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【書籍化決定】可愛い私に、地味なドレスを着させた姉の話

作者: 木山花名美

本文

小さな領地と、長い歴史を持つ子爵家。

私はその家の、二人目の子として、祝福に包まれ生を受けた。

母は産後の肥立ちが悪く、私を生んで半年後に身罷ったが、十二歳離れた姉が、母親のように私を可愛がってくれたそうだ。

私が二歳の時、父も病に倒れた。

度重なる水害で領地経営が悪化の一途を辿る中、最後まで私たち姉妹を心配しながら、天に召されてしまった。

女性も爵位を継げる国であるが故に、わずか十五歳で子爵となり、領主となってしまった姉。

息を引き取る前日まで金策に駆けずり回った父のおかげで、何とか復興の目処は立っていたが、経営難であることに変わりはなかった。

もちろん我が家の家計も火の車だった。

暇を出す前にほとんどの使用人が屋敷を去り、残っていたのは家令と乳母、それと行き場のない者が数人だけ。

身を寄せ合い、支え合って暮らした。

二人きりの時、姉は幼い私を、何も言わずに強く抱き締めていたことがあった。もっと私が大きければ、震える姉の背に腕を回して、撫でてあげることができたのにと、大人になった今では申し訳なく思う。

記憶にある姉は、いつも無造作に髪を束ね、一回りも老けて見えるような地味なドレスを着ていた。

ドレスにデビュタントに恋人……そんな華やかな世界とは遠い所にいたのだろう。今日はどんな髪型にしようかしらと、鏡の前で娘らしい悩みを抱くこともなく、領主として奔走していた。

あれは私が四歳の誕生日を迎えたばかりの頃だろうか。穏やかな家令と姉が、珍しく口論をしているのを目撃した。

その数日後──

私は突然、一人の青年を紹介された。

そして毎日、ピアノの前に座らされることになったのである。

その青年は音楽教師だった。まだ二十代後半と若かったが、一流の音楽学校を首席で卒業したエリートだ。ピアニストとして活動する傍ら、音楽家の卵たちを育てているのだという。

先生が優しかったのは、挨拶の時と、レッスンに入ってからの最初の数分だけ。覚えている限り、後はずっと厳しかった。

けれど、嫌だとか辞めたいとは決して思わなかった。ピアノを弾くことは、私にとって息を吸うように当たり前で、鍵盤もペダルも身体の一部のような気がしていたから。

お忙しい先生のこと。本当は月に三~四回、本業の合間に通いで来てくださる予定だったけれど、次第にレッスンの回数が増え、時には泊まり込みで教えてくださることもあった。

礼を述べる姉に対し、「自主的にやっているだけですので。レッスン代も要りません」と先生が答える光景を何度も目にしていた。

ピアノを習い始めて二年後、私が六歳になった時、侯爵家主催の音楽会の招待を受けた。

音楽会といっても、 母娘(おやこ) のお茶会がメインで、そのお茶会のおまけとして、小さな令嬢たちがピアノを少々披露する程度であるが──

参加すると姉から聞かされた時は、正直憂鬱だった。というのも、その半年ほど前に参加した同じく侯爵家主催の読書会で、嫌な思いをしたからである。

その読書会で何があったかというと──

たくさんの母娘が集まる中、唯一姉妹で参加した私たちは、部屋に入るなり一斉に好奇の目を向けられ、最初からずっと落ち着かなかった。

そんな居心地の悪い空間で、決定的なことが起こる。それは私と同い年の侯爵令嬢が、大人でも難しい詩を暗唱し、拍手が沸き起こった時のこと。娘を褒められ気分を良くした侯爵夫人が、一人ずつ好きな詩を暗唱してみては? と言い出したのが発端だった。

読書……特に詩を愛でることは、淑女の嗜みとされている貴族社会。小さな令嬢たちが得意気にお気に入りの詩を暗唱していく中で、私はいつ順番が来るかと焦っていた。というのも、私が好きな本といえば、音符が綴る詩であり物語……つまり楽譜ばかりだったからだ。

とうとう順番が来てしまった私は、一つだけ覚えていた詩を披露するが、あちこちからくすくすと 嗤(わら) い声が起こる。なぜならその詩は、赤子に読んで聞かせるような、簡単な言葉で綴られたものだったからだ。

