軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

10 炎獄の魔女

父さんが呆けていたのは、ごく短い間だった。

自分の父親が不安そうにしてるってのは、赤ん坊としては結構恐いもので、その時間はすごく長く感じられた。

我に返った父さんの顔には、断固とした決意があった。

「――籠城する! 砦の外に出ている兵員の収容を急げ! 収容が終わり次第、跳ね橋は上げろ!」

「は、はい!」

騎士は敬礼を返すなり駆け出して行った。

父さんは俺たちの帰りの支度を手伝っていた秘書官に言って、砦内の全将校に緊急招集をかけさせる。

「ジュリア、エド。悪いがしばらく帰れなくなった」

「しょうがないよぉ。……でも、大丈夫なの?」

母さんが気にしているのは、砦の兵力のことだろう。

北のザックホルツへの応援部隊は、既に昨日の夜にはこの砦を発っていた。

その数、一千。

もともとこの砦にいた兵の実に3分の2が砦を離れてしまっている。

父さんは後方の都市から兵を送るよう命令を出していたはずだけど、その部隊がランズラック砦に到着するのは何日か先のことになるはずだ。

つまり、父さんはたった500人の兵力でもって、報告によれば2000を超えるという傭兵団〈黒狼の牙〉を相手に砦を守らなければならない。

〈黒狼の牙〉は 恣(ほしいまま) に略奪をすることで悪名高い傭兵団だが、それでも使わざるをえないほどに精強だと言われている。

もちろん、砦を放棄して後背の都市まで防衛線を下げるなんてことはできない。

ランズラック砦の背後にある街や村(俺たちも行きに立ち寄った街や村だ)を〈黒狼の牙〉の好きにさせるわけにはいかないのだから。

前世における俺のニワカ知識では、攻城戦では守備側が圧倒的に有利で、攻め落とすには3から5倍の兵力が必要になる、という話ではあった。

今回、彼我の戦力差は500対2000で4倍。

しかし、〈黒狼の牙〉が精鋭であることを考慮すれば、5倍を超えてくる可能性がある。

後背の都市からの増援の当てはあるし、ザックホルツへ向かった部隊へも戻るよう連絡を取るのだろうが、いずれにしても到着まで数日を要することになるだろう。

決して、楽観できる状況じゃない。

「すまない……おまえたちを巻き込んでしまった」

父さんが、母さんにそう言って頭を下げた。

ジュリア母さんは、そんな父さんに黙って近づき、肩をつかんで顔を上げさせる。

「もー、何言ってるの、アルくん!

わたしは、今日ここにいられてよかったと思ってるんだよ?

わたしの知らないところでアルくんが戦ってるのを、ただ待ってるのはもうイヤ。

それくらいなら、わたしも一緒に戦う方がずっといいよ」

「ジュリア……」

父さんが意外そうな顔をする。

「ホント言うとね、アルくんがずっと砦にいて、わたしがずっとおうちにいるって状況がこの先もずっと続くようだったら……わたし、エドガーくんを連れておうちを出て行こうって思ってた」

