作品タイトル不明
番外編:幽霊5
アリエスが執務机の前に座り、本を読んでいると、ガチャリと鍵が開けられる音がした。
そしてゆっくり扉が開き、青白い顔の人物が入ってくる。
彼は――バウアーはアリエスが見えていないかのように、のそりのそりと室内を歩いて壁面の書架に向かった。
「……いや、違う。どこだ? どこに……秘密の扉はどこだ?」
バウアーはぶつぶつ呟きながら、書架から本を引き出してはまた戻して、を何度も繰り返す。
アリエスはバウアーの後から入ってきた二人――ジークとヘンリーに向けて人差し指を唇の前で立てた。
ジークはともかく、ヘンリーまで衛兵の格好をしている。
幽霊騒動から四日。
夜にはタイザム卿の執務室の前で、衛兵二人が見張りに立つようになっていた。
そして今夜はジークとヘンリーが立ち番をしていたのだ。
バウアーが今日から仕事に復帰したと聞いて、再び幽霊が出るなら今夜だとのアリエスの予想は当たった。
ちなみにアリエスは先に鍵を開けて部屋の中へと入らせてもらっていた。
バウアーは見張りの衛兵――ジークとヘンリーの前で、堂々と 所(・) 持(・) し(・) て(・) い(・) な(・) い(・) は(・) ず(・) の(・) 鍵(・) を使ってタイザム卿の執務室へ入ってきたことになる。
悪気など一切なく、まるで当然のように。
ジークとヘンリーは驚きながらも、静かに扉を閉めてバウアーの行動を目で追った。
「何でだ……どうしてシャルルは……」
バウアーは部屋の中央で頭を抱えて立ち尽くした。
すると、アリエスが立ち上がりゆっくり近づいていく。
「何かお探しなら、お手伝いしましょうか?」
「手伝い……探してる……?」
「ええ。何をお探しですか?」
アリエスが小さな声でゆっくり優しく問いかけると、ジークたちは驚いたようだ。
それはアリエスが優しいことになのか、話しかけたことになのか。きっとどちらもだろう。
バウアーはうつろな目をアリエスに向けたが、何か別のものを見ているようだった。
「……シャルルの秘密……秘密の扉が……」
「シャルルさんは秘密の扉をお持ちだったのですか?」
「約束したのに……シャルルは俺に……」
「まあ、約束を破るなんて酷いですね。それで、どんな秘密ですか?」
アリエスの口調は優しいのに質問はまったく容赦ない。
しかし、バウアーは答えようと考えているようだった。
「あれは……秘密だ……誰にも言えない……」
「それでは、シャルルさんの日記がどこにあるかはご存知ですか?」
「……日記? そんなもの……ああ、いや……そういえば……」
「日記を読めば、全てがわかるでしょう? 私も一緒に探しますから、何か手がかりを思い出してください」
「手がかり……は、家族に申し訳ないと……そうだ。あの詩だ。死ぬ間際の……」
「あの詩?」
「……勤勉な者は秘密の扉を開ける。情は鎖となって心を縛る。正義が裏切りその身を滅ぼす……ああ! 嘘つきめ! 殺してやる!」
バウアーは突然叫びだし、執務机の上のものをなぎ払い、アリエスに向かってきた。
急ぎジークが間に入ろうとしたが、アリエスはそれを拒んだ。
そのままバウアーはアリエスの首を絞める。
どう見ても危険な状況にもかかわらず、アリエスはあくまでも冷静だった。
アリエスはすぐに懐から香袋を取り出し、バウアーの鼻先に近づける。
その様子をジークは歯を食いしばり、ヘンリーはハラハラしながら見ていた。
「お前が……お前をし、ん……」
アリエスはどんどん血の気を失っていく。
ジークがさすがに耐えられずに助けに入ろうとしたとき、バウアーはふっと手を離してがくりとその場に膝をついた。
時間にしてほんの一瞬。
にもかかわらず、ずいぶん長い時間のようにヘンリーには感じられた。
「大丈夫ですか!?」
激しくせき込むアリエスに、ヘンリーが駆け寄り背中をさする。
アリエスは涙で滲んだ目でバウアーを確認した。
四つん這いになったバウアーはぶつぶつ何かを呟いており、ジークに剣を向けられていることには気付いていない。
ジークにとって、今はアリエスの心配よりもバウアーを警戒することなのだ。
「こいつをどうする? 殺人未遂で投獄するか?」
咳が落ち着いてきたところでジークがアリエスに訊ねた。
アリエスはお礼を言うようにヘンリーに軽く頷いてから、首を横に振る。
「いいえ。その必要はありません。そもそも彼は覚えていないでしょうから、無実を訴えるでしょうね」
「覚えてない?」
「ええ。今の彼は眠っているようなものですから、これも夢としか思っていないでしょう。覚えていれば、ですが」
「やはり夢遊病か」
「そうですね」
アリエスが淡々と答えると、ジークは納得したらしい。
