軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

281:金色の後継者

――天下に四つの国あり。

世界に住む種族は、遥か昔からいがみ合ってきた。

互いに互いを傷つけ、血を流し、多くの命が散った。

世を憂いた者たちは声を上げ、何時しかそれが大きな波紋となって広がり、今ではともに支え合う盟友と相成ったのである。

国同士の繋がりを生み、世界を平和に導くきっかけとなった一人の人物。

その名を知らぬ者はいない。

その者は数々の伝説を作り、今もなお四つ目に誕生した国家の頂点に立つ王。

名を――丘村日色。

異世界からやってきた人物である。

紆余曲折あれど、日色は仲間たちの支えを受け王となったのだ。

当然日色が王となることで様々な問題は発生したが、それでも決して挫けることなく国を背負い続けてきた。

そんな日色が王となって早十五年の歳月が流れる――。

――ザッ、ザッ、ザッ。

乾いた大地を走る音が響く。周囲は木々で覆われていて、ここが森であることを示している。

「はあはあはあ……っ」

息を切らしながら、向かい風に黒い髪を揺らしながら必死に走っているのは外見上で十歳程度の少年である。

まるで何かから逃げているように後ろを何度も振り返りながら、焦燥感を表情に出しつつ駆けていた。

「――あぐっ!?」

後ろを振り返った瞬間に、足元にあった石に躓いて転倒してしまう。

その際に、両手で大事そうに抱えていた一冊の本を落とす。

ジャリ――っと、前方から大地を踏みしめる何者かの気配がした。

少年が顔を上げて確認する前に……。

「ギャハハハ! 何だよぉ、もう鬼ごっこは終わりかよぉ!」

「こけてやんのぉ! なっさけねぇ~!」

そこにいたのは二人の少年。どこにでもいるようなさして特徴のない子たちではあるが、彼らは転倒した少年を指さしてバカにするように笑っている。

そんな二人を見上げた少年が、さらに二人の奥からゆっくりと姿を見せる一人の少年に対し息を呑む。

「ふん、転んだだけで半べそかよ。マジで弱っちぃ奴だなお前は」

明らかに三人の中で醸し出す雰囲気が違う。同じ年頃の子供にしては背も高く、他を威圧する風格を持つ少し恰幅の良いオレンジ髪の少年だ。

その少年が自身の足元に落ちていた本を拾い上げる。

「あ……か、返して……!」

黒髪の少年が手を伸ばすが、オレンジ髪の少年は返すつもりはないのか、本を持った手を高く上げる。

「か、返してよぉ……それは……お父さんにもらった大事なもので……」

「ふん、だったら力ずくで取り返してみろよ」

「そ、それは……」

「何だよ、できねえのか? お前はそれでも英雄の息子なのかよ!」

「うっ……」

黒髪の少年が諦めたような表情をすると、オレンジ髪の少年は心底ガッカリした様子で溜め息を漏らす。

「あ~あ、マジでないわ。何でお前みてえな弱虫が、あの大英雄――ヒイロ様の息子なんだよ」

「そうですよねぇ、ジャッカくん。どちらかというと、勇ましさではジャッカくんの方がヒイロ様の息子に相応しいですもんね」

「そうそう。こ~んなひ弱でやる気のない奴なんです。どうせ偉大なお父様も失望してるんじゃない?」

オレンジ髪の少年の言葉に賛同するように二人の少年が好き勝手言う。

「それに英雄英雄とは言いますけど世界を救った英雄ってのは、周りが持ち上げただけの嘘かもしれませんよね、ジャッカくん。どうせいろんな女を侍るような人みたいですし」

「! お、お父さんのことをバカにしないでよ!」

父のことをそれ以上侮辱されたくないようで、黒髪の少年が必死で否定の声を上げた。

しかしジャッカ以外の二人はバカにする声を止めようとせずに、黒髪少年は悔しさで表情を強張らせていく。

そんな中、ジャッカが這いつくばっている黒髪少年に不愉快気な視線を向けたまま口を開く。

「……バカにされたくねえなら、お前が証明してみせろよ」

「う……それは……」

「ちっ、男なら力で示してみせろよ、弱虫が!」

ジャッカに威圧されてしまい、完全に尻込み状態の黒髪少年。

そこへ――。

「――――待ちなさいっ!」

上空から声が降り注ぐと同時、甲高い声の持ち主が降り立ち黒髪少年の前に立った。

その人物は日光をキラキラと跳ね返す美しい銀髪を持ち、獣耳を生やした少女だ。少し鋭い目つきをさらに吊り上げてジャッカたちを睨みつける。

「げげっ、また出たぁ!?」

「ど、どどどどうしましょうかジャッカさん!?」

ジャッカの子分のような立ち位置の二人が、突如として現れた少女に身を引く。

「アンタたちぃ……またトイロを虐めてたのね! わたしの弟をいたぶってくれた礼はこのわたしがしてあげるわ!」

明らかに憤怒のオーラを身体から溢れさせ、今にも三人に襲い掛かろうとしている。

怯える子分たちを尻目に、ジャッカは憮然としたまま言葉を吐く。

「これはこれは、ヒュア先輩じゃないですか。今取り込んでるんで邪魔しないでくれませんかね?」

「はあ? 下級生のくせして調子に乗ってない?」

「年上が出しゃばる場面じゃないんですよ。俺たちはただトイロと遊んでただけですし。な?」

「そ、そうですそうです!」

「その通りだってんだ! だ、だからさっさと――ひっ!?」

子分の一人がヒュアという名前の少女の睨みに恐怖して言葉に詰まった。どうやら黒髪少年の方はトイロという名前らしい。

しばらく睨み合いが続いたと思ったら、ジャッカは大きな溜め息を吐き出すと、何を思ったか右手に持っていた本を目一杯の力で空へ向かって投げつけたのだ。

「あっ、お父さんの本が!?」

「へ? パパの!?」

投げられた本は放物線を描きながら、森の奥へと消えてしまった。

「ひ、酷いよ……あっちは崖なのに……っ」

泣きそうな表情で、本が落ちていった先を見るトイロ。そんな彼を見てヒュアは、怒りに拳を握るとそのまま地面を殴りつけた。

すると驚くことに、地面に亀裂が走り大地が割れてしまい、子分たちは悲鳴を上げると同時に尻餅をつく。

「アンタたちぃ……覚悟はできてるわよね?」

「ふん。……おいトイロ、さっきの言葉を否定したいんならよぉ、お前も力を証明してみせろ」

クルッと踵を返したジャッカが、ヒュアを無視するように歩いていく。

「あ、ちょ、待ちなさい!」

ヒュアの言葉を完全に聞き流し、森の奥へとジャッカは消えていく。その後を慌てて子分たちも追いかけていった。

「ア、アイツらぁ……次会ったらベコンベコンのバッキバッキにしてやるんだからぁ!」

そのまま追いかけることもできただろう。ただ弟であるトイロを置いていくことができないのか、思い止まってトイロに声をかける。

「大丈夫? ケガしてない? どこか痛いとこは?」

「う、うん……大丈夫だよ、お姉ちゃん」

「良かったぁ。……ったく、よくもわたしの弟にいつもいつも……っ」

彼女の言葉から、いつもトイロが虐められていることが分かる。

「……いいんだよ。だってジャッカくんたちの言ってることは……僕が弱虫なのは本当だし」

「そんなことない! だってトイロはわたしの弟なんだから!」

「お姉ちゃんは……強いよ。けど僕は……」

「アンタが争い事が嫌いなのは知ってるわよ。でもね、やられっ放しでいいの?」

「…………我慢してたら、そのうち飽きてくれると思うし」

そんな消極的なトイロの発言に対し、ヒュアはやれやれと肩を竦める。

だがすぐにトイロが「あっ」と顔を上げた。

「どうしたの?」

「本が……!」

「ああ、パパにもらった本ね。ていうかいつも持ち歩いてるけど、あれって五歳の時の誕生日にもらったやつでしょ? よく読み飽きないわよね」

「だ、だってアレは、お父さんの恩人のマルキスって人が書いた本らしくて、お父さんもとっても大切にしてたやつなんだよ? それに内容もすごく面白いし……」

「はぁ、わたしは本とか勉強は苦手だからよく分からないわ。本好きはまんまパパに似たわねアンタは」

「……探さなきゃ」

立ち上がって森の奥を見やる。

「でもこの先って崖でしょ? 本当に探しに行くの?」

「うん」

「……ここらへんは魔物だっているわよ? ていうか崖下はユニークモンスターも確認されてるし」

「う……っ、で、でもあの本だけは……無くしたく……ない」

下唇を噛みしめながら震えるトイロを見て、ヒュアは苦笑を浮かべて言う。

「はぁ、そういう頑固で一途なところはママ似ね。しょうがない、わたしも行ってあげる」

「ほ、ほんと!?」

ぱあっと無邪気な笑顔をトイロが見せる。

「危険なところに大切な弟一人行かせるわけにはいかないわよ」

「お姉ちゃん! 大好きぃ!」

「おっと、あはは。はいはい、わたしも大好きだから、日が暮れる前にさっさと行くわよ」

抱き着いたトイロを優しく受け止めたヒュアは、彼の頭を撫でながら笑みを浮かべている。

トイロは十歳の割には、少し身長が小さいので、十二歳になったヒュアの胸あたりに彼の頭がくるのだ。

こうして二人は、崖下に落ちたであろう本を探しに、崖を降りるルートを探して下っていくことになった。

四つ目に誕生した国家――【太陽国・アウルム】が収める街には様々な施設が存在する。

その多くは国王である日色が、地球に存在する文化をもとに造ったものであり、それまでの【イデア】にはなかったものが多数あった。

そんな中で、次代を担う子供たちを育てるための教育機関として設立されたのが学校である。

――《イデア学園》。

四つの国に住む様々な種族が通い学べる場として、すべての種族の意見を聞き形にした学び舎だ。

これからも教育機関は次々と造られていくだろうが、ここに存在する学園が第一号というわけである。

