軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

112 王立劇場の惨劇

――騒ぎが起こったのは、『ベアトリーチェ』の幕間のことだった。

「――きゃああああっ!」

突如甲高い悲鳴が聞こえた。

その方向は――ミリア先輩が向かった化粧室の方だ!

俺は二等席から立ち上がって悲鳴の方へと駆け出した。

悲鳴は二等客席の西側出入り口の奥から聞こえた。

〈仙術師〉で強化した脚力でもって出入り口を素早く抜けると、そこは劇場の外周に沿った一本道の廊下になっている。左右に出入り口などもなく、化粧室までは一直線だ。

「エド!」

途中で急いで飛んできたらしいメルヴィが追いついてきた。

俺はメルヴィとともに化粧室の前へとたどり着く。

「――どうしました!?」

婦人用化粧室の前で、若い女性が腰を抜かして倒れていた。

「あ、あれ……」

女性は床にへたり込んだまま化粧室の中を指さす。

化粧室の床が、血塗れだった。

そしてその奥に、血に塗れた貴族らしい女性と、ミリア先輩の姿があった。

ミリア先輩は女性の血を浴びてせっかくのドレスが赤く染まってしまっている。

「先輩!」

「エドガー君」

ミリア先輩は、血に塗れた貴族の女性の首を手で懸命に押さえて【治癒魔法】を使っているが……正直言って手遅れにしか見えなかった。

女性は喉のみならず腹も切り裂かれていて、腹からは腸の一部がはみ出してしまっている。

俺は思わず化粧室の壁を見るが、「X」の文字は見当たらなかった。

「化粧室に来たらこんなことに……かろうじて息はありますが、このままではとても……」

「 切り裂き魔(リッパー) は見かけませんでしたか!?」

「私が化粧室に入ろうとしたら、襤褸をまとった少女に突き飛ばされました」

襤褸をまとった少女だって?

「その少女はどっちに!?」

「あっちです。劇場の奥の方に逃げました!」

「わかりました!」

俺は頷いて化粧室から飛び出した。

化粧室から奥に向かっては一本道が続いていて、その突き当たりには関係者以外立入禁止と書いてある地味な扉があった。

俺は閉まっていた扉の向こう側の気配を探ってから扉の奥へと滑り込む。

扉の奥は薄暗い舞台裏のようだった。

「待って、エド! トゥシャーラヴァティちゃんが反応してる!」

メルヴィが次元収納から俊哉を取り出しながら言ってくる。

「強いカースの反応――こっちよ!」

メルヴィは舞台裏を抜けて奥にある勝手口へと向かい、〈サイキック〉の念動力で勝手口の扉を開けた。

その奥にあったのは人通りの少なそうな裏路地だ。

俺とメルヴィは裏路地を右へ左へ曲がりながら駆け抜け――

「うっ!」

裏路地が少し広がったと思った途端、俺は凄惨な現場に行き当たっていた。

地面や建物の壁には血が飛び散り、血の海の中に若い女性が倒れている。

若い女性は喉と腹を裂かれ、腹からは子宮が引きずり出されて暴かれていた。

手足はバラバラにされていて、周囲に力任せに叩きつけられたような跡がある。

そして、路地の壁には「X」に類似したいつもの文字が書き殴られていた。

「―― 切り裂き魔(リッパー) !」

だけど―― おかしい(・・・・) 。

今、劇場の化粧室で凶行に及んだ 切り裂き魔(リッパー) は、この路地へと逃げこんだばかりのはずだ。この短時間で 切り裂き魔(リッパー) はさらにもう1件の犯行をやってのけたというのか? しかも、追手がかかるかもしれない状況で?

「エド! 考えるのは後よ! まだ 切り裂き魔(リッパー) が近くにいるかもしれないわ!」

メルヴィの言葉に俺は我に返る。

「俊哉の反応は?」

「消えたわ……」

「消えた?」

「ちょっと前までこの場所を指してたみたいなんだけど、ここに着く直前に消えたわ」

どういうことだ?

いや、今はそれを考えてる場合じゃない。

さいわい裏路地は曲がりくねってはいるが分かれ道はなかった。

このまま追いかければ 切り裂き魔(リッパー) に追いつける可能性は十分ある!

俺は現場を乱さないように迂回して、裏路地のさらに先へ向かって駆け出した。

時間としては数秒、距離にしても200メートル弱くらいだろうか。

俺は目の前に突然現れた人物にぶつかりそうになった。

「おっと」

「わっ……って、シ、シエルさん!?」

そこに現れたのは、なんとシエルさんだった。

「また君ですか、エドガー君。最近よく会いますね」

のんきに言ってくるシエルさんに、

「シエルさん! 今誰か出て来ませんでしたか!?」

「いえ……誰も出てきてませんけど……?」

くっ……逃がしたか?

