軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

71.油断

油断した。

つい先ほど、自分を戒めたばかりだというのに。

なぜ、あの母が今夜のパーティーに出席することを考えなかったのだろう。

見栄っ張りなうえに、華やかなことが大好きな人間であるのに。

(うぬぼれは身を滅ぼすわね……)

ここのところ自分の思うようにすべてが順調にいっていたため、すっかり気が抜けていたのだ。

正確には厄介な身内の存在が記憶から抜けていた。

そもそもアリエスがこの国に戻って一年以上になるというのに、向こうから会いに来ることも手紙さえもないのだから、母の記憶からも抜けているのだろう。

妹たちも同様である。

できればこのまま会いたくないが、ユッタが呼んでいるのだ。

ということは、他の使用人たちも待っているに違いない。

今のところ使用人たちとは便利な――良好な関係を築いているので一応は顔を出すことにした。

「フロリス、知らせてくれてありがとう。他の女官たちに声をかけてから向かうけれど、あなたは念のために殿下についていてくれる?」

「かしこまりました」

アリエスが昼寝中のリクハルドの傍を離れるからといって、他の女官たちが代わるわけではない。

ただ勝手に持ち場を離れた、などと難癖をつけられて不利にならないための予防である。

そのため、リクハルドの部屋を出てからも近衛騎士や護衛たちに声をかけて進んだ。

「アリエス様!」

「ユッタ、わざわざ待っていたの?」

「はい。どのお部屋かご案内したほうがよいかと思いましたので」

「そう。ありがとう」

案内されなくても騒ぎが起きているのだから、すぐにわかる。

それでも礼儀は必要で、アリエスはお礼を口にした。

特に今は棟入口を警備する兵たちが見ているのだから。

西翼棟に近づけば、予想通り入る前から部屋の場所はわかった。

声の響き方から三階の角部屋のようだが、あの年齢でよくあんなにキンキンと耳障りな声を出せるなと思いながらユッタの後を追う。

すれ違う使用人たちは、アリエスの姿を目にしてほっとしたような、期待するような表情になっていた。

聞こえてきた内容からすると、どうやら今夜耳を飾るはずだったイヤリングを片方紛失したらしい。

それでメイドを責めているのだ。

しかも昔よく見た制服を着ていることから、クローヤル伯爵家のメイドだとわかった。

「これはクローヤル伯爵家の花嫁に代々受け継がれてきたものなのよ! どうやって償うつもりなの!? お前のような卑しい者の何倍も価値があるというのに!」

「そうなのですか?」

部屋に入りアリエスが問いかければ、キンキン声はぴたりと止まった。

そして声の主を見たクローヤル伯爵未亡人――アリエスの母は目を見開く。

「アリエス……?」

「お久しぶりです、お母様。七年ぶりでしょうか? ポルドロフ王国に嫁いでから一度もお手紙をくださることもなく、お父様が亡くなったと聞いて書いた手紙にもお返事がなかったものですから心配しておりました。ですが、お元気そうで何よりです」

昔のように、母の言うことすべてに従順だったアリエスはもういない。

だが、アリエスは懐かしさと寂しさを滲ませて挨拶をした。

すると、駆けつけていた衛兵たちやメイド長、部屋の外で様子を窺っている使用人たちは同情したようだ。

しかし、そんな嫌みにも母親は動じない。

「アリエス、あなた……よくも私の前に顔を出せたわね! 離縁されるなんて恥を晒しておいて!」

「申し訳ございません。お母様がせっかくハリストフ伯爵の代理人と交渉して調えてくださった縁組でしたのに」

「申し訳ないと思うなら、これ以上恥を晒すのはやめてちょうだい!」

「これ以上の恥とは?」

「ここで使用人として働いていることよ!」

「ご存じかと思いますが、私は無一文で放り出されたため財産もありません。ですから、生きていくために働いているのです。それに私は働くことを恥じてはおりません。むしろ誇りに思っております」

