軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

179:ミュア、捕縛される

翌日、まだ朝靄が晴れ切っていない早朝、【ドーハスの橋】の近く、人間界に存在する関所の周囲に点在している岩陰に二人の人物が身を潜ませていた。

特徴としては闇色の衣を全身で覆っていることだろう。しかしそれぞれの表情は確認できる。一人はこの世界に勇者として召喚された青山大志。そしてもう一人は、白と黒のまだら模様の髪色を持つ獰猛な雰囲気を宿すコクロゥ・ケーニッヒである。

二人が何故この場所へ来ているのか。それはアヴォロスの命を全うするためだ。その命とは銀髪の少女、ミュア・カストレイアを拉致してくること。

二人は身を潜めながら、次々と関所を越えて人間界へ侵入してくる《奇跡連合軍》を目にする。早朝だというのに、一人一人の表情は引き締まっている。

油断を突こうと考えていた二人の思惑は外れてしまったようだ。前日に【ドーハスの橋】、【ムーティヒの橋】、両方の橋での攻防に勝利した《奇跡》なので、翌日は気持ちが緩んでいると踏んでいたコクロゥは、そうではなかったことに舌打ちを打つ。

「めんどくせえな。もう皆殺しでいいか?」

「待てよコクロゥ、そんな方法じゃ失敗する確率が高いだろ?」

大志が何も考えず突っ込もうとしているコクロゥを窘めるように言う。コクロゥは鬱陶しそうに顔をしかめる。

「はあ? 何お前? 偉そうに俺に意見か? ああ?」

まるでやくざのような絡みに大志は思わず後ずさりしてしまっているようだが、大志にしてもここで失敗するわけにはいかないので引くわけにはいかないのだ。

「頼むから聞いてくれ。俺たちが優先すべきなのはあの子の……誘拐だ」

大志の目の先に、目標であるミュアが映っている。彼女は隊長の一人であるイオニスと、保護者であるアノールドと一緒にいる。

「それがどうした? 全員ぶっ殺してその後捕まえりゃいいだけだろうが」

「そんな簡単に行かないよ! 昨日の戦いで大分相手の数が減ったといっても、俺たちが二人で相手するには厳しいものがある。それくらい分かるだろ?」

「……ちっ」

確かに大志の言う通り、《奇跡》の兵士たちは《醜悪な巨人》の出現のせいで大分数が削られたとはいえ、あれから増援もそれなりにやって来て補充している。

一騎当千を自負するコクロゥでも、実際にそれを行えるかといえば、この状況では無理がある。相手は千どころではないし、ミュア、イオニス、アノールド、クロウチなど、個人で相手しても厄介な力の持ち主だっているのだ。

全員で囲まれ一斉攻撃されてしまえば、さすがのコクロゥだって一溜まりもないはずだ。だからこそ、大志の言うことに反論できずコクロゥは目を背ける。

「ならどうするってんだ? アイツら相手に奇襲はできねえぞ?」

周囲を常に警戒しながら前へ進んでいる兵士たち。少しの異変でも感づけば素早く対処に動くだろうことは簡単に想像できる。

「…………俺が囮になる」

「……へぇ」

コクロゥが面白そうに口角を上げる。そして「どういうことだ?」と聞くと、大志は真面目な表情で口を動かす。

「冷静に見て、動きの素早いコクロゥが拉致に動いた方が賢い。お前は自由に動いて、相手の隙を俺が作るから確保してほしい」

「そんなことができんのか? 二人じゃ戦うのは厳しいってテメエが言ったんだぞ?」

「確かに、戦うんなら厳しいと思う。だけどあくまでも相手の気を引く陽動だ。でも隙だって一瞬かもしれない。そこを狙ってほしい」

コクロゥが感心するように目を開くと、

「ハハ、ずいぶんあの女のことが心配みてえだな。真剣じゃねえか」

「当たり前だ。千佳と元の世界に戻るためなら、俺は何だってしてやる」

「ククク、分かった分かった。そんじゃやるか」

「ああ」

大志はターゲットであるミュアを遠目から凝視すると、拳を強く握りしめた。

ミュア・カストレイアはイオニスから今後の動きに関して話し合っていた。傍にはアノールドもいる。しかし彼は骨付き肉に齧りつきながら周囲を警戒していた。

朝食をゆっくり堪能する時間なんてないからと言って、彼は立ちながら簡単に摂取できる食糧を口にしていた。朝から肉とはミュアは有り得ないと言うが、肉は力が付くと言ってアノールドは豪快に口を動かしていた。