ちなみに人間界にも冒険者育成機関なるものもあり、そちらは【人間国・ランカース】の国王が主導で立ち上げられたものだ。

この《イデア学園》で知識や常識などを学び、冒険者になりたい者を冒険者育成機関へ推薦したりなどもする。

まだ学園が設立されて間もなく、十年も経ってはいない。

ここで最長で五歳から十年間を学べる環境を用意してあり、まだ卒業者は出ていないが、年を追うごとに入学者は増えていることは喜ばしい。

そして――そんな学園の一つの校舎の一室。

職員室と呼ばれる教職員たちに与えられた部屋にて、一人の青年教師のもとに駆け寄ってきた女子生徒がいた。

その子は酷く慌てていて、青年教師を見つけると早口で捲し立てるように言う。

若干聞き取り辛そうではあったが、教師は彼女の言いたいことを理解し、

「――はあ? またヒュアが授業を放り出して外へ行ったのですか!?」

と室内に響くような声を上げた。

あと数分で午後の授業が始まるというのに……と、青年は頭を抱える。

「す、すみません。ちゃんと止めたのですが……」

まるで自分のせいだと言わんばかりにシュンとなる女子生徒に対し、教師はそっと彼女の肩に手を置いて優し気に微笑む。

「君のせいではありませんよ、エリル。ですから気にしないでください」

「! ……レッカ先生」

教師の名はレッカ。言わずと知れた日色の義理の息子という立場を得ている人物である。

十数年前は、日色とともにまだ子供ながら世界の命運をかけた戦いに身を置いていた。あれからレッカも成長して、優男風のイケメン青年に育ったのである。

対してレッカに慰められているエリルという少女もまた、同様の戦禍において活躍した者の血を引く存在だ。

「ああもう、こんなことなら無理矢理にでも《化装術》で拘束しておくべきだったかもしれません。いつもいつもレッカ先生にご迷惑をかけるんですから。そうですよもう、次はこんなことがないように、私の傍から離れないように縛り続けましょう。ふふふ……」

彼女はヒュアと同級生で、とても……というかかなりの仲良しである。若干一方的なヤンデレ成分があるのが怖いが、それでもレッカは優等生な彼女を頼りにしているし、破天荒なヒュアのお目付け役としても期待しているのだ。

(で、でもこの瞳からハイライトが消えるのはちょっと怖いんですよね……。この子がアノールドさんの娘さんなんですから、ヒュアに対して過保護っぷりなのは遺伝だと思いますけど……)

そうなのだ。この子――エリルの家名はオーシャン。日色が最初に旅仲間にしたアノールド・オーシャンの娘であり、日色の娘であるヒュアが大好きな少女である。

「まあ、あの子のことですからきっと事情があったのでしょう」

ヒュアは確かに勉強が苦手で、ジッとしていない性質ではあるが、理由もなく授業をボイコットするような子ではない。

今までも授業を抜け出したり、授業に出ずに迷惑をかけたりしたが、すべて誰かのためという理由があったのである。

だから今度もまたきっと放置できない問題があって、それを解決するために行動したとレッカは見た。

「じ、実はですね、あの子ってば弟が危ない気がするって言って……」

「へ? トイロが? ああ、また例のティンッときたってヤツですか」

やれやれだ。しかし呆れるよりも、彼女のそういう直感が外れたことはない。

(そういう勘もきっと父上譲りなのでしょうね)

ヒュアが弟――トイロの身を案じているということは、何かしらがトイロに起こっている可能性が高い。

「あとは僕に任せて、エリルはしっかり授業に出るように」

「……あの子のこと、お願いします!」

心からの彼女の嘆願に、レッカはニカッと白い歯を見せて言う。

「当然です。妹たちを守るのは長兄の義務でもありますからね」

齢はかなり離れているし、厳密にいうと血が繋がっているというわけではないが、それでも日色の娘たちである以上は、自分の家族なのだ。

だから困っていたら助けるし、問題を起こしたのであればともに解決する。

それに教師としても、生徒の彼女たちを放置しておくことなどはできない。

レッカの言葉に安堵したのか、ホッとした様子で職員室をエリルが出て行った。

そこへ入れ違いくらいで入ってきた二人の女性。

「もう、毎回毎回臨時で教えればいいっていうけれど、私は子供はどうも苦手なのよね。ていうか毎回呼ぶんだから臨時じゃないでしょうに」

「でもでも、ヒメ殿のご助力にはいつも助かってますぞ!」

一人は雪のように白髪の髪と、巫女服が特徴の女性で名をヒメといい、彼女の後ろを歩いているのは、珊瑚色の髪を団子状に二つに纏めているニッキである。

ヒメはほとんど容姿は変わっていないが、ニッキはこの十五年ですっかり大人の女性に成長していた。

元々童顔なためと言葉遣いで年相応には見られないが、レッカよりも年上でレッカが頼りにしている教師の一人でもある。

「むむむ、おおレッカ殿、お疲れ様ですぞ!」

「こらニッキ。学園ではレッカ先生でしょう?」

「あ、うっかりでしたぞ」

「まったく。ところで少し浮かない顔だけれどどうかしたのかしら?」

綺麗な顔立ちをしているヒメの眉が若干寄せられる。

「いえ、実は……」

レッカがエリルから聞いた話を彼女たちに伝える。

「――なるほどね。相変わらず落ち着きのない子ね、ヒュアは」

「元気があればそれでいいですぞ!」

「あなたは黙っていなさい。それで? 探しに行くの、レッカ先生?」

「ええ、放っておくことはできませんし。それにどうやら森の方へ出かけたようで」

「森? ……それは少し心配ね」

「ほへ? どうしてですかな?」

「あのねニッキ、あなたも教師なら国の周辺にある環境くらい把握していなさい。いい? 東にある森は二つのエリアに分けられるのよ」

「あ、確かそんな話を師匠から聞かされたのを覚えていますぞ」

彼女の言う師匠というのは、当然日色のことだ。

「ちょうど崖上と崖下のエリアに分けられて、崖下は危険区域指定がされているはずよ」

「そうなんですよ。まあ、そのことは生徒たち全員知っていますから、ヒュアたちも足を踏み入れはしないと思いますけど……」

「……まあ、アイツの血を引く子だからね。しかもどっちも」

「「…………」」

ヒメの言葉に反論できない。日色は、自分が興味を惹かれると、たとえそこがどんな場所でも平気で踏み込んでいくからだ。

あの人の血を引いているということで、レッカも若干不安は覚えている。

「仕方ないわね。あなたは探しに行きなさいな。私とニッキは上に通達しておいてあげるから」

「! 助かります! それでは!」

二人にあとを託して、レッカは一礼をしたあと部屋を出て行った。

レッカたちの心配をよそに、ヒュアとトイロは禁止区域指定にされている森の中にいた。

崖上から下に降りる場所を見つけて辿り、時間をかけて下に広がっていた森へと本を探しに来ていたのだ。

「どう? あった?」

「ううん、お姉ちゃんの方は?」

鬱蒼と茂った森の中を、二人は一緒に手を繋ぎながら、歩きつつ見回していた。

しかしここは茂みも数多く、規模も大きいので探し物には向いていない。ただ幸いなのは、まだここらへんにあるだろうという希望が持てたこと。

「多分あのまま真っ直ぐ落ちたんだったら、この変に落ちてるはずだし」

「……でももし風に流されてたら?」

「う……そ、そっか、そういう可能性もあるわね」

その考えを持っていなかったので、ヒュアは思わず顔を引き攣らせてしまった。

「はぁ……私の《化装術》ってこういう探し物には向かないしなぁ」

「お姉ちゃんのは攻撃一辺倒だしね。でも、先生たちはいつも褒めてるよ?」

「へへ~そう? まあでもまだまだ年季の入ったアノールドおじさんには敵わないのが癪だけどね」

「そ、それはしょうがないよ。確かお父さんが、ハーフでも魔法か《化装術》を使えるようにしたのはつい最近だし、お姉ちゃんだって使い始めてまだ三年くらいでしょ?」

「まーね。けどやっぱ悔しいじゃない」

この世界では他種族同士の交配で生まれた存在――ハーフがいる。今まで彼らは《禁忌》と蔑まれてきた。

その理由は、ハーフは魔法も《化装術》も使えない半端者と言われてきたからだ。

ただ一番の根幹は、他種族の血を許容することができないという世界の流れがあってのことである。

今はまだそういう思想は根強く残っているものの緩和はしているのだ。他ならぬ自分たちの父親である日色のお陰で。

数年ほど前に、日色はあるハーフから相談を受けたらしくて、その内容がハーフにも魔法や《化装術》を扱えるように何とかできないかというもの。

そこで日色は世界のシステムを司っているという場所へ向かい、世界の理を塗り替えたらしい。

これは機密事項として日色の仲間内だけで収めておこうという一件だったのだが、どこかから漏れたのか、ハーフに与えられた恩恵は日色から授かったものだと世界に広まってしまった。

それから日色はハーフにとって神のような扱いになり、元々感謝されていた日色ではあったが、その期を境に崇拝の対象になってしまったというわけである。

(まあ無理もないわよね。ハーフってすっごく忌み嫌われていたらしいし。ただちょっともったいないのは、その世界のシステムとやらが、その際にもう使えなくなったらしいってことだけど)

自分ならそのシステムを少しだけ利用して、あるコンプレックスを解消したいと思っている。

それは……。

チラリと目線が自身の胸へと向かう。そこには悲しいほど起伏のない平原が広がっていた。

(……はぁ。システムを使ったら、貧乳が巨乳になれたかもしれないのに……)

いいや、と首を左右に振る。

(ママだって私くらいの時はおっぱいが小さかったってきいたもん! 大丈夫! わたしにはまだ未来があるし!)