「シエルさんはいつからここに?」

「数分ほど前からでしょうか」

「こんなところで一体何を?」

「こんなところ……と言いますが、すぐそこが表通りなんですよ?」

シエルさんに言われて1ブロック先を見に行くと、たしかにそこは表通りになっていた。

「ほら、そこに食堂があるでしょう? あそこのテラス席で遅めのお昼をいただいていたのです」

食堂のテラス席は、裏路地からの出口がよく見える位置にあった。

あそこにいたというなら、裏路地から誰かが出てきたら気づくだろう。それも、犯行直後で殺気立っているはずの 切り裂き魔(リッパー) が現れたら、勇者であるシエルさんが気づかないはずがない。

「どうして裏路地に入ってきたんです?」

「何か騒々しい気配がしましたので、確認しようと思ったのです」

シエルさんの言葉に嘘はないように思えた。

そうこうしているうちに、劇場側から裏路地を通ってエレミアが現れ、それからしばらくして【事件察知】によって事件に気づいたベルハルト兄さんが現れた。

今回は《 月騎の仮面(マスク・オブ・ムーンライト) 》ではなく竜騎士装備のままのベルハルト兄さんは、まず劇場にやってきて、それから後にもう一度反応を感じ取って、俺とメルヴィと同じ経路で裏路地の現場へと行き着いたという。

細かく聞くと、ミリア先輩と化粧室の前にいた女性が 切り裂き魔(リッパー) の犯行現場に遭遇した瞬間に大きな反応がひとつあり、その後、俺とメルヴィが裏路地の現場を発見した時に同様の反応があったという。 切り裂き魔(リッパー) はいつものように犯行時に犠牲者に悟られることなく一瞬で殺してのけているということになる。

そこからさらに遅れて巡査騎士たちが集まってきて、現場周辺は封鎖されることになった。

ミリア先輩が診ていた被害者の女性は結局助かることはなかった。というか、ミリア先輩が発見した時点で死亡していたという方が正しいだろう。

俺自身も駆けつけてきたコルゼーさんに事情を聴かれることになり、巡査騎士団が借り切った劇場の一室へと向かうことになった。

なお、劇場での事件を第七の事件、裏路地での事件を第八の事件と呼ぶことに決められた。

つまり、どちらも 切り裂き魔(リッパー) の犯行だと巡査騎士団が認定したということになる。

第七の事件の方は、現場に「X」の文字がなかったが、これは作業途中でミリア先輩と女性に発見されたためだとコルゼーさんは判断したのだ。

道すがら、同行することになったコルゼーさんに聞くと、第七の事件の被害者は『ベアトリーチェ』を観に来ていた貴族の婦人、第八の事件の被害者は王立劇場に出入りする女優の卵のひとりだったという。

これまでの 切り裂き魔(リッパー) 事件同様、この2人には接点らしきものは見当たらなかった。

「ただ、ひとつだけ引っかかることがあるんですがね」

とコルゼーさんが言う。

第八の事件では、第六の事件同様、生前に被害者が四肢を引きちぎられていたのだという。

これは、いわゆる「生活反応」(生きている身体に外傷等が加えられた場合の生体の反応)が見られることから確実だという。

つまり、被害者は 切り裂き魔(リッパー) によって生きながらに殺されていることになる。

しかし、それならその時点でベルハルト兄さんの【事件察知】に反応がなければおかしい。

結局第八の事件について【事件察知】の反応が得られたのは、俺とメルヴィが現場を発見した時だったのだ。

その点では、第六の事件と第八の事件はよく似ている。第六の事件の冒険者も生きながら殺されたと思われるが、【事件察知】に反応はなかった。

現場の状況――死体がバラバラにされていることと、血肉の飛び散り方の激しさも第六の事件と同じだった。

「第六の事件の被害者は実力のある冒険者でした。第八の事件の被害者は一般人ですが、 切り裂き魔(リッパー) は第七の事件の現場から逃げる最中で余裕がなかったんでしょう。 切り裂き魔(リッパー) は、第六の事件と第八の事件の時には、他の事件と異なり『本気』を出した……ということかもしれませんな」

