軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

50.公爵令嬢

使用人たちの食堂では、ユッタと夕食をとりながら周囲の会話に耳をすませていた。

お遣いから戻ってきてくれたユッタにお礼を言い、夕食に誘ったのだ。

ユッタは久しぶりの外出が楽しかったのか、街での様子を隣に座ったメイド仲間に話している。

その話を耳に入れながらも、アリエスの本命は後ろに座っている男性使用人の集団だった。

見慣れない顔ぶれ、使用人の中では上等な服の男性たちはおそらくテブラン公爵家の者だろうと予想したのだ。

それは見事に当たり、男性たちは久しぶりの王宮に浮かれたようにあれこれ話していた。

彼らはこの後も公爵のために働かなければならないらしいが、明日の夜は非番なので街へ繰り出そうと盛り上がっている。

お酒は入っていないが、少々下品な話題になっていた。

「――なあ、スヴェン。お前も行くだろ?」

「いや、俺はトマスを捜すから……」

「何だよ、まだ弟を捜しているのか? あいつが追放されてからもう一年になるだろ? 酷なことを言うようだが、諦めたほうがいい。お嬢様に手を出したんだ。どんな顔をしてお前の許に戻れるっていうんだよ」

「違う! トマスは手なんか出してない! トマスは畏れ多いと断ったんだ! それが――」

「おい、声を落とせ。注目されてるぞ」

アリエスにとってかなり興味深い話をしていたのだが、スヴェンと呼ばれた男が興奮しすぎて大声になってしまった。

そのせいで注目を浴び、スヴェンは慌てて口を閉じる。

しかし「もっと詳しく!」というアリエスの願いは幸いにして通じたらしい。

「す、すまない……。だが、トマスは誘いを断ったせいでお嬢様の怒りを買ってしまったんだ。トマスは悪くない」

「それはわかってるよ。あの方がどんな方が、皆わかってる。今までご領地にいらっしゃったのも正解だよ。じゃないとすぐにその本性が国中に広まっていただろうからな」

「まったくだよ。なあ、旦那様は今回の縁談、本当にお受けするつもりかな? そんなことになったら初夜をきっかけに戦争が起こるんじゃないか?」

「おい、めったなことを言うなよ」

ひそひそと話す声は他の者には聞こえなかっただろう。

ただアリエスは生来耳がよく、さらにポルドロフ王国の社交界で鍛えられていたので、普通に聞くことができた。

そして今、アリエスの胸はこれ以上ないほどに高鳴っていた。

(どうしましょう! こんな……こんな面白い話があるなんて!)

公爵家の使用人の話をまとめると、公爵令嬢はかなり傲慢で奔放な女性らしい。

しかも乙女ではないようだ。

確かにそれが王太子に知られれば戦が起きてもおかしくはないだろう。

以前、ジークに忠告めいたことを言ったが、まさか逆の立場で本当になるかもしれないとは思ってもいなかった。

はっきり言ってお似合いの二人でしかなく、結婚後の二人を見てみたい気持ちもある。

だがそれぞれの思惑を壊すほうが楽しいに決まっている。

アリエスは鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌でトレイを持って立ち上がると、後片付けをする男性たちにできる限りついていった。

翌日は午後から非番のロレンゾと中庭を散策した。

相変わらず注目はされるが二人とも周囲の視線は気にしない。

「ねえ、侯爵。あなたは子供の頃に鞭で打たれたことはあるかしら?」

「ああ。父からはよく打たれていたな。だから当時の私は父の顔色ばかり窺っていた。思えばほんの些細なことだったのに、なぜあれほど怒られていたのか、今でも納得はいっていないよ」

「ではもし自分に子供ができたらどう?」

「子供が?」

「あ、ただの例え話だから頬を染めないで。あと、あなたにも誰にも私は鞭を使うことはないから」

何をどう期待したのか嬉しそうに顔を輝かせるロレンゾにアリエスは冷ややかに告げた。

ロレンゾはしょんぼりしながらも少し考え答える。

「……そうだな。私は自分の子がもしできたなら、叱ることはあっても鞭を使うことはないと思う。力というものは自分より弱い者を助けるためにあるのであって、抑圧して従わせるためにあるのではないのだから」

「侯爵、あなたは色々と悩んでいるかもしれないけれど、これだけは言えるわ。あなたはとても素敵な人よ。男性としても人間としても。たぶんあなたは完璧に見えるお爺様と厳しいお父様を持ったせいで自分に自分で重圧をかけていたんじゃないかしら? だけどもうわかっているように完璧な人間なんていないし、完璧になる必要もないのよ。あなたは立派な心を持っているんだもの。罵倒されるのが好きでも踏みつけられるのが好きでもいいと思うわ」

ロレンゾの返答に安堵と感動を覚え、アリエスは珍しく思いのままを口にした。

彼ほど恵まれた地位に容姿、頭脳を持っていればもっと自惚れてもいい。

それなのに常に謙虚な姿にアリエスはかなり好感を抱いていた。

しかし、なぜかロレンゾは噴き出す。

「侯爵?」

「……いえ、最近はそうでもないんだ」

「そうでもない?」

「ああ。被虐的な嗜好が消えたとは言わないが、誰かに罵倒されたいという性的欲求はあまり感じない」

「そうなの? まあ、趣味嗜好はその時々で変わるものですものね」

何がおかしいのかわからず問えば、ロレンゾは笑いながらも答えてくれる。

アリエスがその言葉に真面目に頷けば、ロレンゾはさらに声を出して笑った。

その笑い声は大きく、今は明らかに注目を浴びている。

アリエスは追及することを諦めて、周囲の人たちを密かに観察した。

ただの興味で見ている人は半分、不快そうな表情でひそひそしているのはさらに半分。

あとはロレンゾの笑顔に魅せられたようにぽうっとしている女性たち。

(侯爵は確かにかっこいいものね。私も昔ならのぼせていたかも……)

もし結婚相手がロレンゾだったならば、アリエスもまだ恋だの愛だの信じていたかもしれない。

だが〝もし〟などというものはこの世に存在しないのだ。

アリエスが冷静に周囲を観察している間に、ロレンゾの笑いは収まったらしい。

一度咳払いをしてから口を開く。

「それで、今回はいったいどのような用件なんだ? アリーチェには女史の邪魔をしないようにと言いつけたが、まさかまたお邪魔しているのか?」

「あなたの妹さんは無邪気で嫌いではないわ。ただちょっと仕事の邪魔なだけ。でも今は大丈夫よ。ありがとう」

アリエスから切り出さなくてもロレンゾはちゃんとわかっていたらしい。

もう少し経験を積めば国王の側近として力を発揮してくれるだろう。

そうなれば安心できるのにと思い、アリエスは顔をしかめた。

自分が安心する必要などないのだ。

「実は、フロリスが言うには、あなたのお爺様は日記をつけていらしたらしいの。それを見せていただけないかしら?」

「祖父の日記を? ……わかった。では、探してみよう」

「ありがとうございます、侯爵」

「見つけられるかどうかはわからないから、まだ礼はいいよ」

先々代カスペル侯爵――前宰相の日記にどれだけの価値があるのかロレンゾは正確に理解していながら簡単に了承した。

赤の他人であるアリエスが祖父の日記を読むことに抵抗もないようだ。

説(・) 得(・) する方法も考えていたが、その必要もなくアリエスにはありがたかった。

もちろん利用することはあっても、悪用することはない。――アリエス的に。

次にやるべきことは女官長補佐のマニエル夫人を誘惑することである。

アリエスは足取り軽く中庭を後にした。