それに母親も、今はそれなりのものを持っているのだから、と希望を持つことにした。

「――あ、お姉ちゃんアレ!」

「へ? あ、本じゃない!」

トイロが指差した先にあったのは、間違いなく探していたい本だった。

木の上に引っかかっていたようで、枝と枝の間に挟まるような形である。

「はぁ、いくら地面を探してもなかったわけよ。こんなオチなのね」

「ははは、でも見つかって良かったぁ」

「そうね、それじゃサクッと取って――」

その時、何かの気配を感じて咄嗟に背後を振り返った。

「お姉ちゃん? ……ひっ!?」

トイロもヒュアと同じく振り向いて、気配の正体を知り青ざめる。

そこにいたのは、全身を赤いペンキで塗りたぐったように真っ赤な生物だった。

「ユ、ユニークモンスター……ッ!?」

トイロが恐怖を言葉に乗せて絞り出すように言った。

身長はちょうどトイロと同じくらいだろう。人型でボロボロの布を腰に巻いただけの質素な姿ではあるが、右手には赤黒いこん棒を持っている。

醜悪な顔立ちと、開けた口から見える鋭い歯が特徴の魔物。

「レッドゴブリン……か。まさか本当に崖下にいたなんてね。安心しなさいトイロ、ユニークモンスターの一匹くらいこの私が――」

震えているトイロを安心させるために声をかけようとした矢先――ガサガサ。

近くにあった茂みが揺れ、その中から同じレッドゴブリンが現れたのだ。

「なっ!?」

さらに今度は逆方向の茂みからも。

次々とレッドゴブリンが姿を現し――合計で五匹。

「そ、そんな……! ユニークモンスターは基本的に一体で行動するはずなのに!?」

「た、確かゴブリンやオークはユニークモンスターでも、む、群れで行動する習性は消えないらしいよ」

さすが本好きの知識。トイロが教えてくれたが嬉しくない情報である。

「ど、どうしよう、お姉ちゃん?」

「こ、これはさすがにマズイ……わね」

幼い頃から身体を動かしたり鍛えたりして強くなるのが好きだったため、ヒュアはこれまでずっと鍛え続けてきた。

幸い周りにいる者たちは全員が強者なので、恵まれた鍛錬を受けてこれたのだ。

しかし――。

(それでも今の私の実力じゃ、一体を相手にするだけで精一杯)

ユニークモンスターは最低でもSランク指定。レベルでいうと50~70くらいで相手できるというところだろう。

だがそれは単純計算だけのこと。ユニークモンスターというのは、特別な能力を有した存在が多く、それいかんでは討伐レベルが当てにならないことも多々ある。

故にユニークモンスターに出会ったらまず逃げろというのが基本。そして討伐隊を率いて倒すのが通例だ。

特に五体など出現したら真っ先に退却するのが当然である。

だが今、レッドゴブリンたちに囲まれたヒュアたちは、逃げ場を失っていた。

「とにかく私が何とかするわ。安心しなさい、お姉ちゃんに任せればいいんだから」

「お、お姉ちゃん……!」

ヒュアの頼もしさを感じたようで、トイロの強張っていた表情が少し緩んだ。

直後、前方にいたレッドゴブリンの一体が距離を詰めてきて、こん棒を振り回してきた。

ブォォォンッと、空気ごと押し潰すかのような勢いで、ヒュアの顔目掛けてやってくる木の塊を、ヒュアはトイロの手を取り右側へ移動して回避する。

だがレッドゴブリンは一体だけではない。さらに背後に立っていた一体がこん棒を振り回す。

「お姉ちゃん!?」

「分かってるわ! あんまり私を舐めないでよね! ――《光の牙》!」

ヒュアは足元に転がっていた小石を蹴り飛ばした瞬間、小石は眩い輝きを放ち一つの矢のような形を成して、レッドゴブリンの右肩に突き刺さる。

「グギャァァァァッ!?」

鮮血が舞い、苦悶の表情を浮かべるレッドゴブリン。

「今よトイロ、ついてきなさい!」

「う、うん!」

痛みに身体の動きを止めている相手の脇を、トイロとともに駆け抜けていく。そのあとを五体のゴブリンたちが追ってくる。

「お、お姉ちゃん、どうするの! こっちは元に戻る道と正反対だよ!」

「しょ、しょうがないでしょ! 元の道には奴らがいるんだから!」

彼の言う通り、このまま進んでいけばさらに森の奥へと向かうことになり、危険度も当然増していく。

それでもあそこにいるよりはまだ生存率は高いと判断した。

「とりあえずどこかに身を隠して奴らをやり過ごすわよ!」

「う、うん、分かっ……! お姉ちゃん、前!」

「へ……きゃっ!?」

「お姉ちゃんっ!?」

ヒュアは突然目の前に現れたレッドゴブリンが薙ぎ払うように振ったこん棒によって吹き飛ばされてしまった。

幸い咄嗟に左腕でガードしたので致命傷は避けられたが……。

(うっぐ……痛いっ。これは……折れたわね)

もうまともに動かせない。痛みも半端がないし、トイロを守りつつこの場を逃れるには益々困難度が上がった。

(にしても、コイツら……スピードがヤバイわね)

確かにトイロがいることで全力の速度で逃げることはできていないが、それでもこんなに早く追いつかれて攻撃されるとは思わなかった。

(これがユニークモンスタ―ってわけね……!)

初めて見るわけではない。昔父親と一緒に他国へ向かう時にユニークモンスターと遭遇したことはある。

(ま、まあその時はパパが一瞬で倒しちゃったけど……)

刀で一閃しただけで真っ二つ。護衛役の者を押しのけてまで自分で片付けた。早く目的地に辿り着いて美味いグルメにありつきたいからという理由で。

しょうもない理由で護衛役の仕事を奪った父だけど、その強さだけはヒュア自身も憧れるほどの高みにいる。

いつか彼を超したいと思い、今まで鍛錬をしてきたのだから。

「……トイロ、今から全力で戦うから、アンタはその隙を見つけて逃げなさい」

「! そ、そんなのダメだよ! お姉ちゃん一人だけじゃ殺されちゃう!」

「安心しなさい。お姉ちゃんがそう簡単に殺されるわけないじゃない。こう見えても学園で最強を自負してるのよ!」

「で、でも……」

「いいから、言うことを聞きなさい。それにアンタがいつまでもこんなとこにいたら足手纏いなんだから」

「お姉……ちゃん」

ショックを受けたような顔をする彼を見て心が痛む。もちろん本心から彼を邪魔だと思っているわけではない。

(ごめんね、でも……せめて弟だけは守る! それがお姉ちゃんなんだから!)

ポケットに手を入れて、そこから赤い手袋を取り出して両手にはめる。これは自分が本気で戦う時に装着するものだ。

その時、レッドゴブリンが口をもごもごと動かして、何かを吐いて飛ばしてきた。

恐らくは――唾だろう。

「くっ!?」

反射的に身を引くと、吐かれた唾が地面に落ちる。ギョッとしたのは、唾が地面を溶かし始めたからだ。つまりは溶解液ということだろう。

周りにいるゴブリンたちが一斉に口をもごもごと動かし、同時に溶解液を吐き出してきた。

「――《銀耳翼》!」

ヒュアの獣耳が翼に変化。翼がバサバサッと動くと、そこから銀の粒子が二人の周囲に散布されて溶解液を粒子が弾いてくれた。

「「「「ギギッ!?」」」」

レッドゴブリンたちもヒュアの風貌が変わったことで警戒度を高めている。

(うっ……まだこの耳は使い慣れてないからそう長くは持たないわね)

まだ自分の母親のように自由自在に行使することはできない。

しかし少し時間を稼ぐくらいはできる。

「――《光の牙》!」

崖上に戻る道を塞ぐように立つレッドゴブリンの一体に接近して右拳を放つ。

拳は光で覆われていて小さな太陽のようだ。

ゴブリンは顔面を殴られて、そのまま弾かれたように吹き飛ばされて地面を転がっていく。

「今よっ、行きなさいっ!」

「お、お姉ちゃん……!」

「早くっ! 行けぇぇっ!」

凄まじい形相と怒鳴り声によって、押し出されるようにトイロは走り去って行く。

(うん、これでいいわ)

ヒュアは深呼吸をして、再度身構え直す。

「さあアンタたち、こっからは全力で相手してあげるわ。死にたい奴からかかってきなさい!」

無我夢中で走る。

ただただ何も考えずに足を動かして大地を駆けていく。

しかし後方で何か大きな音がしたことで、ハッと正気に返る。

「っ……お姉ちゃん」

歩みを止めて後ろを振り返る。

いつも困っている自分を助けてくれる大好きな姉。

自分とは違って強い姉。

弱虫とはかけ離れた存在。

でも……。

――本当にこのままでいいの……?