何とも言えない空気の中、侯爵夫人は言った。

『みなさん、ご静粛に。気の毒な子爵家のお若いご令嬢が、領地経営の傍ら、たった一人で妹さんの育児までされているのですもの。淑女教育が行き届かなくても当然ですわ』──と。

幼い私でも侮辱されていることがわかり、悔しくなった。もう少し読書をしていれば、大好きな姉がこんなふうに言われることもなかったのにと。

しかし姉は、何も気にしていないように見えた。家に帰るなりピアノに向かい、笑われた詩に曲を付けて弾き語る私を、素敵ねと褒めてくれた。

そんなことがあったため、また好奇の目に晒されるのは嫌だし、何よりあんな意地悪な人たちと、大好きな音楽を共有したくないと私は思っていた。

だが渋る私とは逆に、姉はその日に向けて大張り切りで準備を進めてしまったので、行きたくないとは強く言えないいまま、とうとうその日を迎えてしまった。

読書会の時と同様、いや、それ以上の好奇と同情の目が、入室した私たち姉妹に向けられる。

音楽会ということで、舞踏会さながらのドレスを着た小さな令嬢たちの中で、私だけがとてつもなく地味だったからだ。

ふわふわと大きく膨らんだ袖に、手の甲まで覆うようなリボンやレースの飾り。そんな流行りのドレスとは対照的に、私の袖には飾りが一つも付いていないどころか、手首よりも短く仕立てられていた。また、パニエを履いていないため、スカートにもボリュームがなく、それがドレス全体を一層地味に見せていた。

『小さくなったドレスを無理に着させて……可哀想で涙が出てしまいますわ』

『娘のお古を差し上げようかしら。作りすぎて、処分に困ってしまって』

『正式な舞台ではないといえ、侯爵家の音楽会にあんな地味な格好で参加されるなんて。やはりご両親がいない方はマナーがなっていないのね』

嘲笑とともにそんな声が聞こえてきたが、事前に姉からこのドレスを選んだ理由を説明されていた私は落ち着いていた。むしろあんなに憂鬱だった気持ちはどこへやら。むくむくと闘志がみなぎり、スカートの陰でパラパラと指を動かしていた。

その後、娘たちの衣装自慢でもちきりの茶会で、私は決戦に備え、ぱくぱくとお菓子を食べていた。

隣の姉をチラリと見れば、静かに紅茶を飲みつつも、ケーキの皿をあっという間に空にしている。姉妹の阿吽の呼吸を感じ、安堵する私だったが、そこにまたもや侯爵夫人が火種を蒔いた。

『……ふふっ、いろいろ大変でしょうから、どうぞお好きなだけ召し上がっていらしてね。お茶会続きで、私たちはもう食べ飽きてしまっていますから。あ、食べかけでよろしければ、私の分もどうぞ』

『あら、私のもどうぞ』

『私のも』

くすくすと差し出される食べかけの汚い皿を、姉は全て受け取り、『ありがとうございます』と満面の笑みで返した。

そんな姉の態度が面白くないのか、侯爵夫人は姉の頭の天辺から、フォークを持つ細い指先までをジロリと眺め言った。

『それにしても……未婚のお若いご令嬢ですのに、随分シンプルなドレスですこと。五十になった私の母ですら、もっと華やかなドレスを着ていましてよ?』

普段使いのドレスに、母の形見のブローチを着けただけの姉を、娘たちに負けぬほど派手な装いの夫人たちは嘲笑う。

すると姉はフォークを置き、微笑みながらもキッパリとこう言った。

『今日の主役は妹ですから。私のドレスなどどうでもいいのです』

その言葉に、侯爵夫人は私を一瞥し、ぷっと噴き出した。

『その主役の妹さんが、こんなに地味でよろしいのですか? まあ、襟飾りがある分、お姉様より多少は華やかですけど』

『あら。妹のドレスは、今日のために仕立てた最良のドレスですわ。一見地味に見えて、実はとても華やかだということに、みなさん後ほどお気付きになるのではないかしら』

言い終わるなり、紅茶をぐいと飲み干す姉。カップの取っ手を掴むその手に、血管がピキリと浮かんでいるのを、私は見逃さなかった。

お茶会が終わり、いよいよ音楽会が始まった。

小さな令嬢たちは、覚えたてのピアノに触れ、たどたどしくも愛らしく演奏していく。

止まったり間違えたりのミスはもちろん、乱暴に鍵盤を叩いて、ピアノに悲鳴を上げさせるのもご愛嬌。なぜなら、ピアノも詩と同じく淑女の『嗜み』であって、それ以上ではないからだ。実際この国では、音楽家を目指すのは男性ばかりで、稀に女性が音楽家を志しても、お遊びだと一蹴されることが多い。

