軽量なろうリーダー

伯爵夫人は、ほがらかに爪を研ぐ

作者: 琥珀

本文

秋の夜、王都一の社交場「モンド」はごった返していた。

毎年恒例の、慈善舞踏会が開かれているのだ。

ちょうど社交シーズンの幕開けとなる時期で、貴族たちが一斉に王都に戻ってきたところ。

チケットの一般発売もする会だから、大変な混雑だ。

新婚旅行から帰ってきたばかりのアドリアーナは、夫のリュシアンのエスコートで、舞踏室に入った。

今日は、二人は、アドリアーナの父母と一緒に「モンド」に来た。

だが、一通り挨拶したあとは、父は紳士たちが陣取る喫煙室に、母は夫人たちがおしゃべりを楽しむ談話室にと、いつものように自然に分かれたので、アドリアーナはリュシアンと踊りに行くことにしたのだ。

アドリアーナの父は、ベルモン伯爵エティエンヌ。

銀髪で背がすらりと高く、いつも片眼鏡をかけた貴族院議員で、役職などにはつかない「孤高の論客」として知られている。

母は伯爵夫人、ヴィオレット。

小柄でふくよか、栗色の髪を柔らかく結った、人当たりのいい貴婦人だ。

父に似ているとよく言われる、銀髪で背が高く、顔立ちも鋭い印象のアドリアーナは一人娘。

伯爵家の領地は、穀倉地帯として知られる豊かな土地だから、アドリアーナは、貴族の三男四男など継ぐ爵位がない貴公子達にモテた。

特に、子供の頃から交流していた、父と親しい保守派の貴族の子息たちは、自分こそがアドリアーナの夫になるのだと決め込んで、鬱陶しいほど。

父は、幼馴染の誰かを婿にしたいようだったが、正直、連中の底の浅さにはうんざりしていた。

教養ある紳士らしく、古典文学の見栄えのするところを会話に織り込んだりしてきはするのだが、アドリアーナがなにか引用しても、全然気づかない。

そこそこに見栄えが良く、教養もあり、乗馬やスポーツにも秀でているように見せて、実のところ『引用辞典』で目立つセリフを丸覚えしているだけなのだ。

幼い頃から、週に一度、アドリアーナは、書斎に呼ばれ、父の前で古典文学の一節を暗誦させられてきた。

アドリアーナが暗誦すると、父が鑑賞のポイントや歴史的背景を解説し、次の課題を出してくるので、また翌週までに家庭教師と一緒に準備する。

そうやって、時間をかけて身体に教養を染み込ませてきたアドリアーナにとって、上っ面だけの教養など、唾棄すべきものでしかなかった。

しかし、婿は取らなければならない。

どうしたものかと悩んでいた時に、友人に誘われて行ったサロンで出会ったのが、4歳年上のリュシアンだ。

侯爵の甥であるリュシアンは、当時、数学を専攻している大学生だった。

最初の印象は、いつもにこにこして、皆の話を聞いている、穏やかな方──くらいだったが、アドリアーナがややマイナーな古代叙事詩の一節を無意識に引用した時に、お?と反応して視線を向けてきた。

