方が多いですよね? こう見えて空間魔法以外も得意なので戦えます」

「ええっと?」

「マクファーレン辺境伯様。悪くない話だと思います。ほぼ二年周期で襲ってくる 魔獣暴走(スタンピード) を北の辺境で抑え、さらに昨年その原因を突き止めたとか。これだけ名声と地位が高まってしまい、面倒くさいお相手を押し付けられそうで困っているとお聞きしたんですけど。貴族だけでなく、いよいよ陛下も動かれるとか……今回の王宮への滞在も一週間後の年に一度の夜会のためでしょう? そこで褒賞を与えられるとか?」

相手が固まっているのをいいことに、ずいっと体ごと迫る。今日のドレスはお母様の持っている赤いマーメイドドレスを自分用に直したものだ。勝手に拝借した。胸元はさみしいけど、その分スリットが入っていて白い足がのぞいている。彼は器用に上半身だけ後ろにスライドさせた。

「私、こう見えて自分の世話は自分でできますし、自分の身も守れます。婚約破棄されましたが、相手が妹と浮気して子ができたという相手有責のもので私に非はありません。結婚相手として、いかがですか? 反故にされてはたまらないので、まずは既成事実を作りましょう!」

「ええっと? 早まっちゃいけない。えーと、婚約者が妹と浮気したんだね。それでヤケになってるのかな? だめだよ、一時の感情で動いては……」

「……そうですか。まぁ、殿方にも好みがありますからね。一番条件が良かったんですが、次を当たりましょう」

サマンサは胸元から取り出したリストに目を落とした。仕方ない。元婚約者だってサマンサを抱けないかもしれないと不安を抱えていたのだ。貴族にとって子を儲けるのは大事なこと。だから、相手がサマンサと閨を共にできるかどうかは最重要事項だった。

「待て待て待て」

「悠長にご相談している暇はないんです。返事は『はい』か『いいえ』の二択です」

「わかった! わかった、受けてたとう!」

言質を取ったサマンサは、王宮の廊下に出現した穴にずるりと辺境伯を引きずり込んだ。

ぼすっと落ちた先には、人が五人は寝転べそうな大きなベッド。柔らかい布団が落下した二人を受け止めてくれた。

サマンサを抱きとめて、受け身を取った辺境伯はぽかーんと周りを見回している。

ここはサマンサがあらかじめ魔法で作った空間で、狭い空間に大きなベッドだけ置かれている。装飾もなにもなくて少し味気ないけれど、壁紙は落ち着いたワインレッドで、ベッドには高級感ある真っ白なシーツがかけられている。

慌ててブーツを脱ぐ辺境伯を前に、サマンサは自分のドレスの胸元に手をかけた。そのつもりだったから、自分で簡単に着脱できるドレスを選んでいる。

「ちょちょちょっと待った。もう、待って。最近の若い子なんなの? 行動力が怖い」

まだ、片方のブーツを足に引っ掛けたまま、真っ赤な顔をした辺境伯から制止される。

「年齢は十五歳しか違いませんよ。すみません。初めてで知識がなくて。そういったことをするのには裸になるのでしょう?」

「いや、最終的にはなるけど! でも、情緒とか前置きとか色々あってね……てゆーか、ここどこなの? なんなの? 陛下のトラップなの?」

――やっぱり、カワイイですね。

元婚約者もこんな気持ちだったんでしょうか? 情が移り、欲しいと思う。条件で選んだけど、結婚相手はこの人がいい。

肉付きのいい体を縮めながら、あたふたしている男の頬に手を添えてぐいっと引き寄せるとそっと唇を寄せた。触れるだけの口づけの後、かさついた肉付きのいい唇に指をすべらせる。ふと見ると、そこには目をぎらつかせた男がいた。

サマンサの両手に絡めるように手を繋げると、そのままポスッとベッドに押し倒された。馬乗りになっているのに、サマンサに体重をかけないようにしている。そんな心使いに心がきゅっとなった。

「本当に俺が結婚相手でいいんだな? こう見えて一途でね。後で思ってたのと違ったとか、止めたいとか聞かないからな?」

自分を上から見下ろす雄にサマンサの血が滾る。

「受けて立ちます。願ったり叶ったりですわ」

◇◇

一週間後の王宮での年に一度の夜会で、サマンサは夫となったヘンリーの隣に立っていた。

「サマンサ、似合ってる。かわいいよ」

無骨な見た目によらず、旦那様は誉め言葉を惜しまない。その言葉は心からのもののようで、目尻が下がっている。初めて会った時はサマンサが押して押して、相手がタジタジだったのに立場が逆転している。