心が問いかけてくる。

姉が弟の自分の身を案じて突き放すようなことを言ってくれたことは分かっている。

だから姉のことを思うなら、彼女の言うようにこのまま逃げるのが正しいのかもしれない。

(でも……)

もし自分が助かっても、このままヒュアが死んでしまったら?

それは明らかに自分のせいだ。自分がここへ連れてきたようなものなのだから。

(お姉ちゃんが……死ぬ? そ、そんなの……)

虐められていても、苦しいことがあっても、どんなことがあっても姉は傍にいて笑っていてくれる。だからこそトイロは心の底から彼女を信頼していた。

そんな大切な姉が、自分のせいで死んでしまうかもしれない。

本当にそれでいいの……?

(………………そんなの嫌だっ)

その時、不意に頭の片隅から記憶が零れ出してきた。

それはかつて父が自分に言ってくれた言葉。

『いいか、トイロ。守りたいものがあるなら強くなれ。そして、真っ直ぐに生きろ』

そう言われた時、どこか他人事のように聞こえていた。

自分は争い事は嫌いで、強くなりたいと思ったことなどなかったから。

ただ好きな本を読んでいられればそれでいい。そんなことを思っていた。

それに周りにいる人は自分よりも遥かに強い人ばかりだから、守る必要もないのだと。

けれども……。

強いはずの姉は今、死に瀕するような窮地に立たされている。

それもこれも自分が原因だ。

ジャッカたちに最初から抵抗していれば?

本を奪われないほど力があれば?

この森でも一人で探しに来れるほどの強者だったならば?

正直に言えば、父の威光に身を竦ませていたのも事実であり、悪く言うならば迷惑とも少し感じていた。

自分は自分で、父は父だ。

父が強いからといって、何故自分まで強くならないといけないのか。

反発心があったのかもしれない。執拗なジャッカたちの虐めにも、だから逆らわなかったのかもしれない。そう心が無意識に強要していた可能性もある。

だが今は、父の言葉が正しかったことを痛感した。自分に力があればこんな結果にならなかったかもしれない。

でもだからこそ。

(このままお姉ちゃんを見捨てるなんて、僕にはできない!)

弱い自分が助けに行っても邪魔でしかないかもしれない。

それでも流されるままに行動して後悔するのだけは嫌だった。

物語の主人公ように――。

父のように――。

少しでも恐怖に抗いたいと強く思い、トイロは踵を返してヒュアのもとへ向かおうとした。

――が。

「! ……う、嘘」

目の前に何故かヒュアが足止めしているはずのレッドゴブリンが立っていた。

左頬が赤く腫れ上がっている。

(も、もしかしてお姉ちゃんが吹き飛ばした……?)

あれで沈黙したと思われていた一体だったが、どうやら逃げるトイロを追いかけてきたようだ。

「そ、そんな……っ」

絶望がトイロの心を一気に支配してしまった。

滴る赤い液体。

ポタポタ――と、きめ細やかな肌を滑り、そのまま顎先から地面へ向けて落ち染み込んでいく。

「はあはあはあ……」

激しく上下する肩を落ち着かせるために何度か深呼吸をするヒュアだが、少しも沈静してはくれない。

それどころか体中に刻まれた傷痕が痛み、気を抜けば意識が奪われてしまいそうだ。

地面には事切れたレッドゴブリンが一体。膝をついているが存命が一体。

ほとんどダメージを負っていない者が二体立ってヒュアを睨みつけている。

(くっ……おかしいわね。今気づいたけど、残り一体は……?)

戦いに夢中で数を把握できていなかった。

レッドゴブリンは全部で五体のはず。トイロを逃すために一体を吹き飛ばしたが、あの一撃だけで倒せたとは到底思えない。

(どこかに身を潜ませて隙を伺ってるの? ううん、ゴブリンは知能が低いはず。そんなことができるとは思えないし……。だったらどこに……?)

ゴブリンという種族は狩猟本能が強い。特に逃げる者に対しては、猫が獲物を見つけて一心不乱に追うように狩ろうとする。

「っ……ま、まさか……!」

不意にイメージできたことに心臓が掴まれるような衝撃を受けた。

もし……もし、残り一体のレッドゴブリンが逃げるトイロを追いかけて行ったら?

そんな仮定が脳裏に過ぎって真っ青になってしまった。

「ギギギィッ!」

「! このっ!?」

考え事をしているヒュアの背後から詰め寄ってきたレッドゴブリンのこん棒を身を引いてかわす。

「うぐっ」

避けた拍子に身体に激痛が走る。すでに折れていた左腕だけでなく、肋骨も痛み膝をついてしまう。

同時に膝をついていたゴブリン二体も立ち上がりじわじわとにじり寄ってくる。

「ど、どきなさい……っ」

「「「ギギ?」」」

正直、このまま寝転んでグッスリ眠りたい。立っているだけで、意識を保っているだけで精一杯だ。

しかし、それでも――。

「そこを……どきなさい! 弟が待ってるんだからぁっ!」

ヒュアの《銀耳翼》がはためき、全身から力強い銀光が迸る。

「たあぁぁぁぁぁぁっ!」

すべての光を右拳に集めて、一番近くに立っていたゴブリンの顔面を殴りつける。するとゴブリンの顔がそのまま弾け飛び、首なし死体となって大地に横たわった。

「あ、あと……二体ぃ」

ギロリと血走る瞳でゴブリンたちを睨みつけると、その気迫に押されたのか二体ともが一歩後ずさる。

――だが。

「あっぐぅ!?」

直後に獣耳が元に戻ったと思ったら、輝きを失って糸が切れたマリオネットのようにヒュアは地面に倒れてしまう。

それを好機と見たゴブリンたちは、ニヤリと笑みを浮かべるとトドメを刺そうと近づいてくる。

(こ、このままじゃ……っ! …………トイロ……ッ)

もう身体が少しも動かない。意識だけは何とか保てているものの、自分の身体ではないかのようだ。微塵も言うことを聞いてくれない。

ゴブリンが迫ってきて、仰向けに倒れているヒュアの顔目掛けてこん棒を振り下ろしてきた。

「――っ!?」

これで最後か、と思った瞬間――スパッ!

突如としてヒュアに向けて振り下ろそうとしていたゴブリンの右腕が斬り飛ばされた。

「…………へ?」

呆けたような声が出たと同時に、二体のゴブリンの身体がフワリと宙に浮かび始める。

どうやら風に身を包まれているようで、身動きができないらしい。

そのまま上空まで浮かび上がると、

「「ギガァァァァァァァッ!?」」

一瞬にして火達磨になって爆発してしまった。

当然予期せぬ事態にヒュアは言葉を失って見入ってしまう。

そこへ……。

「――良かった、間に合った」

「! …………レッカ……兄?」

空から地上へ降りてきた一人の青年。

それは自分の義理の兄であるレッカであった。

「ったく、君にはいろいろ言わなければいけないことがありますが」

レッカが怒りの表情のままに近づいてきて膝を折ると、ポンとヒュアの肩に手を置いたあとに安堵した笑みを浮かべて言う。

「本当に無事で良かった」

「っ…………ごめんっ……なさい……っ」

ああ、自分は助かったんだ。

そう思った瞬間、張り詰めていた糸が切れたように両目から涙が流れ出た。

そんなヒュアを見ながら、優し気に微笑みレッカは口を開く。

「命には別状はなさそうですね。それにしても一人でレッドゴブリンを相手に……。しかも二体も倒して……こんなボロボロなのに、さすがはあの人の血を引く子ですね。今すぐ治癒しますから」

レッカが《創造魔法》を使い、光魔法の治癒をヒュアにかけてくれる。

温かい輝きがヒュアの身体を包み込み、傷ついた部分を癒していく。鍛錬で傷つけば、いつもこうしてレッカが治癒をかけてくれるので慣れたものだ。

とりわけ無茶ばっかりするヒュアなので、生傷をすぐに作ったりする。女性の知り合いたちは、口々に止めなさいと言うが、強くなるためだとヒュアはいくら傷を作っても気にしない。