ミュアとイオニスも、兵士が用意してくれた果実を手に、話しこんでいた。

「とりあえずあれだね、ここから部隊を三つに編成して、三方向からそれぞれ【ヴィクトリアス】に向かって進攻していけばいいんだね」

「そうなの。まだ人間界にはそこかしこにゾンビ兵が配備されてるはずなの。それらを殲滅しつつ国を目指すの」

そうして敵を掃除していき、人間界を攻略していくのだ。最後には全ての部隊が【ヴィクトリアス】に集結して、最後の砦を落とすということだ。

【ムーティヒの橋】でも同様に動く手筈なので、全てが上手くいけば砦を落とす頃には、人間界はほぼ掌握できているはずである。

「だけどイオちゃん、昨日からも増援来てるけど、少ないよね?」

「それはしょうがないの? 二つの国でとんでもないことが起きたの」

「あ、そうだったね……」

ミュアたちにも【魔国・ハーオス】と【獣王国・パシオン】の現状は情報として届いていた。特に【ハーオス】は、かなりの兵士が殉職し、増援が厳しいということだった。

【パシオン】にしても、国の宝であるミミルが誘拐されて、彼女を取り戻すための会議で増援部隊の編成が遅れてしまっていたのだ。

「ミミル……大丈夫だったらいいの」

イオニスもミミルとは友達である。彼女の安否を気遣っているのは当然だ。

不安気な表情を浮かべるイオニスの手をそっとミュアが自分の手で包む。そしてニコッと笑って、

「大丈夫だよイオちゃん」

「ミュア……」

「だってね……わたしたちにはとっても強い味方がいるんだもん!」

「……?」

その存在についてイオニスは幾人か思い浮かべたみたいだが、無論ミュアが考えている人物かどうかは定かではない。

「今は詳しいことは言えないけど、ミミルちゃんは必ず――――」

ミュアの声をかき消すような爆発が少し距離が離れている岩場から生まれる。緊張が一気に張りつめ、皆の警戒心が最高に高まる。

岩場は粉砕していて地面には炎が生まれていた。一体何がと、皆の脳内に疑問が現れているが、次の瞬間、誰かが「あそこに誰かいるぞ!」と叫んだ。

皆の視線が当然その方向に向かう。そこには黒衣を身に纏った人物が一人いた。フードを被っているので正体は分からない。だが感じられる敵意から間違いなく友好関係を結びにきたわけではないことは明白だった。

「敵襲だニャ! 一人だからって油断するニャ!」

クロウチの怒鳴り声に兵士たちが返事と同時に武器を構える。

「おじさん!」

「おう、食事を邪魔した礼をきっちりしてやらぁ!」

「ふふ、それってヒイロさんみたいだよ?」

「こらミュア! そんな悪口を教えた覚えはありません!」

「わ、悪口じゃないよぉ!」

「二人とも、気を引き締めるの」

イオニスに叱られ、ミュアとアノールドは恐縮するように頭を下げた。アノールドが前に立ち、ミュアとイオニスがすぐ後ろに並んでいる。

皆が皆、黒衣に対して怒りを込めた敵意をぶつけている。昨日殺された仲間の仇討ちでもとろうとする意気込みが感じられる。そしてイオニスもアノールドもそれは同様だった。

だがミュアだけは違う思いを心に宿していた。

(やっぱり来た。ヒイロさん、わたし、頑張ります!)

黒衣の人物をキッと見つめる。そして黒衣の人物も微かに首を動かした。そしてミュアは相手が自分を見たことを悟った。ゴクリと喉を鳴らすと、黒衣の右手から雷が前方にいる兵士へと放たれる。

しかしその威力は大したことはなく、兵士たちも魔法や《化装術》をぶつけて魔法を押し返している。

黒衣が軽やかに身を翻すと、関所の残骸に跳び乗り、皆の注目を浴びるように両手を広げている。まるで演劇でもしているような胡散臭さである。

そしてゆっくりと自分のフードをおもむろに剥いだ。

「見ろ! 俺は勇者! タイシ・アオヤマだっ!」

全員の視線を奪い、その言動で皆の動きを硬直させた。あまりにも突拍子な告白に、虚を突かれたように空気が固まる。そしてミュアもまた、嘘のような彼の姿に意識を縫い付けられていた。

だが刹那、首筋に刃物が突きつけられた。

「チェックメイトだ、銀髪小娘」

背後にいたのは、情報で教えてもらっていたコクロゥという人物だった。

コクロゥに背後をとられて身動きできなかったミュアだが、それに気づきイオニスや他の者もギョッとなり身体を硬直させていた中、ただ一人だけはすでに行動していた。

「おらぁぁぁっ!」

大剣を振り上げ、コクロゥの右方向から攻撃を繰り出したのはアノールド・オーシャンだった。

「――っ!? ちっ!」

コクロゥはミュアから離れて距離を取る。コクロゥがドンとミュアの背中を押した形になってしまったので、ミュアは小さく声を漏らしながらよろめく。

アノールドの剣は空を斬ることになったが、彼の思惑は達せられたようだ。

「ミュア、無事か!」

「え? あ、うん。大丈夫だよおじさん!」

しかしそこでミュアは少し複雑な表情を浮かべるが、それにはアノールドも「ん?」と気になったようだが、今はコクロゥに集中しなければならないので意識を彼に向け直している。