既製品のドレスに、王宮のお針子を動員してサマンサのために調整したドレスは彼が見立てたものだ。形こそスレンダーな体型のサマンサに合わせたものだが、淡いピンク色で上品なフリルが装飾として使われている。胸元に光るのはピンクサファイヤのネックレスで、デザインが大人っぽいので悪目立ちはしていない。むしろ、サマンサの黒色の髪や瞳と引き立て合ってよく似合っていた。メイクも王宮の侍女がしてくれて、きつめの顔立ちもいくぶん和らいでいる気がする。いつもまっすぐに降ろしている髪もくるくると巻いてあって、気分もふわふわと浮き立つ。

――なぜ好みを完全に把握しているんでしょうか?

確かに一週間前に王宮に忍び込んだサマンサと体を繋げてくれた。でもそれ以降、こっそりと会えるのは深夜だけで、サマンサの事情や能力についての話はたくさんしたけれど自分の好みの話は一切していない。

「そりゃ、愛の力でしょう」

普段、無表情で口数の少ないサマンサに勝手に相槌まで打つ。

所詮、サマンサは伯爵家という狭い世界しか知らない小娘で、辺境で国防のために戦う戦士には敵わないということだろう。

差し出された腕に、手を添え隣に立つ。

陛下と幼少期を共に過ごした親友でもある辺境伯は、 魔獣暴走(スタンピード) を収め、その原因を突き止めた褒賞としてサマンサとの結婚と彼女を夜会に出すための助力を願った。

本来なら伯爵令嬢であるサマンサとの結婚には、当主である父の許可がいるはずだが、どこをどうしたのかヘンリーとの婚姻の書類の写しを渡されたのが昨日のこと。

「大丈夫」

少し震える手に気づかれたのか、その手に厚い手の平が添えられる。

我が国では辺境伯の地位は、侯爵と同格なので伯爵家より後からの出番。

その名を呼ばれ、堂々と入場する。

「お姉様? ……なんで?」

遠くても小さくても、嫌いな人の声はよく聞こえる。

開口一番、ずるいだの、欲しいだの言われるかと思ったのに、なぜか呆然としている妹の姿が遠くに見える。その隣に立つ元婚約者は亡霊でも見たような顔をしている。不思議なのだろう。伯爵家に軟禁しているはずのサマンサがここにいるのが。その傍らにいる両親に至っては、サマンサに気づいてもいない。

「よそ見しないで」

ヘンリーが、耳元でささやくので、目を合わせてにっこり微笑むと周りがざわめいた。

「いいよ、その調子だ。あいつらかぁ。小物感満載だな」

ヘンリーは視野が広いのだろう。一度も視線をやることなく、獲物を捉えたようだ。さすが歴戦の猛者。

「まず、陛下に挨拶に行こう。書類は受理されているから、陛下のお墨付きをもらえば、まずひっくり返ることはない」

小娘を前におろおろしていた人とは別人みたいに頼もしいヘンリー。

「だから、あの時はハニートラップなのかと思ったし、女性には慣れてないんだって」

勝手に心を読むのも辺境の精鋭だからなのかしら?

「結婚したんだから、妻に少しはカッコイイ所見せたいんだよ」

めったに王都に現れることのない北の辺境伯の登場に、ホールはざわめいているが声をかけてくる者はおらず、皆道を開けてくれる。そつのないエスコートで陛下の所までたどり着いた。

「おー、ヘンリー、よく来たな!」

彼が口を開くより早く、玉座から陛下が駆け寄ると親し気に身をよせる。

「我が国の太陽である陛下にご挨拶申し上げます……」

「堅苦しいのはいいって! 年に一度の王宮の夜会ぐらい顔出せって言ってるのにちっとも来やしない!」

頭を下げるヘンリーの肩をばしばしと叩いている。

「いやー、確かに結婚相手の世話しようと思ってたけどさぁ。お見事お見事。王都に来て、即行でこんなに若くて綺麗な奥さんを捕まえるとはな!」

ちらりとサマンサに視線を送る陛下。

「まさか偽装結婚とか借金のかたにとかじゃないよね? 脅したりしてないよね? 彼女は納得してるの? 北の辺境だよ? 魔獣がうじゃうじゃいて、王都と違ってオシャレじゃないし、おまけにお前はこんなだし……」