聞けば、子供の頃から古代叙事詩が好きで、よく読んでいたとのこと。

音楽や演劇の好み、時流の見立て方も似ていて、あっという間に意気投合してしまった。

リュシアンの声は深みがあり、美しい。

数学はさっぱりなアドリアーナだが、リュシアンの説明で、初めて数式の美しさをほんの少し理解することができた。

気がついたら、アドリアーナはリュシアンに恋をしてしまった。

男性としてはやや小柄なリュシアンだが、アドリアーナの背の高さは気にしていないよう。

婚約していないし、気になる女性もいないようだ。

アドリアーナに向けてくれる眼には、確かに熱がこもっている。

だが、アドリアーナは例の幼馴染たちの誰かと結婚するものだと、リュシアンも思っているらしく、一歩引いた態度を崩すことはなかった。

リュシアンの伯父である侯爵は、革新寄りの中道という立ち位置。

表立って敵対しているわけではないが、父がリュシアンを婿として歓迎するとは思えない。

悩んだあげく、アドリアーナは母に打ち明けた。

「あらあら、そんなことになっていたのね」と母は笑い、「大丈夫、なるようになるわよ」と言ってくれた。

そうは言っても、どう「なるようになる」のだろうと思っていたら、一月もたたずに、アドリアーナは公爵夫人のサロンに招かれた。

そして、なぜか同時に招かれていたリュシアンと、「公爵夫人の引き合わせで出会った」ことになった。

公爵夫人は、現国王の姉。

趣味は仲人で、既に3桁を超えるカップルを結婚させた、縁談モンスターとして知られている。

父や幼馴染たちが口を挟む前に、二人は流れるように婚約することができた。

で、滞りなく結婚し、数週間の新婚旅行を楽しんで、王都に戻ってきたところなのだ。

舞踏室は、若い貴族でいっぱいだった。

まずは、友人知人と再会を喜びあう。

新婚旅行の様子を聞かれ、二人で一緒に答えると、「ほんっとあなた達は熱々ね!」と冷やかされるのもくすぐったい。

きりのいいところで、リュシアンはアドリアーナの手をとり、せっかくだからと二人はワルツを踊りはじめた。

華やかな曲で、自然、アドリアーナは笑顔になる。

「アドリアーナ。今日もすごく綺麗だ」

愛おしげにアドリアーナを見つめながら、リュシアンは囁いてくれる。

「あなたこそ、素敵だわ」

アドリアーナが照れながら言うと、ぐっと腰を抱き寄せられた。

熱い視線が絡み合い、鼓動が高まる。

今日は踵の高い靴を履いているので、二人の背丈はほぼ同じ。

顔と顔が近い。

人目さえなければ、このままキスしてしまいそう。

久しぶりの王都の舞踏会だけど、今夜は早めに帰って、さっさと二人きりになってもいいんじゃないだろうか──

と、うっとりしていたアドリアーナは、リュシアンの肩越しにありえないものを見つけて、ハッと身体を強張らせた。

藤色のドレスを着た、チェリーブロンドの女性が、大粒の涙型の石を3つ連ねた首飾りをつけている。

どうした? とリュシアンが瞳を覗き込んできた。

「い、今、うちの『聖女ギネヴィアの涙』そっくりの首飾りをしてる人が」

見たことのない女性の胸元に、見覚えがありすぎる首飾りが煌めいているのが一瞬、見えたのだ。

「え。まさかそんな」

リュシアンが慌てて後ろを振り返る。

しかし、アドリアーナが指して見せる前に、女性は人の波のどこかに消えてしまった。

二人は顔を見合わせた。

「聖女ギネヴィアの涙」とは、優れた魔導士であった二代目伯爵夫人が功を上げた時に、王家から特別に下賜された家宝の首飾りである。

名前の通り、伝説的な聖女ギネヴィアがかつて所有していたもので、ベルモン伯爵夫人だけが身につけることを許されている。

肌につけている首飾りを盗まれるなど、普通は考えられないが、人の良い、のんびりした母のこと。

まさか、「よく見せてほしい」とか「石が外れかかってますよ」とか、言葉巧みに外させて──盗んだのだろうか。

「とにかく、 義母上(ははうえ) を探そう」

「そ、そうね」

リュシアンの言う通り、まずは母がちゃんと首飾りをつけているかどうか確かめるのが先だ。

二人はぎゅっと手をつないで、談話室へ足早に急いだ。

「あらあら。あなた達、どうしたの?」

似たような年頃の夫人達と、最近話題の商会の話をしていた母は、慌ててやってきたアドリアーナ達をきょとんと見上げた。

その胸元には、確かに「聖女ギネヴィアの涙」が燦然と輝いている。

アドリアーナとリュシアンは、とりあえずほっとした。

「さっき、『聖女ギネヴィアの涙』そっくりの首飾りをした女性を見かけて、びっくりしてしまって」

扇の陰で、そっと母の耳元に囁く。