「ちっ、テメエ、よくもやりやがったな」

コクロゥは忌々しげにアノールドを睨みつけている。そこへ大志もやって来る。

「へんっ! てめえらのやり方は分かってんだよ! どうせミュアを狙ってきたんだろ? だからずっと警戒してたんだよ! ざまあみやがれ!」

実際にアノールドがミュアからずっと離れなかったのは、いつでも彼女をフォローでき、守れる距離を保つためだった。

日色からミュアがもしかしたらこの戦争で狙われるかもしれないと、アノールドは聞いた時から、絶対に彼女から必要以上に離れないことを決めていたようだ。

だから今回、黒衣の人物が一人で現れた時、アノールドの脳裏には奇妙な違和感が走ったのだろう。何故ならこの人数を相手に戦う数ではないからだ。

つまり他に目的があると踏んだのだ。ならその目的とは? ハッキリしたことは分からないが、アノールドはミュアが狙われていると仮定して警戒していた、それだけのことである。

「ど、どうするんだコクロゥ?」

大志が不安気にコクロゥの名を呼ぶ。

「そっか、コイツがコクロゥ……確かに情報通りの人相だな」

アノールドは事前に報せてもらっていたコクロゥの情報と重なる青年を観察するように見る。

「てめえが、獣人の裏切り者ってか?」

「はあ? 何調子くれてんだオッサン? 殺すぞ?」

馬鹿みたいに抑えることを知らない殺気がコクロゥから迸る。さすがに先代獣王を手にかけ、レオウードからも逃げおおせている実力者。殺気だけで兵士たちを退かせている。

少しでも油断を見せれば殺される。そんな思いがその場にいる者たちの脳内を駆け巡っているだろう。

「くらうニャッ!」

突然コクロゥの足元から黒い手が彼を捕まえようと伸びてくる。しかし十分な反射神経でコクロゥは後ろへと下がって紙一重でかわし、しかも手に持っている刀で瞬時に黒い手を斬り裂いた。

「う~避けられたニャ~!」

悔しそうに地面を踏むのはクロウチだった。そんなクロウチを見てコクロゥは不敵な笑みを浮かべる。

「へぇ、テメエが今の《三獣士》ってか? ずいぶんひ弱そうな奴だなおい」

「ニャ、ニャんだって!?」

聞き捨てならないといった感じで憤りを露わにするクロウチ。

「昔の《三獣士》はもっと強かった。テメエのはただのお遊びだ」

「う~レオウード様を裏切ったこと、後悔させてやるニャ! 《闇夜転化》っ!」

瞬間、クロウチの身体が闇に包まれ形態を失う。まるで自由に動く闇そのものになったクロウチはそのままコクロゥへと突っ込む。

「お前だけは許さニャいのニャ!」

大志は巻き添えにならないようにその場から距離を取るが、コクロゥは平然と立ち尽くしている。そして確かに彼の口元が三日月に歪む。

「へっ、ホントの《闇の転化》ってのを教えてやらぁ」

「―――ニャ?」

突然莫大に膨れ上がる威圧感と殺気。それがコクロゥから放出されていることは明らか。その迫力は、突貫しようとしたクロウチの足を止めるほどのものだった。

「ククク……見ろ、これが俺の《転化》…………《暗黒転化》だ」

それは鬼の形を模ったような恐ろしい闇色の物体。コクロゥの身体から溢れ出ている闇が、それを生み出し眼下にいる者全てを見下ろしていた。

「デ、デカいニャ……」

見上げるほど広がっている闇に、クロウチだけでなく獣人の兵士たちは皆一様に言葉を失っている。恐らくコクロゥのような《転化》を見たことがないのだろう。

するとその広がった闇で作られた鬼がのっそりと動き出し、口を大きく開けると、そこから幾本もの触手が放たれてくる。

「ニャッ!?」

その触手は四方八方に飛び、無論クロウチにも迫ってきている。咄嗟にクロウチは自身の影の中に入り込み回避に成功するが、他の者はそうではない。

触手に掴まれた兵士が数人、鬼の口に呑み込まれていった。鬼は美味そうに口を動かして口元から鮮血を垂れ流し皆の恐怖を煽る。

皆はその鬼に視線を奪われて固まっていたが、コクロゥはその時、顔をしかめていた。

「お、おいどうしたんだコクロゥ?」

大志がコクロゥの様子を不自然に感じたようで声をかける……が、コクロゥは舌打ちをすると、

「おい勇者、作戦変更だ」

「え?」

「俺が奴らを引きつける。その間に小娘を奪え」

「え? で、でもこの触手ならあの子も奪えるんじゃ?」

大志は自ら動くより、無数の触手でミュアを捉えた方が効率が良いし確実だと思っているようだ。

「うるせえな、コイツはあんま言うこと聞かねえんだよ。いいからさっさと行ってこい」

「そ、それじゃ俺が危ないじゃないか! 嫌だぞ、こんな奴に食われるのは!」

「安心しやがれ。それくらいは制御できらぁ。いいからさっさと行けや愚図」

コクロゥの物言いにカチンと大志はくるものがあったのか、歯をギリッと噛むが、彼の本懐もミュアを拉致することなので仕方無く行動する。

「ミュア! 俺から離れんなよっ!」

「う、うん」

「? な、何か気になることでもあるのかミュア?」

「え? ううん、別に何もないよ?」

「そ、そっか? なら絶対離れんなよ!」

「うん」

しかしミュアは複雑な表情をまたも浮かべる。この状況はミュアにとって今後の行動に重要な場面だった。だが兵士がコクロゥに殺されたことで、自分の考えを素早く実行しなければという思いが加速した。