「な……っ!」

父さんが絶句した。

ていうか俺も絶句した。

父さんのことを心から愛していて、顔を見てるだけでも幸せって感じの母さんがそんなことを考えてたなんて。

口を金魚みたいにパクパクさせる父さん(と俺)をさしおいて、ジュリア母さんは続ける。

「でも、エドガーくんが気づかせてくれたんだ。

わたし、アルくんがおうちにいられないことを、ずっと不満に思ってた。

だけど、それをアルくんにちゃんと伝えようとしなかった。お仕事だからしょうがないって思ってずっと我慢してた。

アルくんはわかってくれなかった。

ううん、責めてるんじゃないの。わたしが言わなかったんだから、気づかなくて当然。

でも、エドガーくんが教えてくれた。ちゃんと言わなきゃわかんないぞって。わたしは悲しいんだ、放っておかないでって言わなきゃ、お父さんは気づかないよって」

同じ男として、父さんが気づかなかったのはしょうがないと思う。

3500人の部下を抱えて、砦の向こうの国では内戦が起きていて。

そりゃ、家庭のことを顧みる余裕なんてなくなりもする。

それでも無理矢理休暇を取って、馬を乗り継いで俺に会いに来てくれたんだから、それで責めちゃ酷ってもんだろ。

俺がジュリア母さんの悲しみに気づいたのは、岡目八目ってやつだ。

俺は生まれたての赤ん坊で、母さん以外の人とはほとんど関わりがない。

自分の世話すら自分ではできず、母さんの手を借りなきゃいけない。

そんな状況なんだから、母親の気持ちに敏感になるのは当然と言えば当然だ。

「だから――アルくん。

わたしのことを、そばに置いてください。

あなたと一緒に、戦わせてください。

あなたの背中を守らせてください。

わたしだって、戦えるんだから」

「…………」

あかん、オヤジ様が完全に息してないよ。

俺はこっそり【物理魔法】を使って父さんの足下の小石を動かし、父さんのすねにぶつけてやる。

「……っ。ジュリア……」

再起動した父さんが、真剣な表情で母さんの両肩をつかむ。

「――これまですまなかった。

僕は自分の仕事にかまけるばかりで、君の気持ちを考えようともしていなかった。

それはこれから改める。

至らない夫だが、これから先も、どうか僕のことを見捨てず、僕の側で――僕の隣に立って、一緒に戦ってほしい」

「アルくん……」

「ジュリア……」

完全に二人の世界に入ってしまった父さんと母さんが、ゆっくりと顔を近づけ――

「――おっほん」

「っ!」「ッ!」

唐突に割って入った咳払いに、二人が飛び上がる。

俺はだいぶ前から気づいてたんだけど、今、二人の周囲を遠巻きにするようにして砦の騎士の皆さんが囲んでいた。

そりゃ、ついさっき、全将校に招集をかけていたからね。

集まってくるよね。

「司令官殿、夫婦仲がよろしいのは結構ですが、そろそろ軍議に入りませんかな?」

中でもいちばん年かさの、50代くらいの髭の騎士がそう言った。

「あ、ああ、いや、そのつまり……」

父さんはひとしきりあたふたしてから、咳払い。

「ん。そうだな、軍議を始めよう」

「ええ。ですが、その前にそれがしから一言」

「何だ?」

父さんが聞き返すと、髭の騎士は他の騎士たちの方を振り返り、

「我らが司令官殿は、人徳に優れ、知謀にも優れ、槍術に優れ、その上、今皆も見たように類い希なる愛妻家でもあられる!

かくもすばらしき司令官殿とその家族を、むざむざ〈黒狼の牙〉がごとき賊の手にかけさせることがあってよかろうか!

答えは断じて否であるッ!

騎士諸君! 賊共に王国騎士のなんたるかを見せつけてやろうではないか!」

おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――ッ!

騎士たちの凄まじい叫びで、堅牢なはずの砦がびりびりと震える。

それ以上に、俺の鼓膜が、魂が震えた。

数の上の不利なんて、何とでもなりそうな気がしてきたぜ。

◇◆◇◆◇◆◇◆

傭兵団が地平の彼方から姿を見せたのは、籠城戦の準備がすべて整った直後のことだった。

時刻は正午。

揃いの黒い鎧甲で身を固めた〈黒狼の牙〉は、本陣と二つの別働隊に分かれ、ゆっくりと、だが着実にランズラック砦を包囲していく。

その動作を見ているだけでも、〈黒狼の牙〉が傭兵団離れした高い練度を誇っていることがわかる。

俺と母さん、父さんは、城壁の上に立って〈黒狼の牙〉本陣の様子を眺めている。

俺を戦場に連れて行くことに関しては、危険だとの指摘も当然上がったのだが、

「わたしの側がいちばん安全だから」

とジュリア母さんがこともなげに言ってのけたために、俺は母さんの背中に背負い紐で固定されることになった。

俺がむやみに泣くような子どもじゃない、ということもそうすることになった理由のひとつらしい。

ジュリア母さんは、元Aランク冒険者で、《炎獄の魔女》の二つ名を持っている。

おさらいをかねて、今一度【鑑定】してみようか。

ジュリア・キュレベル(キュレベル子爵夫人・《炎獄の魔女》)