「あらあらあらあらあら……それはまた」

ヴィオレットは、のんびり笑いながら広げていた扇を畳んだ。

「ちょっと、失礼してきますわね」

なにごと?と見てくる友人たちに軽く頭を下げると、ヴィオレットはゆったりと立ち上がった。

二人を促して、廊下に出る。

「アドリアーナ。

その女性、どんな方だった?」

小声でヴィオレットに問われて、アドリアーナは眉を寄せた。

「ええと……私より、少し上かな?ってくらいの年で……」

ドレスの色、髪の色など記憶を確認しながら、アドリアーナは母に告げる。

「なるほどね。

アドリアーナ、その方を見つけて、3階の個室に連れてきてくれるかしら。

わたくしが話したいと言っていると言えば、素直に来てくださると思うけれど。

念の為、リュシアンも一緒に行ってくれる?」

「わかりました、義母上」

リュシアンは力強く頷く。

長年、伯爵家の実務は、ヴィオレットが取り仕切っている。

結婚と同時に養嗣子となり、承継の準備を始めたリュシアンは、ヴィオレットを領地経営の師と仰いでいるのだ。

二人は、謎の女性を探し始めた。

いくつもある舞踏室。

ごった返している、夜食を提供するビュッフェ。

あちこちに設けられている談話スペース。

アドリアーナとリュシアンは、巨大な社交場の1階と2階をあらかた回り、結局、2階の廊下の隅で、壁際に佇んでいるチェリーブロンドの女性をようやく見つけた。

女性は足元に視線を落とし、表情はうかがえない。

その首には、確かに家宝そっくりの首飾りが輝いている。

だが、近くで見ると、魔石特有の照りがない。

色味が似た、貴石かなにかのようだ。

「……すみません」

女の自分からの方がいいだろうと、アドリアーナはそっと声をかけた。

はっと、女性が顔を上げてアドリアーナとリュシアンを見比べる。

「ベルモン伯爵家の者です」

あえて家名だけ告げると、女性は息を飲んだ。

「伯爵夫人が、あなたとお話したいと言っているのですが」

「一緒に、来ていただけますか?」

リュシアンも言葉を重ねると、女性は素直に「は、はい」と頷いた。

階段を登りながらアドリアーナが横目で見ると、女性は、少々安っぽいビーズのハンドバッグを胸元で握りしめ、首飾りが人目につかないようにしていた。

どういう人なんだろう、とアドリアーナは内心、首を傾げる。

年の頃は、20代なかばに見える。

顔立ちは整っていて、どことなく知的な雰囲気もある。

しかし、家庭教師や学校の教師のような、物堅い感じはなかった。

結婚指輪も婚約指輪もしていないが、未婚の令嬢にも見えない。

珍しい髪色なのに、16歳で社交界デビューしてもう5年になる自分の記憶にはまったくない。

だが、ドレスは着慣れている様子だ。

王都の社交界には出てこない、どこかの貴族の傍系の娘あたりなのだろうか。

そもそも、なぜ家宝と同じデザインの首飾りを見も知らない女性がつけているのだろう。

有名な首飾りだから、勝手に同じデザインの首飾りを作ろうと思えば作れなくはない。

だが、王家が「ベルモン伯爵夫人だけが、身につけられる」とわざわざ定めたもの。

王家を 憚(はばか) って、工房が断りそうなものだが──

あ。もしかして!

アドリアーナは閃いた。

この女性は、祖父の隠し子かなにかで、身の証としてレプリカを与えられたのかもしれない。

ベルモン伯爵みずからが、家宝のレプリカを発注したいと言えば、工房だって話を受けるはずだ。

祖父は、なにかにつけて豪快な人だったから、ありえなくはない。

だとしたら、この女性は、自分の叔母なのか?

それも、しっくり来ない気がする。

リュシアンは、どう考えているのだろう。

夫をうかがうと、貴族らしい無の表情を浮かべているが、内心困惑しているようだ。

ともあれ、無言のまま三人は三階に着いた。

受付の者が足早にやって来て、名乗る前に「お連れ様はこちらです」と一室に案内される。

大きな暖炉がある部屋には、ソファが向かい合わせに置かれ、奥側にヴィオレットがゆったりと腰をかけていた。

談話室あたりから持ってきたのか、エティエンヌがよく寄稿している保守派の論壇誌『パトリオ』をぱらぱらとめくっている。

「あら、良かった。来てくださったのね。

ベルモン伯爵夫人、ヴィオレットです」

座ったまま、おっとりと名乗るヴィオレットの足元に、女性はいきなり身を投げ出すようにして取りすがった。

「私……その……閣下をお慕いしてしまって……

お願いです!

閣下を……閣下を、自由にしてあげてください!」

アドリアーナは、眼を剥いた。

この言い方だと──

「え!? ああああああなた、父の愛人ってこと!?