「おじさん! 危ない!」

「ミュア! 何を!?」

突然ミュアに背後から押されたアノールドは、地面に伏してしまう。すると前方から触手がミュアの身体に巻き付く。

「ミュア!? ちっきしょうがっ!」

アノールドは即座に立ち上がり大剣で触手を斬った。

「おじさん!」

「ミュア、早くコッチに!」

その時、アノールドの前方から大志が突っ込んできた。互いに剣を合わせ火花を散らせる。

「その子はもらうよっ!」

「さ、させっかよガキがっ!」

アノールドは額に血管を浮かび上がらせながら言葉を吐く。

「コッチだって必死なんだ! 悪いけど、諦めてくれ! セイントシールッ!」

大志は鍔迫り合いの中、魔法名を口にする。すると大志の身体から眩い光が放たれ、それがアノールドの身体を覆っていく。

「ちっ! 何だよコレは!?」

「よし! 上手くいった!」

大志は喜んでいるようだが、アノールドは構わず剣を構えると、

「《風陣爆爪》ぉぉっ!」

下から大剣を突き上げるように動かすが、何も起きずただ空気を斬り裂いただけだった。

「な、何でだ!?」

思った通りの効果が起きなかったことに驚いているアノールドの隙を大志が突く。剣を突き上げてがら空きになっている右脇腹目掛けて剣を一閃する大志。

「ぐわあっ!?」

アノールドの脇から血が噴き出る。

「おじさんっ!」

ミュアは即座に地面に倒れたアノールドに駆け寄る。彼の脇から流れ出ている血液はかなりのものだった。もしかしたら骨にまで達しているかもしれない。

大志が段々近づいてくる。このままではアノールドにトドメをさせられる。

「おい勇者! さっさとそいつを始末して小娘をさらってきやがれ!」

コクロゥの言葉を聞いてミュアは青ざめる。そして大志が一歩近づいた瞬間、

「行きますっ!」

ミュアは立ち上がり、大志に向かって宣言した。

「ミュア……お前何を……」

アノールドは痛みに顔を歪めながらも、ミュアの言ったことが信じられないようで愕然とした表情を浮かべている。しかしミュアはジッと大志から顔を背けずに続ける。

「あなたたちはわたしが狙いなんですよね? だったらわたしは大人しくついていきますので、どうかこれ以上、みんなを傷つけないで下さい! お願いします!」

ミュアの懇願に、大志はホッと胸を撫で下ろす。そして彼がコクロゥに目配せすると、

「だったらとっとと連れて来い勇者。こっちもしんどいんだよ!」

「わ、分かったよ!」

大志が近づこうとした時、驚いたことに重傷であるはずのアノールドが立ち上がり大志の前に立ち塞がった。

「お、おじさん!?」

「ミュアは……渡さねえぞ」

睨みだけで人を殺せるような視線を大志にぶつける。大志もさすがにたじろぎ、どうしたらいいか戸惑っている様子だ。

「ちっ! だったらテメエから死ねやっ!」

突然触手がアノールド目掛けて飛んでくる。彼の身体に巻き付くと、そのまま鬼の口へ持っていかれる。しかしそこでミュアが叫んだ。

「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

ピタリと止まった触手。何故ならミュアが自分の武器であるチャクラムの《回迅》を首元に当てていたのだから。

「……何のつもりだ小娘?」

「あ、あなたたちはわたしを連れて行くことが目的ですよね? それは死んだままでもいいんでしょうか?」

「ミュ……ア……」

その光景はアノールドだけでなく、他の者まで制止させるほどの覚悟が映っていた。

「コ、コクロゥ?」

大志も困惑気味に問いかける。

「…………ちっ、だが保険だ。お前がコッチへ来るまでコイツは手放さねえぜ?」

「それで構いません」

ミュアはゆっくりと足を動かしコクロゥのもとへと向かう。そしてミュアはコクロゥが手を伸ばせば触れられるところまでやって来た。

「これでいいはずです。おじさんを離して下さい」

「……へっ、やなこった」

「っ!?」

コクロゥは触手を動かして鬼の口へとアノールドを放り込もうとした。しかし、またもピタリと止まる。

「テ、テメエ……」

コクロゥが悔しげにミュアを睨みつける。何故ならミュアの首からかなりの血が流れているからだ。

「ちっ、どうやら本気か……めんどくせえ」

触手を動かしてアノールドを地面へと放り投げた。

「おじさん! ら、乱暴にしないで下さいっ!」

「うるせえ! 当初の約束は守ってやった! おら勇者、帰るぞ!」

「あ、ああ」

大志は懐から青い石である《転移石》を取り出す。しかも三つある。

「に、逃がすニャ! ミュアを奪い返すニャ!」

「そうなの! 絶対取り返すの!」

クロウチとイオニスが兵士たちに命令を出す……が、今度はコクロゥの持つ刀がミュアの首筋に当てられる。

「近づくなよ? 確かにコイツを連れ帰ることが目的だけどな、もしテメエらが何かしようってんなら、しょうがねえ、コイツをここで殺して俺らはおさらばだ」

コクロゥのその言葉に《奇跡連合軍》の動きが止まる。

