軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

84.押し花

「アリエスはカスペル前侯爵夫人がマンベラスに殺されたと思っているのか?」

「ジークも疑っているから彼について訊いたのでしょう? まあ、彼ならアリバイなど作らなくても、いくらでも夫人を殺すことはできたでしょうから、ちょっとした私への悪戯心かもしれませんね」

「待ってくれ。話が見えない。ラリー・マンベラスにはある疑惑があった。それは認めるが、前侯爵夫人が殺されたことと、アリエスへの悪戯とやらはどう関係があるんだ?」

本気で混乱しているらしいジークを見て、アリエスは警戒をかすかに緩めた。

どうやらアリエスもジークもお互い誤解していたらしい。

「ああ、なるほど。ジークは私がラリーに唆されて何かに協力したのではないかと疑っていらしたんですね?」

「違うのか?」

「違いますね」

「ではなぜあれほどマンベラスと接触していた? ハリストフ宛ての荷物は本当にただの薬なのか?」

「ええ。間違いありません。そんなにお疑いなら、荷物を開けて確認なさればよかったのに」

「いや、それは……」

言い淀むジークを見て、アリエスは眉をひそめた。

まさかと思いつつ、確認しなければと問いかける。

「ジーク、私に情が湧いているんじゃないでしょうね? もしそうだとしたら、今すぐそんなもの捨ててください」

「相変わらずだな」

「当然です。せっかくラリー・マンベラスがポルドロフの間諜だと気づいたのですから、もっと非情になってください。そんなことだから逃げられるんですよ」

「厳しいな。だが、正論過ぎて反論できない」

いつもの軽薄な様子は消え、ジークは神妙な様子で同意した。

後手に回ったせいで前侯爵夫人が殺されてしまったのだ。

アリエスもまた、秘密主義が災いしたと反省した。

「ジークは、私が最初からラリーと繋がっていたのでは、と疑っているのかと思っていました」

「それは考えなかったな。これでも人を見る目はあるほうなんだ」

「では、最後まで信じてください」

そう答えて、アリエスは顔をしかめた。

自分らしくないことを言ってしまったのが悔しい。

ジークは一瞬目を見開き、次いでにやりと笑った。

「それでは、信じるから正直に話してくれ。マンベラスが間諜だと知っていたのに、なぜ接触を続けた?」

「ただの好奇心です」

「いい加減にしないと、いつか死ぬぞ」

「そうですね。ですが、今回のことでラリーについてはっきりしたことがあります」

「何だ?」

「彼も好奇心の塊のようです。それで私に接触してきたのでしょう。正直なところ、間諜には向かないと思います」

「要するに、似た者同士ってことか? それで惹かれ合ったとか、馬鹿なことは言わないでくれよ」

「どちらかと言うと、同族嫌悪ですね。私には人を殺す趣味はありませんから」

「マンベラスは趣味で前侯爵夫人を殺したと思うのか? 秘密を知られたとかではなく?」

「目的はあったと思いますよ」

「どんな?」

「母親が亡くなれば、少なくとも一年間は喪に服すものでしょう?」

アリエスの返答を聞いて、今度はジークが舌打ちした。

カスペル前侯爵夫人が亡くなったことで、ロレンゾとアリーチェは一年間喪に服す――領地に引きこもることになる。

国王が配したばかりの臣下が離れることになるのだ。

「アリエスはいつマンベラスがポルドロフの間諜だと知った?」

「疑ったのは、この王宮で初めて顔を見たときです」

「図書室か?」

「いいえ。それより以前、まだカスペル前侯爵夫人が王宮を闊歩していた頃からですね。特に気になったのは最近……ロレンゾがダフト卿の部下になって少しした頃、メイド姿ですれ違ったときです」

「そういうことは早く言ってくれ」

「今までは近づかないようにしていたので、確信はありませんでした。彼のことはポルドロフ王宮で一度見かけたことがあるだけでしたから。それに彼が〝アリエス・ハリストフ〟を覚えているかわかりませんでしたが、図書室で女官姿の私に近づいてきたときに確信しました。私が彼を知っているのか確認したかったみたいですね」

「それなら、なぜそこで報告しなかった?」

「職務外です」

「信じてほしいんじゃなかったのか?」

「私はあなたに嘘は言いません。ですが、真実を言うとも限りません」

「謎かけじゃないんだぞ?」

「そうですね。好奇心には勝てませんでした。申し訳ありません」

ジークは再び目を見開いた。

どうやらアリエスが謝罪したことに驚いたらしい。

だがすぐに気を取り直し、問いかける。

「何にそんなに興味を惹かれたんだ?」

「香りです」

「香り?」

「はい。メイド姿でラリーとすれ違ったとき、印象的な香りをまとっていました。しかし、図書室で近づいてきたときには別の香りをまとっていたんです」

「それがそんなに気になることか? その日の気分によって香りを変えることはよくあるだろう?」

「そうですね。偶然、私と会うときにはお気に入りとは別の香りをつけていたのかもしれません。そして、初めて会ったばかりのはずの私に警告した」

「何の警告だ?」

「彼が王族専属の医師だったカーサル医師に師事していたことはもうご存じですよね? 彼は退官したカーサル医師は毒殺されたと言っていました。だから殿下付きの女官である私も気をつけろ、と」