先ほどからのバウアーの行動を見て疑っていたのだろう。
「ですが、夢遊病者にはむやみに話しかけてはいけないのではないですか? 寝言に答えてしまうと夢から戻ってこられないとか」
「ヘンリーさんはそんな迷信を信じているのですか? 夢から戻ってこられないなんて」
「いいえ。さすがにそれはないですが、やはり話しかけるのは悪手に思えます」
「そうですね。よくないと思いますよ」
わかっていながらくだらない質問をするヘンリーに、アリエスは白々しく答えた。
すると、ヘンリーはいつもの胡散臭い笑顔になる。
「今のように襲われることもあるのですから、気をつけないといけませんね」
「大丈夫です。慣れていますので」
「慣れている?」
アリエスの返答に反応したのはジークだった。
なぜか怒りを含んでいるようだったが、アリエスは大したことでもないというように肩をすくめる。
「ハリストフは……元夫は酔うとたまに首を絞めてきましたので。仰向けになっているときよりも立っているときのほうが力は弱いですから大丈夫かと思いましたが、やはり夢遊病者の力は侮れませんね。危うく気を失うところでした」
「死ぬところだったろ」
「そうとも言いますね。ですが、幸い私は生きております」
ジークもヘンリーもアリエスの告白にショックを受けたようだった。
それでもジークは質問を続ける。
「さっきバウアーに嗅がせたのは何だ?」
「…… ハ(・) ー(・) ブ(・) です」
「そんなもので落ち着くものなのですか?」
「実際、落ち着いたではないですか」
アリエスはちらりとヘンリーを見てから答えた。
明らかに怪しいハーブなのだろうと、ジークもヘンリーもわかってはいたが、そのことについては追求しなかった。
「バウアーはどうしましょうか?」
「では、夢遊病者に正しいとされる対応をしましょう。放置するわけにもいきませんから」
「今さらかよ」
バウアーは未だに床に両手をついて何事かを呟いている。
アリエスはバウアーの傍らに膝をついて、その背にそっと手を当て優しく囁いた。
「さあ、休みましょう」
「……休む?」
「ええ。あなたはもう大丈夫でしょう?」
アリエスが再び香袋をぎゅっと握ると、バウアーは鼻をひくひくさせた。
そして体から力を抜くバウアーを、ジークとヘンリーは驚いて見ていた。
「探し物はきっと見つかりますから、今夜は休むといいですわ」
「……ああ。今夜はもういい」
アリエスに促されてバウアーは立ち上がると、ゆっくり部屋を出て、しっかり執務室の鍵をかけた。
それから隣の自分の執務室に入り、長椅子に横になる。
「目を閉じて。もう心配なことは何もないわ。全て夢だったの」
「全て……夢……」
バウアーのうつろな目はすぐに閉じられ、やがて寝息が聞こえ始めた。
アリエスは立ち上がると室内を見回してかすかに眉を寄せたが、すぐに踵を返す。
バウアーの様子を唖然として見ていたジークとヘンリーもアリエスの後を追い、静かに部屋から出た。
そのまま三人でタイザム卿の執務室に戻ると、鍵を開けて入る。
「まるでサーカスの調教師だな」
「鍵の回収はしないのですか?」
片づけを始めたアリエスは、ジークの言葉を無視して問いかけた。
バウアーは無断で合鍵を作っていたようだ。
しかし、ジークは手伝いながら首を横に振った。
「いや、持たせておいたほうが安心するだろう」
「そうかもしれませんね」
同じことがまた起きるかもしれないが、アリエスは反対しなかった。
ヘンリーも同意らしい。
「夢遊病は基本的に幼子が多いのですが、バウアーさんは強いストレスを受けていたこと、そしてヘベノンを長期的に使用していたことによって、症状が出てしまったのでしょう」
「やっぱりヘベノン中毒なのか?」
「間違いありませんね。とにかく、私の目的のものについては……おそらく手に入れることができるのではないかと思います。気になるのでしたら三日後の午後に資料室にお越しください」
三人で片付けると、部屋はあっという間に綺麗になった。
そこで二人が知りたいだろうことをつらつらと語ったアリエスは、これで終わりだとばかりに執務室を出ていこうとした。
その背にジークが問いかける。
「先ほど、バウアーが言っていた詩はシャルル・タイザムが服毒するときにも口ずさんでいたそうだな。あれで何がわかったんだ?」
「あの狂った妄想家の日記を〝詩〟などとは呼びたくありません」
「狂った妄想家って、ポルドロフ王国の初代国王ですよね? 確か、創国記に書かれていた一文で……」
「あれが狂っていないとでも?」
アリエスが不快そうに答えると、ヘンリーは驚いたようだ。
しかし、アリエスは二人にもう何も言わせずにさっさと執務室を出ていった。