「ひ、卑怯者なの……」

「う~ニャ~」

イオニスとクロウチも、ミュアのことを仲間だと思っている。それは兵士たちもそうだ。とりわけ獣人の兵士の中には、彼女の姿に癒しを感じている者たちだっている。

そんな彼女を犠牲にして攻撃することなどできないのだ。よしんば攻撃したとしても、ミュアが殺されて彼らは転移で逃げる。何も得るものがなく、失うものが多い。

だからこそ下手に動けずにいるのだ。

そんな中、吹き飛ばされたはずのアノールドが身体から盛大に血を流しながら歩いてきていた。

「おじさん! もうじっとしてて!」

「ミュア……助けてやる……俺が……俺は…………お前の父親代わりなんだ」

「おじさん……」

「アイツに託された……大切な……」

アノールドは震える手を前に出し、何かを掴もうと必死で動かす。そんなアノールドを見て、ミュアは嬉しそうに笑みを浮かべる。

「おじさん、ごめんね。でも安心して……きっと、大丈夫だから」

「……ミュ……ア?」

ミュアの言った真意を理解できていないのか、アノールドは眉をひそめている。パリンと石が割れる音がして、ミュアたちは光に包まれる。

「ミュ、ミュア!」

その時、アノールドは確かにミュアが口パクでこう伝えたのを知る。

『ヒイロさんが知ってる』

アノールドはブラックアウトする寸前に、「あのクソガキが……何を……」と呟いた。

早朝にミュアが《マタル・デウス》に攫われたことを一早く本人であるミュアから教えられた。きっと隙を見て《ボンドリング》に魔力を流して念話をしてきたのだろう。

あまり話す時間がミュアには無かったらしく、要点だけ伝えてもらった日色は、アノールドが恐らく怒っているという話を聞いて面倒そうに溜め息を漏らしていた。

本当は誰にも話さずに作戦を実行してほしかったが、アノールドの必死な姿を見て、堪らずミュアは日色が全てを知っていると教えてしまったようだ。

そう、ミュアが《マタル・デウス》に拉致されるという事実は、日色が望んでいたことだった。だからこそ、彼女と連絡を取った時に、できるだけ不自然に見えない程度に相手に捕縛されてほしいと日色はミュアに頼んだのだ。

ミュアも最初はその理由が分からなかったと思うが、日色の今後の策を話すと危険だがやる価値はあると判断してくれて了承した。

だがスムーズに拉致されるというのも難しい話ではある。事実、アノールドがミュアの様子にどこか不自然さを感じていたとミュアから聞いた。

恐らく次にアノールドと会った時、ガミガミと追及されそうだということに辟易する思いだった。

(だがこれで……)

日色は右手に身に付けられた《ボンドリング》を凝視する。

(あとはより効果的な場面を見計らうだけだな)

話はミュア、ミミルともに通してある。こちらから向こうの状況を詳しく知ることはできないが、そこはミュアたちがしっかりと働いてくれるだろうと考えている。

それにレオウードにしてもアノールドにしても、あれだけ必死に彼女たちを救おうと躍起になった。その事実が、《マタル・デウス》に……アヴォロスに違和感なく仕込みを行うことができた。

もし今後のことを話していれば、敵が違和感を感じたかもしれない。だが何も知らないアノールドたちが必死になってくれたお蔭で、ミミルとミュアが攫われたのは、《奇跡連合軍》として予想外だという認識を敵に植えつけることができた。

「……ヒイロ」

客室のベッドに座っていた日色に背後から声をかけたのはリリィンだった。

「赤ロリか、何だ?」

「二日目、貴様はどう動くつもりだ?」

「そうだな。次にアイツらから連絡があった時、その時がオレが動く時だ」

「ほう、それまで座して待つ……か?」

「ああ、お前はどうするんだ?」

「変わらんさ。ワタシは貴様のサポートに動く、それだけだ」

「……そうか、ならコレをお前に渡しておく」

そう言いながら日色が彼女に手渡したものは……

「き、貴様……これは…………《ボンドリング》ではないか!」

しかも日色はすでに右腕に嵌めている。日色の話では《ボンドリング》は三つしか作れなかったと聞いていたリリィンが、四つ目があることに驚いているのだ。

「オレの魔法で複製した」

日色は《ボンドリング》を使った作戦を思いついた時、すぐに『複製』の文字を使って同じものを作ったのだ。

「貴様……こんな便利なものがあるならもっと早く作って、全員に渡しておいた方が良かったのではないか?」

リリィンの言い分は尤もだ。《ボンドリング》は少ない魔力で、同じものを身に付けている者とならどこでも意思疎通が図れる。それにまだ特殊な能力だってあるのだ。《奇跡連合軍》全員に渡しておけば最高の武器にもなる。

しかし日色は首を振って否定する。

「いや、いろいろ試したが、二つ以上複製しても、効果までそのまま複製できるのは一つだけだった。それにその一つも一度使えば粉々になる。恐らくこれも《文字魔法》の制限の一つだろうが、効果の強いものは早々簡単に量産できないってことだ」

