軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

205:ミュアの英雄

アクウィナスとマリオネが、部隊を引き連れて空へと上がると、【シャイターン城】もその歩を止めていた。地上からはかなり高い位置にある。

「アクウィナスよ、どうする? このまま攻撃に移るか?」

マリオネが隣に並びながら険しい表情を浮かべている。

「ならまずはあの結界をどうにかしなければな。下手に攻撃をしても反射されて逆に撃墜されかねん」

「……貴様の《魔眼》でどうにかならんのか?」

「無理だ。あの結界は魔力そのものを弾くような構造になっている。俺の《魔眼》も、元々魔力を物質化させる能力だ。試してみたが効果はなかった」

「そうか……ええい、忌々しいものだ。これほど近くにいるというのに手を出せんとは」

二人の背後には、精鋭の部隊が臨戦態勢を整えている。いつでも攻撃に転じれるのだが、下手な動きでは逆に追い込まれてしまう可能性が高くて身動きができにくい状態にあった。

すると城の下部から蜘蛛足のようなものが伸び出てくる。

「やはり《シャイターン砲》かっ!?」

マリオネの言葉に皆に緊張が走る。懸念していた通りの攻撃をアヴォロスが行おうとしていることを知りざわつき始める。

「鎮まれっ! いいか! 《シャイターン砲》を放つ時は、あの結界が一瞬消失するはずだ! そこを狙って全力で蜘蛛足に攻撃を放てっ!」

そこしか勝機はないと判断したマリオネ。皆も彼の言葉に声を上げて応えている。

「む? マリオネ、見ろ!」

アクウィナスが何かに気づいたのか、蜘蛛足を指差す。

「……何だ?」

以前に見た蜘蛛足は、そのまま地面へと伸びて、照準を直下に合わせていた。しかし今回は何故か蜘蛛足は折れ曲がっている。

すると突然、【シャイターン城】が斜めに傾き始める。

「……狙いは地上ではない……?」

「ではどこだと言うのだアクウィナス?」

すぐにマリオネに返答できなかったアクウィナスだが、蜘蛛足が向けられている方向をゆっくりと目で追っていく。そこには何もない。ただただ空が広がっているだけ。

「――――――いや、まさか!?」

「どうしたアクウィナス?」

「……信じられないかもしれないが……アヴォロスの狙いが判明した」

「どこだ!? 奴は何を狙っておるのだ!」

アクウィナスがまだ信じられないという面持ちを保ちながらも静かに腕を上げて、あるものを指差す。

その場にいた全員が、その指の先に存在せしあるものに注目する。そして静寂が包まれている中で、アクウィナスが口を開いた。

「奴の狙いは――――――――――――月だ」

キィィィィィィンッと耳をつんざくような音とともに、【シャイターン城】の蜘蛛足の先にエネルギーの塊が膨れ上がっていく。

それは考えられないくらいの魔力量が凝縮されたもの。ドンドン塊が大きくなっていき、その近くで待機しているアクウィナスたちも、全身を突き刺すような圧力を感じている。

「このエネルギー体を月に放つだと? 一体どういうことだアクウィナス?」

マリオネが、《シャイターン砲》の照準が月へと向けられていると言ったアクウィナスに質問を投げかける。

「分からん。ただこれほどのエネルギー体を大陸に落とすとは考えられん。もしそのようなことをすれば、下にいる魔神も恐らく消滅する可能性が高い」

そう言っている間も、まだまだ青白い球体は膨れ上がっていき、さらに力を込めていく。

「しかし確かに貴様の言う通り、照準は月へと向けられているようだ」

【シャイターン城】を傾かせながらも、蜘蛛足の先は間違いなく月へと狙いを定めている。

「一体何故アヴォロスは月へ攻撃しようとしておるのだ?」

「…………恐らくそれが奴の本懐だったのだろう」

「何?」

「奴はこの世界を支配している何者かを滅ぼし、世界のシステムとやらを手に入れることを目的としている。アヴォロスが月を狙おうとしているのなら、その支配者は月にいるということだ」

「バカな! あのような場所に生命体がいるとでもいうのか?」

マリオネは自分たちを高みから見下ろしているような、巨大な満月を睨みつける。

「真実は判明しないが、アヴォロスは確実に月を攻撃しようとしている。マリオネ、俺は陛下にこのことを告げに戻る。ここは任せたぞ?」

「分かった。とりあえずは様子見を保つ」

「ああ」

アクウィナスは凄まじい速さで降下していった。マリオネは彼を一瞥した後、再び月に視線を向ける。

「一体何があるというのだ、あそこに……」

それは答えの見つからない問いだった。

【シャイターン城】の地下、巨大クリスタルがある部屋では、アヴォロスが魔法陣から生えて、自身の身体を掴んでいる触手に、いまだ魔力を吸収させていた。

額からはじんわりと汗が滲み出てきており、明らかな疲労感を見せている。

「陛下! それ以上はお身体に障ります!」

カイナビが叫ぶが、その前に優花が邪魔するように立つ。

「貴様ぁ、そこをどけっ!」

「断る。陛下はご自身で判断できるお方だ。それともお前は、陛下が自己管理ができずにこのまま干からびるとでも思っているのか?」

「う……それは……」

優花に言われてカイナビが抗弁することができずに口ごもる。

「我々はただ陛下のなさることを黙って見守るだけだ。もし邪魔をするというのなら、お前でも容赦はしない」

「くっ…………覚えてろよイシュカ、陛下の真の忠臣は貴様なんかじゃない。このカイナビ一人だけだ!」

優花に憎々しい視線を向けた後、彼女の言うようにアヴォロスを黙って見つめることに専念するカイナビを見て、優花もまた振り返って巨大クリスタルに映し出されている月を見つめる。