ヘンリーに身を寄せると小声で確認している。

一見、サマンサの心配をしているように聞こえるけど、その実ヘンリーが変な女に引っかかっていないか心配なのだろう。

「愛ゆえですよ、陛下」

ヘンリーが周りにも聞こえるようなハッキリした声で答えた。周りで様子を窺っていた貴族達も一瞬、静まり返ってざわめきが波のように広がっていく。

「いや、出会いはそこらにあるようなありふれたものだったんですけどねぇ。一目ぼれってあるんですね。年甲斐もなく恋に落ちちゃったんですよ。たぶん、気持ちは一方通行ではないと思っているですけど……」

公衆の面前での突然の告白に、真っ赤に染まったサマンサの顔がその答えだ。

生ぬるい笑顔を浮かべた陛下に解放された後に挨拶回りをする。

王都に暮らす貴族は普段、辺境伯を蛮族だとバカにしている。しかし彼らが魔獣を食い止めてくれないと、領地が大変なことになるとわかっている。だから口先だけでも感謝や祝福の言葉をかけられた。

「お姉様、なにをしているんですか? 勝手にお屋敷を抜け出してはいけないでしょう?」

ホールの片隅で妹に声をかけられた。ヘンリーがサマンサの肩を引き寄せ、自分の半身を乗り出す。人にかばわれた経験のないサマンサはそれだけで、胸がぐっと詰まった。

「おやおや、家族だというのに姉の慶事も知らされていないのかな?」

ヘンリーが冷たい視線を両親へと送る。そこには顔色を悪くする両親がいた。どうやらヘンリーとの結婚は両親は納得済みだが、妹夫婦には知らせていなかったらしい。確かに姉が格上の相手に嫁ぐと聞いたら、癇癪を起して暴れて手が付けられなくなるのが想像できる。

「サマンサは辺境伯夫人だ。君は次期伯爵夫人だろう? あまり身分を盾にしたくはないが、貴族であるなら階級は理解した方がいい。口の利き方に気をつけなさい」

「……サマンサ、君は一体どうやって……どうしてここに?」

元婚約者もサマンサの結婚を知らされていなかったのだろう。いつもは冷静沈着な彼がなにを聞いていいのかすらわからず、混乱した様子でもごもごと問いかける。

ふっとサマンサはほくそ笑んだ。

彼に見せたのはサマンサの部屋に出現させた穴に続く秘密の部屋のみ。

まさかサマンサが魔法で作った空間の出入り口を好きな場所に設定できるなんて知らなかったのだろう。

自分の行ったことのある場所ならどこでも可能だ。ただし、あまり遠い場所だと魔力を消費するので、とんでもなく遠い土地などは無理だ。

だから昼間は部屋に引きこもり、夜は明かりを消して早々に眠ったように見えるサマンサが屋敷から自由に出入りして好きな場所に行くことは造作もなかったのだ。

王都にある図書館は行ったことがあるので、人気のない本棚の陰から出没して最新の貴族名鑑を調べた。

数は少ないが夜会などで訪れたことのある貴族家に出入りして、お茶会や夜会の片隅で耳を澄ませて噂を収集した。

姿を現す必要はない。屋敷の壁や廊下に出入り口の小さな穴を出現させて空間の中から盗み聞きすればいいだけの話だ。

狙いを定めた辺境伯と対峙するために、イチかバチかで王宮に出入り口を設置した。粘り強く張り込み、ヘンリーが一人きりになったところを捕獲したのは、サマンサが動き出してから二カ月が経っていた。

「だってお姉様は、伯爵家のために尽くさなければいけないでしょう? それが、辺境伯夫人だなんて」

妹のアマンダの顔が悔しそうに歪む。

「サマンサは空間魔法と錬金術の類まれなる使い手だ」

「だから、伯爵家のために!」

「伯爵家だけのためじゃもったいないんだよ。だから国防に力を貸してもらうことにしたんだ。北の辺境の重要性を知らないとは言わないよね? 陛下も認めた結婚に次期伯爵夫人ごときがケチをつけるって言うのかい?」