「……あ、ありがとうレッカ兄」

「いえいえ、こちらこそもう少し速く来られれば良かったんですけどね」

それにしてもレッカはさすがだとヒュアは感嘆する。自分が必死に相手していた敵をいとも簡単に一掃したのだから。

「ところで、ヒュアは一人ですか? トイロは?」

「! そ、そうだ! トイロを探してレッカ兄!」

「え? あ、はい?」

「危険なの! もう一体いるの!」

「ちょ、落ち着いて説明してください!」

「だーかーら! もう一体のレッドゴブリンがトイロを追って行ったの!」

「何だって!? それは本当ですか!」

「だから早く!」

「分かりました! 今すぐに――っ!」

「ど、どうしたのレッカ兄? いきなり固まって」

突然レッカが眉をひそめて空を眺めながら固まったので気になった。

するとレッカが安心したような笑みを浮かべる。

「この魔力……はは、なるほど。どうやらもう大丈夫なようですよ」

「……へ?」

「すぐに事件は解決します。何といっても、この世で一番強い人が向かったみたいですから」

「?」

レッカの言いたいことをすぐに理解できなかったヒュアは、しばらく小首を傾げてしまっていた。

まさか姉であるヒュアに殴り飛ばされたレッドゴブリンが、自分の後をついてきていたとは思わなかった。

「ど、どうしよう……っ」

せっかく姉を助けるために戻ろうとした決意が緩んでしまう。

何故なら先へ向かうためには、姉でも勝てるか分からない存在を倒す必要があるのだから。

(む、無理だよぉ……)

戦闘訓練を受けたことはある。父が父だし、周りにいる知り合いも強い人たちばかりなので、鍛錬に付き合わされたりしていた。

しかし危ないことはほとんどしていない。仮に危険に陥ったとしても、周りが必ずトイロの前に立って対処してくれていたから。

過保護。そういえばそれまでだが、日色の遺伝子を持つ最初の男子という理由が強いのか、トイロは甘やかされて育ってきた。

日色も日色で好きなことをして過ごしていけばいいと言ってくれていたので、トイロもその言葉に甘えて読書漬けの毎日を送っていたのである。

だから本物の命の危険を身近に感じて、トイロは心の底から震えを感じていた。

先程までは傍に姉がいた。何だかんだ言っても彼女が傍にいるだけで安心することができたのだ。

しかし今、頼りになる存在はいない。自分一人だけど、怪物と戦わなければならない。

恐らく逃げても追いつかれてしまう。

行っても地獄、退いても地獄、である。

「ど、どいてよ……」

「ギギ?」

鋭い目つきで睨みつけてくるゴブリンが、トイロの言葉を受けて眉間にしわを寄せた。

「そ、そこをどいて……」

「ギガァァァァァ!」

「ひっ」

いきなり咆哮を上げた相手に尻込みしてしまい足が震え出した。

思わず前を踏み出した足が無意識に後ろへ下がり、気持ちが弱くなっていく。

ゴブリンがそのまま咆哮を上げて噛みつこうと突進してくる。

「わあぁぁぁぁっ!?」

――ガチンッ!

ゴブリンの歯は空を噛み乾いた音を響かせた。間一髪のところでトイロが避けたせいだ。

地面に転がったトイロはすぐに起きて一目散に走り出す。

「こ、こないでっ! やだよぉぉぉっ! お姉ちゃぁぁぁぁんっ!」

恐怖に全身を支配されてただただどこともなく走ることしかできない。

当然ゴブリンは追尾してくる。ただ姉に殴られたダメージが残っているのか、それほど機敏な動きはない。

先程トイロが避けられたのもそのせいかもしれない。

(怖い怖い怖い怖い怖い! 怖いよぉぉっ!)

死ぬ――。

これまでは酷く他人事な言葉だったそれがすぐ隣で囁いてくる。

無我夢中で走っていると、地面に躓いてしまい転倒してしまい、ゴロゴロと転がって前方にあった木に激突してしまう。

「うぅ……っ、痛いぃ……」

だが痛みに呻いている暇などない。

「ギギギギィ……」

このまま殺されてしまう――そう思ったその時、上空から何かが落下してきた。

それは――一冊の本。

「あ……これは……」

いつの間にか、本を発見した場所まで走ってきていたようだ。

「お父さんからもらった……本」

手を伸ばそうとするが、ゴブリンの方が近かったため、

「ギ? ギガッ!」

食い物以外は興味がないと言わんばかりに本を蹴り飛ばしてしまった。

「ああっ」

大切な本を無下に扱われて憤りを覚えてしまう。

だがゴブリンの威圧的な睨みにより、すぐに恐怖が勝ってしまい身が竦む。

そのままゴブリンが今度はトイロの顔面を蹴ってきた。

「へぶっ!?」

痛い。痛過ぎる。

丸太で殴り飛ばされたような衝撃だ。口の中を切ったようで血の味が広がっている。

やっぱりダメだ。こんな凶暴な生物と対峙して何とかなるわけがない。

でも……。

(お姉ちゃん……っ)

蹴り飛ばされてから気づいたが、視界に入ったものにハッとなる。

どうやら本が飛ばされた場所と同じところへ自分も吹き飛ばされたようだった。

トイロは本を手に取る。

その時、本来のこの本の持ち主である日色に言われたことを再び思い出す。

『真っ直ぐに生きろ』

その言葉が脳裏に浮かび、今の自分の姿が本当に真っ直ぐに生きているか問われた。

昔、もっと小さかった頃、父である日色と一緒に夜の星空を見上げていたことがあった。

その時に、日色が自分の過去のことを教えてくれたのだ。

事故で両親を亡くしたことを語ってくれた。

目の前でまだ生きていた母親が最後に託してくれた言葉が『真っ直ぐに生きろ』というものだったらしい。

もしあの時に自分に今のような力があればと願ったことなど何度もある、と。

そして、だからこそ後悔しないように、決して逃げないで真っ直ぐ突き進むという信念で生きることを誓ったのだという。

それが死んでしまった親への恩返しになるのだと信じて。

逃げてしまえばそれは癖になる時がある。特に大事な場面であればあるほど。

誰かを守りたいと思った時。

その時だけはどんなことがあろうと決して逃げたくはない。父はそう教えてくれた。

(お父……さん)

最近は忙しくてあまり親子の時間を持てていなかったが、それでも父が大きなものを背負い自分の信念を持って生きていることは分かる。

(僕は……)

手に取った本をそっと地面に置いてゆっくりと立ち上がる。

「ギギ?」

トイロから何かを感じたように、レッドゴブリンが身構えた。

「…………どいて」

「ギギ?」

「そこを……どいて!」

トイロの気迫に押されたかのように警戒度を高めるゴブリンと同時に、トイロに向かって突撃した。

トイロの顔が強張る。

(! 逃げ……ないっ)

後ろへ下がろうとする気持ちを呑み込み、真っ直ぐ前を向いて歯を食いしばる。

大きな口を開けて噛みつこうとしてくる相手に対し、逆に一歩右足を前へ踏み込む。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

武器などはない。ただただトイロは全力で右拳を突き出した。

しかしゴブリンはそれを軽やかに避けるとトイロの左肩に噛みつく。

「あっがぁぁぁぁぁっ!?」

とてつもない激痛が走る。まるで左肩に溶けた鉄を流されたような感じだ。

「はなっ…………せぇっ!」

「ギガッ!?」

適当に振り回した拳がゴブリンの目に当たり、たまらずゴブリンが距離を取る。

だがトイロも血が流れる左肩を押さえて倒れてしまう。

(ぐぅ……痛いよぉっ)

でも、諦めるわけにはいかない。

今もなおたった一人で自分のために戦っているヒュアを助けたい。

父のように、真っ直ぐ生きるために――。

「ぼ、僕は……っ」

「ギギ?」

「僕は、お前を倒して前へ進むんだぁっ!」

「!?」

「だから――――そこをどけぇぇぇぇっ!」

突如、トイロの身体から溢れ出したのは赤いオーラ。その現象にゴブリンは気圧されてしまい固まっている。

だから突っ込んでくるトイロを回避することはできなかった。

「うおぉぉぉぉぉぉぉっ!」

今まで見せたことのないほど凄まじい速度で接近したトイロは、飛び込む形に拳を突き出し、ゴブリンの腹を殴りつけることができた。

「ギャァァァァァァァッ!?」

一撃をくらったゴブリンはそのまま後方へ弾け飛び大木に激突。大木が粉々に破壊されるほどの衝撃で、ゴブリンが大地に沈む。

「うっぐ……や…………やった……っ」

ただ危機はまだ去っていなかった。

ゴブリンとの衝突で折れた大木が、真っ直ぐ頭上からトイロに向かって倒れてきたのだ。

「! そ、そんな……っ」

もう身体は動かない。赤いオーラもすでに消失し、トイロもまた地面に倒れてしまっていた。

迫ってくる大木――。

(もうダメ――――)