不気味なほどに輝く月。優花がいた日本では考えられないほど巨大に視界に捉えられるということは、月との距離がそれほど離れていないということ。

「このまま何も起きないことを祈るしかない……」

優花は静かに呟く。

一方アヴォロスは閉じていた瞼をスッと開き、不愉快さを表情に表しながら月を睨みつける。そのままの状態で口を動かす。

「出力はどうだ、ナグナラ?」

「今八十七パーセントといったところなのね~」

バキバキッと室内に小さな亀裂が走り始める。

「大分頑丈に造ったはずだが、さすがに耐え切れなくなっているということか。カイナビ、せめてこの部屋だけでも潰れないように努めよ」

「はっ!」

アヴォロスに声をかけてもらったことに優越感を感じているようで、優花を含み笑いを浮かべて一瞥した後に身体に備え付けてある幾つもの小瓶から二つを取って両手に持つ。

蓋を開けると、中には液体のものと、種らしき物体が入っており、それらを床へと滴り落とす。すると瞬時にして巨大な花が出現し、花から無数の茨が伸び出して室内を覆っていく。

「陛下! これで心置きなく全力をお出し下さい!」

「よくやった。褒めてつかわす」

「はっ! ありがたきお言葉!」

本当に嬉しそうに破顔して、再び優花に冷笑を浮かべてチラリと視線を送る。しかし優花はクールそのもので、カイナビの自慢にも何一つ堪えていない様子を見せている。それがまたカイナビには面白くないのか舌打ちをして顔を逸らす。

「出力九十を越えたのね~」

ナグナラが言葉を発しているその隣には、同じ白衣姿のペビンがジッと月を見つめている。そしてその糸目をうっすらと開けて、その奥に潜む不気味な光を放つ。クスッと笑みを零すペビンに気づいたのか、優花は疑わしそうに睨んでいる。

「出力九十五パーセントなのね~」

ナグナラの宣言が響いた瞬間、バキィィィッと城のどこかから破壊音が次々と起こり始める。もう城も崩壊寸前なのかもしれない。それほどのエネルギーを生み出そうとして反動を受けてしまっている。

「最後のスパートだ。余に見せてみよ! あの高みに浮かぶ金色の悪魔が滅ぶ瞬間をっ!」

アヴォロスから膨大な魔力が放出され、ナグナラが「マックスいっぱいなのね~っ!」と叫ぶ。

「最大出力! ――――――《シャイターン砲》っ! 撃てぇぇぇぇぇっ!」

アヴォロスが《シャイターン砲》を放つように指示した頃、外で待機しているマリオネたちは、青白い球体から迸る圧力によって、近づけずにかなりの距離を取らされていた。

まるでエネルギー体自身が台風の目かの如く、そこから漏れ出ている魔力が、暴風となって周囲を襲ってくる。

その球体を赤黒い膜が覆い始め、ピタリと暴風が止む。

一瞬の静けさが場を支配する――。

ピカッと蜘蛛足の先が光った瞬間、その先にあった巨大な赤黒い球体がレーザーのように放射された。やはりアクウィナスが言った通り、狙いは月である。

赤黒い巨大なレーザーは、真っ直ぐ銀河まで貫くような勢いで飛んでいく。同時に【シャイターン城】が突如爆発したように弾け飛ぶ。あれほどのものを放ったのだから、その反動は信じがたいほど強烈なものだろう。

粉砕した城の中から、四角く茨で囲われた物体が出現。何故かその茨に花びらで作られた翼が生えており、そのまま落下せずに宙に浮かんでいる。

「まさかあの中にはアヴォロスが……?」

マリオネは直感的に感じたようでそう呟くが、

「マリオネ様! 月がっ!?」

兵士の叫びにより、マリオネも視線を月へと向ける。見ればすでにレーザーは【イデア】を抜け出たのか、かなり小さくなっている。

恐らくレーザーが、月へと辿り着き、その凶悪までに凝縮された力を以て大地に突き刺したのだろう。瞬間、月に巨大な亀裂が次々と走り、ボロボロと崩れ塵と化していく。

いつも【イデア】の夜を照らしていた月が、少しずつであるが消滅していく様子に、誰もが言葉を失って黙り込んでいた。それは月をも破壊する《シャイターン砲》に恐れをなしているわけでも、日常に存在していた月が壊れていくことに呆然としているわけではない。

皆が思っているのは、何故アヴォロスが、城を破壊してまで月を破壊しようとしているのか……だ。全く以てその理由が分からない。

あれほどの力があれば、地上にいるアヴォロスの敵は一掃できたはず。しかしそれを放棄して、今まで何の繋がりも脈絡もなかった月への攻撃に、誰もが呆気に取られてしまっているのだ。

月が徐々に削られていく様は、地上にいる者たちにも捉えられていた。皆は一様に口をポカンと開けたままジッと崩壊していく月を見つめている。

そんな中、イヴェアムとアクウィナスもまた、アヴォロスの狙いの真の意味を把握できずに困惑気味だった。

「アヴォロスがあそこまでのリスクを負って月を攻撃するとは、やはりあそこに支配者とやらがいたということか?」

「さあな、それはまだ判明していない。しかしアヴォロスにとって我らを放置してでも成し得たいことだったということだ」

「ではアクウィナス、仮にあの月に支配者とやらがいるとして、奴の本懐は遂げられたということではないのか?」

「……どうだろうな。そもそももし本当にこの【イデア】に住む者たちの意識を操ることができるのなら、アヴォロスや異世界人はともかく、奴の仲間を操作して月破壊を止めようとするのではないか?」

確かにアクウィナスの言うことも尤もである。アヴォロスは真紅の魔法の恩恵により、どうやら支配者に意識を操作されないようになっているらしいが、【イデア】に住む他の者たちは例外である。

支配者が月に住んでいるというのなら、アヴォロスの仲間を操ってそれを阻止することができるはず。しかし見た通り、月はあっさりと崩壊しつつある。これはどういうことだろうか。

「確かに陛下の言う通りの懸念はある。だがあくまでも支配者がいるという説はアヴォロスによるものだ。それが根底から間違っているという可能性もまた多分にある」

「……そうだろうか」

イヴェアムも少なからずアクウィナスの言には賛同している。ただアヴォロスがそれこそ人生をかけて大規模戦争まで起こして月を破壊しようとしている。それがただの勘違いで終わるとは思えない。