ところが、難しい詩を完璧に暗唱したあの侯爵令嬢は、ピアノもノーミスで演奏する。しかも六歳にしては難しい曲を弾ききったため、またもや拍手喝采を浴びていた。

『次のご令嬢がお可哀想』

『どんな演奏をしても霞んでしまうわねぇ』

『まだ弾いていらっしゃらないのは……』

そんな声がひそひそと飛び交う中、侯爵夫人は勝ち誇った顔で、次の令嬢を指命した。

『お次、どうぞ?』

恥をかかせるために、私を娘の次にしたのだろう。しかしその行為は、私の闘志を余計に煽っただけだった。

意地悪でうるさい夫人らも、ピアノを叫ばせた不器用な令嬢らも……そして大好きな姉ですらも、私の中からふっと消え失せる。

もうピアノしか見えない。ピアノの呼吸しか聞こえない。そんな極度の集中状態に入っていた。

きっと姉が用意してくれたのだろう。いつの間にか置かれていた、私専用の足台に足をかけ、ピアノの 相棒(椅子) にさっと座る。

『早く歌わせて!』とはしゃぐ鍵盤に、地味な袖から突き出た両手を置き、大人でも高難度の和音をポンと 弾(はじ) いた。

──それからのことはよく覚えていない。

鍵盤から手を下ろし、ほうと息を吐いた時には、室内はしんと静まり返っていた。

唖然とする者や涙を流す者、信じられないというように首を振る者。反応はそれぞれだが、やがて自分たちのタイミングで立ち上がり、お辞儀をする私に割れんばかりの拍手をしてくれた。

姉は私の手を取ると、悔しそうな顔でこちらを睨む侯爵夫人に向かいこう言った。

『余計なお世話かもしれませんが……お嬢様、もう少しお袖がシンプルなドレスであれば、さらに素晴らしい演奏ができたかもしれませんね。ところどころ弾きにくそうにしていらっしゃったので、気になってしまって。あ、もう少し上達されてペダルを踏むようになったら、スカートのボリュームも抑えたほうがいいかもしれませんよ。