見た感じ、娘の私とそんなに年が違わないじゃないですか!」

「ああああああ……い、いえ、その……あの……」

思わず詰め寄ると、女性はおろおろとうろたえる。

「あらあらあらあら。アドリアーナったら。

そんなに責め立てたら、この方、お話してくれなくなるじゃない」

ヴィオレットは、声を立てて愉快そうに笑った。

ここ笑うところ!?と、アドリアーナとリュシアンは、ヴィオレットを二度見してしまった。

ようやく笑い止んだヴィオレットは、「閣下」──こと、ベルモン伯爵エティエンヌを連れて来るようにリュシアンに頼んだ。

リュシアンは、「愛人」と母娘だけにするのはと、ためらったが、「女同士の話もあるから」とにこやかにヴィオレットに言われて、部屋を出ていく。

ヴィオレットは、謎の女性──ミラーカに、向かいのソファに座るよう促し、茶をみずから淹れてやった。

アドリアーナは、座る気にもなれず、母の後ろに突っ立って、二人の会話を見守る。

ミラーカは、24歳。

男爵家の五女で、18歳で駆け落ち同然に海軍士官と結婚した。

父が早くに亡くなり、跡を継いだ兄と義姉が持参金を渋るせいで、姉たちは未婚のまま。

このままでは、五女の自分は一生結婚できないからだ。

すぐに娘に恵まれたものの、夫は隣国との合同演習中に落水事故で死亡。

まだ幼い娘を抱いて、亡夫の実家や自分の実家に身を寄せたりしたが、巧くいかなかった。

結局、わずかな遺族年金を頼りに、娘を連れて王都に出て、友人の従兄弟が勤めている出版社で、原稿の清書やら校正、下調べなどを手伝うようになった。

そこで出会ったのが、エティエンヌ。

エティエンヌはミラーカの境遇に同情してくれ、なにかと援助してくれるようになった。

年はかなり上とはいえ、エティエンヌはいわゆるイケオジ枠。

立ち居振る舞いもスマートだし、娘のことも気遣ってくれる一方、たまには気晴らしも必要だと、食事に連れ出してくれたりした。

交流を重ねる中で知ったのが、エティエンヌは長年、妻とはうまくいっておらず、孤独だということ。

「そもそも最初から、彼女は私個人には、まったく興味がなかったんだろう」

と、苦笑まじりに言いながら遠い目をされた瞬間、ミラーカは「この方をお慰めしたい」と強く思ってしまった。

で。なるようになってしまい──

ミラーカは、エティエンヌの世話で、立派なアパルトマンに移り住んだ。

使用人も雇ってもらい、「奥様」としてかしずかれるようになった。

だが、立派な紳士に愛され、貴族の世界に近いところに戻れた喜びに有頂天だったのは、ほんの短い間だけ。

ミラーカは、すぐに不安になった。

妻と別れるつもりだと確かに言ったのに、なかなか彼は動かない。

一度、最初から弄ぶつもりだったんだろうとキレたら、将来、妻として迎える約束の証だと、この藤色のドレスを贈ってくれた。

「なるほど……」

アドリアーナは、じっとりした視線をミラーカに向けた。

藤色は父の瞳の色。

ちなみに、アドリアーナの瞳の色でもある。

正直、不愉快極まりない。

男爵家でもお下がりのドレスしか着たことがなかったミラーカは喜んだが、しかしエティエンヌは離婚してくれない。

そもそも、ドレスを貰っても、ふさわしい場所に行く機会もないのだ。

もうすぐ4歳になる娘もどんどん喋るようになり、なぜ自分には父がいないのか、なぜ「おじさま」がたまに訪ねてくるのか、不思議そうにしている。

早く、自分を伯爵夫人として迎えてもらいたい。

娘を養女にしてもらい、伯爵令嬢として、立派な人生を送れるようにしてほしい。

まだ若い自分ならば、跡取りの男子を産むことだってできるのだから。

「は?? あなた、なにを言っているの!?

うちにはもう、リュシアンという立派な跡取りがいるんですけど!!」

アドリアーナは、怒りで真っ赤になって叫んだ。

「で、でもッ ティティ様は、やっぱり男の子が欲しい、その子に伯爵家を継がせたいって……」

「はぁ!? なによそれ!!」

アドリアーナはキレた。

娘の自分ひとりしか子供を産まなかったことで、母が父方の親戚にあれこれ言われていたのは知っている。

だが、父はそんなことを言わない人だと、今の今まで信じていた。

跡取りが確保できたら、別居する夫婦も貴族の中では珍しくない。

むしろ、父と母は、仲が良い方だと思っていた。

自宅の晩餐会では、父が友人達と交わす難しい政治の話にも、母はにこにこと笑いながらつきあっていた。

だからこそ、ミラーカを見ても、父の愛人だと思わなかったのに。

というか、「ティティ」なんて甘ったるい愛称を、父はこの女に許しているのか。

見も知らない女の子供を、自分の「妹」にしようとしているのか。

なにもかも、話が違う。

怒りで、頭が沸騰しそうだ。

「アドリアーナ。落ち着きなさい。

あなたは、ベルモンの娘なのですよ」

ヴィオレットは振り返ると、穏やかな声でアドリアーナをなだめた。

「だって、お母様……こんなの、あんまりだわ」

アドリアーナは、涙ぐんで母に手を差し伸べる。

ヴィオレットは、その手を軽く握って慰めた。

「ま。いまの話は、娘の前で言ってほしくはなかったわね。

それはとにかく、その首飾りはどうしたの?」

ヴィオレットは、ミラーカに淡々と続きを促した。

「あ、その……。ベルモン伯爵家には、伯爵夫人しかつけられない首飾りがあると、聞いたことがあったので……

本当に、私と結婚してくれるのなら、その首飾りをくださいと言ったら、これを」

アドリアーナに怯えながら、ミラーカはもそもそと説明した。

ヴィオレットが、身を乗り出す。

「本物だと言って渡したの?

