軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編:幽霊17

「アリエス殿、少し休憩しませんか? 差し入れを持ってきたんですよ」

資料室にやってきたヘンリーはいつもの笑顔で明るく入ってきた。

アリエスは迷惑に思っていることを隠しもせずに顔をしかめた。

「法務官の方はずいぶん暇なんですね。横領事件は全て解決したのですか?」

「はい。横領事件についてはようやく落ち着きました」

「それはよかったですね」

アリエスはヘンリーに答えながら、その手にある菓子が入った籠をさっさと受け取った。

そして、こっそり出ていこうとしているフロリスに声をかける。

「フロリス、お茶はいらないから、少し休んできたらいいわ。それとこれ、法務局の方から差し入れだそうだから、ユッタたちと食べて?」

「いえ! そ、そんなわけには――」

「いいのよ。私は十分にいただいたから」

驚き恐縮するフロリスの言葉を遮り、アリエスは強引に籠を押し付けた。

フロリスはどうしたものかと、ヘンリーを窺う。

「かまわないよ。私たち法務局の人間は、いつも難事件を解決してくれる女史に感謝しているからね。クローヤル女史のおっしゃる通りにしてくれ」

「か、かしこまりました!」

優しいヘンリーの笑顔に、フロリスは頬を赤く染めながら深く頭を下げた。

アリエスはそんなヘンリーを嫌悪して見る。

「誰がどう難事件を解決して、どこのどなたが感謝しているですって?」

「事実ではないですか」

「今はただ利害関係が一致しているだけでしょう? あなた方と親しくしていると思われると、動きにくくなるから迷惑よ」

「動きやすくもあるでしょう?」

無一文で夫に離縁されたアリエス・クローヤルだからこそ、貴族たちは侮り本性を見せる。

力があると――背後に法務局が控えていると広まると、見えるものも見えなくなってしまうのだ。

もちろん、それを暴くのも楽しいのだが。

アリエスはこれみよがしに大きなため息を吐いて、椅子に座った。

そのとき、大きな雷鳴が轟き、閃光が暗い室内を一瞬明るく照らす。

「――降霊術日和だな」

「この王宮は暇人ばかりですね」

「アリエスには言われたくないな」

「私は別に否定しません」

新たに資料室に入ってきたのはジークで、その顔は楽しげだ。

嵐に喜ぶ子どものようだが、ヘンリーまで同じように目を輝かせて窓の外を見ていた。

急に降り出した雨は激しく窓を打ちつけている。

「それで? お二人は何をしにここへ?」

「ああ、そうでした。今日は〝シャルルの日記〟を読んだ感想を伝えに来たんです」

「読書感想文なら間に合っています」

ヘンリーが問いかけに答えると、アリエスはあっさり切り捨てた。

ジークは答えるつもりはないらしい。

「長官の感想もありますよ」

「では、聞きましょう」

アリエスの素直な反応に、ヘンリーは噴き出した。

それからまた勧められてもいないのに、アリエスの向かいに座った。

もちろんジークもその隣に腰を下ろす。

「私もあれを読んだときには、ジーク殿と同じように気分が悪くなりました。そして、何も知らなければ私の正義に基づいて行動に移したでしょう」

「タイザム伯爵夫人を告発したと?」

「おそらく」

「ですが、まだあの日記が真実でないとは言い切れませんよ?」

「そうですね」

ヘンリーはため息交じりにアリエスの言葉に同意した。

本当に真実は闇の中なのだ。

「長官は何とおっしゃっていましたか?」

「『伯爵邸を捜索するときに、夫人の部屋や持ち物も調べていれば、シャルル・タイザムは生きていたかもしれないな』と」

「今から捜索してもジギタリスは見つかるのでは?」

「ええ。ですが、時間の無駄にしかならないので、しませんよ」

「では、ヘンリーさんは――長官も、あれを信じないのですか?」

「信じる、信じないの問題ではなく、たとえタイザム伯爵夫人がシャルル・タイザムに毒を盛っていたとしても、本人が死んでしまった今ではもう意味がないじゃないですか」

タイザム伯爵家の家督を誰が継ごうが、法務局には関係ない。

被害者だったかもしれないシャルルが死んでしまった以上、今さら蒸し返す必要はないのだ。

ただ、法務長官の言葉は意味深い。

長官は日記を信じているとも取れるが、おそらくシャルルが伯爵夫人の部屋のどこかにジギタリスを隠したと確信しているのだろう。