「あの用意周到なアヴォロスが、確実性の薄い行為をするだろうか……」

「なら何故支配者はアヴォロスを阻止しようとしない?」

「…………考えられるのは二つ」

「二つ?」

「ああ、一つはそもそも支配者などいないということ」

「……もう一つは?」

「アヴォロスの所業を知っていて、敢えて止めようとしていない……いや、もう一つあるな」

「……止めることができない状態にある……か?」

「ああ、支配者というくらいだから、それは可能性が薄いと思うが」

「やはり二つ目が高いだろうな」

アヴォロスの行動を知っていて、それでも放置している可能性。それが一番高いような気がする。あくまでも支配者が存在するという前提ではあるが。

「本当にアヴォロスの言う支配者はいるのか……?」

イヴェアムはそうでなくてはアヴォロスはただの道化になるだけだと思いつつも、どうにも現実味のない情報を信じられずにいる。

「とにかく、このまま何もなければ…………っ!?」

「どうしたアクウィナス?」

アクウィナスの顔が険しさを増したことで、イヴェアムは首を傾げてしまう。

「アレを……見ろ」

アクウィナスが指を差したのは月。

「? 一体何だと……っ!? あ、あれはっ!?」

そこには誰もが目を疑う光景が広がっていた。

「むふふ~! 見事なのね~! さすがワタシが作った《シャイターン砲》なのね~!」

カイナビが作り出した茨でできた箱の中で、ナグナラは自身が腕を揮い作り上げた《シャイターン砲》の威力を目の当たりにして大喜びをしている。

「ふぅ……とりあえずは一手か……」

ナグナラほど喜びを表情に表していないアヴォロス。おもむろに額から流れる汗を拭き取りながら、前方に見える崩壊していく月を眺めている。

「これで陛下の望みが成ったということですね! 陛下!」

カイナビが魔法陣の上に立つアヴォロスへと駆け寄り笑顔を振りまく。魔法陣から伸びていた触手もすでに消失していて、アヴォロスはカイナビに答えることなくそのまま数歩前に進む。

「ど、どうしたのですか陛下? これで『神人族』とやらは消滅したも同然です! この世界の神は陛下になるのですよっ!」

しかしアヴォロスは厳しい顔つきのままジッと月を睨みつけている。

「へ、陛下……?」

返事をしてくれないことに不安を覚えたのか、カイナビの瞳が悲しげに揺れて眉を寄せている。

「少し黙れカイナビ」

「な、何だと? 何様のつもりだイシュカッ!」

カイナビに向かって注意したのは優花だ。その冷淡な物言いに、カイナビは額に青筋を浮かべるほど怒気を含んだ表情を浮かべる。

「『神人族』の恐ろしさも何も知らない小娘が、浮かれるのもその辺にしておけ」

「き、き、貴様ぁぁぁっ!?」

カイナビは我慢の限界を超えたのか、身体に装着している小瓶を両手で取って蓋を開ける。だが攻撃しようとした瞬間、カイナビと優花の身体をビクッとさせるほどのオーラがある場所から迸る。

「……へ……陛下……?」

カイナビの視線の先にいたのはアヴォロスだ。身体から殺意と憤怒、そして憎悪が込められているどす黒いオーラが溢れ出ていた。カイナビはペタリと床に腰を下ろしてしまい、優花でさえも表情を強張らせている。

ただその殺意は彼女たちに向けられたものではない。

その暴虐の瞳で射抜かれているのは月――――――いや、崩壊した月の向こう側から現れた謎の物体。

「な、な、何だアレは……っ!?」

カイナビも月の向こう側に佇む、異様な形をした物体を目にする。

「ようやくだ……」

アヴォロスが静かに呟く。全員が彼に視線を送る。

「ようやくこの目で拝むことができたな――――――――――――【ヤレアッハの塔】よ」

誰もが知らなかっただろう。巨大な月の向こう側に、ひっそりと浮かぶ巨大な建造物の存在に。

それは荘厳なまでの金色の輝きを放つ一つの塔。まるでその塔一つだけで、月の輝きの役割ができるほどの輝きを天から大地へと降り注いでいる。

知らず知らず、アヴォロスの口角は上がっていた。言葉通り、ようやく待ちに待った存在と出会えた喜びがその表情を作っている。

月が全壊した後に出現した輝く塔。それがアヴォロスの目的。

「月は墜とした……。あとは貴様らだ自称神どもめ!」

憎しみだけに染められた黒い瞳。美しい碧眼だったアヴォロスの双眸は、その名残を一切残さず、ただただ恐怖を感じさせるものであった。

「一度下に戻るぞ。このまま向かうにはリスクが高い」

「「「「はっ!」」」」

アヴォロスの問いに仲間たちが応える。

「塔に向かうためには魔神が必要になる。そろそろ奴も目覚めている頃だろう。完全に目覚めた奴をコントロールするのは些か骨が折れるが、まずは地上にいるゴミどもを一掃させるか」