「毒殺? そんなことは初めて聞いたぞ。カーサル医師は確か心臓発作で……」

そこまで言って、ジークははっとした。

カスペル前侯爵夫人が 心(・) 臓(・) 発(・) 作(・) で亡くなったと報告を受けたばかりなのだ。

「頼むから、報告してくれ……」

「そのときは彼のことをもっと知りたいという好奇心が勝りました。報告すれば、彼が拘束されてしまうかと思ったので」

先ほどのアリエスの謝罪はそういうことかと、ジークはため息を吐いた。

しかし、香りについてはまだ説明してもらっていない。

「それで、香りとやらはどう関係があるんだ?」

「メイド姿ですれ違ったときの彼の香りは、思わず振り返ってしまうほどでしたから」

「へえ。それは気になるな」

「あなたも嗅いだことがありますよ」

「俺が? どこで?」

「以前起こった横領事件の関連から発覚した、人事局の長官補佐――シャルル・タイザム卿がヘベノンを隠し持っていたでしょう? あのときヘベノンが入れられていた香袋の残り香です」

予想外の事件と繋がったことで、ジークは内心驚いた。

だが冷静でいることを心がけて確認する。

「偶然の可能性は?」

「もちろんあります。ただ〝アリエス・クローヤル〟と会うときにだけ香りを変えているのなら、十分に疑わしいと思いました。私がお願いして用意してくれた薬の入った袋には、再びあの香りが残っていましたから」

「その香りとやらは、そんなに珍しいものなのか? それに薬ってもんはそもそも匂いがきついだろう? それでわかるものなのか?」

「珍しい……というよりも、あり得ない香りなんです」

「どういうことだ?」

「ジークはスズランの香りをご存じですか?」

「いや、知らないな。花には興味ない」

「ええ、それがよいかと思います。スズランは花も葉も花粉にも毒がありますから、扱いには注意が必要です。そのため、スズランから精油を抽出するのは不可能に近いでしょう。もちろん絶対とは言えませんが」

「要するに、ヘベノンが入っていた香袋からはスズランの匂いがしたってことか?」

「ええ。――まあ、他の香料から無作為に合成した可能性もあります。とはいえ、印象的な香りだったことに間違いはありません。ですから、薬草に混じったかすかな残り香を判別することができたのです。鼻は利くほうなので」

「なるほど」

納得の言葉を口にしながらも、ジークは納得していない。

まだラリーについて始まりにすぎないからだ。

「ちなみにスズランの毒は、頭痛、めまい、嘔吐などを引き起こし、最悪の場合は死に至ります。心臓麻痺などで」

「ようやく繋がったか」

「とはいえ、カーサル医師やカスペル前侯爵夫人の死因が本当に毒なのかどうか。毒だとしてスズランかどうかはわかりません」

「だが、確率的にマンベラスの犯行の可能性が高い」

「そうですね」

大きくため息を吐いたジークに、アリエスは同意して頷いた。

今度はアリエスが知る番だ。

「ラリーが間諜だと気づいた根拠は?」

「……マンベラスがカスペル前侯爵夫人の主治医となる前、自殺したとされるシャルル・タイザムを何度か診療していた。そこからやつについて調べた結果、ポルドロフに繋がったんだ」

「少し遅かったですね」

「ああ。今、追っ手を差し向けているが、追いつけるかどうか……」

「では、急ぎカスペル侯爵領にも追っ手を出してください」

「なぜだ?」

「ただの勘です。でも彼なら夫人の葬儀に参列していてもおかしくないと思います」

アリエスはそう言うと、水差しの横に置いてある本をとんとんと指先で叩いた。

不思議に思ったジークが一冊手に取ると、重ねて置かれていた本とまったく同じものだと気づく。

「どうして同じ本が二冊もあるんだ? 確か、シャルル・タイザムも持っていた本だろ? 薬草についてだったよな?」

「それはラリーに借りていた本です。話の流れで借りることになって、一度はお返ししたのですが、迷惑料として受け取ってほしいと言われました」

「迷惑料?」

「ええ」

そのときはカスペル前侯爵夫人とのちょっとした諍いのことかと思っていたが、どうやら殺してしまった後についてだったらしい。

ラリーは別れ際に、また会えるのを楽しみにしていると言っていたのだ。

ジークはしばらく本の表紙を見てから無造作に開いた。

すると、栞代わりにしているのか押し花が挟んであるページが開く。

「……へべノンの記載ページだな」

「ええ。前回借りたときにはなかったものですが、今日受け取った後で開いてみると、その押し花が挟んでありました」

「これは……スズランか」

「どうやら彼のほうが一枚上手だったようです」

結局、アリエスが薬草に詳しいことは、とっくにお見通しだったらしい。

ため息交じりにアリエスが呟くと、ジークは本を置いて立ち上がった。

そして厳しい口調で言う。

「もしマンベラス絡みで何かあれば、絶対に知らせてくれ。好奇心もいいが、少しは自分を大切にしろ」

「……わかりました」

確かにアリエスだけでは、ラリーは手に負えそうにない。

リクハルドの安全のためには、もう自分勝手な行動は許されないのだ。

ジークは素直に頷いたアリエスをしばらく見つめ、それから部屋を出ていったのだった。