……では、演奏者は妹で最後のようですし、用事があるのでこれで失礼致します。美味しいケーキ、ご馳走さまでした』

侯爵邸を出て、貸馬車の停車場へ向かう私たちは、ずっと手を繋ぎ、黙ったままだった。

夕陽に変わりゆく前の、胸を焦がすような熱い日差しに、演奏直後の高揚感が再燃した私は口を開いた。

『今日弾いた曲、あの詩からイメージして作ったのに。詩だと笑われて、曲だと拍手されるのって、何が違うのかなあ? 可笑しいわね、お姉様』

素直な疑問を口にする私に、姉は『そうね』と晴れやかに笑う。

ぶんぶんと揺れる姉の手は温かくて、楽しげで、幼い私は幸せな気持ちに包まれていたのだった。

◇◇◇

あれから十二年の歳月が流れ──

あの時の姉と同じ十八歳になった私は、若き天才ピアニストと呼ばれるようになり、海の向こうから山の向こうまで、あちこちの舞台で演奏していた。

今日は、あるおめでたい用事のために、数年ぶりに実家の子爵邸へ戻ってきた。

挨拶もそこそこに「お姉様!」と飛び込む私を、姉は今にも泣きそうな顔で受け止めてくれる。温かな胸の中で、大好きな香りをすんと嗅ぎながら、私はやっと言葉を発した。

「ご結婚おめでとうございます……お姉様」

「ありがとう、リラ。忙しいのに帰って来てくれて嬉しいわ。……あら、あなた、ちょっと痩せたんじゃない? ちゃんとご飯は食べてる? 夜更かしなんかしてない?」

私の頬を包み込む両手は、幼い頃と変わらず優しい。ふにふにと愛でられ、やがてコツンと額を合わせ笑い合った。

「リラ、おかえり」

姉の隣で私を迎えてくれたのは、四歳から十歳で留学するまで、私を教えてくれたあの先生だ。

ひそかに想い合っていた姉と結婚し、まさか私の義兄になるなんて。つい数ヵ月前に、婚約したとの報告を受けるまで全然気が付かなかった。

挨拶を終えると、姉は私の手を引っ張り、楽しげに自分の部屋へ連れて行く。

ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、先生が贈った絹と、私が贈ったレースで仕立てられた、純白のウエディングドレスを着たトルソーだった。

袖はふわりと膨らみ、レース飾りで手の甲まで隠れる流行遅れのデザイン。

襟にもレースやリボンが、これでもかというほど付いているし、スカートも袖に負けぬほどたっぷりと膨らんでいる。

まるでホイップクリームみたいなドレスをうっとりと見つめながら、「本当はこういうデザインに憧れていたの」と言う姉が堪らなく愛おしい。今ではすっかり小さくなってしまった背中を、私はぎゅっと抱き締めた。

一番貧しかった頃、母や祖母が着ていた古いドレスを丁寧にほどき、縫い直しては自分や私のドレスを仕立てていた姉。

レースやリボンは大切に取っておき、全て私の服へと回していたため、姉のドレスにはほとんど装飾がなかったことを、少し大きくなってから知った。

今では領地経営も安定しており、私や先生という稼ぎの良いピアニストもいるため、決してお金に困っている訳ではない……どころか、むしろ裕福だと胸を張ってもいいくらいなのに。

質素な生活に慣れてしまったのか、昔ほどではなくても、姉のドレスは相変わらず地味だった。

けれど今日は、私が贈ったレースの余りで飾った、美しいすみれ色のドレスを着てくれている。

「もう三十歳だけど、これからはたくさんお洒落をしていこうと思うわ。素敵な贈り物をありがとう、リラ」

そう言ってはにかむ姉は、青春真っ只中の少女に負けぬほど若々しく、そして愛らしかった。

その夜、私の好物ばかりが並んだ夕食の席で、先生の海外土産のワインをみんなで開けた。私は去年成人したばかりなので、こうして姉とグラスを交わすのは初めてだし、酒を飲む姉を見ること自体初めてだ。

どうやら酒にあまり強くないらしい姉は、たった数口でぽっと頬を上気させながら、ご機嫌で昔話を語り出す。

「……リラはねえ、絶対に良い先生に教わらないといけないって思ったの。たとえ草を噛むほどひもじい思いをしたとしても、家財を全てなげうったとしても絶対。それで家令とは大喧嘩しちゃったけどね」

「お姉様は、何で私がピアニストになれると思ったのですか? 上手だったから?」

「ん~もちろんそれもあるけど……それよりね、ピアノが喜んでいる気がしたの」

「ピアノが?」

「ええ。リラが弾くと、ピアノが喜ぶのよ。鍵盤を通して、楽しそうに内緒話をしているみたいで。だから周りは、どんなお喋りをしているのか気になって、夢中で聴きたくなっちゃう。これが才能なんだなって思ったわ」

私は驚いた。

自分でもよくわからないし、誰にも言ったことのない『ピアノと対話している』という感覚を、姉がずっと昔から感じ取っていたとは──

私の驚きが通じたのか、斜向かいの先生の顔をチラリと見れば、同じように驚いた顔をしながらも、楽しそうに頷いてくれた。

もしあの時姉が、ピアニストへの道を開いてくれなければ、今の私はきっとない。

どんなにピアノが好きで対話ができたとしても、所詮『女のお遊び』で終わっていただろう。

そして、この国であの境遇でその道を開くことが、当時まだ十六歳だった姉にとって、どんなに困難だったか……

姉よりもずっと酒に強い私は、涙目で二杯目のグラスを空にし、シャキッとピアノへ向かう。

懐かしい椅子に座り、今流行りの装飾のないシンプルな袖から突き出た両手を、懐かしい鍵盤に置く。

『おかえりなさい! 早く一緒に歌おう!』というピアノの声に応え、六歳の自分が作った、懐かしいあの曲を奏でた。

──今夜はただ、大好きな姉のために。