カツカツと優花がアヴォロスの傍までやってくると、腰を抜かしているカイナビを一瞥したのち口を開く。

「では私の魔法で?」

「ああ」

「ま、待って下さい陛下! アタシも連れて行って下さい! きっとお役に!」

カイナビがアヴォロスの前に跪くと、アヴォロスは彼女を無感情の瞳で見下ろす。

「いや、貴様の役目はもう終わった」

「……え?」

「城の復旧。そしてこの場での支援。それが成された以上は、もう貴様にできることは何もない」

「へ、陛下……?」

「ご苦労だったなカイナビ。だが余はこれ以上、貴様の維持に魔力を消耗するわけにはいかん」

「ま、魔力を消耗……? な、何を仰って……?」

アヴォロスが手をパチンと鳴らす。すると驚くことに、カイナビの身体が激しく脈打ったと思ったら、そのまま力無く床に倒れる。

そして彼女の身体が徐々に崩壊していく。何が起きているのか理解できないカイナビが、必死に顔を上げてアヴォロスに縋りつこうとする。

「貴様はもう死んでおるのだ。ただ今まで、余の力でその身体を維持していただけに過ぎん。役目は終わった。静かに闇に眠れカイナビ」

「……う……嘘……です……よね?」

「嘘など言わん」

「だ、だって……陛下はともに……生きて……くれると……」

「…………」

「『魔人族』どもに……実験体にされた……アタシを助けて……そして……一緒に来いと……」

「その時、すでにもう貴様は手のうちようがなかった。だが貴様の力は後々役に立つ。だからこそ、余は貴様を殺し、そして復活させた。余の力でな」

「殺し……そん……な……!?」

「もう眠れ。安心せよ。余が創世する世界に、必ず貴様も生み出してやろうぞ」

「へ……いか……っ!?」

カイナビは両目から涙を流しながら、助けを請うように手を伸ばすが、次の瞬間、パサァッと全身が灰化して形を失った。

「……陛下、カイナビならまだ使えたのでは?」

「余の力で生み出した存在は裏切ることはない。しかし少し自我が強過ぎた。ユウカにも牙を向けた」

「……陛下……」

「奴の役目は終わった。続きは余の創る世界で人生を過ごせばよい」

「……出過ぎたことを申し上げました」

「よい、では向かうぞ。ここからが真の戦いになる」

優花の足元から水溜まりが広がっていく。

月が上から中央にかけて半壊したところで、イヴェアムたちの視界にも、月の向こう側から奇妙な物体が映った。

「い、一体アレは何なんだっ!?」

声を発したイヴェアムだけでなく、その場にいる者たち全員の疑問。冷静沈着のアクウィナスさえも、言葉を失って目を見張ったまま固まっている。

「塔? どうして月の裏側に?」

「……陛下、とにかく皆が動揺している。ここは陛下と獣王、それにジュドムが先頭に立ち、それぞれの種族を纏める必要がある。幸い敵は今のところは大人しく……いや、そうでもないか」

「アクウィナス?」

アクウィナスが険しい顔つきである場所を睨みつける。そこにいるのは眠っているはずの魔神ネツァッファ。だがイヴェアムもまた、魔神に視線を送ると、息を呑んでしまう。

先程はまだ五つの瞳しか開いていなかったはず。だが六つの目の瞳が徐々に震えて開きつつあった。

「まずいっ! このままでは魔神が目覚める!? レオウード殿、ジュドム殿!」

イヴェアムは咄嗟に彼らの名を呼ぶ。どうやら彼らも魔神の様子に気づいているようで、部下たちにここからできるだけ離れるように指示をしている。

「魔王よ、魔神と真正面から対峙するのは自殺行為だ! レベルの高い者たちを前衛として、他の者はサポートを任せるべきだ!」

「わ、分かりましたレオウード殿! ではこちらもそのように指示致します!」

確かに魔神相手にレベルの低い兵士たちが前線へ立つと、魔神の何気無い一撃でも大ダメージを受けて、即死する可能性が高い。無論レオウードやジュドムのような高レベル者でも、無防備で魔神の攻撃を受ければその例外ではないだろう。

だがそれでも判断力、身体能力などを考慮して、高レベル者なら、まだ生存確率は高い。前衛と後衛に別れて魔神を少しずつ弱らせる作戦を実行しようとしているのだ。

「俺も仲間たちにそう伝えておくぜ!」

ジュドムの仲間は【ヴィクトリアス】に対して組織された反乱軍たち。テンドクとともにこの戦場へと来てくれたが、魔神相手にはただ向かっても無駄死にになるだけだ。

そうしてそれぞれの種族の代表者が、仲間たちに下がるように命令していると、とうとう絶望の時間が再び動き出す。

魔神の六つ目の瞳が大きく開かれた瞬間、魔神が大きな口を開き大咆哮を上げる。まるで何万匹もの獣が集まって吠えているような大気を割るような暴音。

「ぐっ!? 何という音だっ!?」

レオウードは両手で耳を塞ぎながら顔をしかめる。声による振動で大地が軋むほど。当然逃げ惑う人々も、あまりの声に足を止めて耳を押さえている。

徐々に魔神の咆哮が治まっていき、皆もホッと息を吐く。だが安堵している場合ではないことは誰もが理解している。

魔神の六つの瞳が不気味に紅く光り、眼下にイヴェアムたちを捉える。

「くっ! 一斉に攻撃だっ!」

レオウードの声をきっかけに、高レベル者がそれぞれ攻撃を繰り出す。魔神を囲うように陣取っていた者たちからの攻撃に対し、魔神はただ座しているだけ。

回避することもなく攻撃を受ける魔神だが、驚くことにほとんどの攻撃が自然に魔神の口へと吸い込まれてしまう。そのため死角からの攻撃で傷ついた部分も、吸収したせいかすぐに治癒していく。

「ええい! 正面から攻撃するなっ! 奴の背後へと回り攻撃せよっ!」

レオウードの命令でイヴェアムたちも魔神の背後をつくために空を飛び回る。だが空を飛び回るイヴェアムやアクウィナスたちに鬱陶しさを感じたのか、三本ある尾を不規則に動かし始めた。まるでハエでも叩き落とすかの如く動き回るが、その尾に込められている力は凄まじいもので、地面に激突すれば、ただの一撃で簡単に大地を割るほど。

もし空を飛んでいるイヴェアムたちが、その攻撃を受けてしまえば一瞬で大地に叩き落とされることは必至。

尻尾の動きが不規則過ぎて読めないという点。一本一本が動く度にかなりの風圧を生むので紙一重では回避できない点。尻尾の攻撃範囲が恐ろしく広い点。

これらがイヴェアムたちに接近を非常に困難にさせている。

「くっ! これだけの質量だと、イオニスの磁力でも動きは封じれないわね……」

イヴェアムが必死に攻略法を頭の中で考察していく。仲間の能力を思い出し、効果的な方法を見出そうとするが、あまりに規格外な存在に個人の魔法が通じるとは思えないのだ。

「アクウィナス! あなたの《魔眼》でどうにかなる?」

「……やってみよう」

イヴェアムの提案に応え、アクウィナスが「ふぅ」と息を整えるとスッと目を閉じる。彼の身体から魔力が溢れ出し、それが両眼へと集束。

カッと瞼を見開いたアクウィナスが天に手をかざしながら叫ぶ。

「顕現せよっ! 《第三の剣・ 束縛する巨大剣(ディスインテグレイト) 》っ!」

天に巨大な魔法陣が出現。そこからゆっくりと巨大な剣先が現れ始める。

「ぐ……これほどの巨大剣はさすがに精製に時間がかかるか」

アクウィナスの額から流れ落ちる汗で、彼が相当の力を消耗していることが一目で理解できる。

するとそこへ魔神が、アクウィナスに意識を向ける。彼の上空にある魔法陣にも気づいたようだ。一本の尻尾をピタリと止めたと思ったら、真っ直ぐアクウィナスを払い落とそうと攻撃してくる。