コルゼーさんの言葉にも確信はなく、自分の言ってることに半信半疑という様子だった。

コルゼーさんと事件についての話をしているうちに、劇場に用意してもらった一室に着いた。

案内された部屋には、ドンナの姿があった。

「エドガーくん、エレミアちゃん」

ドンナがそう話しかけてくる。

父さん、母さんにも話は通っているそうで、じきにここにやってくると聞いている。

ベルハルト兄さんは一足先に事情聴取を終えて竜騎士団の任務へと戻ったらしい。我らが王室探偵・デヴィッド兄さんのもとにも至急の連絡が向かっているはずで、いくら失恋で落ち込んでいるとは言っても、そのうち姿を現すだろう。

「ミゲルとベックは?」

「モリアさんと用事がある先に帰るって」

俺とエレミアはドンナと話を続けようとしたが、

「う~ん……」

といううめき声を聞いてメルヴィを見た。

「どうしたの、メルヴィ?」

そう聞くと、メルヴィは難しい顔のままでつぶやいた。

「……わけがわからないわ」

「何が?」

聞き返すと、メルヴィが顔を上げて言った。

「なんで、 2人とも(・・・・) 嘘を吐いてた(・・・・・・) のかしら。それに、嘘を吐いてたはずなのに、言ってることは正しかったのよ?」

えっ……?

「――どういうこと?」

「ミリアの言ったことも、シエルの言ったことも、嘘だったの。

だけど、ミリアの言った通りに追いかけたら 切り裂き魔(リッパー) の犯行現場に行き着いた。それに、シエルの言った通り、あそこから誰かが出てきたのだとしたらシエルに見つからないとは考えにくいじゃない」

「つまり、 切り裂き魔(リッパー) を見たというミリア先輩の証言と、誰も路地から出てこなかったというシエルさんの証言は嘘だったってことか」

ええっと、つまり、こういうことか?

ミリア先輩は 切り裂き魔(リッパー) を 見ていない(・・・・・) はずであり、シエルさんは 切り裂き魔(リッパー) を 見ている(・・・・) はずだと。いや、正確には違うか。シエルさんは「誰も出てこなかったか」という問いに対してYESと答え、それが嘘だったというのだから、 切り裂き魔(リッパー) かそれ以外の誰かが出てきたのを目撃していたはずだ、ということになる。

たしかにこれはわけがわからないな。

ミリア先輩が 切り裂き魔(リッパー) を見ていないのなら、シエルさんも 切り裂き魔(リッパー) を見ていないはずだ。

逆にシエルさんが 切り裂き魔(リッパー) を見ているのなら、ミリア先輩が 切り裂き魔(リッパー) を見ていてもおかしくはない。

「その……はず。でも、実際にはその証言通りの結果になっているわ」

「 切り裂き魔(リッパー) はたしかにミリア先輩の証言した方向にしか逃げられないはずだし、事実、そこには 切り裂き魔(リッパー) の犯行現場があった。とすると、ミリア先輩の証言は正しかったと判断するのが妥当だろう。メルヴィの証言を無視すれば、だけど。

一方、犯行直後の 切り裂き魔(リッパー) が路地から現れたとしたら、シエルさんが 切り裂き魔(リッパー) を見逃す理由がない。だから、シエルさんは 切り裂き魔(リッパー) には会っていないはずだ。つまり、シエルさんの証言も疑えないように思える。

だから、事実を見れば、2人の証言は正しかったように見える。にもかかわらず、2人は嘘を吐いていた……」

「ミリア先輩は見ていないはずの 切り裂き魔(リッパー) を見ていたと証言し、シエルさんは通ったはずの 切り裂き魔(リッパー) を見逃した上で、誰も出てこなかったと証言したのね」

「まるであの2人が共謀して 切り裂き魔(リッパー) をかばっているみたいだな」

いや、待てよ? 必ずしも2人が共謀している必要はない。

いくつかの矛盾点に目を瞑れば――

俺が考えをまとめはじめたところで、ドンナが俺に言ってきた。

「あのね……わたしは、シエルさんのこと、あまり好きじゃないんだ」

「……どういうこと?」

ドンナは人のことを好きとか嫌いとかはっきり言うタイプじゃない。それなのにそう言うってことは何か理由があるはずだ。

「……笑ってたの」

「え?」

「ベックくんが盲腸?になった時、あの人がナイフでベックくんの腹を裂いたよね?」

「ああ……」

実に手際よく、ベックの盲腸を取り除いてくれた。

今のドンナのセリフで、「盲腸」の部分が自信なさげだったように、この世界では原因がまだ広くは知られていないはずの病気なのに、適切な措置を施していた。

「あの人、ベック君にナイフを突き立てた時……笑ってたの」

「笑って……」

「こう、にぃっ……て感じの、唇を細くして吊り上げるみたいな笑い方……」

ドンナがそう言って自分の身体を腕で抱き、小さく震える。

そうか、ドンナがあの時シエルさんに食ってかかっていたのはそのせいでもあったのか。

それは……ううん、Sっぽいとは思ったけど、そこまでなのか?