「む……なるほど」

「まあ、それでも一つだけはまともに使えるものができあがるんだ。使えば壊れるが、それでも使えるなら使う」

「……何故ワタシなんだ?」

「お前なら信頼できると踏んだ」

「そ、そうか」

若干頬を染めるリリィン。

「今回の作戦、上手くいけば相当相手に大打撃を与えることができるはずだ。だがそれにはやはり強さがいる」

「ふむ」

「その強さという点において、オレの知る限りお前が最も信頼できる」

「ほう、どこぞの『最強』を欲しいままにしているノッポと違ってか?」

それはアクウィナスのことを言っているのだろう。

「赤髪か……確かにアイツは強いが、この城を離れるわけにもいかないし、それにアイツは強いだろうが、それほど知った仲じゃない」

「…………」

「お前なら、背中ぐらいは任せられる」

「ヒ、ヒイロ…………ククク」

突然身体を震わせ始めたリリィン。それを訝しく思い日色は、

「どうした? トイレは向こうだぞ?」

「ち、違うわ馬鹿者っ! ワタシは嬉しくてだな!」

「嬉しい?」

「……あ!?」

顔を染め上げた瞬間、その顔を見られないように背中を向けてくるリリィン。

「お、おい赤ロリ?」

「と、とにかくだな! 貴様はワタシに頼ってるわけだな!」

「ん? まあ、お前が適任だと思ったからな」

「ふ~ん、そ~かそ~か。なるほどな~」

リリィンの口元が完全に緩んでいるのだが、日色からはそれを確認できない。するとバッと振り返ったリリィンが日色を指差す。

「よ~し! そこまで言うのであればこのリリィン・リ・レイシス・レッドローズが手を貸してやろう!」

何がそんなに嬉しいのか高笑いを始めたリリィンの正気を疑ってしまうが、どうやら問題なく策を進められるようなので安堵した。

「なら今後の作戦を言うからちゃんと聞けよ」

「フン、言われるまでもないわ!」

無い胸を張りながら、不敵な笑みを浮かべるリリィン。日色は彼女に今後の行動について丁寧に説明し始めた。

「ミミルちゃん!?」

「ミュアちゃん!?」

邂逅した二人。ミュアは、ミミルが囚われていた客室に連れられてきていた。バタンと扉が閉まり、二人だけになった室内で、ミュアはミミルの無事を心から喜んでいた。

「良かったよぉ~ミミルちゃん!」

「はい。ヒイロ様にお聞きしてましたけど、ミュアちゃんも無事で嬉しいです!」

二人は手を取り合って微笑みを交わしていた。そしてミュアはすぐに真剣な表情を作ると、

「ミミルちゃん、これからのこと、聞いてるよね?」

「はい。とはいっても、ミミルたちができることは少ないですが……」

「そんなことないよ! だってもし上手くいったら、後手に回っていたわたしたちだけど、先手に回れるんだもん!」

「そ、そうですね。あとはタイミングを見計らうだけ……です」

「う、うん。きっとその時はやってくるよ。それに……」

ミュアは周囲を窺うように顔を動かす。そしてピコピコッと銀の耳を可愛らしく動かす。

「やっぱりこの部屋は《化装術》が使えないようになってるみたいだね」

「はい。恐らく脱出防止のためでしょうが……。それにここから出る時は魔法や《化装術》が使えないように手錠が嵌められます」

「うん。やっぱりヒイロさんの推測通りだね」

ミュアは日色から、捕まったらそのような制限を受けるだろうと教えられていた。普通なら《化装術》を生み出す腕輪そのものを取り除けば一番良いのだが、一度覚醒したら肌と結合してしまい取れないのだ。

「ヒイロ様の作戦……上手くいくでしょうか?」

「それは分からないよ……だけど、上手くいくって信じるんだよミミルちゃん!」

「そ、そうですね! ごめんなさい。ずっと一人だったから弱気になってしまっていました」

苦笑を浮かべるミミルの両手を優しく自分の両手で包むミュア。

「ううん、不安なのはしょうがないよ。だけど信じよう! ヒイロさんなら……必ずわたしたちを迎えに来てくれるって」

「はい!」

「それまでお話しよ! ミミルちゃん!」

そこからしばらくミュアとミミルは話し合った。特に自分たちが捕まった理由についてだ。ミュアは日色から、自分が『銀竜』という種族だから狙われたことを教えられていた。

それももちろん驚いたが、やはりミミルの理由が一番驚愕した。

まさかミミルが『精霊の母』と呼ばれる存在の転生体だとはさすがに予測できなかった。当然彼女が『精霊』と深く関係した少女だということは何となく気づいていたが、それでも仰天すべき事実だった。

しかし彼女が何者であろうと、ミュアの親友なのは間違いない。そしてミミルもミュアが、伝説の『獣人族』である『銀竜』の生き残りだと聞いても、少しも態度は変わらなかった。