「させんわっ! 《終の牙》ァァァッ!」

アクウィナスの傍まで飛び上がったレオウードが、《化装術》の奥義である《終の牙》を用い、その拳に纏った蒼炎で、アクウィナスに向かってきていた尻尾を受け止めた。

「ウオォォォォォッ! 燃え散るがいいっ!」

殴打した尻尾に蒼炎が燃え移り、言葉通り殴った部分を焼失させた。

「おお! レオウード殿!」

レオウードにより尻尾が一本破壊されたことで、こちらの攻撃も確実に相手に通じるという希望を知り、イヴェアムは頬を緩める。そして彼のお蔭で時間を稼げたアクウィナスが動き出す。

魔法陣から現れる魔神の半分程度の大きさを持つ巨大剣。それが真っ直ぐ魔神へと落下していく。この剣は突き刺した相手の行動を奪うことができる。

だがそこで今まで少しも身体を動かさなかった魔神が、落ちてくる巨大剣を睨みつけると、その場から初めて動こうとする。避けるつもりのようだ。

「皆の者ォッ! 少しでもいいっ! そいつの動きを止めるのだっ!」

レオウードの叫びに呼応して、皆が上から魔神を大地に押し付けるように攻撃を放つ。上空からの集中攻撃を魔神は大口を開けて吸収していく。だがそれはイヴェアムたちの狙い通りでもあった。

どうやら攻撃を吸収している間は動きを止めている。それはクゼルとの戦いでも明らかになっていた。

「そのまま吸収させ続けるのだっ!」

イヴェアムは自身も魔法を放ちながら鼓舞するように皆に声を届ける。魔神は雨のように降り注ぐ魔法攻撃を吸い込んでいく。そして

グシュゥゥゥゥゥゥゥッと、アクウィナスが放った巨大剣の切っ先が魔神の身体を突き刺し、どす黒い血潮を撒き散らしながらその巨体を貫いていく。

その光景を見ていた者たちは歓声すら上げて拳を高く突き上げている。何せ、自分たちの作戦が見事にハマり、魔神に大打撃を与えることができたのだから。

「攻撃止めっ! これ以上魔法を吸収させるなっ!」

イヴェアムの掛け声で、全員が攻撃を止める。イヴェアムもまた、若干ホッとした思いを感じながら肩で息をしている。その時、ふと天から何かが落ちていくのに気がつく。

「アクウィナスッ!?」

イヴェアムは黒い翼をはためかせながら頭から落下していくアクウィナスに追いつき身体を支える。

「アクウィナスッ! しっかりしてっ!」

「う……姫……か」

「……よくやってくれたわ、アクウィナス」

文字通り全身全霊を、あの巨大剣に込めたのだろう。生半可な力では魔神の身体を貫くことはできないはず。恐らくほぼすべての魔力を、巨大剣の顕現に注ぎ込んだのだ。

それに日色とアヴォロスと、続けて戦った後なのだから疲労感は絶大なものに違いない。

「でもこれで魔神は―――」

――――――――――――ほう、面白い状況になっておるではないか。

天下に響かせるような声音が、空から聞こえてきた。

突如上空に現れた円盤状に広がった水溜まり。その上にアヴォロスと優花が姿を見せ、眼下に点々としている連合軍たちを見回している。

「よもや、魔神が一太刀受けるとはな。少々貴様らを侮っていたか」

「……アヴォロス」

イヴェアムは空に浮き上がり、アヴォロスが立つ場所まで行き対面する。

「イヴェアム、そろそろ終末にしようか。これから余には崇高な目的があるのでな」

「……あの塔は何だ? アレが、お前の目指しているものか?」

「そうだな。冥土の土産として持っていくがよい。アレは【ヤレアッハの塔】。『神人族』が住まう……いや、世界のシステムが存在する高見の場所だ」

「世界の……システム?」

「前に申したであろう。この世界には支配者が存在し、そのシステムを以て、この【イデア】をコントロールしておると」

「……それがアレだというのか?」

「そうだ。忌々しき輝きを放つ巨大建造物。貴様らが今まで月と呼んでいたもの。それはあの塔によって生み出された――――――ただの隠れ蓑だ」

この世界に住んでいる者たちが、今までその恩恵に与り、夜をその輝きで照らしてくれていたのは、誰かの造り物だという。

「本物の月はあの塔そのもの。月を削り、造り上げた塔。それがあの【ヤレアッハの塔】だ。余はあの塔に乗り込み、そのシステムを奪うことを目的としておる」

「シ、システムとやらを奪って、お前は何をするつもりなのだ!」

「言葉はいろいろある。回帰、創世……だが、余が求めるのはかつてあった平和」

「かつてあった……平和? 何を言っているのだ?」

アヴォロスの言葉に不審さを感じてイヴェアムは眉をひそめる。

「これ以上は話す必要もない。だが安心しろ、余が創る世界には、貴様らも存在させてやろう。まあ、記憶などは残らないがな」

「ふざけるなっ! 何をしようとしているか分からんが、お前は今の世界を滅ぼすつもりだろう!」

「そうだ。このままでは、この世界は奴らの玩具のままだ。そのようなこと絶対に許容できん」

「バカな……たとえお前がそのシステムを乗っ取っても、今度はお前が支配者になるだけだ! 何も変わらんっ!」

「変わる」

「なっ!?」

「余は奴らではない。望むのは真の平和。かつてあった温かき日常。それを取り戻すだけだ。誓って理不尽なままの意識操作などは行わん。それは余の美学にも反する。余はただ、あるべき世界を創り直すだけだ」

真っ直ぐ、覚悟の込められた瞳。その揺らぎのない瞳に射抜かれて、イヴェアムは思わず喉を鳴らしてしまう。

「奴らは退屈を紛らわせるために、幾つもの悲劇をバラまいた。世界を玩具として扱い、人を駒として自由に操作する。このままでは、いずれ遠くないうちにすべての生命体が奴らによって滅ぼされる。そして恐らくは、『クピドゥス族』のような、奴らの意志を継いだ新人種が生み出される。それだけは絶対に止めねばならん」

