軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

4 魔法習得

「ふぁほふ! ふあぉう!」(魔法! 魔法!)

「あーよちよち、おしめかなぁ?」

「ひゃほぅ! みゃひょふ!」(魔法! 魔法!)

「おっぱいかな~?」

「ひひゃ、ほへほいいへど、ふぁふぉう!」(いやそれもいいけど、魔法!)

何をしているのか、だって?

もちろん、ジュリア母さんに魔法を教えてくれと頼んでいるのだ。

しかしこのお母さん、こちらの言うことがよくわからないらしい。

ま、そりゃ、まだまともにしゃべれないのに魔法を教えろと言ってるなんて、わかるほうがおかしいか。

……と、いうかさ。

魔法ってどうやって使うかわからないけど、詠唱がいるならたぶんこの世界の言葉がわからないといけないだろうし、本を読んで覚える場合でも最低限文字は読めないといけないわけだよな。

【インスタント通訳】はあくまでも通訳であって翻訳じゃないから、本の内容は訳してくれないみたいなんだ。

ま、それができたところで、有効期限3年の縛りがあるからな。どちらにせよ文字の勉強は必要だ。

よし! まずは言葉から覚えよう。

そうと決めたら早速……どうすりゃいいんだ。

当たり前だが、今の俺は生まれたての赤ん坊で、日本でだって読み聞かせにはちょっと早いかもしれない時期だ。

この子ども部屋? にも本なんて置かれてない。

いや……?

俺の足下に突っ伏してやたら幸せそうな寝顔を見せているジュリア母さんの、頬の下。

よだれが垂れかけているそこに、本らしきものが見える。

俺はベッドの上をわきゃわきゃと動いて本? に近づく。

果たしてそれは本だった。

俺は母さんの眠りを妨げないように注意しながら、顔の下から本を抜き出そうとする。

しかしこれ……重いな。

軽く千ページくらいありそうなぶ厚い本だ。

表紙は革で、中身は紙。

マルクェクトには製紙技術はあるらしいな。羊皮紙しかなかったら文字の書き取り用のノートを確保することすら難しいところだった。

あ、そうだ、【鑑定】。

《稀覯本『アバドン魔法全書』:10世紀の魔法学者グェッグ・アバドンの記した魔法に関する百科事典。執拗なまでに緻密な描写と正確な記述で知られるが、現在は絶版状態にあり、一部の大規模な図書館にのみ所蔵されている。》

大当たりだこれ!

俺は期待で震える手で『アバドン魔法全書』の表紙をめくる。

そこには――

「……ふん、ふぁあ、ふぁふぁっへはぉね」(うん、まあ、わかってたけどね)

ページは俺には読めない謎の文字で埋め尽くされていた。

それも、三段組み、細かい活字でびっしり。

これ、言葉がわかったとしても辛いんじゃないか?

と、

「……うん? あれ、エドガーくん?」

散々ごそごそしていたせいか、お母さまがお目覚めになった。

どういうわけか知らないが、この人は俺のことを「エドガーくん」とくん付けにする。

「あら、ご本を読んでたの?」

「ぁい~」

正確には読んでいたのではなく、読めないでいたのだが、とりえあずかわいらしく答えておく。

「そのご本は、難しくてねー。夜眠れないときとかに読むと、すーっと眠れるんだよ」

それでいいのか、《炎獄の魔女》。

「もっとエドガーくんに向いてる絵本があるから、そっちにしようね~」

「!!!」

ジュリア母さんはそう言って『アバドン魔法全書』を俺から取り上げようとする。

「あ~だぁ~!」

俺は必死で『アバドン魔法全書』にすがりつく。

こんなチャンス、逃せるか!

「もーぅ。難しいって言ってるでしょ? でも、それなら少し読んであげようか」

読めばわかるだろうとばかりに、母さんがそう言ってくる。

あぶばぶ言って喜んで見せると、母さんは「変な子ねぇ」と言いながら、ベッド脇の椅子に座り直し、ベッドの上、俺の前に『アバドン魔法全書』を広げた。

「えーっと、そうねぇ。じゃあ、『水』の項目にしましょうか」

『アバドン魔法全書』は事典なので記述は項目別だ。

「魔法学における水とは、すなわち魔法文字『 π(アクア) 』によって干渉可能な一連の事象(事物・現象)のことを示すが、何がそこに含まれるかはわれわれの日常的な感覚とは乖離していることに留意せねばならない。たとえば、人間の血液はπによって干渉可能であるが、水銀はそうではなく、地を表す魔法文字『 Ω(ガイア) 』の干渉範囲となる。空を舞う雲は、一見すると風の魔法文字『 λ(ウィンド) 』の干渉範囲であるように思われるが、干渉の成功報告はπを使用したものに限られている。このことは、高山を登ったことのあるものには理解しやすいと思われる。一部の高山はその頂を雲より高い地点に持っているために、登山者は登山の途上において雲の中を突き抜けることになる。その際、登山者は霧の中を歩くかのごとき、冷たく湿った空気の中を通ることになり、全身におびただしい量の水を受けることがあるという。すなわち、雲の本態は水なのであろう。このように、魔法学は、ただ魔法を修めるのみならず、森羅万象の理解にもまた寄与しうるのである。ところで雲に関する干渉報告であるが、この中には風の魔法文字『λ』を用いた「成功報告」が存在する。しかしこれは風によりて雲を吹き散らしたるにすぎぬものであり、雲の本態たる水を操ってその形態を変化せしめることとは全く別の現象である。昨今の若い魔法学者は功を焦るあまり地道な検証作業を怠る傾向にあるが、検証を通過せぬ理論などその者の単なる妄想にすぎないのであり、本来であればそのような者を学者と呼ぶことすらおこがましい