貧しかったときにもただ嘆くだけで何もしなかった母親に、アリエスは堂々と応じた。

その言葉に使用人たちは感動しているようだ。

これもまた皆の心を摑むための言葉であり、本当のところは働かずに好きなことだけして生きていたいと思っている。

「よくもそんなことが言えるわね。この卑しいメイドのように働くことが誇りですって?」

「それではお母様は、彼女や他の皆さんが働いてくださらなければどうやって生活なさるのですか?」

「何ですって?」

「座っているだけで目の前に食事が出てくるのは、皆が働いてくれているからでしょう? 湯浴みの用意は? 着替えは?」

これはすべて本音だった。

ハリストフ伯爵家に嫁ぐ前は、食事の配膳や湯浴みの用意、家族の衣装を繕い整えるのはアリエスがすべてやっていたのだ。

そのことさえ忘れているのか、気にも留めていなかったのか、母親は悪びれる様子もない。

「その着替えが問題なのよ! 今夜のパーティーのために用意させていたこの宝石――ネックレスと揃いのイヤリングの片方を失くしてしまったのですからね! ひょっとして、この娘が盗んだのかもしれないわ!」

「そんな! 私はそのようなことは決していたしません!」

膝をついて両手で顔を覆い、涙を流しているメイドを見ることもなく、アリエスは母親が指さした先を見た。

そこにはきらきら輝く小粒のダイヤモンドで囲んだ大粒のエメラルドが三つ連なったネックレスと、ネックレスよりは小さいが揃いでデザインされたエメラルドのイヤリングが鏡台の上に置かれていた。

ケースは開けられたままで、イヤリングは片方しかない。

「……ケースを開けたときにはすでになかったのですか?」

「い、いえ……。さ、先ほど、奥様に磨いておくようにと言いつけられ、お渡しいただいたのですが、そのときにはまだイヤリングはちゃんと二つともありました!」

「そんなことはどうでもいいのよ。たった今、ここにないことが問題なのがわからないの!? お前以外にこの部屋にはいなかったんだから、お前が盗んだに決まっているわ!」

「違います! 私は――私は少し目を離しただけです。それで……戻ったら、消えていたんです!」

「嘘をおっしゃい! そんな適当なことで誤魔化されないわよ!」

「本当です! 本当に私は……」

アリエスの問いに、メイドはおどおどと答え始め、次第に語気を強くした。

そこに母親が――クローヤル伯爵未亡人が割り込みメイドがイヤリングを盗んだ犯人と決めつけ、メイドは無実だと訴える。

白けた気分でそのやり取りを聞きながら、アリエスは窓の外に目を向けた。

西翼棟の角部屋であるここからは、使用人棟と例の調理人が亡くなったハーブ園がよく見える。

アリエスはその場にまた 都(・) 合(・) よ(・) く(・) いたガイウスを手招きして耳打ちすると、まだ続いている母親の金切り声に顔をしかめた。

メイドがイヤリングを盗んだ証拠はないが、このままだと間違いなく処罰される。

母親が言うにはメイドより何倍も価値のあるイヤリングなのだから、おそらく処刑されることになるだろう。

「――それで、あなたはどうして大切な宝石から目を離したの?」

「そ、それは……奥様に呼ばれて……」

「そうなのですか?」

「ええ、そうよ。だからといって、他に誰かがこの部屋に盗みに入ってくる時間なんてなかったわよ!」

「お母様、そのように大きな声を出されなくても、皆も聞こえております。それどころか、窓が開いておりますから、外にまで聞こえておりましたよ」

「なっ! アリエス、あなた……」

怒りか恥ずかしさからか顔を真っ赤にした母親がアリエスを睨みつけた。

昔はこんなふうに睨まれたら恐ろしく、すぐに謝罪していたことを思い出す。

「お母様、この〝クローヤル伯爵家の花嫁に代々受け継がれてきた〟宝石はおいくらなのですか?」

「アリエス! なんて卑しい質問をするの!? 恥を知りなさい!」

身分ある者としてあまりに不躾な質問に、母親は声を抑えるのも忘れて怒鳴りつけた。

それでもアリエスは表情を変えず、淡々と問いかける。

「答えてください、お母様。その宝石は、私が嫁ぐことによってハリストフ伯爵家から受け取られた支度金と比べて、どれほど値打ちがあるものなのですか?」