そう思った瞬間、トイロの前に人が立つ気配がした。

「え……っ」

その人物は呆けるトイロを背にし、頭上を見やり右手を高々と上げた。

「――《熱波弾》」

呟きと同時に、右手から赤い塊が放たれたと思ったら、その塊が一瞬にして落下してくる大木を消し飛ばしてしまった。

呆気なく危機を取り去った者の背中を唖然と見つつ、トイロは目頭が熱くなるのを感じる。

何故ならそこにいたのは――。

「っ…………お父……さんっ」

――自分の父、日色だったから。

夢、かと思った。

何故ならこんなところに父親がいるはずがないからだ。

いつも多忙で、会えても少ししか顔を合わせて近況を報告することくらいしかできない。

たまに一緒に食事を摂る時も、国で問題が起きたりして途中で終わったりすることも珍しくはない。

こんな何でもない日に日色が、やってくるわけがないのだ。

だから白昼夢のような感じで、トイロは呆けてしまっていた。

しかし振り向いた日色から聞き慣れた声が発せられる。

「……ずいぶんと無茶をしたな」

「…………ほ、本当に……お父さん?」

「それ以外の何だというんだ?」

「お父さん……そうだ! お姉ちゃんが! お姉ちゃんがまだ!」

日色ならばすぐに姉を助けてくれるはず。だからトイロは懇願した。彼女を助けてほしい、と。

「安心しろ。向こうにはレッカが行っている」

「レッカお兄ちゃん……が? そうか……そうなんだぁ……良かったぁ」

レッカが向かったならば姉も無事だろう。何せ日色が信頼を置く武人でもあるのだから。

その実力はトイロもまた知っている。

「で、でも何で? 何でお父さんが……」

「ニッキから連絡があってな。この森にお前らが無断で入ったと」

「う……ごめん、なさい」

「だが手が空いている者はいなくてな。レッカが向かったとは聞いたが、最近ここらに複数のユニークモンスタ―の姿が確認されているという情報があった。少し心配になって仕事を抜け出してきたんだ」

「い、いいの?」

「……まあ息抜きということで、な。あとでリリィンにいろいろ言われそうだが……はぁ」

相変わらずリリィンは厳しいようだ。しかし彼女がいるからこそ、父が立派に国王を務められていることもトイロは知っているし、皆も認めている。

「それにしてもまさか無意識に《太赤纏》を使うとはな」

「たいしゃく?」

「やはり知らんか。まあいい」

日色が膝を追って右手を伸ばしてきたので、反射的に叱られると思ってビクッとしてしまう。

しかし――フワ。

柔らかで温かい感触が頭の上に感じられた。

「……え?」

「よく戦った。姉を助けようとしたお前の姿はカッコ良いものだったぞ」

「っ…………で、でも……結局僕はお姉ちゃんのところへ行けなかった……。そもそも僕がもっと強かったらこんなことにならなかったんだよ。ジャッカくんたちにもちゃんと嫌だって言えてたら……っ」

すべては自分のせいだ。ヒュアも助かったもしれないが、きっと傷ついている。それは間違いなく自分の無力が生み出したこと。だからとても悔しい。

「…………おい」

「な、なに?」

――トン。

トイロの額に軽く日色の人差し指が触れた。

「お前も、気にするようなら強くなれ」

彼の力強いその言葉を聞いた時、不意に過去の記憶が呼び起こされる。

それは大好きな母がかつて父に言われた言葉。

今のように父に額を突かれたあとに。

『お前も、気にするようなら強くなれ』

そう言われたのだという。

その言葉があったから母も、自分の弱さを嘆き強くあろうとし続けたらしい。

「っ……ひっぐ…………ありが……っ……とう……」

自然と涙が出た。本当にこれで助かったのだと緊張の糸が切れたからかもしれない。

助けにきてくれた父から、かつて母に授けた言葉を自分にも与えてくれたことが嬉しかった。

「男がそう簡単に泣くな、バカ」

そう言ってまた頭を撫でてくれる。そのあとに彼が動けないトイロの身体を横抱きに抱えて持ち上げた。不器用ながらも優し気に微笑みながら言う。

「無事で良かったぞ。さすがはオレの息子――丘村十色だ」

「ひっぐ……ふえぇぇぇぇぇぇんっ」

泣きじゃくるトイロの声が周囲に響く。

音を目印に遠くから二人の人物がやってくる。

ヒュアとレッカだ。

「げっ! パパッ!?」

「げ、とは言い草だな、ヒュア?」

「え、でも何で? 仕事は?」

「そんなことよりお前も無茶をし過ぎだ。こっちへこい」

「う……はぁい」

「レッカ、この子を頼む」

日色からトイロを受け取ったレッカは「はい」と返事をした。

また怒られると思ったようで、ヒュアは恐る恐る日色へ近づいていく。

先のトイロと同じように右手を伸ばした日色に対し、ヒュアがビクッとしたが、これまた同じように彼女の頭に手を置いた。

「……ふぇ?」

「よく弟を守って戦ったな。立派だったぞ、ヒュア」

「! …………こわ……かった」

「ああ」

「っ……ごわがっだよぉぉぉぉっ、パパァァァァ!」

堰を切ったかのように泣き出すと同時に日色に抱きつく。日色もまた彼女を抱きしめながら背中をポンポンと叩いている。

「レッカもご苦労だった」

「いえ、もっと早くに気づいてやれれば良かったんですけど」

「十分だ。お前もよくやってくれている」

「……ありがとうございます、父上」

トイロの傷を治癒しているレッカの表情はどことなく嬉しそうに緩んでいた。

それから四人で学園に帰り、トイロとヒュアはこってりと教師たちに絞られることになったのである。

――一カ月後。《イデア学園》では半年に一度開かれる模擬格闘試合が開催されていた。

学年ごとに分かれてチーム戦と個人戦の二つの催し物が行われていて、【太陽国・アウルム】では結構なイベントの一つとして盛り上げられている。

学園の敷地内にある闘技場には、多くの観客たちが集まっていて一つの娯楽として楽しみにしているのだ。

また各国の重役たちも観戦しにきており、ここで優秀な人材を見つけてスカウトをしたり目星をつけたりするのである。

VIPルームにて、王である日色も毎度この試合は直に見に来ていた。

「ほほう、今回のはまた良い粒が揃っているな」

日色の隣にいて中央の舞台を愉快気に見ているのは燃えるような髪を持つ少女――リリィン・リ・レイシス・レッドローズである。

十五年前とはまったく変わらない見た目ではあるが、この国を運営していく上で日色が最も信頼を置いている相談役の一人だ。

「どうだ、日色? 貴様が注目しておる人物はいるか?」

「……次の試合」

「は?」

すると舞台において次の試合が始まるアナウンスが聞こえてくる。そこに上がってきたのは二人の人物であり、リリィンがそのうちの一人を見て目を細めた。

「ああ、そういえばトイロが次の個人戦に出るのだったな。さすがの貴様でも息子の活躍には興味があるか。それに……」

リリィンがチラリと日色越しに向こう側を見やる。そこには……。

「うぅ……トイロォ、どうか無事でぇ~」

両手を組んで祈っている美しい銀髪を持つ女性がいた。

頭には獣耳が生えていて、紫のワンピースを着込んだスタイル抜群の男なら誰もが目を惹かれる美女である。

「ミュアよ、少し落ち着いたらどうだ?」

彼女はミュア。十五年前はまだ幼くか弱さが残る少女だったが、今では立派な大人の女性となり、日色と結婚をしてヒュアと十色を生んだ母親である。

「うっ、で、でもリリィンさん! トイロが! トイロがぁ!」

「はぁ、自分の息子が闘うことに不安を覚えるのは分かるが、今回の試合はトイロが自ら申し込んだはずであろう?」

そう、この模擬格闘試合は強制参加型ではなく、学生からの希望を聞く。今までトイロは参加を断っていたが、今回彼は自ら志願したというわけだ。

「そ、それはそうなんですが……でも心配なんですよぉ」

「ここ一ヵ月、日色が直々に闘い方を教えたのだ。才もある。安心して見守るのだな」

「うぅぅ~、ヒイロさぁぁぁん」

「……リリィンの言う通りだぞミュア。少しは息子を信じてみたらどうだ? ヒュアの時はそんなに心配していなかっただろ?」

「だ、だってあの子はもう何度も優勝していますし……」

確かにヒュアの実力はずば抜けている。今回のイベントもダントツで個人戦を優勝していた。ちょっと他の生徒たちが可哀想になるほどの実力差であった。

(一ヵ月前のレッドゴブリン事件から益々強くなったしなアイツ)

もっと強くなって今度は完全に弟を守ると言ってさらなる鍛錬を自分に施し、今ではアノールドでさえ気を抜けばやられるくらいの実力になっていた。【獣王国・パシオン】で新たに設置された《五獣士》の一人なのに、である。

「とにかく見守っていろ。きっと驚くから」

日色のそんな言葉に対し、ミュアはキョトンとしリリィンは興味深そうにニヤついている。

そして今、丘村日色の息子――十色の模擬格闘試合のゴングが鳴った。

不思議と心は落ち着いていた。

初めての模擬格闘試合の参加に最初は緊張して息苦しい思いを感じていたが、こうして舞台に立ってみると、感覚がマヒしたかのように静寂が心をつかんでいたのだ。

それももしかしたら……。

「ふん、まさか最初の試合相手がお前みてえな弱虫だったとはな、トイロ」

高圧的な態度は相変わらず。

十色の目の前に立つのは――ジャッカだ。

「はぁ~ふぅ~」

「緊張してますって顔だなぁ。相変わらずやる気の出ねえ奴だ」

彼のそんな言葉も何だかあまり気にならないようになっている。

そうか。妙に落ち着いているのは、見知った顔が相手だから、かもしれない。

十色はもう一度深呼吸をしてから、閉じていた瞼をそっと上げる。

周りから数え切れないほどの視線が自分たちに集中しているのが分かった。やはりこういう環境のせいで緊張してしまっていることは否定できない。

ただ、それを上回るようにワクワクしているのも確か。

「……ジャッカくん」

「あ? 何だよ」

「…………今までの僕だと思ってたらケガをしちゃうよ」

「! ……へぇ、言うじゃねえか。ここ一ヵ月、俺から逃げるようにしてた癖によぉ」

確かにそうだ。ここ一ヵ月間は、彼と遭わないように避けていた。

それは今回のこの舞台で、彼に見せつけてやりたいと思っていたから。そのために父と一緒に頑張ってきたからだ。

試合開始の鐘が鳴る。

同時にジャッカは身構えて、刃引きした剣を構えた。

「ならその自信もろとも砕いてやるぜえ!」

意気込んで飛び込んできた。その気迫に今までの自分なら気圧されていただろう。

しかし今は辛さなど微塵も感じない。

だって――。

(だってこの一ヵ月、ずっとお父さんと闘ってきたんだ!)