本当なら、嗜虐趣味に片足以上を踏み入れている感じだぞ。

嗜虐趣味、といえば、もちろん 切り裂き魔(リッパー) のことが頭に浮かぶ。

犠牲者をおびき出し、警戒される前に殺害し、死体をバラバラに刻み、現場から誰にも気づかれずに逃走する。

もちろん、レベル95の勇者であるシエルさんにはたやすいことだろう。

それに、シエルさんには【空歩】がある。

スキルレベル分、彼女の場合は7歩、空中を踏みしめることができるスキルだ。

7歩ではとても湖を飛び越えられない気がするが、彼女はレベル95の勇者である。

他のスキルや聖剣の力を組み合わせれば、あのくらいの距離を飛び越えることは可能かもしれない。

実際俺だったら、スキルをいくつか組み合わせれば、何とかあの距離を飛び越えることはできると思う。

……いや、たしかに俺なら可能だが、何度も言ってるようにこれが高度な叙述トリックで俺が犯人だったという線は消してくれていいぞ。

つまり、第四、第五の二重殺人についても、シエルさんになら実行可能かもしれないのだ。

それに、シエルさんが 切り裂き魔(リッパー) だったとすれば、先ほどの路地裏の証言についての矛盾が解消される。

切り裂き魔(リッパー) 第八の事件現場(裏路地)から犯行を済ませて出てきたばかりだったシエルさんは、俺たちにばったり遭遇してこう質問された。「ここから誰かが出てこなかったか」と。それに対して「誰も出てこなかった」と証言したが、この証言はメルヴィによって嘘判定が下されている。だから、路地からは確実に「誰か」が出てきたのである。

その「誰か」が 切り裂き魔(リッパー) =シエルさん自身だとすれば、証言の矛盾は解消される。……ミリア先輩がなぜ見てもいない 切り裂き魔(リッパー) を見たと証言したのかという問題は残るのだが……。憧れの勇者であるシエルさんが疑われるのを嫌って、襤褸の少女をとっさにでっち上げた? いや、ミリア先輩とシエルさんには面識はなかったはずだ。

次々と疑わしい人物が出てくるが、毎度 何か(・・) が引っかかるな。

部分的に推理していることはあるが、 切り裂き魔(リッパー) 事件の全体像は謎と矛盾に包まれているようにしか思えない。

デヴィッド兄さんならまた違う考えがあるのだろうが、今は失恋で沈んでいるし……。

とりあえず俺は、王室探偵助手としてシエルさんについて調べてみることにした。

「ありゃあ、逢引きだね」

シエルさんの泊まっている宿の女将さんに話を聞くと、女将さんは声を潜めてそう言った。

女将さんは噂話の好きそうな小太りの中年女性だ。

「逢引き……ですか?」

「顔が緩みっぱなしでねえ。こりゃ、いい人に会いに行くんだろうって、みんなで噂しあってたのさ」

「でも、あの人は王都に来てそんなに経ってないんじゃ?」

「男と女の関係ってのは、時間じゃないんだよ。

坊やにはまだわからないかもしれないけどねぇ」

俺が色ごとに疎いのは事実かもしれないが、それにしたってあの肉食系女勇者だぞ? イケメン貴族との出会いがないことを嘆いていたのに、実は男がいましたというのはちょっと考えにくい。

それならばむしろ、快楽殺人者がこれから起こる出来事にウキウキしながら出かけていったとでも考えた方が納得はいくかもしれない。

そういえば――

悪魔との戦いの時、シエルさんは「夜の散歩」をしているところだったと言っていた。

しかしべつに 切り裂き魔(リッパー) を捕まえてやろうと思っていたわけではなかったような口ぶりだった。

じゃあ、シエルさんの夜の用事は一体なんだったのか?

もちろん、本当に純粋に夜の散歩を楽しんでいたという可能性もあるが、こうなっては確かめないわけにはいかないだろう。

しかし相手はレベル95の勇者である。

追跡は慎重に慎重を期す形で、気配の隠匿が得意な俺とエレミアでシエルさんを尾行することにした。メルヴィにもいてもらいたかったので、【念話】で連絡しつつ後からついてきてもらうことにする。

「……来たよ、エドガー君」

エレミアが囁く。

シエルさんが宿から現れたようだ。

時刻は夜。シエルさんでなければ、女性が出歩くには適切な時間とは言えないだろう。

俺とエレミアが追跡する中、シエルさんは裏路地へと足を踏み入れた。

そして――

「お~、よちよち、かわいいでちゅね~」

シエルさんは裏路地にしゃがみこみ、近寄ってきた黒猫と白猫に小魚を分けてやっていた。さらに、次元収納からトレイを取り出すと、そこに同じく次元収納から取り出したミルクを注ぐ。2匹の猫は争うようにしてトレイに頭を突っ込んでミルクを舐め取っていく。