いや、それどころかカッコ良いとさえ言ってくれたことに、ミュアは照れ臭さと嬉しさを感じていた。

そうしてさらに友情が深まっていく中、トントンと扉がノックされ、二人の表情が強張った。

ギ~ッとゆっくり音を立てて開く扉。そこから現れたのは、見たこともない男性だった。見た目は三十代くらいだろうか。

黒いサングラスをして、髪がボサボサであり、何故か申し訳なさそうに苦笑を浮かべながらミュアたちを見つめていた。

「よぉ、嬢ちゃんたち、ちょっち話いいか?」

突然現れた胡散臭そうな男に身を固めるミュアとミミル。しかし男は自分には敵意は無いといった具合に両手を上げて笑みを浮かべる。

「突然悪いな。そう警戒しねえでくれっか? さっきも言ったけど、ただ話をしにきただけなんだよな。危害を加えるつもりはねえって」

そう言われてもミュアたちは信じることはできない。ここは敵地のど真ん中であり、ミミルは覚えていないだろうが、彼はミミルを攫った人物の一人なのだ。

そしてミュアは敵の情報を【魔国・ハーオス】と共有しているので、彼が何者なのか知っていた。

かつて【平和の雫】と呼ばれるギルドパーティのリーダーであった、現ギルドマスターであるジュドム・ランカースの憧れの人物。名前はキルツ・バジリックス。

恐らく彼がアヴォロスの手によって操られている死人だという可能性が高いということも情報としてあったのを思い出す、増々警戒度を高める。

いつまでも警戒を緩めないミュアたちを見て、キルツは苦笑を浮かべながら大きく溜め息を吐く。そしてゆっくりと上げていた両手を下げて、ポケットに手を入れる。

そして部屋の扉を後ろ手に閉めると、サングラスを懐にしまい頭を下げてきた。

「すまねえな、嬢ちゃんたち」

彼の思わぬ行動に、ミュアたちは困惑する。何故彼が謝るのか理由が分からなかったからだ。

「言い訳はしねえ。嬢ちゃんたちが捕まったのは、俺のせいだからな」

ミュアとミミルは彼の瞳を見てハッとなる。サングラスで確認できなかったが、その瞳はとても澄んでいて、とても操られているとは思えない……いや、アヴォロスに与する者の瞳とは思えないほど清らかさを宿していた。

また本当に申し訳なく思っているようで、悲しげに眉をひそませていた。その表情を見て、増々戸惑いが強くなっていく。

ミュアとミミルは互いに顔を合わせて、とりあえず話を聞いてみようかという結論に至る。しかし彼にはそれ以上近づかないように厳命した。

「サンキュ~な嬢ちゃんたち!」

許可を得ると、嬉しそうに顔を綻ばせるキルツ。キルツは椅子に腰かけると、まず確認するかのように二人を見てくる。そしてその視線がジッとミュアに固まる。

「な、何でしょうか?」

ミュアが少し怯えながら言う。キルツはフッと息を溢すと、

「似てんなぁ、さすがはギンとニニアの娘だけあるわな」

「っ!?」

ミュアは全身が強張る。何故彼が父親と母親の名前を知っているのか不思議に思った。何故なら日色にさえ自ら教えたことなどないのだ。知っているのはアノールドだけだとミュア自身思っていた。

「あ、あなたはお父さんたちを……?」

「ああ、知ってんぜ」

「…………ほ、ほんとなんですか?」

「疑うのも無理はねえよなぁ。今の俺はこんな最低の立場にいるんだしよぉ」

その言葉に違和感を覚えたミュア。《マタル・デウス》は全員が悪だと言われている。少なくとも、自覚を持っている者は望んでアヴォロスの下にいると。

だが先程のキルツの発言は、その条件の外にいるものの言葉である。無論、今の彼が嘘を……演技をしているという可能性だってある。だからミュアは尋ねる。

「あ、あなたは死人……なんですよね?」

「あ? そう見えっか?」

「え? 違うんですか?」

「いや、死人……なんだろうな」

キルツは自分の手を開いてジッと見つめている。

「嘆くことも、喚くことも、抗うこともできない……か。ああ、死人と同じだ」

彼の瞳の奥に見えた暗い悲しみ。それは決して演技などでできる瞳ではなかった。そしてそれはミミルもまた同じようで、二人して顔を合わせると互いに意思を同じくしたように頷き合う。

彼は望んで《マタル・デウス》に所属しているわけではない。それが分かったのだ。

「あ、あの、お父さんたちとはどこで?」

「ん? 俺が若え頃……っつっても、今の身形じゃ分かんねえかもしんねえけど、俺が二十代の頃に、【リンツ】っつう山の中にある小さな小屋で銀の髪を持つ男と女に会った」

その言葉で、間違いなく彼が父と母を知っていると判断した。【リンツ】というのは、ミュアが生まれた山の名前だからだ。

【リンツの山】。人里離れており、モンスターも豊富なので、人間は滅多に【リンツ】には寄りつかない。

だからこそ、獣人であり、しかも伝説の種族である『銀竜』が隠れ住むにはもってこいの場所なのである。

「ちょいと任務で失敗しちまってな。怪我を負って【リンツ】に入った時倒れちまった。そん時に世話になったのがお前さんの両親だ。アイツらは俺が人間だってことに気づきながらも、怪我を手当てしてくれた」