20歳

レベル 47

HP 79/79

MP 253/253

スキル

・達人級

【火精魔法】4

【魔力制御】4

・汎用

【火魔法】7

【水魔法】3

【風魔法】3

【地魔法】2

【光魔法】3

【念動魔法】2

【魔力操作】5

【魔力感知】6

【同時発動】3

うん、何度見てもやばいね。

比較のために、城壁の上を走り回っている騎士の一人を【鑑定】してみる。

トーマス・ピーパー(士爵・サンタマナ王国第三方面軍・第二三小隊長)

24歳

レベル 19

HP 35/35

MP 11/11

スキル

・汎用

【剣技】5

【槍技】3

【乗馬技】4

【水魔法】1

母さんと比べると相当に見劣りするけど、これでも周囲にいる騎士の中では優秀な部類に入る。

スキルも、スキルレベルが5を超えるスキルの持ち主は数えるほどだ。

小隊長なのにまだ【指揮】のスキルも持ってないみたいだし。

だから、母さんの「隣で戦う」発言も、あながち比喩だとは言い切れない。

というか、まったくもって比喩などではなく、100%本気も本気、文字通りの意味で言っていると思うべきだ。

それについて、ジュリア母さんはこんな風に覚悟を語っていた。

「――わたし、ちょっと本気で頭に来ちゃったよ。

アルくんの守ってる砦に攻め入ろうだなんて、アルくんを馬鹿にしてるよね。

わたし、絶対に許さない。

あの黒犬だか何だか言う傭兵団……一兵たりとも逃がさないから」

《炎獄の魔女》、完全にプッツン来ちゃってました。

怖いよ、背中にいる身にもなってくれよ!

俺が母親にビビってる間に、〈黒狼の牙〉に動きがあった。

やつら、降伏勧告も、宣戦布告もしなかった。

戦場で村や街を襲う時のような気軽さで、濠の向こうから砦に向かって弓を射はじめる。

一応食うに困って庇護を求めてきたのかもという紙より薄い可能性を考慮して砦からは仕掛けなかったんだが、向こうからやってくるのなら構わないだろう。

砦からも矢や魔法が放たれるが、その頃には傭兵たちは後方へと下がっていてたいした被害は出なかったようだ。

こちら側にも今のところ被害はない。

そんな様子見がしばらく続いていたのだが、いい加減焦れたのか、それともこちらの戦力の把握が終わったのか、傭兵団は砦を囲む別働隊も動かして、全方位から同時に攻勢をかけてきた。