当初の計画では自分で最後には家族に啖呵を切ってやるつもりだった。

でも、あまりにもヘンリーがサマンサを甘やかすから、けっこうどうでもよくなっていた。

それでもヘンリーがサマンサをかばって、正論をぶつけてくれるのを見ると胸がすっとした。

「お姉様にはピンクなんて似合わないわ! みっともないったら!」

妹はなんとかサマンサを辱めたいのだろう。一番、言及されたくないことを指摘する。

「それ本心で言ってる?」

ヘンリーの声が一段低くなり、殺気が放たれる。アマンダは元婚約者の陰に隠れて震えている。

「そうか? 君の目は節穴なんだろうな。俺から見ると世界一ピンクが似合ってるけど。……あと、本当に口の利き方に気を付けないと、伯爵家の領地に魔獣を取り逃がしちゃうかもしれないなぁ……」

妹ではなく、両親と元婚約者に向かって言う。

「アマンダ、もうやめろ」

呆然と妹とヘンリーのやりとりを見ていた元婚約者がやっと口を開いた。

「でもぉ……。北の辺境に連れて行かれるなんてお姉様が可哀そうで! エイベル、お姉様はきっと私達と一緒にいる方が幸せに違いないわ!」

妹がただの馬鹿だったら、ここまでサマンサは苦しめられなかっただろう。

彼女はサマンサを貶めるためなら、どれだけでも頭が回る。儚い外見の彼女が涙を浮かべれば、とたんに姉を心配する妹の出来上がり。

「もう君の姉であって、姉じゃない。辺境伯夫妻にきちんと敬意を示さないとこの国で生きていけない」

元婚約者が妹の両肩を掴み、真摯に言い聞かせる。

そういう所は変わってないのね。

どこかさみしい気持ちで思う。まっすぐでちゃんと正解をはじき出せる。

ギリギリと歯ぎしりして、こちらを睨みつけるアマンダをなだめている。この先の彼の苦労が見える気がした。

「サマンサ、君にとってそれが正解なんだな? 伯爵家や私より辺境伯を取るんだな?」

どこか縋るような目をした元婚約者に声をかけられて驚いた。

「一見、味方みたいなのに敵である人よりマシです」

サマンサの回答に元婚約者は虚をつかれた顔をした。

言葉の意味が理解できなかったのか、鼻に皺を寄せて考え込んでいる。

まだ噛みついて来ようとする妹とその夫を両親が引きずるようにして連れて行った。

――もう正しさを押し付けられるのはうんざり。

ヘンリーと一緒なら、信頼以上のなにかが生まれそうな気がしていた。

隣にいるヘンリーの戦闘態勢が解けて、ほうっと大きく息を吐いている。サマンサの肩に回していた手を離して、手を繋いできた。

「そこはさ、君もヘンリーを愛しているんです! って声高に叫ぶところだろう? も-、元婚約者にバシッと言って欲しかったなぁ……」

口をとがらせるヘンリーはとても十五歳上だと思えない。

「……だって、愛しているかはまだ、わからなくて……」

胸に芽生え始めたあたたかいなにかには気づいているけど。

「俺なんか陛下の前で宣言しちゃったっていうのに」

むくれているヘンリーは今日もカワイイ。

「どうしたんだ?」

気づいたら、泣いていた。

夫が厳つい体をワタワタさせて、動揺している。

――こんなくだらない、たわいもない話をするのが夢だったって言ったら、あなたは笑うかしら?

別に結婚しなくても道はあった。

サマンサの魔法や錬金術の腕があれば国を出て、働くこともできただろう。

根回しが難しいという問題はあったけど。その気になればできたはずだ。

でも、結婚したかった。家族が欲しかった。幸せになりたかった。

「おかしくて……」

「そう?」

心配させないように、笑顔をつくる。

あまり笑ったことのないサマンサの顔は、きっと歪な形になっているだろう。でもそれを見る茶色の目に浮かぶのは、ただただサマンサを心配する気持ちだけ。

まだ、この胸に渦巻く気持ちを上手く説明できる気がしない。

魔法や錬金術の力でもなく、かわいいものでもなく、サマンサの欲しかったもの。

それは、体温の感じられる親しい距離感。たわいもない会話と笑い声。

きっと、この人となら。

きっと、この人とならこれまで得られなかった分も手にすることができるだろう。

握られた手をサマンサもぎゅっと握り返した。

ゴツゴツした大きな手と自分の細い手。

本当に欲しかったものは、もうこの手の中にある。