世界最強の人物の殺気や敵意を受けて鍛錬をしてきたのだ。たかが学園の生徒の敵意で身体が動かなくなるわけがない。

突き出された剣を紙一重に避ける。

「! ならぁ!」

今度は薙ぎ払うように剣を動かしてくる。

冷静に屈んで回避。そのまま後方へ跳んで距離を取った。

「……なるほど。言うだけは鍛錬をしたみてえだな」

ジャッカは学年でもそれなりに強い位置にいる。特に剣捌きには定評があると教師も認めているらしい。

「僕も……負けないためにやってきたんだ」

腰に携えている木刀を右手に取る。

「ふん、だからってお前が俺に勝てるわけねえけどな!」

再度突撃してくるジャッカ。彼が振るう剣を木刀で受け止める。

しかし力は彼の方が強いらしく徐々に押されていく。

体格も一回りほど違うので単純な膂力は向こうの方が上だ。

だから木刀の腹を使って器用に剣を滑らせ、相手の懐へ入る。

「! 生意気なんだよ! ――フレイムショット!」

ジャッカが左手を十色に向けて火球を放ってきた。

(――魔法!?)

すぐにその場から後方へ大きく跳び回避する――が、

「逃がすかよっ」

間をすぐに詰めてきて拳を放ってきた。

「あぐっ!?」

顔面に受けてしまい、そのまま十色は弾き飛ばされてしまった。

舞台を転がりながらも素早く起き上がる。

口の中に血の味がする。

以前までの自分なら、これだけで恐怖を抱き逃げていたことだろう。

しかし――。

「お前……っ」

ジャッカも一切の気迫が揺るがない十色を見て眉をひそめて驚きを見せている。

「僕は……まだやれるよ!」

「ちっ、ならこれで終わりにしてやるよぉ!」

さらに追撃と言わんばかりに火球を放ってくる。

着地の瞬間にはすでに直前に火球が迫ってきていた。

「もらったぜっ!」

勝利を確信したようでジャッカが笑みを浮かべる。

(普通ならここで終わってたけど……僕は!)

木刀を口に咥えて両手をフリーにする。

魔力を右手に、身体力を左手に。

直後、右手に青白いオーラが、左手に黄色いオーラが出現した。

――パンッ!

合掌をすると同時に、

「――《太赤纏》!」

全身から紅蓮に染まったオーラが噴出し、すぐに木刀を右手に取り火球を斬り裂いた。

「んなっ!?」

真っ二つになった火球は左右に分かれて飛んでいき、その光景を作り出した十色を誰もが呆けたように目を見開いている。

十色は足に力を込めて地を蹴り出す。一足跳びでジャッカの懐を突く。

「くっ、このぉ!」

反射的に振り下ろされたジャッカの剣を木刀を下から上へと斬り上げ弾き飛ばした。

そして武器を弾かれた衝撃で尻餅をついたジャッカの顔面に木刀の切っ先を向ける。

「僕の――勝ちだよ!」

突然の逆転劇に会場中が静まり返っていた。

しかし自分が負けたことを理解したのか、ジャッカから敵意が消え静かに瞼を閉じると、

「…………まいった」

と口にした。

それをきっかけに十色の勝利宣言がアナウンスされる。

十色も木刀を引いて大きく息を吐き出す。すでに《太赤纏》は解いている。

初めての大舞台での模擬戦だったが、終わって自分が盛大に息を乱している事実に気づく。

思った以上に緊張していたようで、疲労感もかなりある。強敵が相手だったということもあるが、今は彼に勝つことができて嬉しい。

ちょっと夢半ばな感じがするが。

「…………あ、ジャッカくん」

立ち上がった彼がクルリと背を向けたので、思わず名前を呼んでしまった。

「………………悪かったな」

「え?」

「お前の親父のことをバカにしてよ。それと……大事だったんだろ、あの本」

「……ジャッカくん」

まさか彼が素直に謝ってくれるとは思わなかった。

「次は負けねえからな」

「! ……うん、僕も負けない。もっと強くなる」

ジャッカは背中で十色の言葉を受けると、それ以上は何も言わずに去っていった。

するとダムが決壊したような勢いで、称賛と拍手の音が響く。

「ひっ! な、なにいきなり!?」

持ち前の臆病さが発揮したようで、ビクッとしてしまった。

あまりこういうことで褒められ慣れていない十色は気恥ずかしくなり、ペコリと頭を下げると顔を真っ赤にしながらそそくさと舞台から姿を消した。

「ほう、まさか《太赤纏》とはな。将来有望ではないか」

VIPルームにて観戦していたリリィンが感嘆の言葉を発した。

「どうだ? 息子の成長を見て」

「まあ、まだまだだな。特に精神的に」

「クク、自分にも息子にも厳しい奴だな。…………ところで、そこの魂が抜けてる奴はどうする?」

火球が十色に迫った時に心配で真っ白になっているミュアが視界に入る。

「はぁ、やれやれ。おい、ミュア」

「! ほえ? あれ、ヒイロさ……ん?」

「十色の試合が終わったぞ」

「トイロの試合? ……はうわ! そういえばトイロは! トイロはどうなったんですか! ……あれ、誰もいない」

「もう次の試合が始まる。十色は勝ったぞ」

「へ? 勝った……?」

「ああ、課題の多い試合だったがな」

立っていたミュアはへなへなと床にへたり込み、

「よ、良かったぁぁ~」

と心底安堵している様子を見せた。だがすぐにハッとなって起き上がると、

「ちょ、ちょっとトイロのところへ行ってきます!」

と言って大慌てで出て行ってしまった。

「ミュアの奴、親バカ過ぎだろうが」

リリィンの言うことも尤もだ。彼女の子供に対する溺愛ぶりは結構凄いものがある。

「……ミュアだけでは心配だな。オレも少し様子を見てくるか。ここは任せるぞ、リリィン」

「はいはい。貴様も立派な親バカだよ」

ミュアのあとを追って行った日色を送り出したリリィンは、小さく呟く。

「ま、ワタシもアイツらのことは言えんがな」

それからつつがなく試合は進み、無事に終了したのであった。

――三日後の夜。【太陽国・アウルム】の王城にて身内だけの小さな宴が催されていた。

無事に《イデア学園》での模擬格闘試合が終わったことと、ヒュアの優勝に十色の準優勝を祝して開かれていたのだ。

「ウッキキ~、にしてもトイロは惜しかったな! もう少しで優勝できたのによぉ」

テーブルの上に乗って、バナナを美味そうに食べているのは猿の姿をしている日色の相棒精霊のテンだった。

「ですがトイロは頑張りましたよ。もちろんヒュアも」

「うん、レッカの言う通り。二人とも頑張った」

「わふっ!」

レッカの言葉に賛同したのは、ミュアと同じように大人の女性に成長したウィンカァと、彼女のパートナーのスカイウルフという魔物のハネマルである。

十五年前にはすでに豊満だった彼女の肉体だったが、今ではさらに育って零れんばかりの双丘を胸に宿していた。またハネマルも人間を数人乗せても大丈夫なほどの巨体を有している。

「けどヒュアはさすがミュアの娘だな。可愛いし強いし可愛いし、とても可愛いし。ウチのエリルも可愛いが、甲乙つけがたし! いや、やっぱエリルの方が可愛いな! ナーッハッハッハ!」

「もうあなた。恥ずかしいからお酒は控えて」

「そうだよパパ。みんなに笑われるよ」

「何でだよエルニース! エリル! 可愛いものを可愛いといって何が悪いんだ!」

一つのテーブルを囲う家族の姿。その中には、ミュアの保護者であるアノールドと、彼の妻――エルニース、そして娘のエリルがいた。

「それにね、トイロくんもカッコ良かったし」

「な、何だとエリル! 今何て言ったぁ! ま、ままままさかお前、トイロのことを……! ええい、許さんぞ! ミュアに次いでエリルまでヒイロに渡してなるもんかぁぁぁ!」

「……何を言っているの、あなた? エリルはトイロくんのことを言ったのよ?」

「トイロはヒイロそっくりじゃねえか! 礼儀正しいが子供ヒイロじゃねえか! ヒイロの血筋は油断ならねえよぉぉ!」

泣きじゃくりながら酒を呑むアノールドを、エルニースとエリルが顔を引き攣らせながら介抱していた。

「相変わらずうるさい奴だな」

「はは、おじさんってば恥ずかしい」

一際大きな長卓には日色とミュアがいて、傍にはリリィンや彼女の執事であるシウバの姿もある。

「ノフォフォフォフォ! お二人とも素晴らしき武勇! この目でしかと確認させて頂きました! ここは祝福の歌でも一曲」

「黙れシウバ! 貴様の何の魅力もない歌よりもミミルの歌が良いに決まっているだろうが!」

「これは手厳しいですぞお嬢様! ノフォフォフォフォ!」

「ふぇぇぇぇっ、い、忙しいですぅ~! シウバ様も手伝ってくださいですぅ~!」

「そ、そうだよぉ! ミカヅキだってお腹空いたんだからねぇ!」

両手に食事の乗った皿を持ちながらてんやわんやなシャモエ。彼女はリリィンに仕えるメイドとして働いていて、同じ後輩メイドとして働くミカヅキと一緒にあちこちのテーブル席を回っている。