「…………」

「もし俺が獣人排斥派だったら、そこで人生終わっちまったかもしれねえのに、アイツらは献身的に看病してくれた…………俺の恩人だ」

するとキルツは歯を噛み締め拳を震わせ始めた。

「だからこそ、すまねえ。嬢ちゃんを守らなきゃなんねえ立場なのに、俺はそれができねえ」

ギリギリと歯を鳴らすキルツ。だがキルツが両親と出会い、自分が生まれてもまだあそこにいたという事実は、彼がそこから出ていっても誰にも居場所を報せなかったということだ。

「どうして……お父さんたちの居場所を国に報告したりしなかったんですか? そうすれば恐らく……」

『銀竜』を捕らえたとあっては、出世間違い無しだろう。地位も名誉も金も、その時に好きなだけの高みを得られたはずだ。

「ハハ、できっかよ。俺はそもそも……『獣人族』や『魔人族』が大好きなんだわ」

「え?」

「いや、人……だな。俺は人が好きだ。馬鹿で愚かで狡い人って生き物が好きなんだわ」

「どうしてそこまで? 普通の人は種族が違うだけで偏見を持ちますのに……」

そう尋ねたのは今まで黙っていたミミルだった。

「確か、ミミルだっけか?」

「は、はい」

「ならミミル、偏見はそんなに悪いことか?」

「え?」

「だってよ、偏見ってのは勝手なイメージってことだろ? それってよ、誰だって持つじゃねえか。まだ会ってもいない奴に対して、いろんな偏ったイメージを持つのは至極当然だぜ? 人ってのは流される生き物だ。周りの情報につられて、偏見を持っちまうのは自然なんだ」

キルツの言い分は理解できる。そもそも未知の相手に対して、凝り固まった情報しか周りに無いのであれば、やはりそれに影響されるのは仕方が無い。先入観を持つなとはよく言うが、それはやはり難しいものがある。

「で、でも良いか悪いか問われれば、やはり偏った見方は悪いかと思いますが」

「だからこそ、人は実際に会って、そして対話するべきなんだよ」

「……!」

「そうすりゃ、そいつの本質だって分かる。偏見も、そこで修正すりゃいいだけだ。けどよ、人はいつからか対話をしねえようになった。だから偏った思考が世界に溢れ、それを信じ切り、結果的に分かり合えず衝突しちまう。それが……戦争だ」

彼の口から出た言葉には重みがあった。恐らくそういったことを何度も経験した者にしか出せない重い言葉だった。ミュアが言っても、これほどの重さを相手に伝わらせることはできないだろう。

「人は対話をするべきだ。戦争なんてもんは、その対話を怠った所以に生まれた結果に過ぎねえ。そろそろ人も、学ぶべきなんだよ。何が世界にとって大切なのかをな」

「…………分かります。ミミルは……歌うことが大好きです。一つ一つの言葉を、聞いて頂ける方の心に届くようにいつも歌っています。言葉は心に届かなければ意味がありません。そして、心に届けば、その言葉は心を動かしてくれます」

「ハハ、さっすがは『精霊の母』。言うことが違うねぇ」

嬉しそうにカカカと笑いながらキルツは立ち上がりサングラスをかける。そして微笑を浮かべたまま、キルツは言う。

「今すぐにでも、お前さんたちを脱出させてやりてえが、俺にはできねえ。けどよ、何とか少しでも時間を稼げることはできっかもしれねえ。すまねえな、そんくれえのことしかできねえで」

ミュアとミミルは同時に頭を横に振る。そしてニコッと笑顔を彼に向ける。

「「大丈夫です!」」

「……は?」

「「だって、信じてますから!」」

そんな二人の瞳には一片の揺らぎもなかった。ただただ信じている。それだけが込められている。キルツは頬を緩めて目を閉じる。

「そっか。なら、俺も信じてみるとするか。嬢ちゃんたちの信じてるもんをよ」

「「はい!」」

キルツは扉へと一歩踏み出すが、ふと足を止め、

「あ、名乗ってなかったな。俺はキルツだ。キルツ・バジリックス」

「ミュ、ミュア・カストレイアです」

「ミミル・キングです」

「うん、良い名前だ。ああそうだ、ミュア」

「はい?」

キルツは目を細めて観察するようにミュアを見つめてから言う。

「……まだ覚醒はしてねえみてえだけどよ、自分の力に呑み込まれんなよ? それこそ、自分を信じろ」

「……ありがとうございますキルツさん!」

「ハハ、ありがとう……か。やっぱ、良い言葉だ」

キルツはそれだけ言うと部屋から立ち去っていった。

「…………あんな人も利用するなんて、やっぱり許せないねミミルちゃん」

キルツの人の好さは嫌というほど感じた。彼が本当にミュアたちを気遣ってくれていたのも伝わってきていた。きっと彼は戦うことが嫌いなとても優しい人なのだ。

「そうですね。ですが、きっと……あの方にも救いはあるはずです。ミミルはそう信じます」

「……うん、そうだねミミルちゃん!」

「だから、今はあの方のために歌を歌いたいと思います」

「うん! それがいいよ!」

ミミルは祈るように両手を組むと、綺麗な歌声を室内に響かせた。二人は気づいていなかったが、扉の向こう側にはまだキルツが立っていた。そしてミミルの歌声を聴き、彼は穏やかに笑った。

「ありがとよ、ミミル、ミュア」

キルツは歌に心地好さを感じながら通路を歩き始めた。