それともレプリカだと?」

「その……『私の愛の証だ』と」

ヴィオレットは、声を立てて笑い出した。

どこがどうツボに入ったのか、完全に笑い転げている。

その笑いは、悲壮なものでも、狂気を感じさせるものでもなく、ただただ底抜けに朗らかだ。

「お、お母様……?」

なにがそんなにおかしいのだろう。

アドリアーナは、母が心配になった。

「ああ、おかしい。

あの人らしいセリフね。

本物と並べれば、誰でも偽物だとわかる首飾りが『愛の証』だなんて」

ようやく笑い止んだヴィオレットが、目元をハンカチで抑えたところで、ノックの音がした。

「……ミラーカ。なぜこんなことを!」

入ってくるなり、エティエンヌは立ち尽くした。

リュシアンがエティエンヌを部屋に押し込むようにして、重厚な扉を後ろ手に閉める。

「あなたがなかなか離婚しないから、わたくしにプレッシャーをかけるためじゃないですか」

こともなげにヴィオレットは笑うと、向かいのソファ、つまりはミラーカの隣に座るように促した。

「か、閣下。ご、ごめんなさい……」

ミラーカが、すがるような眼でエティエンヌを見上げる。

エティエンヌはぎこちない動きで、こぶし一つ間を空けてミラーカの隣に座った。

母の後ろから父を睨みつけているアドリアーナとは、眼も合わせない。

リュシアンは、アドリアーナの傍に来て、大丈夫かと小声で気遣いながら身体を支えてくれた。

「離婚しましょう。

今日のことで、あなたに『最愛』がいることは、すぐ噂になるでしょうし」

にこやかに、ヴィオレットは夫と愛人に告げた。

「お母様!?」

そんな非道を呑んでいいのか、とアドリアーナは声を上げる。

「ありがとうございます!」

ミラーカが、歓喜の表情でヴィオレットに頭を下げた。

「……そうか。そうしてくれればありがたい……が」

エティエンヌは、戸惑いながらもほっとした様子だ。

アドリアーナは、絶望した。

「ただし、離婚は、ここにいるベルモン伯爵家の養嗣子、リュシアンに爵位を譲ってから。

今すぐ手続きに入れば、一月足らずで承継は終わるわ。

理由書はこちらで書きますから、サインだけしてください」

「え?」

そう来ると思っていなかったらしく、リュシアンが息を引く。

アドリアーナも、固まった。

いつかは夫と伯爵家を継ぐつもりだったが、十年先、二十年先のことだと思っていた。

「ごめんなさい。

あなたの娘は、伯爵令嬢にはなれないの。

『前伯爵の養女』なら、なれるかもしれないけれど」

ちっとも悪くなさそうに、ヴィオレットはミラーカに軽く頭を下げてみせた。

ミラーカが、「え? え? え?」とうろたえる。

「なぜ、そんなことをしなければならないッ

若いミラーカなら、お前が産んでくれなかった私の跡継ぎを、きっと産んでくれるのに!」

怒りで顔を赤黒く染めたエティエンヌが、憤激した。

「あらあらあら。わたくしがアドリアーナを産んだ後、子を授かれなくなったのは、あなたのせいなのに。

今更、自分の血を引く男子を望む権利がどこにあるというの?

だいたい、2年も飲まないといけないあの苦い薬、あなたは半年くらいで止めてしまったんじゃなかったかしら」

ヴィオレットは、ころころと笑った。

え、と視線がエティエンヌに集まった。

ミラーカも、ぎょっとした顔でエティエンヌを凝視している。

2年間も投薬治療を続けなければならない病気。

夫から感染して、妻が不妊になる病気。

いわゆる花柳病のひとつ、「花冠病」だ。

男性の多くは無症状、女性も半数近くは無症状だが、ひとたび炎症が起きれば、その後の妊娠が難しくなる。

つまり。

父は母が自分を産んだ後、娼館に行ったか遊び女と交渉を持って病気をもらい──母に移して、子が授かれない身体にしたということだ。

「お、お父様……!

最ッ低! 最低だわッ!」

アドリアーナは、慎みを忘れて叫んだ。

そんな酷いことをしておいて、祖母や叔母が母をねちねちと責めるのを、この男は放置していたのだ。

「そ、それは……私のせいでは……」

おろおろと、言い訳しようとするエティエンヌを、ヴィオレットは鼻で笑った。

「あらじゃあ、誰のせい?