予想外の事態に、俺は動揺してわずかに気配を漏らしてしまった。

「――っ! だ、誰!?」

猫相手に頬を緩めてはいても、そこはさすがの勇者様、俺の一瞬の失態を見逃さずに振り返る。

「シエルさん、何やってるんです?」

「エ、エドガー君!? あわわっ、まずいところを見られましたね……」

シエルさんが珍しくうろたえた様子でそう言った。

「いえ、意外は意外ですけど、べつに悪いことじゃないでしょう?」

「そ、それはそうですけど……」

顔を赤くしているシエルさんの足元に、ミルクを飲み終えた猫たちが身体を擦りつけて甘えるように鳴く。

「最近、夜に宿を抜け出すって聞いたんですけど、もしかしてこのためですか?」

「うっ……」

俺の追求に、シエルさんは観念したようにうなだれた。

しかし、なんだってそんなに恥ずかしがるのか。

「隠すことじゃないと思うんですけど……」

俺が聞くと、シエルさんは頬を指でかきながら言った。

「ほ、ほら、わたしってば、頼れるお姉さんってキャラじゃないですかー」

「そ、そうですか?」

実力的にはたしかに「頼れる」シエルさんだが、お姉さんキャラかというとどうだろう。

ちなみに、俺とシエルさんが話している間、2匹の猫はエレミアにじゃれついている。

メルヴィは猫が苦手なのか、珍しく嫌そうな顔をして距離を置いていた。まぁ、メルヴィのサイズでは猫という動物はちょっとした脅威かもしれない。

「そ、そうなんです! だから、そのぅ、猫が好きだってことは黙っていていただけると助かります」

「ま、まぁ、いいですけどね……」

何だか、シエルさんが 切り裂き魔(リッパー) ではないかと疑っていたのが馬鹿らしくなってきたな。

いや、厳密に言えば、まだシエルさんへの嫌疑は晴れてはいないのだが。

こうなったからには直接聞いてみるか。

「シエルさん、失礼ですけど、 切り裂き魔(リッパー) 事件が起きた時に、どこでどうしていたかを聞いてもいいですか?」

俺の質問に、シエルさんはようやく合点がいったというように頷いた。

「なるほど、私が疑われているわけですか」

「あくまでも可能性の問題です」

どうも兄さんの口癖が移ってしまったようだ。

俺は手帳を取り出して事件の日時をひとつひとつ告げ、シエルさんにその日の行動を思い出してもらうことにする。

シエルさんは俺の話を頷きながら聞き、少し考えてから言った。

「まず、第一の事件、第二の事件が起きた12月、1月は、私はまだ王都に到着していませんでした」

……いきなり鉄壁のアリバイが来たな。

「第三の事件の時には王都にいましたが、それ以降、どの事件の夜も、新市街の宿にいたはずです。もちろん、この子たちに餌をやりに外に出ることはありましたけど」

「それを証言できる人物はいますか?」

「宿の女将さんに聞いてもらえればいいと思います。それから、第四・第五の事件の時は、知り合いの吟遊詩人の方と情報交換をしましたね。話が弾んで、かなり夜更けまで話をしていたと思います」

検証は必要だが、アリバイは成り立ちそうだな。

しいていえば、新市街で起きた第六の事件――エルフの男性冒険者が殺された事件当夜のアリバイが、女将さん頼みになることが弱点だろうか。勇者だけに、女将さんの目を欺くだけならなんとかなりそうではある。

しかし、それ以外のアリバイはかなり強固だった。そもそも 切り裂き魔(リッパー) 事件が始まった時期に王都にいなかったんだからな。

帰り道、俺は念のためメルヴィに聞いてみた。

「そうだ、メルヴィ。今回シエルさんは嘘をついてなかったよね?」

「ええ」

だとしたら、検証するまでもない。

シエルさんは 切り裂き魔(リッパー) ではありえないってことだ。

それにしても――

「夜な夜な抜け出す奴、多すぎだろ……」

容疑者が現れては容疑をすり抜けていく連続に徒労感を覚えつつ、俺はそうつぶやいたのだった。

――しかし、この時の俺は気づいていなかった。

切り裂き魔(リッパー) 事件は俺の知らない間に山場を迎え、複雑にもつれ合った思惑が、否応なしに表の世界へと噴き出そうとしていることに――。