長さ10メートルほどある長いはしごを持った傭兵たちが、矢や魔法の降り注ぐ中濠へ向かって突貫し、そのはしごを城壁にかけようとする。

濠の幅が5メートル、城壁の高さが10メートルだから、斜めにはしごをかけようとすると長さが足りない。

その分を投げばしごのようなもので補う作戦のようだが、砦側がそれを簡単に許すわけもなく、矢で傭兵を落とし、はしごは魔法で破壊していく。

運の悪い傭兵は顔面を矢で射られたあげく城壁や固い地面に向かって落ち、運がいい傭兵は肩や腕を射られて濠の水の中にダイブする。

父さんが自慢していたとおり、濠の水位が絶妙で、一度落ちたら外からの助けがない限り戻るのは難しい高さになっている。

砦の騎士は濠に傭兵がある程度たまったところで城壁の上から油を撒き、火種を落として身動きの取れない傭兵たちを焼いていく。

戦場には血の臭いとともに焼かれた人肉の不快な臭気が立ちこめていく。

現代日本人からするととても正視に耐えない光景だと思う。

ただ、俺にはどういうわけかそれほどきついとは思えなかった。

ひょっとしたら、【不易不労】の効果で精神的な消耗が打ち消されているのかもしれない。

逆に言えば、【不易不労】が自然に仕事をし出すほど精神的に辛い光景が繰り広げられているともいえるが。

間違っても0.5歳児に見せるもんじゃないけど、その辺はやはり、優しく見えても軍人であり元冒険者だってことなんだろうな。

城壁の上に立つジュリア母さんは、父さんの指示を受けて得意の【火魔法】を傭兵に向けて放っている。

「―― ル(コンセト) ・ 卜(フレイム) 、《フレイムランス》!」

赫い光芒が閃き、城壁に取り付こうとしていた傭兵が二人まとめて串刺しになった。

そのまま直進した炎の槍は地面と接触した瞬間に爆発、さらに何人かの傭兵を火だるまにした。

『アバドン魔法全書』にもある二文字発動と呼ばれる技術だが、それだけではここまでの威力にはならないはずだ。

ジュリア母さんは、二文字発動を達人級スキル【火精魔法】で行うことで飛躍的に威力を高めているのだと思う。

母さんの魔法の威力に、傭兵たちがたじろぐのがわかった。

が、そこはさすがに数多くの修羅場をくぐり抜けてきた傭兵たちで、近くにいた弓兵たちに檄を飛ばし、母さんに矢を集中する。

場数では決して敵に劣らない母さんは、落ち着いて城壁の陰に身を潜めるが、このままでは魔法の狙いをつけることもできない。

傭兵たちはその隙に、後方から運ばれてきたはしごをかついで再び城壁に取り付こうと迫ってくる。

「もぅ~、めんどくさいなぁ!」

母さんは、普段の様子からは想像できない素早さで城壁の陰から陰へと移動しつつ、「 卜(フレイム) 、《フレイムビット》」を放って傭兵たちを牽制する。

動きながらでは一文字発動が限界で、母さんの魔法は牽制にしかなっていない。

それでも、母さん一人で傭兵たちを十人単位で足止めしているのだから十分に凄い。

が、その時――

「投石機だ!」

〈黒狼の牙〉本陣の奥から、巨大な台車が牽かれてきている。

台車の上には差し渡し5メートルはありそうなシーソーのようなもの。

誰かが叫んだとおり投石機に違いない。

岩を装填された投石機がぐわんとたわみ、次の瞬間、直径1メートルはありそうな巨大な岩が飛んでくる!

しかもこれ、ジュリア母さん(と俺)に直撃するコースだ!

「くっ……!」

さすがの母さんも焦りを滲ませつつ、 ♭(フィジク) を使って岩に干渉しようとするが、魔法が間に合いそうにない。

大岩は目前に迫り――

「ばぁぶ!」

俺の目の前で大岩が止まった。

【物理魔法】【無文字発動】同時使用でMP20――それだけでは足りず、【物理魔法】は合計3回分の魔力を吸われてMPを40も持って行かれた。

そこでさらに俺はもう一度【物理魔法】を使う。

♭(フィジク) 、 ♭(フィジク) 、 ♭(フィジク) 。

いや、一度と言わず三度分のMPを注ぎ込んでやった。

大岩は空中で進路を反転、行きと同じ軌道をそのまま戻り――

どごぐわぁぁぁっ!