「『クピドゥス族』が……『神人族』によって生まれた?」

「あの魔神ネツァッファを生み出したのは『クピドゥス族』だ。その理由は簡単。アレを使いこの世界に混沌を生み出し、人類を破滅させることだった」

イヴェアムだけでなく、彼女が支えているアクウィナスでさえも初耳のようで目を見張ったままだ。

「だがその意図に気づいた初代魔王アダムスが、『クピドゥス族』を滅ぼした……つもりだったが、まだ生き残りが存在した。その生き残りが再び力をつけて、魔神を復活させた。だがそれもシンクやその仲間たちによって封印されはしたがな」

そんな事情があったとは知らなかった。イヴェアムは、淡々と語るアヴォロスの瞳の奥に、憤怒と憎悪が膨れ上がっていくのを見て取れた。

「だから奴らはシンクをこの世から排除することにした。結果的に、シンクは負けてしまったがな」

今度は一抹の寂寥感を感じさせる表情を浮かべるアヴォロス。

「ちょ、ちょっと待て! な、なら何故魔神を復活させるのだ! お前の言うことが真実ならば、魔神を復活させることは『神人族』の本懐なのではないのか?」

アヴォロスが『神人族』を打ち倒そうとしているのならば、彼らの兵器である魔神を復活させることは自分の首を絞めることに繋がるのではないかと思うのだ。

しかしアヴォロスはクククククと細かく喉を震わせる。

「魔神はただの力の塊だ。魔力そのものといってもよい」

「え?」

「つまり、そこに意識などない。あるとすれば、生み出されるために利用された無数の魂、憎しみ、悲しみ、妬み、痛みなどの負のエネルギーだけだ。それらが凝縮した存在。それが魔神ネツァッファ。奴が望むのは破壊……それだけだ」

「……つまり……本当にアレは、ただの兵器……だというのか?」

今度はアクウィナスが、魔神を見下ろしながら辛そうに言葉を吐き出す。まだ身体は回復していないので言葉を紡ぎ出すのも苦しそうだ。

「ああ、剣や刀、それらの武器と何ら変わりはない。無論、少々扱いが難しいがな」

どこが少々だとイヴェアムは突っ込みたいが、すぐにアヴォロスが口を開く。

「これから余は、魔神を使い塔へと向かう。どうせ貴様らは邪魔をするつもりなのだろう?」

「と、当然だっ! お前に世界は壊させんっ!」

「ククク、ならばさっさと終わらせようか……この戦場を」

アヴォロスが水溜まりから跳び下り魔神へと落下していく。

「くっ! 姫、奴を止めろ! 奴は再び魔神と一体化するつもりだ」

「アクウィナス……しかし、魔神はもう動くことができないんじゃ……?」

イヴェアムの言葉を聞いたのか、落下しながらアヴォロスが声を張り上げる。

「魔神を舐めてもらっては困るなイヴェアム! 魔神は《魔力の神》と呼ばれる存在だ! 言ってみれば『精霊』に似た種族とも言える! 貴様の剣は、魔力そのものを拘束することができたか、アクウィナスッ!」

アヴォロスが楽しげに頬を緩めていると、突然魔神がそのままゆっくりと左側へ動いていく。無論巨大剣が身体を突き刺して大地に串刺しになっているので、そのまま動けば肉体は斬れていくはず。

しかしズブズブズブと肉体を裂きながらも身体を動かしていいき、拘束から逃れていく魔神。

「バカなっ!?」

拘束から自力で逃れることができるとは思っておらず、イヴェアムだけでなく、他の者も愕然とした面持ちを見せている。

巨大剣から身体を離した魔神。普通なら身体の中央から左側にかけてパックリと裂けているので、致命傷のように思える。決してそれ以上動くことはできないと誰もが判断するだろうが、傷口から噴出した膨大な魔力が、まるで身体を繋ぐように互いを離れた肉体を引っ張り合う。

さらに魔神が巨大剣に顔を向けるとあろうことか、大口を開けて食べ始めた。その光景に全員が真っ青になって言葉を失っている。

巨大剣を平らげた魔神が、満足気に目を細める。その頭の上にアヴォロスが下り、またもクゼルと戦った時と同じように下半身を埋めていく。

誰もが魔神に大打撃を与えることができたと心底思っていた。苦労してようやく手に入れた勝機だったが、それをあっさりと覆されてしまった。

「ククク、貴様らに希望などない。ヒイロというイレギュラーが消えたその時から、貴様らが余に勝てる確率など、塵ほどもない。何故余がヒイロを真っ先に送還したのかまだ分からぬか? ヒイロならともかく、貴様ら烏合の衆が集まろうが、余にとってはただの動く肉塊に過ぎん」