という話はとにかく。

もしあなたがリュシアンに爵位を譲らないのなら、何年も前から自分で評論を書いていないことを、『プランタン』にリークいたします」

優雅に扇を使いながら、ヴィオレットは宣言した。

『プランタン』とは、ゴシップ系の週刊誌。

貴族のスキャンダルを掲載する雑誌の中でも、政財界のスキャンダルに強いことで有名だ。

「は!? お、お前ッ な、なななななにを言っている!?」

エティエンヌは真っ赤になって、立ち上がった。

「あなたの秘書のオーギュスト、一時期、顔色が酷く悪かったじゃない。

話を聞いてみたら、昔は下調べだけだったのに、今は本文まで書かされて、あなたは軽く手を入れて署名するだけ。

辛くてたまらないって、泣かれたのよ」

オーギュストなら、アドリアーナもよく知っている。

領地の出身で、将来性があると父が見込んで大学に行かせ、その後は父の秘書として働いている青年だ。

「そ、それは嘘だッ オーギュストの嘘だッ

あやつ、恩を仇で返すようなことを……!」

エティエンヌは叫ぶが、ヴィオレットは動じない。

「だから、わたくしオーギュストに言ったの。

知らん顔して縦読みを仕込んだら、面白いんじゃない?って」

ヴィオレットは、論壇誌『パトリオ』の、エティエンヌが書いたエッセイの最後のページを開いた。

「ほらここ。一文字目を拾って読んだら、ひ、しょ、が、か、い、て、ま、す……ってなっているでしょう。

でも、毎回、仕掛けを入れているのに、誰もなにも言ってこないそうね。

あなたの評論を真面目に読んでいる人、もういないんじゃないかしら」

覗き込む皆の前で、ヴィオレットは指で押さえながら「縦読み」を示した。

確かに、行の頭をつなげて読むと「秘書が書いてます」と読める。

アドリアーナは、くらくらした。

父が、若い女に入れ揚げるだけでなく、こんな愚かなことまでしていただなんて。

「……たばから、れた……」

エティエンヌは、がくりとソファに沈みこみ、顔を両手で覆いながらうわ言のように呟く。

ヴィオレットは優雅に笑った。

「馬鹿なこと、おっしゃらないで。

世をたばかったのは、あなたじゃありませんか」

ゆったりと扇を使いながら、ヴィオレットは遠い目になった。

「昔は、あなたもこんなことをする人ではなかった。

本物の才気にあふれていた。

けれど、プライドの高いあなたは、人に頭を下げるのが嫌で、仕官しようとしなかった。

本当は、あちらから……王室から乞われて、陛下の諮問官なり、見栄えのいい役職にいきなり就きたかったのでしょう?

でも、いくら評論を書いたって、そんな話は来なかった。

当たり前だわ。皆、あなたは自由な立場で評論ができる『論客』でいたいんだって思っているんだもの」

ヴィオレットは、ため息をついた。

「あなたは人生に倦み、堕落した。

それなりに教養があって、自分をちやほやしてくれる女性をちょいちょい囲ったりね」

「え。こ、こんなに自分の考えをわかってくれる女性は、私が初めてだって……」

ミラーカが声を上げる。

「わたくしが把握している範囲では、あなたで4人目。

でも凄いわ。

わざわざ『聖女ギネヴィアの涙』のレプリカを作って与えたのは、あなただけ。

もういい歳だから、あなたを逃すと後がないって焦りもあったのかしら」

ヴィオレットは、ふふっと笑うと、夫に向き直った。

パチリと音を立てて、扇を閉じる。

「言っておくけれど、交渉の余地はありません。

リュシアンに爵位を譲り、わたくしと離婚してください。

さもなければ、代筆の件、暴露いたします」

エティエンヌは、青黒い顔で押し黙った。

「気づいていなかったの?

とっくの昔に、わたくし、離婚する準備はできていたんです。

早く言ってくれれば、こちらの方も人前に出て来るだなんて馬鹿なこと、しなかったでしょうに」

自分がやらかしたとようやく悟ったミラーカが、おろおろと視線を泳がせる。

「……い、いつから、そんなことを考えていたんだ」

震える声で、エティエンヌはヴィオレットに問うた。

「新婚旅行で、マルサンに立ち寄った時に。

あそこは、侍女や家庭教師を勤め上げた、年金暮らしのおばあさん達がたくさんいるじゃないですか。

公園で楽しくおしゃべりをしている人達を見て、あなたは『男を惹きつけられなかった女の末路がアレだ』と苦々しげにおっしゃった」

マルサンとは、温泉がある有名な保養地だ。

まったく記憶にないのか、エティエンヌは戸惑っている。

「わたくしは、あの頃、あなたに夢中だったけれど……

でも、あなたが女性を下に見ていることは、十分わかりました。

今は良くても、わたくしがあなたにとって価値のない女になったら、きっと酷いやり方で捨てられる。

その日に備えて、身を守る手段を用意しなければ、と悟ったんです」

「ほとんど最初から、ということか……!」

エティエンヌは、うめき声を上げた。

「そう。それから、いろんなことがあったわよね。

でも、どんどん、わたくしの準備は整っていった。

そして、あなたは致命的な罪を犯し、わたくしは思うがままの条件で離婚できるカードを手に入れた」

ヴィオレットは、エティエンヌをまっすぐに見た。

「わたくしが狂ったことにして、精神病院にでもいれる?

それとも、殺してしまう?