……ええっと、もういい?」

俺が真剣に聞いていたので読んでくれたようだが、確かに、これは何というか相当にめんどくさい本だ。

自らの知る全ての情報を盛り込もうとする著者の情熱はすごいのだが、非常に細かい情報まで漏らさず載せているために話の筋がわかりにくく、何より読んでいて眠くなる。

雲の下りとかは、現代日本人が前世の俺には、何を当たり前のことを、という感じだ。最後の方なんてなんか愚痴みたいになってるし。ジュリア母さんが睡眠用に使っていると言っていたのもわかる気がする。

だけど、案外、俺にはいいんじゃないか、とも思う。

とにかく、俺はこの世界の常識を知らない。

当然のことでもしつこくねちっこく書き込んであるこの事典は、退屈さにさえ目をつぶることができれば宝の山かもしれない。

でも……読めないんだよな。

本の文章は、アルファベットともギリシア文字ともキリル文字ともつかないような20種類くらいの文字の組み合わせで書かれているから、基本的にはヨーロッパ言語と似たような発想の言語なんだろうけど。

それでもとりあえず、わかったことはある。

魔法文字のことだ。

水は『 π(アクア) 』、地は『 Ω(ガイア) 』、風は『 λ(ウィンド) 』。

出てこなかったのでわからないが、火もあるだろう。

ここではそれぞれ π(パイ) やら Ω(オーム) やら λ(ラムダ) やらで誤魔化したが、正確にはそれらに似たような未知の文字だ。読みの方は、ジュリア母さんの言葉に注意して聞き取ったからそのままだが。

母さんは読み上げながら該当部分を指でなぞってくれたので、大事なところだけは何とか拾うことができた。

でも、他のところは初見じゃさっぱりだ。

「ぁうぁう~」

もういっかい! という気合いを込めて今の箇所を手のひらでぺしぺし叩く。

「え~? もう一回読んでほしいのぉ?」

ジュリア母さんはあからさまにめんどうそうだったが、俺のリクエストに応えて、同じ箇所をもう一回読んでくれた。

今度は【インスタント通訳】をOFFに切り換え、生の音を拾うことにする。

……うわ、本気でわかんねえ。

「#$%◇…………『 π(アクア) 』…………『 Ω(ガイア) 』……『 λ(ウィンド) 』……」

俺は舌足らずなりに口をもごもご動かしながら、母の言葉を真似しようとする。

で、終わるとさらにアンコール。

泣いたりすがりついたりしながらジュリア母さんに十度くらい、読んでもらっただろうか。

俺の方はまだまだ物足りないくらいだが、【不易不労】があるわけでもない母さんはさすがにうんざりした顔をしていた。

そんな母さんを尻目に、俺は今聞いたばかりの音声を、必死で脳内で再生し続ける。

生前の俺の頭じゃ、見知らぬ言語を十回繰り返してもらった程度で覚えることはできなかっただろうが、赤ん坊の吸収力のおかげか、それとも精神的に疲れることがない【不易不労】のおかげか、聞き取れた範囲の言葉は記憶できたと思う。

もちろん、それだけではすぐに忘れてしまうだろうから、俺はそれから半日の間、『アバドン魔法全書』水の項をひたすら諳んじ続けることにした。

生前ならどこのカルト宗教の修行かという過酷な反復作業だが、【不易不労】のおかげで飽きず疲れずぶっ通しで続けられる。

母さんは『アバドン魔法全書』をベッドサイドに置いていってくれたので、俺はぶつぶつと水の項を唱えながら本の文章を目で追いかける。

そうするうちに、何となく、文章の法則のようなものが見えてきた。

水の項の中に複数個含まれている単語は意味が推測できるし、音と対応づけてスペルの規則を読み解くこともできる。

さいわい、スペルはだいたい音をそのまま表しているようで、子音と母音に分けるとほぼその規則を把握することができた。

馴れない文字なので、元の世界のアルファベットと照らし合わせ、その対応関係を逐次暗記していくことにした(ノートなどに書き留められれば便利なのだが、この部屋にはそういうものがなかったのだ)。

明るいうちに解読して、夜のうちにひたすら繰り返し暗唱し、アトランダムにでも思い出せるように頭の中で整理した。

前世だったら想像しただけで逃げ出したくなるような面倒な作業だが、【不易不労】のおかげで疲れることもなく、一昼夜のうちにマルクェクト文字とアルファベットの対応表を、完全に頭の中に納めることができた。

これで、見たことのない文章でも、とりあえず発音することだけはできるわけだ。

そして、このアルファベット対応作業をやっているうちに、面白いことに気がついた。

π(アクア) 、 Ω(ガイア) 、 λ(ウィンド) の魔法文字が、他の単語のスペルにも頻繁に登場するのだ。

しかも、どうやらこれらは母音を表しているらしい。

俺の作った対応表では、こうである。

・ π(アクア) = a

・ Ω(ガイア) = o

・ λ(ウィンド) = u

そして、この言語(マルクェクト語?)の母音は4つしかない(au、ouなど母音を組み合わせた複合母音はある)。

つまり、残る最後の母音、

・卜= i(e)

この母音は、 火の魔法文字(・・・・・・) のはずだ。

読み方はわからないけど、ファイアとかフレイムとかフレアとか、そんな感じなんだろうな。

とりあえず「ボク」と読むことにしたけど。

いやあ、この推理にたどり着いた時には興奮した。

俺 っ て 天 才 !

頭の上にそんな横断幕がかかっているような気がした。

そして、頭の中をこの文字(卜)でいっぱいにしながら、布団を指先でなぞって「 卜卜卜卜卜卜(ボクボクボクボクボクボク) ……」と書き続けた。

【不易不労】の集中力を全開にして、である。

そうしたら――

小火になりました。