家宅捜索のときに伯爵夫人がジギタリスを所持していたことが発覚していれば、シャルル・タイザムは日記がバウアー以外でも発見できるよう供述していたかもしれない。

たとえば、日記には横領のことを書いていたので、弟の部屋に隠した、など。

日記の内容が世間に広まり、悲劇の主人公として皆から同情されることを、シャルルは願っていたはずだ。

とはいえ、日記を書き始めたとき、まさか横領が発覚するとは思っていなかったのだろう。

それでも横領についてまで父親に愛されなかったことで可哀想な自分を演出していたのは、自己愛の塊だからだ。

「そもそも何が気持ち悪いって、自分の悲劇に酔っているところでしたね。子どもの頃から毒を盛られた可哀相な僕。父親にかまってほしくて横領してみた僕。親友のために借金を立て替えてあげた優しい僕。だけど彼の母親は死んでしまった。母の愛というものを初めて感じさせてくれた彼女にどうにか元気になってほしくて手を尽くしたのに。僕も悲しいけど、落ち込んでいる親友の力になってあげることにした。――ここまで読んで、察しましたね。自己陶酔なんて言い方はまだ甘い。それでも幼児の主張だと思えば、生温い気持ちで読めました」

要するに、その生温さが気持ち悪さの正体なのだ。

しかし、前もって忠告されていたからこそ気付けたのだから、ヘンリーは自分がまだまだ未熟だと痛感もしていた。

さらに長官に指摘されるまで気にも留めなかったこともあったのだから情けない。

そんなヘンリーの様子を黙って見ていたジークが問いかける。

「長官は何も聞かず、ただあれを読んだのか?」

「はい、そうです。そしてシャルル・タイザムがバウアーの母親を殺してしまったのではないかと、疑っておられました」

「さすがだな」

「本当に」

ジークの言葉にアリエスも同意した。

すると、ヘンリーは大きく深呼吸をしてから立ち上がり、アリエスに向かって深々と頭を下げる。

「何ですか?」

「シャルル・タイザムが我々の前で飲んだ毒についてご存じでしたら、教えてくださいませんか?」

「ご自分たちで調べられてはどうですか?」

「もちろん調べました。しかし、薬屋で何か購入したことはなく、医務局から盗まれた形跡もない。手に入れていたとしても――たとえばですが、猛毒とされるトリカブトでさえもあそこまでの即効性はないはずです。先に飲んでいた可能性も考えましたが、あんなにタイミングよく死ねるものなのか? 手にしていたヘベノンは何なのか? 何より偽の日記を書いてまで自己弁護に走るような人間が苦しむ死を選ぶだろうか? 結局、疑問が増えただけです」

頭を下げたまま滔々と訴えるヘンリーから目を逸らし、アリエスはちらりとジークを見た。

先日、ジークと二人で話したときと同じような結論に、ヘンリーもたどり着いたらしい。

「……私も色々と考えましたが、わかりませんでした」

「そうですか。残念です」

「ですが、少しだけ謎が解けたと思います」

顔を上げたヘンリーは心から残念そうに見えたが、アリエスの言葉を聞いていつもの胡散臭い笑顔になった。

どうやら予想していたらしく、それはジークも同様らしい。

「今朝の下男の件でか?」

「ええ。お二人ともきっと疑ってはいらしたと思います。シャルル・タイザム卿が弟君のモーリス・タイザム騎士の部屋を訪れた理由に。ただ日記を置くためだけではないと」

「そういえば、下男の一人は騎士宿舎の掃除係だったそうですね」

アリエスがジークの問いに答えると、ヘンリーが白々しく言う。

下男の死に法務官であるヘンリーが出向くわけにはいかなかったのは仕方ないが、ジークがどこにでも現れるように、やりようはいくらでもあるはずなのだ。

やはり法務官たちは怠慢が過ぎる。

後でしっかりこの貸しを取り立てようと、アリエスは頭の中で色々決めた。

「今回、三人の男性はタイザム騎士の部屋にあった毒入りのお酒を飲んで亡くなったようです」

この言葉に驚きはないようだったが、ジークもヘンリーも別のことが気になったようだ。

二人は軽く視線を交わしてから、ジークが疑問を口にした。

「酒に毒が入っていたと確信したのはなぜだ?」

「もちろん、実際に舐めたからです」

アリエスが告げると同時に、ひと際眩しい稲光が走り、雷鳴が王宮を揺らした。

その一瞬、照らされたアリエスの顔には、楽しげな笑みが浮かんでいたのだった。