残酷なまでに周囲に轟くアヴォロスの美声。氷のごとき冷たさを宿した言葉が、《奇跡連合軍》に絶望を味わわせる。

だがその時、唯一アヴォロスを見上げて睨み返している存在がいた。

「……せん」

「……む?」

アヴォロスもまた、その人物に気づき視線を落とす。それは一人の少女。銀髪を戦場の風に靡かせているミュア・カストレイアである。

「『銀竜』のガキ……何か言ったか?」

ミュアは小刻みに震えているその身体を必死に動かしながら、前へと進む。そして数歩歩いた後、ゆっくりを息を吸って叫んだ。

「わたしたちはまだ負けていませんっ!」

そう宣言するミュアを、静かに見下ろしながらアヴォロスは冷淡に言う。

「なら刃向ってくるがよい。たかが伝説の種族が、神に勝てると考えているのならな」

「……わたしたちは諦めません! そうすればヒイロさんが必ずあなたを倒してくれる!」

ピクリとアヴォロスの眉が反応を返す。

「あなたはヒイロさんを恐れてる。それはさっきの言葉でも分かります」

「…………」

「ヒイロさんはわたしたちの希望です。あなたはその希望を奪ったと信じてる」

「現に奴はおらん」

「戻ってきますっ!」

「…………」

「ヒイロさんは必ずここへ。わたしたちの場所へ戻ってきてくれますっ! 希望は――」

ミュアはキッと鋭い視線をアヴォロスへと向け力一杯声を張り上げる。

「――――――希望はいつもすぐ傍にありますっ!」

沈黙。ミュアの発言によって、周囲に静寂が訪れる。そして静かに口火を切ったのはアヴォロスだ。

「その信じて疑わない瞳。見ていると吐き気を覚える。いいだろう。ならば、その抱いた希望ごと、ここから消えるがよい」

「ミュアッ!」

「おじさんっ!」

ミュアの前に大剣を構えたアノールドが現れる。

「ったく、あんなバケモンみてえな奴に真っ直ぐ言い返せるとはな! 成長したな、ミュア!」

「おじさん……」

アヴォロスがアノールドに視線を送ると、

「貴様も希望が傍に在り続けると、そんな戯言をいう性質か?」

「けっ! あいにく俺は現実主義でね! 今感じてるのはハッキリ言って絶望だけだ! 怖くて震えちまってらぁ!」

「…………」

「けどなぁ、この娘が信じてるってんなら、俺も信じる。それが親ってもんだろっ!」

「おじさん!」

アノールドが恐怖を紛らわせるかのように浮かべる笑み。それが強がりだと分かっていながらも、ミュアは彼の言葉が嬉しいようだ。

「……クク……クハハハハハハッ!」

「な、何がおかしいんだこの野郎っ!」

アノールドの問いに答えずにアヴォロスは、ひとしきり笑った後、ギロリと殺意に満ちた眼力をアノールドへと向ける。

直後――。

「え……?」

ミュアの呆然とした声が漏れる。今、ミュアの目の前に立っている人物の背中から、見たこともない物体が突き出ている。

そしてそれが、アヴォロスの右手から放出されている魔力の塊だということを知ったミュアの顔が一瞬で青ざめる。

「これでも希望があると申すか……ガキ?」

「おじさぁぁんっ!?」

ミュアは、アヴォロスの魔力で身体を貫かれたアノールドに駆け寄った。

「がはっ!?」

アノールドが口から大量の鮮血を吐き出す。ボタボタと落ちていき大地を真っ赤に染めていく。まさに一瞬の出来事だった。瞬きをすれば見失うほどの細い時間の最中、気づけばアノールドがアヴォロスの凶刃によって身体を貫かれていた。

ズシュゥッと、彼の身体から刃状に形成された魔力が引き抜かれる。

「これで理解したか? 貴様らなど、一呼吸のうちに殺すことができるのだ。これだけの距離があろうが、余の攻撃に反応すらできん。それだけの差……理解しろ、先程も申したように、貴様らはただの肉塊だ。動いていても余にとっては動いてないソレと何ら変わらん」

アヴォロスの冷たい言葉がミュアの胸に突き刺さる。地面へと倒れたアノールドを、その小さな身体で支えて顔を真っ青にしている。

「おじさん! おじさん! しっかりしてよ、おじさんっ!」

泣き叫びながら彼を呼ぶが、アノールドは痛みに顔を歪めたまま言葉を発せずにいる。

「安心しろ。すぐにこの場にいる全員を、そこの男と同じ場所へ送ってやる」

アヴォロスがミュアとアノールドへ向けて右手をかざす。

「――《爆拳・弐式》っ!」

アヴォロスに向かって放たれる拳型の魔力の塊。それはニッキから放たれた攻撃。

しかしアヴォロスは《爆拳》に向けて指を弾くような仕草をする。その指から極小の魔力の塊が放たれ《爆拳》と衝突する。そして見事にその場で爆発を起こす。だが相殺したわけではなかった。

アヴォロスの攻撃の方が強いらしく、そのまま真っ直ぐニッキへと魔力の塊が飛んでいく。

「危ないわニッキッ!?」

ニッキを抱えてその場から移動するヒメ。

「……逃がしはせぬ」

クイッとアヴォロスが指を動かすと、魔力の塊が避けたはずのヒメとニッキを追っていく。

「くっ!?」

ヒメも相手が攻撃の方向を変更することができることを考えていなかったようで、ギョッと表情を固まらせている。

「……死ね」

アヴォロスの攻撃が今まさにヒメたちに届く瞬間、バシュンッと魔力の塊が弾け飛ぶ。

「む……!」

弾いたのはカミュだった。その手に持った赤い砂でできた刀でニッキたちの危機を救うことに成功した。それを見たアヴォロスが感心するように目を開く。

「ほう、ならこれならどうする?」

アヴォロスの右手前方に巨大な魔力の塊が生み出される。

「一瞬であれほどの魔力を凝縮した!?」

ヒメの表情を見れば、それがいかに驚くべきことなのか一目瞭然。アヴォロスから放たれる魔力の塊がニッキたちに襲い掛かる。

「仕方ないわねっ! 目一杯力使ってしまうけど、ニッキ、もう一度私を宿しなさいっ!」

「わ、分かったですぞっ!」

目の前から迫ってくる攻撃を防ぐために、再度ニッキが腕に巻いているリボンへとヒメを宿そうとする――――――が、突如魔力の塊の向きが変化。

「……え?」

ニッキ、ヒメ、カミュの三人が呆気にとられつつも、塊が向かった先にあるものを視界に捉えて愕然とする。それはいまだに無防備なミュアとアノールドだった。

「始めからターゲットはそのガキと男だ」

アヴォロスの言葉が冷酷に響く。どうやらミュアたちを支援できないように、アヴォロスがニッキたちをミュアたちから離れさせるために、先程の攻撃をしたようだ。

まんまとそれにハマってしまい、ミュアたちから距離を取らされてしまったニッキたち。しかもアヴォロスの攻撃が自分たちに向いていると思い込んでいたために、ミュアたちへのカバーが遅れる。

その光景にミュアも目を奪われていた。正直安心していた部分もあったのだ。ニッキたちがアヴォロスを引きつけてくれているお蔭で、これ以上アノールドが傷つかなくて済むという事実に。

しかしアヴォロスの狙いは最初から自分たちだったということを知り、ミュアは絶望に顔色を染めてしまう。

「ミュ……ア……逃げろ……!」

アノールドが風穴の空いた身体を動かしてミュアの前に立つ。

「お、おじさんっ!」

ミュアは恐怖で身体が完全に硬直してしまっている。アノールドはミュアの前で両腕を広げるとニッと笑みを浮かべる。

「さあ来いや……俺の娘は誰にも傷つけさせねえっ!」

ミュアはドクンと心臓が脈打ち、スローに時間が流れるのを感じる。

(まただ……また守ってもらってる……。違うよ……これじゃダメなんだって! わたしは守られるために強くなろうとしてきたんじゃない! おじさんやヒイロさんの隣に立ちたくて頑張ってきたんじゃないの?)