それくらいしなくちゃ、わたくしを止めることはできないのよ」

ヴィオレットは、ころころと笑った。

エティエンヌは、ぎょっとした顔のまま硬直している。

そこに、黙ってやりとりを聞いていたリュシアンが割って入った。

「義母上。それはありません。

私が、義母上とアドリアーナを命に代えてもお守りします」

高らかに宣言すると、リュシアンはアドリアーナの肩を抱きながらエティエンヌを睨みつけた。

「閣下……あなたはもう詰んでいる。

これ以上の抵抗は、ご自身の誇りを汚すばかりです」

アドリアーナは、剛毅な父が力尽きたようにうなだれるのを見た。

一ヶ月ほど経って──

リュシアンは、無事ベルモン伯爵を継ぎ、ヴィオレットとエティエンヌの離婚も成立した。

エティエンヌは、古典文学の研究に集中したいという名目で、物価の安い他国に移住することになった。

伯爵家の領地で、隠居した前伯爵として暮らすなら、今と変わらない暮らしができる。

だが、いつ誰が代作に気づくかわからない状況で国内に留まるのは、エティエンヌには耐え難かったようだ。

ちなみに、ミラーカはいつの間にか消えたらしい。

内々に、彼女の実家から「聖女ギネヴィアの涙」のレプリカが返ってきた。

一部のゴシップ紙がミラーカのことを報じたようで、慌てた男爵家が、彼女と娘を回収したのだろう。

結婚してから、王都の別邸でリュシアンと暮らしているアドリアーナは、ある日、本邸で暮らす母に呼ばれた。

貴族院に向かうリュシアンを見送り、昼過ぎに本邸へ向かうと、父と母は家族用のサロンにいた。

この一ヶ月で、一気に老け込んだ父が旅行服を着ているのを見て、アドリアーナは小さく息を飲んだ。

父は、今日、遠い国へと旅立つのだ。

ヴィオレットはソファに腰掛け、テーブルの上いっぱいに主要国の新聞や雑誌を広げている。

面白い記事を見つけるとエティエンヌに教え、切り抜いてスクラップブックに貼っていく。

エティエンヌは肘掛け椅子に座り、新聞を広げている。

あれやこれやと話しかけてくるヴィオレットに返すのは、大半は生返事だが、つられて背景を解説したり、自分の見解を話すこともある。

子供の頃から続く、平穏な午後の風景だ。

既に離婚は成立したのに、いつも通りに過ごしている両親の姿に驚きながら、アドリアーナは父に軽く挨拶をして、母の作業を手伝った。

新聞紙とインクの匂いが、なぜか眼に染みる。

「御前。馬車の用意が整いました」

筆頭執事がやってきて、うやうやしく頭を下げた。

「ん」

エティエンヌは、新聞を畳んで脇に置くと立ち上がった。

座ったままのヴィオレットと、エティエンヌの視線が一瞬絡む。

「どうぞ、お健やかに」

立つ気配はみせず、ヴィオレットはほんのりと笑みを浮かべて元夫を見上げた。

「君も……元気で」

エティエンヌは元妻に頷き、アドリアーナの方を見た。

アドリアーナは、狼狽した。

これが父との今生の別れとなるかもしれない。

なのに、言葉が出てこない。

ヴィオレットがそっと促してくれたので、アドリアーナは慌てて立ち上がった。

そのまま、サロンを出ていく父の後を追う。

父は、夫として最低の男だと思う。

母を傷つけ、自分の都合ばかりべらべらと母の前で喋るような底の浅い若い女と一緒になろうとした。

赤の他人を家に入れ、自分の「妹」にしようとした。

汚らわしい。

気持ち悪い。

許せない。

そんな思いは、まだアドリアーナの心の中にどろどろとわだかまっている。

それでも父は、言葉が世界をどれだけ美しく彩ることができるのか、みずから教えてくれた。

友人の中で、父親にそんなことをしてもらった人はいない。

ずっと、自慢の父だった。

今もなお、父なりに、自分を愛してくれていたとアドリアーナは信じている。

玄関ホールに降りる階段の前で、父が足を緩めた。

こんな時、いつも父の肘に掴まり、階段を降りていた。

だが、まだ父に触れる気にはなれないアドリアーナは、手すりに手を伸ばす。

父娘は、バラバラに階段を降りてゆく。

「……お父様」

「ん」

「どうして、毎週、私に詩を教えてくださったの?」

二三段、先に降りていく父は、ちらりとこちらを振り返った。

「覚えていないのか?