と凄まじい音を立てて投石機を破壊する。

それに巻き込まれて大岩の下敷きになった傭兵が二名、飛び散った投石機の破片を食らった傭兵も何人かいるな。

宙に向かって手を広げたままの俺を、ジュリア母さんが驚いた顔で振り返る。

「エドガーくん、助かったよ。ありがとう~。まさかこんなことまでできるなんてねぇ」

母さんが投石機のあった場所を見ながら言った。

今の投石返しに傭兵たちは度肝を抜かれたらしく、呆然と俺の方を(正確にはジュリア母さんを)見上げている。

せっかくの攻撃のチャンスなのだが、砦側の兵も驚いてジュリア母さんの方を振り返っている。

その間にその場のリーダーらしき傭兵が味方をまとめ、再び母さんに矢を集中してくる。

傭兵たちは、というか砦の兵も、今のは母さんがやったと思っているようだ。

傭兵たちは必死の形相で母さんに矢を射かけ、砦の兵は「司令官殿の奥方様が目にもの見せたぞ!」と叫ぶ髭の人に煽られ鬨の声を上げている。

……ま、そりゃ母さんの背中におぶられてる0.5歳児がやったとは誰も思わんよね。

「だ、大丈夫か!?」

少し離れた場所で全体の指揮を執っていた父さんが、あわてて俺たちに駆け寄ってきた。

「うん、大丈夫だよぉ。エドガーくんが守ってくれたから」

「なっ……、じゃあさっきのあれは、エドがやったのか!?」

「ばぁぶ」

どや、と胸を張ってみる。

「ま、まあいい。無事ならそれで十分だ。傭兵団のくせに投石機まで用意してるとはな。おおかた戦場で鹵獲したものなんだろうが」

斥候に走らせた騎士たちによると、本陣にも別働隊にもこれ以上投石機はなさそうだとのこと。

俺たちの無事を確かめて再び指揮へと戻る父さんを尻目に、母さんが俺に話しかけてくる。

「エドガーくん、しばらくお母さんを守ることってできる?」

大技を使うために時間を稼いでほしいのだという。

大技って、さっきの《フレイムランス》よりも凄い魔法があるってことか。

それは見たい。

「ばぁぶ!」

俺は任せろ!とひと泣きしてから立て続けに ♭(フィジク) を書く。

ちなみに、【不易不労】のおかげでさっき使ったMPはもう回復している。

今の俺のMPだと、10秒後に回復が始まり、5秒で最大値まで回復する。

戦いの最中であれだが、ちょっとステータスを見せておこうか。

エドガー・キュレベル

レベル 1

HP 4/4

MP 649/649

スキル

・神話級

【不易不労】-

【インスタント通訳】-

・伝説級

【鑑定】9(MAX)

【データベース】-

・達人級

【物理魔法】3

【魔力制御】3

【無文字発動】4

・汎用

【火魔法】1

【水魔法】1

【風魔法】1

【地魔法】1

【光魔法】1

【念動魔法】9(MAX)

【魔力操作】9(MAX)

【同時発動】9(MAX)

《善神の加護》

道中のMP最大値向上策が功を奏して、現在の最大MPは649。

ジュリア母さん(253)の2.5倍を超える値をマークしている。

と、ジュリア母さんのMPも把握しておくべきだな。

《ジュリア・キュレベル。HP:79/79、MP:210/253。》

うん、怪我もないようで何より。

さて、矢の雨が降り注ぐ中、母さんは「大技」とやらの集中へと入る。

こんな状況なのに剛胆にも目をつぶり、外界の様子を気にするそぶりもない。

俺が守れなかったらどうするつもりなんだ?

そこまで信用されてはやるっきゃないので、俺は十個書き連ねた ♭(フィジク) を発動、飛んでくる矢のうち母さんに当たりそうなものを射手へとそっくりそのままお返しする。

風切り音を立てて空中を走った矢が、矢を射た傭兵の顔や首に突き立っていく。

岩の時と違って、自分の手で殺したという感覚があったが、今更だ。

こみ上げる吐き気を堪えて、俺は意識を集中し直した。

そうして時間を稼ぐこと一分ほど。

母さんがカッと目を見開き、宙へと赫い文字を刻みながら、何かやたらやばそうな呪文を紡いでいく。

「―― 卜(炎ヨ) ・ ∨・∨(全テヲ) ・ 卜・卜(灼キ払ウ) ・ λ・λ(旋風ト化セ) ――《 火炎嵐(ファイヤーストーム) 》っ!」

7文字……だと?

愕然とする俺をよそに、母さんの身体から膨大な魔力が噴き出し、城壁の前に固まっている傭兵たちの一団を包囲する。

魔力は戸惑う傭兵たちの周囲を回転しながら徐々に加速していき――

ぶぉわっ……

魔力が一斉に赫い炎と化した。

炎に取り囲まれた傭兵たちが慌てるがもう遅い。

赫い炎は勢いを増して猛り狂い、灼熱の旋風と化して傭兵団を呑み込んでしまう。

そのまま竜巻と化した火炎嵐は、ふらふらと蛇行しながら傭兵団の本陣へと向かい、惜しいところで本陣をかすめた。

それでも本陣の天幕が風に巻き上げられ――中にいた傭兵たちまで竜巻に呑み込まれている。

火炎の暴風は〈黒狼の牙〉の陣地を散々に荒らしてからゆっくりとその勢いを落とし、風に紛れるように消滅した。

「ばぁぶふぁ、ばぅばうふぉまふぉ……!」

(これが、《炎獄の魔女》……!)

本陣を失った傭兵たちが呆然としているのはもちろん、砦の騎士もあまりの事態に愕然としている。

――これで戦いの趨勢は決した。

誰もがそう思ったのだが……