それなのにまたアノールドに守られている。このままではアノールドは自分のせいで死んでしまう。ただでさえ深手を負っているというのに、あんな攻撃を受ければ確実にその命を散らしてしまう。

(……ダメ……。ダメだよ……もう二度と失いたくないもんっ!)

その瞬間、ミュアの身体が銀色に発光し、周囲を眩い光が覆う。

「何だ!?」

さすがのアヴォロスも理由が判明しないのか、眩しそうに目を細めているだけだ。しかしアヴォロスの攻撃は止まることはなく、ミュアたちがいる場所に向かうと爆発を引き起こした。

ニッキたちがミュアとアノールドの名を呼ぶ。爆煙が周囲を覆い、ミュアたちがどうなったのかを確認することができない。

しかし誰もがあの直撃を受けて無事だとは思っていない。次第に煙が晴れていき、その中から現れた光景にあのアヴォロスが言葉を失う。

「……う……? ……え? こ、これは――――――っ!?」

アノールドは強く閉じていた瞳を開け、前方に広がっている光景に驚く。何故ならアノールドの身体を何かが大きなものが覆っていたからだ。

それは銀色の粒子を放つ優しげな温もりを宿した翼だった。

「……おじさんは……わたしが守るんだもんっ!」

ミュアの頭に生えている耳が、大きな翼状に変化して、背後からアノールドの周囲を覆い隠している。

「ミュ……ミュア……? ……ぐっ!?」

「おじさんっ!」

バサァッと翼を広げて、倒れ込むアノールドを優しく包み込む。

「ミュア……お前……これは……」

「……わたしも良く分からない。だけど……守りたいって思ったら……」

ミュアの翼状に変化した耳を観察するように見つめるアヴォロスが、静かに口を開く。

「なるほど、《 銀耳翼(ぎんじよく) 》まで顕現できるようになっておるとはな。さすがは幼くとも『銀竜』か……」

再びアヴォロスがミュアたちに向けて、今度はアノールドが先程やられた刃状の魔力を伸ばしてくる。しかしミュアの空色の瞳は、真っ直ぐにそれを捉えていた。

(見える……!?)

ミュアもまた再度、《銀耳翼》を動かして防御すると、バチンッと魔力が弾かれた。

「ふむ、守りの『銀竜』と呼ばれるだけはあるな」

「はあはあはあ……ま、守り?」

《銀耳翼》を操作するのは思った以上に体力を消耗する。ミュアは肩で息をしながら問いかける。

「自らのことなのに知らぬのか? 無知なものだな。いいだろう、少し教授してやろう。貴様ら《三大獣人種》はそれぞれこう呼ばれておる。攻めの『虹鴉』、技の『金狐』、そして……守りの『銀竜』だ」

初めて聞くその説明にミュアは黙って耳を傾けていた。

「『銀竜』は守りに特化した種族。その翼はあらゆるものを祓い、あらゆるものを守護すると言われている。守護力の高さでは随一」

ミュアはゴクリと喉を鳴らすと、翼が徐々に小さくなっていくのを実感する。

「まだ、その力を完全に解放できていないようだがな」

「くっ……!」

「ここで目覚められても厄介だ。早々に散れ」

だが時間をかけたお蔭で、周囲の者たちもミュアたちを助けようとやってくる。しかしその者たちの頭上から魔神の尻尾が襲い掛かる。

またアヴォロスが無造作に魔力の塊を周囲へと放つせいで、その強大な威力によって吹き飛ばされてしまう者が多数出る。

「まずは貴様だ『銀竜』……このまま死んでゆけ」

ミュアは彼の禍々しく膨大な殺気を全身に受けて身を強張らせる。もう一度《銀耳翼》を使おうとするが、先程みたいに大きくはなってくれない。

このままではアノールドが死んでしまう。ミュアは彼の顔を見て――――――覚悟を決める。

「……何の真似だ?」

「おじさんは……絶対に死なせませんっ!」

ミュアはアノールドの前に立ち、先程彼がしたように両腕を広げている。

「……そのような小さき身体で何かが守れると思うなよ? 力は理不尽に、何もかも奪っていく。このようにな!」

今までとは桁が違うほどの魔力量を凝縮させた塊をミュアへと放ったアヴォロス。

(そ、そんな……っ!? こんなの……防ぎきれないっ!?)

自分の身一つで何とかできる類の代物ではなかった。ミュアはギリッと歯を食い縛りながらも、アノールドの身体を自分の身体で覆う。少しでも彼に与えられるダメージを少なくしようと努める。

しかし肌で感じる。このままアノールドと一緒に自分は死んでしまう可能性の高さを。迫りくる攻撃に対しミュアは、自分の無力感に苛まれる。

自分にもう少しだけ力があれば、何とかアノールドを助けられたかもしれない。

(ゴメンなさい……おじさん)

謝ることしかできない自分が悔しい。

(みんな……どうか無事に……)

願うことしかできない自分が歯痒い。

そしてふと、ある少年のことを想う。

(ヒイロさん……もう一度……会いたかったな……)

日色のことを想い、胸が熱くなってくる。そして死ねばもう二度と会えないのだと悟ると、急激に生きたいという気持ちが強くなってくる。

(……やっぱり死にたくないよ! 会いたい……ヒイロさんに会いたいよっ!)

彼ならば、きっといつものように面倒臭がりながらも助けてくれる。こんな危機的状況でも、まるでヒーローのように駆けつけて守ってくれる。

今までがそうだった。だからこそミュアは日色に願ってしまう。

(お願いヒイロさん……! 助けて……!)

ミュアは力いっぱい叫ぶ。

「ヒイロさぁぁぁぁぁぁぁんっ!」

刹那――――――――――――天から光の柱がミュアたちへと降り注いだ。

アヴォロスの魔力攻撃が光によって弾かれてしまう。

誰もが言葉を失う。突如として現れた謎の光。それがミュアたちを守った。だがそれ以上にミュアは驚いていた。

「――――――ったく、お前は相変わらず誰かを守って危機一髪だな」

目の前に立つ黒髪の少年。

「だが―――」

ミュアは涙が溢れる。それは間違いなく、心待ちにしていた男の子。

「――――――あとは任せろ、チビ」

ミュアのヒーローが登場した。