そんな二人を見かねてシウバも手伝いに向かった。

そこへ日色のもとへ近づく幾つかの人影が。

「少し遅くなって悪いな、ヒイロ」

【人間国・ランカース】の王であるジュドム・ランカースだ。傍には相談役の元第一王女のリリスと第二王女のファラを従えている。

また彼らの後ろからは、【魔国・ハーオス】と【獣王国・パシオン】の王たちの姿もあった。

「ヒイロ、無事に試合が終わって良かったわね」

「イヴェアムか、よく来てくれたな」

彼女もまたこの十五年でさらに魔王としての風格を漂わせた成長を遂げている。その美しさは、かつて初代魔王を務めたアダムスと比べても遜色ないとまでアクウィナスに言われるほどに。

「やあ、ヒイロくん」

「お、レッグルスも来てくれたんだな」

「当然だよ。ウチの子も出場してたのだからね。まあ、残念ながらヒュアちゃんに決勝戦で負けたけど」

先代の獣王レオウードは文句なしに王としての威厳を備えていたが、彼もまた今では立派な獣王となり皆を引っ張ってきている。身体も大きくなり、レオウードに負けない様相を呈していた。

その隣には、彼の妻となった精霊のドウルが控えている。その腕にはまだ生まれたばかりの赤子を抱えていた。

「大分大きくなったな、レッグルス」

「うん、二人目は女の子だからついつい甘くなってしまいそうだよ」

「それはレオウードもそうだったしな。仕方ないんじゃないか」

「ははは、そうだね。ところでヒュアちゃんたちは?」

「ああ、アイツらなら子供らだけであそこにいるぞ」

そう言って指差した先には一つのテーブル席があり、そこには数多くの子供たちが談笑しながら食事をしていた。

次代を担う日色たちの子供たちである。

いつの間にか、エリルもアノールドの介抱に飽きたのか、母親のエルニースに任せてヒュアの傍で笑っていた。

十色も、皆に褒められていて明らかに顔を真っ赤にして照れている。

「それにしてもさすがは私のヒュアですね。鼻が高いです」

「ちょっ、いきなり抱き着かないでよエリル。んふふ、でもありがとね」

ヒュアとエリルは自他ともに認める親友同士。少々エリルのヒュアに対するスキンシップに、ヒュアはたまに戸惑いを見せるが嫌がってはいない。

「ふ、ふん! 次は僕が勝ちますよ! 今に見ておくことです、ヒュア殿!」

ヒュアに指を突き付けて宣言するのは、レッグルスの息子であり決勝戦でヒュアと戦ったレオルだ。

レッグルスを子供にしたような線の細そうな体躯ではあるが、持ち前の負けん気と先代レオウードに勝るとも劣らずの戦才を持つ。

「ええ、別に試合じゃなくてもいつでも相手してやるわ! どんどんかかってきなさい!」

「い、いつでも? いつでも……ですね? 嘘ではないですね?」

「え、ええ」

「よ、よし! なら毎日二人で一緒にしあ――」

「レオルくん?」

「へ? 何か用かいエリルど――ひっ!?」

いつの間にかレオルの傍に立ち、ニッコリと微笑むエリル。顔は笑っているのだが……。

「どうして試合するのがそんなに嬉しいんですか? ああ、違いますよね。毎日ヒュアと会えることが嬉しいんですよね?」

「い、いやそれは……」

「あれ? 違いましたか? そうですか、あ~良かった。なら安心ですね」

「あ、安心……て?」

「だって――――――レオルくんをぶち殺さずに……ああいえ、ぶち殺さずに済みますから」

「言い直せてないですからそれぇぇっ!?」

ヒュア大好きっ子であるエリルは、ヒュアに近づく者……特に男には容赦がない。さながらガーディアンと呼べる存在だろう。今も決して笑っていない瞳で、ジッとレオルを見つめている。ジッと……。

「ねえ? 毎日……会うんですか?」

「ひ、ひぃっ! じょ、冗談です! 言葉の綾というやつですからぁ!」

ヒュアは二人のやり取りの意味を把握していないようでキョトンとしているが、周りにいる他の子供たちは何となく理解しているようで呆れたように溜め息を吐いていた。

すると突如周囲が暗くなり、会場に設置されている舞台だけに明かりが灯った。

舞台の上には一人の女性がいて、手にはマイクを持っている。

世界の歌姫と呼ばれるミミル・キングのショータイムだ。

彼女が歌い始めると、精霊たちが喜び周囲を淡く照らしていく。

皆も彼女の歌に心地好さそうに耳を傾けている。

数曲ほど歌い終わったあと、明転してミミルに拍手が送られた。

「――ヒイロ様!」

日色のもとへ子供のような無邪気な笑顔を向けて走り込んでくるミミル。日色も彼女を優しく抱き止めてやる。

「どうでしたか?」

「ああ、見事だった。さすがはミミルだ」

「えへへ~、ならご褒美がほしいです!」

「褒美? 何だ?」

「えっとですね……その…………今日の夜は空いていますか?」

顔を赤らめて目を潤ませながら上目遣いで見てくる。普通の男なら我慢できずにリビドーを爆発必至だろう。

「あ、もうダメだよミミルちゃん!」

「そ、そうよミミル! こんな場所ではしたないわ!」

ミュアとイヴェアムが嗜めるように発言する。

「そ、それにせっかく来たのだから今日は私がヒイロと……その、ね?」

「あーイヴェアムもやっぱりそれが狙いなんだね! ダメだよぉ!」

「で、でもミュア! あなたはいつも傍にいられるからいいけど、私は遠距離なのよ? 少しは便宜を図ってくれても!」

「いいえ! 今日はミミルに閨を譲って頂きます!」

「ええい、小娘どもがうるさいわ!」

姦しい三人組に注意をしたのはリリィンである。

「今日の夜はもう先約があるのだ!」

「せ、先約!? ちょっとリリィンさん、聞いてないですよ!」

「そうです! ミミルも初耳です!」

「わ、私だって! だ、誰なのリリィン!」

「ククク、それはな――――ワタシだ!」

「「「ええーっ!?」」」

バンッと胸を張ったリリィンに対し、三人が驚愕の表情を浮かべる。

どこか遠くの方でシウバが「お嬢様のジョークですぞ~」と発しているが、女たちの耳には届いていない様子。

「そ、そんな!? ああ、せっかくミミル頑張ったのに……あ、でもだったら四人同時とか……」

「よ、四人同時!? しょ、しょんなレベルが高いよミミルちゃぁん!?」

「そ、そうよミミル! よよよよ四人同時だなんてふふふふふしだらな……」

「むむむぅ、同じ閨で優劣をつける絶好の機会でもあるか……いやだが……むむぅ」

「いいですよね、ヒイロ様……ってあれ? ヒイロ様は?」

すでに日色は四人の会話に爆弾が潜んでいることを察知して、レッグルスやジュドムたちとともに子供たちがいる場所まで逃げていた。

日色の存在に気づいた十色が、嬉しそうに近づいてくる。

「お父さん!」

「十色、楽しんでいるか?」

「う、うん。ちょっと人が多くてドキドキしてるけど」

相変わらず人混みが苦手な奴だと苦笑する。

「でもね……頑張ったことを褒めてもらうのがこんなに嬉しいことだったなんて初めて知った」

「そうか。……なあ十色」

「何?」

「お前は窮屈じゃないか? オレの息子という立場が」

「…………そうだね」

やはりそうか、と少し心が痛んだ。英雄の息子という肩書は、どこにいても付き纏い辛い思いをさせてしまっているだろう。それをバネにしているヒュアなどの快活な子ならともかく、内向的な十色はしんどいはずだ。

「窮屈だって思ってる」

「…………」

「……でも、それは今まではね」

「! 今まで?」

「うん。僕ね、お父さんと一緒に訓練して、そして試合で勝って……楽しかった」

「…………」

「今までとは違う自分になれた気がしたんだ。それに……夢も見つかった」

「聞いていいか?」

「うん。僕の夢はね――お父さんのように強くなること。そして大切な人を守りたいんだ!」

「! ……そうか」

彼の言葉を受け、心が温かくなる思いを感じた。ほとんど無意識に彼の頭を撫でつける。

「……お父さん?」

「いいか十色。その夢も立派だが、せっかくならオレを超えろ」

「お父さん……」

「お前ならきっとできるはずだ。夢なら一番を目指してみろ」

「――うん! だったら世界最強になるよ僕!」

「その意気だ」

日色は微笑み、息子の成長を喜んだ。

そして、目の前で笑っている子供たちを見て改めて誓う。

王として、父として、最強を背負う存在として、この笑顔を守ってみせる、と。