五歳の誕生日会で、お前は『春の唄』を見事に朗唱した」

「春の唄」というのは、有名な十六行詩だ。

「あー……覚えています。

お母様が、教えてくださって」

誕生日会の前、急に母に教え込まれたのを覚えている。

いつもの母に似ず、やけに厳しかった。

「皆の前で、一生懸命、朗唱するお前は、本当に愛らしかった。

ただ暗誦するだけでなく、幼いなりに、詩の美しさを表現しようとしていた。

もっとお前の朗唱が聞きたい、お前に詩の美しさを伝えたいと、毎週、時間をとるようになったのだ。

今にして思えば、私の我儘だったな」

父は、苦い笑いをこぼした。

アドリアーナは、ゆっくりと首を横に振る。

「いいえ。教えてくださったことには感謝しています。

おかげで、偽者を見抜くことができるようになりましたし」

今更だが、アドリアーナはかつての婚約者候補達のハリボテぶりを告げ口してやった。

エティエンヌは声を立てて笑う。

「そうか。それで、お前はリュシアンを選んだのか。

良かったな。

あれは……まっとうな男だ」

「ええ。ほんとうに」

父に歓迎されていなかったリュシアンは、婿入りしてからも父におっかなびっくり接しているところがあった。

なのに、堂々と母と自分を守ると言ってくれた。

思い返すたびに、胸がじんわりと熱くなる。

そこで話は途切れ、気がついたらもう、玄関の前に横付けされた、旅行用の馬車の前だった。

屋根の上にはトランクが積み上げられているが、荷物はそこまで多くはない。

従僕から受け取った帽子をかぶり、父はアドリアーナの方へ振り返った。

別れの時だ。

「……お父様。あちらに着いたら、絵葉書でもください。

こちらから、お返事を出すかどうかは、お約束できませんけれど」

今の自分に言える、ぎりぎりのことをアドリアーナは父に告げた。

正直、もう関わりたくないという思いもある。

だが、無事に着いたかどうかくらいは、やはり知りたい。

深々と、父はため息をついて、ちらりと笑みをのぞかせた。

「そうか。ならば、絵葉書を送ろう。

返事は気にするな。

……アドリアーナ。達者でな」

「……お父様も」

エティエンヌは軽く頷くと、馬車に乗り込んだ。

アドリアーナが下がると、馬車が出る。

ベルモン伯爵夫人アドリアーナは、ただ立ち尽くしたまま、馬車が並木道の向こうに消えるまで見送った。

サロンに戻ると、ヴィオレットは新聞や雑誌を片付けているところだった。

「お母様」

アドリアーナは、ヴィオレットに駆け寄って抱きついた。

「あらあら。どうしたの、アドリアーナ」

ヴィオレットはいつものようにころころと笑いながら、アドリアーナの頭を撫でてくれる。

「お母様、ありがとう。

ずっと、私を守ってくださって……」

あの夜のあと、アドリアーナはヴィオレットがどうやって「離婚の準備」を進めていったのかを聞いた。

ヴィオレットは、新婚旅行から帰ってすぐ、自分の持参金を見直した。

持参金は、リスクは低いが利率も低い債券や、とりあえず安定した賃貸収入が得られる倉庫物件などで構成されていた。

婚家から追い出されても、暮らしていける額だったが、生活水準は相当落とさなければならない。

ヴィオレットは、王都の発展に伴って、好立地となりつつあるエリアにあった倉庫物件に目をつけ、住居つき店舗に改修して売り出した。

まとまった金が入ったところで、より高い利益が得られる商会の株や不動産に投資し、膨らませていく。

アドリアーナが10歳の頃には、娘を連れて家を出ても、貴族にふさわしい生活を続けられるだけの資産を築いていたという。

なのに、離婚に踏み切らなかったのは、アドリアーナのためとしか思えない。

「お母様が今まで離婚を切り出さなかったのは、私のためでしょう?

私、……私、なにもわかっていなくて……」

言い募るうち、アドリアーナは泣き出してしまった。

苦しいこともたくさんあっただろうに、母はそんな翳りを見せることは一切なかった。

寡黙だが高潔な父と朗らかな母に愛されている娘として、恵まれた少女時代を自分は過ごすことができた。

すべて、母の献身のおかげだったのに、自分は全然気がついていなかったのだ。

「あらあら。誤解しないで、アドリアーナ。

わたくし、別にあなたの犠牲になったつもりはないのよ。

なかなかわかってもらえないのだけれど、わたくし……本当は、かなり性格が悪くて」

アドリアーナの背を撫でながら、ヴィオレットは苦笑した。

「え? お母様が??」

びっくりして、アドリアーナは顔を上げた。

母は、いつも優しくて、穏やか。

むしろ人が良すぎて、周りが心配しているくらいなのに。

「あの人がやらかしても、なにか嫌なことがあっても、『このネタは後々、使えるかも』とか、そんな風にしか思えないの。

そもそも、この顔がいけないのかしら。

面と向かって皮肉を言っても、なかなか通じないのよね」

40歳を越えても、若々しく愛らしい童顔を傾げて、ヴィオレットは困ったように言った。

「そ、そうなの……?」

「そうなのよ。

だから、この24年、楽しかったわ。

あの人は、有責ポイントをどんどん貯めてくれた上に、勝手に自滅してしまったし。

親戚も隙の多い人ばかりで、手札がどんどん増えて」

にこにこと、ヴィオレットは笑う。

そういえば、父の弟が、騒動を聞きつけて乗り込んできたが、秒で母に叩き潰されたとかなんとか、母の秘書になったオーギュストが言っていたのを、アドリアーナは思い出した。

「だからアドリアーナ。

あなたも、気をつけなさい。

いかにも人が良さそうな方が、陰でどんな爪を研いでいるのか、わからないのだから」

「あ、はい。……気をつけます」

鳩が豆鉄砲をくらったような顔で、アドリアーナは頷くしかなかった。